94 雇われ船長ベレンゼン②
商船『海の恵み号』は、穏やかな海面を滑るように進んで行く。『海の恵み号』の船体は、全長が二十五メートルの中型木造船で、帆柱を二本持っていた。
積載しているのは主に海産物で、一部、赤い荒野で採れた薬草も積んでいる。これらは港町ターズから首都バーンガッドへ輸送され、加工されて全国へ売りに出されるのである。
ロビン一行は甲板に出て、辺りの景色を眺めていた。右手には崖と岩場の陸地が続いていて、今日は余り波が無いので、崖下で砕ける波の飛沫は小さい。
左手には内海の水平線が見えていて、遠すぎて肉眼では見えないのであるが、水平線の先には魔族のみが住んでいる『大魔王国』があるのであった。
『大魔王国』を支配する大魔王ケンジは、人間世界とは完全に関係を断っているのであるが、国を抜け出した一部の力を持った魔物が、人間世界の数か所に勢力を広げ、自ら『魔王』を僭称して、ジワジワと版図を広げつつあったのである。
「それにしても航路が、少し岸に近すぎるんじゃねえか? 下手すると座礁するぜ」
殆んど船に乗った経験の無いハールデンが渋い顔で言うと。
「いや、これが当たり前でござるよハールデン殿。沖へ行くほど巨大な海の魔物が生息しているので、出来るだけ海岸線近くを航海するのが常識でござる」
何度も船に乗っているジェームズが、ハールデンの疑問に答えた。
「ほう、そんなものなのか……では、岸に近い辺りには魔物は居ないのか?」
ジェームズは首を振り。
「魔物は海の浅い部分にもいるでござるよ。ただ、船をひっくり返せるような力のある魔物は、滅多に居ないでござるよ。……ただし、夜は大型の魔物が岸近くに寄ってくる場合もあるそうでござる」
「ふうん」
気の無い返事を返したハールデンは、右手で首にぶら下げた『海の首飾り』に触れた。
海星屋の家宝であったこの首飾りは、いざという時は魚のように速く水中を進み、長い時間潜ることが可能な希少アイテムである。
甲板で雑談を続けるロビン一行を、船尾の一段高くなっている操舵室から、船長のベレンゼンと部下たちが、気づかれないように観察していた。
部下の一人がベレンゼンに声を掛ける。
「船長。今回、乗っている旅人は全部で六十人でさあ。運賃が安いので集め易かったですね」
「ああ。これからも同じ手口で行くことにしよう……どうせ、有り金全部頂くんだからな」
ベレンゼンがうなづく。
部下は嫌らしい笑いを浮かべると。
「有り金全部頂いて、海に落としちまえば、何の証拠も残りませんからね。アルマンド親分も、上手い手を考えなさる」
部下は裏で彼らを操っている、アルマンド船長の名を出した。
「それくらいにしておけ」
仲間しか聞くものは居ないが、ベレンゼンが口の軽い部下をたしなめた。
通常の定期船と違って、商船の荷と共に乗る旅人は、誰がどの船に乗ったのかなど、記録に残っている訳ではない。
それに目を付けたのがアルマンドであった。普通に船の商売を行いながら、乗せた旅人を海上で襲い、身ぐるみ剥いで海に沈めてしまえば、死体は魔物が処理してくれて証拠は残らないのである。路銀を所持している旅人は、良い稼ぎになった。
自分が船長として乗る『黒龍号』には旅人を乗せず。手下の雇われ船長に旅人を募集させて、協力して海上で旅人を襲うのであった。
ベレンゼンが船長の『海の恵み号』は、乗組員は約百人の中型船である。今回乗せている旅人は六十人であり、数には勝るが死に物狂いになった旅人と、そのまま戦えば犠牲も多くなる。
そこで海上で『黒龍号』と合流し、大人数で一気に制圧する予定であった。ちなみに『黒龍号』には百五十人の船員が乗っている。
「今回の旅人の中では、奴は手強そうですね」
操舵室から見降ろせる先に居る、ハールデンを顎で指して部下が言う。
「そうだな……」
仲間と談笑している大男は、フードに隠れて顔は見えないが、異常なほどに筋肉が発達していて、暴れ出せば手が付けられなくなりそうである。
男を誘ってしまった僅かな後悔を感じて、ベレンゼンは顔をしかめた。だが、あの時は親分であるアルマンドに、出港を急かされていて後先を考える余裕が無かったのである。
「まあ、今さら愚痴っても仕方がない。大人数で囲んで討ち取れば問題ないだろう」
犠牲の一人二人は仕方がないと、腹をくくったベレンゼンであった。どうせ死ぬのは交換の可能な配下の下っ端である。
自身は早く借金を完済して、老後の資金も溜めなければならないのである。
「船の上はバランスを鍛えるのに、丁度良い場所でござる」
ジェームスに誘われて、甲板でロビンの稽古が始まった。今日は『魔王斬り』の指導である。
敵の正面から片手剣に両手を添え、飛び上がって全体重を加えながら斬り降ろす、いわば止めの一撃である。
これが簡単なようで難しい技である。それでも魔王を倒す為にはこの技をマスターしなければならない。
教会に認定された勇者のみが、この技を使った時に、魔王を滅する力を発揮できると言われている。
他のメンバーは、熱心に稽古するロビンを周囲を囲んで見守っている。賢治も同じく突っ立って、見るとはなしに見ていた。
(大魔王様)
肩に止まったカノンが賢治に話し掛ける。
「何だ」
(はい。あの勇者が稽古している『魔王斬り』なる技ですが、あのような技で、魔王を滅する力が発現致しますのでございましょうか?)
