8 そしてダンジョンへ
マーシュ商会の会長であるマーシュは、五十代の小太りの男である。歓楽街の一画にある事務所の会長室で、両側に若い女を侍らせながら食事を行っていた。
同業者の万が一の襲撃に備え、部屋の中には武器を持った用心棒が数名立っていて、無表情でマーシュの食事風景を眺めている。
用心棒たちにはいつも見慣れた光景であり、マーシュも彼らに一切遠慮することは無かった。
「武闘家のハールデンめ。ワシに逆らうとは馬鹿な男だ」
杯の酒を飲み干してマーシュがつぶやく。
「えーっ。会長さん、ハールデンって言えば、ミルダで有名な乱暴者じゃ無いの? 勇者の仲間に選ばれたって噂だけれど、どうかしちゃったの」
女がマーシュの空いた杯に酒を注ぎながら、驚いた顔で尋ねた。
「よそで言うんじゃないぞ。舐めた真似をしてくれたのでな。今頃は冷たくなって川にでも浮かんでおるだろうな」
「へー! そうなの。会長さん、凄ーい!」
「フフフフフッ」
マーシュは笑いながら女の顔を覗き込んだ。そして、女の鼻の頭に何か黒いものが付いていることに気が付いた。
「お、お前、鼻が……」
「えっ? 何?」
黒いほくろのように見えるものは、瞬きする間に女の全身に広がり、次の瞬間、女は黒い粉末になって霧散した。
「うわわぁーっ!」
マーシュは驚いて後方にひっくり返った。直ぐに身を挺して彼を守るはずの、用心棒が集まって来る気配は感じられない。
慌てて周囲を見ると、壁際に並んでいた用心棒は、全員が粉々の黒い破片になって崩れ落ちた。
「ななな……」
何が起きたかと叫ぼうとしたが、驚愕で声が出て来ない。
目を見開いたマーシュの前方に、いつの間にか黒いバレーボールほどの塊が浮かんでいた。
「私は妖魔カノン。お前の支配する全てのアジトを教えよ……マーシュ商会のメンバーも全て知りたい。末端のことなど知らぬのならば、知っている部下をここへ呼べ」
黒い塊から聞こえて来る言葉には、マーシュを総毛立たせる殺気が込められていた。
拒否など出来ない恐怖が心の底から湧き上がり、マーシュは首を縦に激しく何度も振るのであった。
「素直に命令に従えば……そうだな。良いだろう、お前の命だけは助けてやっても良いぞ」
守るつもりの無い約束を、カノンは臆面もなく告げるのであった。
ハールデンが宿屋に帰り、部屋に入るとロビンとジェームズが待っていた。メリッサの姿が見えないのは、別に彼女用に取ってある寝室へ向かったのであろう。
「お帰りか。用事は済んだのでござるかな」
「……まあな」
ジェームズの質問に、曖昧な返事を返した。
「あんたら飯は済ませたのか」
ロビンに聞くと、うなづいた。
「三人で宿屋の食堂で食べました。メリッサさんは酒を頼んで、自分の部屋に持ち帰ったようです」
「そうか」
何気に部屋を見渡している、従兄の様子に気づいたロビンが。
「ああ、ケンジさんですか? 兄さんが宿屋を出た直ぐ後に、ケンジさんも用があると言われて出て行かれました」
「そうなのか……実はな、何となくだが奴はもう、帰って来ない気がするんだ」
帰って来ないのではなく、殺されて帰って来れないのであるが、本当のことを二人に言うつもりは無い。心づもりをして置いた方が良いであろうと、さりげなく告げた。
「えっ」
「まあ、俺の勘なんだがな……だって普通に考えりゃそうだろう。報酬も無し、従者じゃあ名誉も無し、命の保証も無いんだ。ついて来る方が不思議ってもんだろう」
ロビンもジェームズも無言になった。ハールデンの言っていることは全て正しい。
しかし、従者になると返事したケンジの声には、真っすぐで純粋な人の為になりたいという、心が籠っているように思えた。もしも、このまま帰って来なければ、それはそれで寂しいものである。
「どうした元気がなくなったな。だが人間なんてそんなものだ。奴は最初からいなかったと思えば、どうってことは無え」
(無報酬で雇えるポーターと、僧侶がいなくなったのは痛いがな……今頃、奴は冷たくなって地面の下か、川の中だろうな)
ハールデンにとって他人事なので、どうなろうが知ったことでは無いが、あの状況で生きて帰るのは難しいであろう。
「コンコン」
その時、ドアがノックされた。
三人は顔を見合わす。勇者の宿屋に現れるのは、国か教会関係か、ホンの偶にいる勇者ファンであろうか。いずれにしろ、本来は宿屋の者が来客を告げに来るはずなのだが。
「空いてるぜ」
