9 荒し屋
街道で野営テントを張り、二泊した勇者一行は、三日目に街道を外れ南の森へ足を踏み入れた。
この辺りは《ベルナの森》と呼ばれている。強い魔物はそれほど生息していないが、基本的に街道から遠くなるほど魔物は強くなる。
一行が向かう廃坑は森のやや南にあり、昔は産出した鉱石を運ぶため、トロッコ用のレールが街道まで続いていたが、長い年月の間に、落葉で覆われ倒木で行く手を阻まれ、今はほとんど朽ち果ててしまっている。
それでも坑道までの道しるべになるので、一行は落葉を払い、倒れている木を避けながら、森の中に続いているレールを目印として進んでいた。
「今日はこの辺りで野営します。明日には目的の廃坑へ到着するでしょう」
先頭を歩いていた賢治が立ち止まり、後に続く一行に声を掛けた。
「ケンジ。お前、凄い奴だな。ここまで使えるとは思わなかったぜ」
お世辞抜きでハールデンはほめた。
この場所までやって来る道中で、賢治は的確な時間と場所で休憩し、茂みに潜む魔物を事前に察知し、危険を回避して一行の負担を減らしている。
廃坑までの距離も地図を一度見ただけで記憶していて、レールに頼らなくても、だいたいの方角と位置を把握しているようであった。
賢治の能力は、完全に一般のポーターの域を超えていて、レンジャーの能力も備えているようである。
「それほどでもありませんよ。皆さんの方が素晴らしい働きをされています」
賢治が言ったのは、彼が察知した魔物で、迂回すると時間を取られ過ぎてしまい、どうしても回避できない場合に、魔物と戦って手際よく始末する勇者の仲間の腕を褒めたのである。
「では、しばらくお待ちください」
賢治は魔法の腰袋から、先が巾広になっていて内側に曲線を描いている、刃渡り六十センチほどの刀を取り出した。刀と言うより鉈に近い刃物である。
そして、周囲の灌木や背の高い草、蔦などを薙ぎ払って行く。鮮やかな手つきで見る間に空き地を造り出すと、これも腰袋から取り出したテントを設営し始めた。
「素晴らしい!」
ハールデンが破顔している。賢治は思わぬ掘り出し物だった。最大の利点は、これだけの働きをしてもタダなことである。
腰袋から椅子も取り出すと、最後にテーブルを設置し、造ったばかりの温かい食事をテーブルに並べた。
魔法の腰袋の中は時間が止まっているので、作り立ての料理を皿に盛り、収納しておけばいつでも取り出して食べられるのである。
料理はミルダの一流レストランで造らせたものだ。
「便利なもんだな」
ご満悦でハールデンが椅子へ座り、それぞれが席に着いた。
ロビンが一言。
「ケンジさん。毎回、ありがとうございます。ミルダを出てから何も不自由していないのは、ケンジさんのお陰です。感謝して料理を頂きます」
「ケンジ殿。遠慮なく頂くでござる」
ジェームズが頭を下げ。メリッサは軽く片手を上げた。
実際に魔法の腰袋は便利なものである。所有者との魔法的な契約が成されていて、所有者の意志では権利は移動しない上に、所有者が死ねば能力が失われる為、他人は脅し取ることも盗むことも出来ない。
「ところで」
食事が進んだところで、ジェームズが一同を見渡して口を開いた。
「我らはどこからか、見張られているようでござるが、皆はどう思われるでござるか」
慌てる風でも無く、食事の手も止めずに、全員が気が付いていると分かっている口ぶりである。
「だな」
ハールデンが肉を口に頬張りながら同意し、メリッサがうなづいた。
ロビンだけが驚いた顔になっている。
「ケンジよう。索敵が得意なお前が気づかないはずは無いんだが。何で言わねえんだ。面倒なら俺が蹴散らして来るぞ」
黙って聞いている賢治に視線を移し、ハールデンが尋ねた。
指摘された賢治は、肩をすくめると説明を始めた。
「彼らはミルダを出て直ぐからついて来ています。門の近くで我々の出発を待っていたのは確実ですね。これまでの行程で、だいたいの人数も把握しました。人数は男ばかりの七人組で、荒し屋と思われます」
「そんなに早くから気が付いておられたのでござるか? ワシでも森に入るまで、気が付かなかったのでござるぞ」
ジェームズが驚いた顔をして、ハールデンもメリッサも同意した。
「凄いですね。人数まで把握できてるなんて」
脳天気モードのロビンは素直に感心している。
「これまで夜中にテントを何度か出て行ったな……小便と思っていたが、そこまで調べていたか……相手は七人か。荒し屋なら荒事には慣れている連中だろうが、男に尻に付かれるのは趣味じゃねえから、ちょいと潰して来るわ」
ハールデンが立ち上がると、メリッサがテーブルを叩いた。
「ここは私に譲ってもらうよ。鬱陶しい森の中を歩くのは嫌になっていたんだ。気分晴らしに遊ばせてもらうよ」