「……さあな。分からぬが、そう言うものなのであろうな。一念岩をも通すというでは無いか」
(なるほど)
賢治は『魔王斬り』には興味が無いようである。(なるほど)と分かったように口にしたカノンであるが、彼も本当のところは何も分かっていなかった。しかし、興味を示さない主人に、これ以上何も聞くことは出来なかった。
船の手すりに身を預けて、皆と一緒にロビンの稽古を眺めていたハールデンは、船の後方の水平線に小さな船影を発見した。
船影はどんどん大きくなって来て、『海の恵み号』に近づいて来ていることが分かった。
「旦那。船が近づいて来るぜ」
教えられたジェームスが、稽古をつける手を止めて、細目で近づいて来る船影を見詰めると。
「大型の船でござるな。マストが三本見えるでござる。船足もずいぶん速いようでござるな」
大型の船が近づいて来る様子に、他の乗船している旅人も気が付いたようである。船が黒く見えるのは、影だけのせいではなく、実際に船体が黒く塗られているようで不気味であった。
「アルマンドさんの『黒龍号』が近づいて来ましたぜ」
操舵室でベレンゼンの隣りに立つ部下が報告する。
ベレンゼンはうなづくと。
「辺りに他の船は見当たらねえ。海岸側も人が住んでない地域だからな。この辺でやりゃあ、誰にも見られずに済む」
部下の一人に顎をしゃくると。
「おい! いつもの様に、旅人たちを舳先の倉庫に全員誘導するんだ。あちこちに散らばられると、始末するのに探すのが面倒になる」
「へいっ!」
部下は慣れているようで、返事をすると操舵室から出て行った。
かなり近づいて来た黒い船体の船を、目の良いハールデンは、先日、アーバス港で乗船を拒否された船であることに気が付いた。
「確か『黒龍号』って名の船だったな。船長の命令で、旅人は乗せないとか言っていたな」
ハールデンは彼に大きな顔をして食いかかって来て、逆に怒鳴り付けられて、震えていた『黒龍号』の船員の顔を思い出した。
その『黒龍号』側でも、『海の恵み号』の甲板で、こちらに注目している旅人たちの顔が、認識できるほどに近づいて来た。
旗を揚げるようにアルマンド船長から指示されて、操舵室から出て来たガフールは、迫って来た『海の恵み号』の甲板の上に、ひと際、目立つ体格の男を発見したのであった。
「あ! あいつ! 『海の恵み号』に乗ってやがったのか!」
アーバス港の船着き場で、酷く恥をかかされた相手であった。あの時は仲間を呼ぶことも出来ず、悔しくて後で地団駄を踏んだのであるが、ここで会ったが百年目である。たっぷり復讐が出来るとガフールの顔が喜色に染まった。
「海の上で会ったなら、絶対許さねえ」と誓ったのであるが、本当に機会が巡って来たのであった。
どうやって仕返ししてやろうかと、あれこれ考えながら、船長に指示された旗をスルスルと揚げて行った。その旗には髑髏のマークが描かれていたのである。
「うわわわーっ!」
「ひえーっ! 海賊だ!」
真っ黒な巨大な船体の船から、急に掲げられた旗を見た旅人たちから悲鳴が上がった。
旅人たちの反応を確認した、『海の恵み号』の船員から声が飛ぶ。
「海賊が現れました! 旅人の皆さん、危険です! 我々が命を懸けて必ずお守り致しますので、皆さまは舳先の倉庫の中へお隠れ下さい」
数人の船員が、右往左往する旅人に声を掛けて、巧みに舳先の倉庫へ誘導するのであった。
「何か、胡散臭く無いかい?」
メリッサが両眉を寄せて疑念を口に出し、ハールデンがうなづいた。
「確かになあ。本来なら船影が見えた時点で、何か反応しなきゃ可笑しいな。……ここまで近づかれちゃあ、今さら逃げるのは不可能だろうな」
「まさか、奴らグルでござるか」
ジェームズは憤慨した顔で両手を組んだ。
「旅人を舳先の倉庫に押し込めて置いて、一挙に始末しようって魂胆だろうな」
顎に手を当てたハールデンは、そう言いながらも余裕を持っている。
「兄さん。どうします?」
見上げるロビンに。
「まあ、任せとけ。ちょうど『海の首飾り』の威力を試したかったからな……お前とメリッサには旅人を守ってもらおうか。ケンジは危ねえから、旅人と倉庫へ入ってな。旦那は俺と暴れてもらうぜ」
ジェームズは笑みを浮かべると。
「心得た!」
と、両刀を軽く叩いたのであった。