ハールデンが声を掛けると扉が開き、立っていたのは賢治であった。いつも肩の上にいる妖精の姿が見当たらなかった。
「ゲッ!」
賢治の姿が見えた瞬間に、ハールデンが飛ぶように彼に駆け寄った。そして肩を抱くようにして外の廊下に連れ出し、扉を閉めたのであった。
「お前。どうして無事なんだ」
耳元で小声で話した。
「俺も分からないんですが……ちゃんと謝ったら許してもらえました」
「そんな馬鹿な訳があるか! 本当のことを言え!」
ハールデンは賢治の両肩を掴んで揺らした。
「本当ですって」
ハッとした顔になったハールデンは。
「……金か。そうだろう、おかしいと思っていたんだ……妖精……魔法の腰袋。全部金があれば手に入る。桁違いのな……お前はどこかの金持ちの息子で、金でケリを付けたんだろ。そうでも無けりゃ、あの状況で奴らが無事に帰すわけがねぇ」
さらに肩を揺らした。
「違います」
そこでハールデンは、常に賢治の肩の上を飛んでいる、妖精の姿が見えないことに気が付いた。
「……妖精が居ねぇな」
「ああ、はい。妖精は主人に様々な幸運をもたらすことはご存知ですね。今、俺の為に働いていると思います。……そうだ! 妖精のもたらす幸運の力で、許してもらえたのかも知れませんね」
話したことは半分は本当である。笑顔を見せた賢治に、ハールデンは訳が分からなくなった。
「……そんな馬鹿な」
毒気を抜かれたような顔で、そうつぶやいたのが精一杯であった。
次の日、勇者一行はミルダの道具屋で、回復薬を中心に道具をそろえた。僧侶である賢治が動けなくなったり、死亡した場合の保険である。
ちなみに昨夜は賢治は、勇者一行の部屋で眠ることになり、朝になるといなくなっていた妖精は戻って来ていた。
賢治に言わせれば、妖精は主人の為に夜中に働いていたそうで、何をしていたのか賢治にも分からないそうである。
(夜中に帰って来た妖精は、一言、「ご安心ください。全て消してまいりました」と彼に告げたのであった)
宿屋でもう一泊した勇者一行は、最初の試練のダンジョンのある、南西のベルナの森に向かう為に宿屋を出発した。
廃坑のダンジョンを突破して『Cランク勇者』にならないと、ミルダ周辺から出ることを禁じられている。
早朝。首都ミルダの外周を囲む城壁の西門が開き、勇者一行が姿を現した。舗装された石畳の道を、急ぐでもなく西へ向かって進んで行く。
そのまま二日ほど進み、街道から南にそれて森に入るのである。
先頭を行くのはポーターの賢治である。肩の辺りを妖精が飛んでいる。本来ならばポーターは、人力で引ける小型の荷駄車を引いているか、大きな荷物を背に負っているのであるが、魔法の腰袋を持つ彼は何も持っていない。腰に差した木刀一本だけである。
続いて戦士ジェームズ。魔法使いメリッサ。勇者ロビン。最後尾は武闘家のハールデンであった。
しばらく街道を進んだ賢治は、後方を振り返って、メンバーがついて来ている様子を確認したのだが、人では到底見えない遠くまで見える賢治の目は、自分たち一行のかなり後方を、隠れながらついて来る何人かの集団を発見した。
巧みに隠れながらついて来ているが、賢治の目からは逃れる事は出来ない。
「カノン!」
妖精にしか聞こえない声で呼んだ。
(ハハッ!)
「後をつけて来ておる者がおるぞ」
告げられたカノンは、スッと上空に飛んで行き、直ぐに戻って来た。
「見て来たか? ……あの後ろから付いて来る集団は何だ。明らかに我々の後を付いて来ておるぞ」
(はい。あの者たちは兵士でもなく傭兵でもなく、ましてや冒険者でも無くて、恐らくトロルと呼ばれる『荒し屋』で間違いないと思われます)
「荒し屋? だと。何をする者たちだ」
(今回の我々のような、ダンジョンを攻略する者の後から侵入し、取り残した魔石や、見つけ損ねた宝箱などを掠めて行く者たちです)
「墓場泥棒のようなものか」
(もっとタチが悪うございます。自分らが後を付けている者たちが弱いと見れば、襲い掛かることもございますし、攻略が終わり疲れて帰って来るところに、罠を仕掛けて襲う場合もございます)
「ふむ。けしからぬ奴らよな」
(ご不快ならば始末して参りましょうか?)
カノンは簡単そうに言う。
「いや、良い良い。何かに使えるやも知れんからな」
(ハハッ!)
カノンに命ずれば、荒し屋など瞬殺であろう。それでは面白くない。
ダンジョンに潜れば、上手く盾や囮に使える場合もあるであろうと考えた。
「楽しみが増えたな」
唇の端を舐める賢治であった。