そう言った彼女は、赤い唇の周囲を舌でペロリと舐め。
「相手はトロルなんだろ。人殺しを何とも思わない最低の奴らじゃ無いか。人を殺そうって奴らは、自分らが殺されても文句は言えないんだから、私がどう扱おうと好きにさせてもらうよ」
メリッサの膨れ上がる狂気に、ロビンが唾を飲み込んでブルりと震えた。
震えこそしなかったが、ハールデンもジェームズさえも寒気を覚え、彼女に襲われるトロルたちがどのような目に会うのかと、気の毒に感じた。
そんな会話を賢治は無表情で聞いている。
賢治の話した情報は、全て妖精に化けているカノンが調べて来たものである。
「あのう。メリッサさん」
メリッサの狂気を、全く無視した口調で賢治が話し掛ける。
「何だい」
「彼らには後々、使い道があるので、このまま知らないふりをしていて下さい」
「はあっ! 私の楽しみを奪おうってのかい!」
メリッサのコメカミ辺りの血管が小さく動いている。
「おいおい、頼むぜメリッサ! 喧嘩は辞めてくれ! ケンジ。撤回しろ」
普段は一番先にブチ切れるであろうハールデンが、メリッサの尋常でない雰囲気に、場を納める方に回っている。
しかし賢治は変わらぬ口調で。
「まあまあ、メリッサさん。楽しみは後に取っておきましょうよ。メリッサさんがたっぷり楽しめる場面を用意しますので」
「私が楽しめるだって……?」
「はい。きっと満足して頂けると思います」
賢治は自信満々な様子である。
「……ふうん、面白そうじゃないか。楽しめるなら待っても良いけれどさ」
賢治の動じないとぼけた調子に、メリッサの張りつめていた狂気が嘘のように霧散して行く。
この男は、どんな楽しい場面を見せてくれるのかと、興味が湧いたメリッサである。
「さあ、話は付きましたね。食事を済ませて休むことにしましょう。明日は廃坑道へ入ることになります」
満足げに賢治は笑ったのであった。
勇者一行が寝静まった頃、一行を監視していた人影が一つ、月明りの中を音も無く森の中を移動して行く。
時には立ち止まって辺りの様子を伺うのは、魔物に出くわさない為の索敵能力を使っているのであろう。……やがて空き地の中にテント一つが立っている場所へ辿り着いた。
この場所が人影の目的地かと思えたのであるが、人影はテントには目もくれず、さらにその奥の森へ入って行くと、そこには寝袋にくるまって休憩している、彼の仲間六人が待っていた。
「様子はどうだった」
寝袋から出て来た一人が人影に声を掛けた。頭上の葉の隙間を通って来た月光が、彼の横顔を照らす。
頬に傷のある凶悪な人相のその男は、この荒し屋のリーダーであるグラントである。身に付けた皮鎧には無数の傷が付いていて、傷の一つ一つが彼の経歴を表している。
「はい。俺たちにゃ、気づいていない様子でさ」
「そうか」
先ほどの空き地にあったテントは無人であり。彼らは別の場所で眠っていた。
新米勇者一行の上前をはねる目的で付いて来たのであるが、勇者の仲間に手練れが多いと分かった為に、万が一、尾行を知られて逆襲された時の用心の為であった。
「手練れと言っても相手は素人でさ。いつもの罠に嵌めてやれば、何にも出来ずに音を上げるに決まってまさぁ」
「油断は禁物だ。奴らは的確に魔物を避け、出来るだけ戦わない賢い移動を繰り返している。中に凄腕のレンジャーかポーターが居るんだろうぜ」
言われた男は口をすぼめた。彼もこの一味の斥候であり、索敵などの能力に優れていると自信が有ったが、グラントの言い方では相手の能力を上に見ているように聞こえた。
「それじゃあ、今回は魔石の残り物を集めたり、奴らが回収し損ねた宝箱くらいの獲物でお仕舞いですかい?」
「そのつもりだ。……坑道の帰り道に、いつもの罠を仕掛けても察知される可能性は大きい。今回は無理をせず、稼げるだけ稼いだところで逃げることになるかも知れねえな」
面白く無げにグラントは足元に唾を吐いた。せっかくここまでやって来て、獲物が少なければ面白い訳が無い。しかし、慎重であるからこそ、ここまで無事にやって来れたのである。
「そんなぁ親分。いつもの様に罠を仕掛けて、有り金全部、頂こうじゃありませんか」
不満を口にした男の頬が鳴った。
男は横倒しに倒れて頬を押さえ、痛みに呻いている。
その様子を見ていた他の寝袋の男たちから失笑が漏れた。
「調子に乗るんじゃねえ! 俺の言うことは絶対だ! 良いな」
グラントに怒鳴られて、頬を押さえた男は何度も縦に首を振った。
早朝から起き出した勇者一行は、例によって賢治が用意した一流レストランの朝食を済ませ、テントをたたむと出発した。
次の日の野営は、ダンジョンの中になるであろう。