①三人のシ者
本当に、旅行会社の営業などやるものではない。
入社して一~二年は、地区別に割り当てられた地域の会社を、飛び込みでローラーをやらされる。
就職情報誌などで『社員旅行あり』の会社にひたすら電話セールス。まあこんなことはどの会社もやっている。
毎日の様な飲み会で、上司の覚えめでたければありがたく先輩から引き継ぎの社内旅行をいただける。
入社五年目のオレ、麻生快は営業マンの中でも底辺の成績で、未だに飛び込みとかもやらされている。
今回は大きい団体専門支店からの要請で、修学旅行のサブ添〈サブの添乗員〉にかり出された。
上野駅近くのビジネス旅館に雑魚寝して朝の4時半に起き、すぐ軍隊の様な戦場に駆り出される。
チーフの添乗員で営業課長の峯島さんからは、「とにかく忙しく見えるように走り回っていて下さいよ」という指示しか無かったが
いざ修学旅行が始まってしまうと、容赦ない怒号にさらされる。
『神様』の先生方に、それぞれ朝刊と週刊誌と栄養ドリンクをお配りする。指定の銘柄があり、ひとつでも間違えば
また「何やってんだ!」と峯島さんに怒鳴られる。
新幹線が京都駅に着き、生徒をそれぞれジャンボタクシーに乗せる斡旋が終わると、やっと一息つき、奈良のホテルに先乗りをしておく。
ホテルに届いている生徒の荷物をタグと名簿と照合したり、食事の膳を数えたり、四百、五百という数になると半端ない。いつもはワンバスくらいの人数にしか慣れていないので。
先生との反省会を一次会で失礼して、幽霊でも出そうな狭い添乗員部屋に戻ると、峯島さんが低い声で言った。
「麻生ちゃん、お風呂…… 行こっか」
「はあ、いいっすね」
もう夜中の2時半だったので正直布団にバッタリしたかったが誘いは断れない。
ひと気が無くシンとした風呂場に着くと、峯島さんはなんと女湯に入ろうとした。
「峯島さん、あの、そっち女風呂っすよ」
「……そうだよ」
「???」
峯島さんは辺りを窺うと、素早く中に入って、オレが入った後に鍵を閉めた。
「峯島さん、何を……」
「シィーーッ」
峯島さんは洗面台のプラのコップを二つ掴み、浴槽の方に入っていった。
よく分からないまま自分も付いて行くと、峯島さんはおもむろに浴槽のお湯をコップで掬った。
「これ、麻生ちゃんの」
「え、これをどうするんすか?」
「どうするって、飲むんだよ」
「……このお湯をっすか?」
「ああ、生き返るぞ。命の水だ。まあお湯だけど」
突っ込みどころがわからず突っ立っていると、峯島さんはそのお湯をゴクゴクと旨そうに一気に飲み干した。
「さあ、麻生ちゃんもグッと行っちゃって」
オレはどう対応していいか分からず。
「これ、犯罪っすよね」
「そうかぁ〜? どうせ捨てるものだろ?」
「あの、ブスのも入っていますよね」
「混ざってるから分かんねえよ。十人に一人くらい可愛い娘のが入ってるべ」
おかしい。やっぱりこの会社の人おかしいわ。
仕方なく、その女子学生のエキスが滲み出たお湯をありがたく頂戴した。
* * *
秋の職場旅行シーズンに入り、毎週のように出発団体がある。目まぐるしい忙しさだ。
旅行にトラブルはつきものだか、クレームが重なることの無いように祈るだけだ。
ちょっとここのところ体調が悪く、めまいや立ちくらみを感じている。
峯島さんにありがたい『せいすい』を飲まされたせいだろうか。
日中でも、パソコンの視界の隅に何かぼやっとした影が見えているような気がする。
浮き出たホログラムのような3つの影。真ん中は小柄な少女のようにも見えた。右の大きな影はオーク鬼のような気配のシルエット。左はあまり生物っぼくない、機械が浮いているみたいだった。
やばい、よっぽど疲れているんだな。
疲れは往々にして良くない事を引き起こす。
10月の下旬、この秋の一番大きな団体が終わり、グループで打ち上げをすることになった(といってもほとんど毎日飲みには行っていたが)
カラオケを挟んだ四次会くらいまであり、地元の東武東上線の家がある駅の途中の駅で飲んでいたが、終電がなくなる。
他のメンバーは三々五々いなくなり、最後は直属の課長の本部もとべさんとサシで飲んでいた。
本部さんは体育会系のノリだが根はいい人で、表向きは自分に厳しいことも言っていたが、肝心なところでは力になってくれていた。
「おいっ! もう終電無いな。家まで歩くか!」
本部課長の最寄り駅も東上線沿線の自分の最寄り駅の隣駅で、途中駅までの終電がなくなるとよく歩いて帰ったりした。
二人で線路沿いの道をフラフラ歩いていたところまでは覚えている。
辺りが薄明るくなってきて気が付くと、電車のレールを枕に寝ていた。
となりには巨体の本部課長も寝ている。
二日酔いで体がまだ動かない。
いきなりレールが鳴りだした
ヤバイ、初電が近づいてきている
大恩ある課長をこのままにしてはおけない。
本部課長は体重100㎏近くあり、まだいびきをかいてぐっすりだ
電車の影が見えてきた
仕方なく、腹の下あたりを両足で何回か蹴り込み、線路外に転がし出した
しかし、その時にレールに足を取られて転び、腰を打ち付けて動けなくなってしまった。
電車は凄い速度で近づいてくる
万事休す。
電車に轢かれる直前、目の前にペガサス流星拳の様な閃光が走り、意識が飛んだ。
後は漆黒の暗闇の中に落ち込んでいく……
何時間も時間が流れたようであり、また一瞬のようでもあった。
気が付くと、視界はストップモーションのように、電車と自分がぶつかる直前で静止していて
それを空中? から夢の中の様に見ている自分がいた。
いや、正確に言うともう身体の感覚が無いような、意識だけの存在の様でもある。
「おい、アンタ!」
後方から声を掛けられて振り向く(?)と、自分は思わず「アッ!」という声を上げていた。
幻で何度か見覚えのある三体の実物が、そこにいた。
真ん中の少女は、中学生くらいに見える可憐な少女だったが、性格は悪そうだった。
右側の巨人はミノタウロスの様な迫力のある顔面と、黒光りした筋肉隆々のマッチョで、下半身にボロ切れの様なものを巻いているだけだった。
左側の機械(?)は、作りかけか半分壊れた状態のBBー8が宙に浮いている様な体裁だった。
「あの、あなた方は?」
「ワ・レ・ワ・レ・ハ・ウ・チ・ウ・ジ・ン・ダ」
????? そんな訳ないだろっ!
「ああ、ごめんごめんあんまり面白くなかったね。我々は『ふぁいなる・りせったーず』というものですよ」
なんすか、それっ!?
やっぱり峯島さんに飲まされたあの「せいすい」がいけなかったのか?