【 賢治の激痛と内臓下垂 】
「ゔうぅっ……っ」
絞り出すような擦れた声。
全身麻酔がきれ、由美さんは青白い顔にくしゃくしゃに皺を寄せ苦しそうにしていた。大きな開腹手術の直後だ。無理もない。
「……っ、か…(ける)…ちゃ……(ん)」
全身麻酔下での手術は喉に管を通して呼吸を管理(気管挿管)する。手術後に自発呼吸が戻ると管は外れるが術後の喉の違和感は強い。
痛みや声が枯れて一時的に痛みが出たり喋りにくいこともある。
「由美さん、無理しなくていいよ。手術も無事に終わったし、安心していいからね」
「…ん…っ…。……ゔゔゔゔっ……」
「痛み酷いですか?鎮痛剤追加しましょうか?」井上が聞くと由美さんは顔を歪めがめながらゆっくり頷いた。
点滴に鎮痛剤を追加して落ち着くと眉間に皺を寄せながらも由美さんは静かに目を閉じた。
「数日はかなりつらいだろうな…」
こればかりは時間の経過を待つほかない。開腹手術は必要な場面が必ずあるものだ。今回のように腹膜炎を起こし腸壁が破けてしまったりすると開腹手術をするしか方法はないのだ。
ガラガラガラガラッ!!
「ゆ、由美、だ、大丈夫かっ!?」
しばらくしてジョージがバタバタと泣きそうな表情で病室に駆け込んできた。
「ジョージ落ち着いて。大丈夫だよ。今は鎮静剤が効いてるからそっとしておいた方がいい」
「手術で体力も消耗してるし、痛みが出てきたら休めないっすからね」
「そ、そうか……」
僕と井上の言葉に頷くとジョージはギュッと由美さんの手を握りしめた。
その後、病院の就寝時間になっても病室から離れようとしないジョージ。でもたまたま当直医だった僕の父さんが経過を連絡してくれるということでジョージは渋々病室を後にした。
✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎
カランカランッ。
「おかえりなさぁい!」
フェルマ(ジョージのコーヒーショップ)では賢治が首を長くして待っていた。
「賢ちゃん、店のこと迷惑かけて悪かったな…」
「マスター、それより由美の容体が安定してよかったですねぇ」賢治はそう言っていつものようにニコニコ笑った。いつもは賢治の能天気さには呆れることが多いが今日はなんだかホッとする。
「俺、今日店に泊まるよ。病院の近くの方が安心だし、家帰っても落ち着かないしな…」
「じゃあ俺も付き合うよ」僕はポンっとジョージの方を叩いた。
「えーっ、翔ちゃん泊まるなら俺も泊まりたいっ!」
「俺も、家帰んの面倒になってきたな〜」
賢治と井上はもともとこういう奴ら。ジョージを心配し結局フェルマにみんなで泊まることになったんだ。
だが更なる事件が僕らを待っていた。
それは翌日の朝方のことだった。
「ゔゔゔ……っ、ゔーーーーっ!!」
賢治の唸り声で僕らは叩き起こされたのだ。
「ん? なんだ…? 賢治、どうした…?」
「い、痛い…っ、痛いっ、痛いよぉっ」
「え…? おい、賢治大丈夫か!?」
「痛い、痛いよぉ…。ゔゔゔゔゔーーーーっ」
右の脇腹あたりを押さえながらのたうつ賢治。
「ふーーーっ、ふーーーーーーーっ」賢治は痛みに耐えようと必死に呼吸を整えようとしていた。
この痛がり方は尋常ではない。
「賢ちゃんどうした?まさか由美のが移って盲腸になっちゃったのか!?」オロオロしながら必死に駆け寄るジョージ。
「ジョージ、違うよ。盲腸は移ったりしないから!それに由美さんも盲腸じゃないし!」迷信なのか盲腸が移ると思っている人は未だに結構いるようだ。
「脇腹っていうより少し背中側だな。反対側のここは痛くないか?」触診しながら井上が言った。おそらくそこは腎臓だ。
「救急に連絡するか?今日の当直父さんだから直接かけた方が早いかも…」賢治の痛がり方に焦った僕はすぐさま僕の父さんの携帯に連絡をした。
ところが…。
「あ…、あぁ…、あれ? 痛み…治ったぁ……!」
「え?なに?本当に痛くないのか?」
あれだけ痛がってきたのにしばらくして賢治はケロリ。
「うん、全然痛くない…」
脂汗をかきつつ賢治はアホみたいな顔でキョトンとそう言った。
鳩に豆鉄砲。そんな顔だ。
いったいあの痛がり方はなんだったんだ?
『う〜ん、痛みは治まっててもちょっと心配だな。今からなら俺が診れるから検査だけでもしておこうか』
そう電話で父さんに言われ僕らはこの後、賢治に付き添い日曜の救急外来へ向かうこととなる。
「どうしよぉ…、俺ひどい病気だったらどうしよぉ…」
本気の激痛だったようで、能天気な賢治もさすがに不安を隠せないでいた。
でもまさかこの後、一枚の腹部レントゲンで賢治の酷くだらしな〜い普段の生活が丸裸にされようとはこの時本人は思ってもいなかっただろう。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
この物語は出版された『さくらに願いを』の続編になります。未熟な主人公たちが医師を目指す学生時代の本編概要は冴羽ゆうきHPから
https://sites.google.com/view/saebayuuki/ (リンク不可)
次回
【 内臓下垂と生活習慣 】
* 2週間ごとの更新予定となります
登場する人物・団体・名称等は架空であり、実在のものとは関係ありません。
当小説の内容、文章を無断で転載することを固く禁じます。