7 始末する者される者
ハールデンが宿屋から外へ出ると、辺りは暗くなり始めていた。通りを歩く人波も少なくなって、馬車や荷駄車の姿は見かけない。
彼は歓楽街の方へ向かって歩き始めた。彼は歓楽街のあちこちの店に借金がある。小さな店の借金などいちいち覚えていないが、元々払うつもりも無いのでそれはどうでも良い。
問題はマーシュ商会の息の掛かった店である。マーシュ商会はミルダの裏社会に根を張る組織である。
みかじめ料を払っている店のいくつかが、マーシュ商会に泣き付いて行って、商会からの支払いの催促が何度もやって来ていたのであった。
「面倒臭え」
唾を吐いて歩いて行く。
どうするかと考えていたが、従弟が勇者に認定されたと聞いて、勇者の仲間になり支度金が入れば、それで解決できると高をくくっていた。
金を返すあてが出来たので、返済の催促にやって来た下っ端の態度が悪いと、罵倒したり、軽く叩いたり平気で痛めつけていた。
「ちょっと、やり過ぎたかもな」
多少の後悔はあるが、それだけである。脅されて金を払うのは己のプライドが許さない。
今夜は支度金が思ったより少なかったので、金が溜めるまで待つように話を付けるつもりである。
もしも話がこじれて周りを囲まれれば、腰袋に忍ばせた、鉤爪付きの手甲を装備して暴れ回るだけである。
「そうだ。ジェームズとメリッサを抱き込めば、マーシュ商会も文句は言って来ないかも知れねぇな」
自身と、世界最強と名高い二刀流の達人と、サディストの魔女がひと暴れすれば、人数が多いマーシュ商会と言えども簡単に壊滅できるであろう。
「くくく、良いことを思いついたぞ」
含み笑いをしたハールデンは、急ぎ足になるのであった。
「俺もちょっと出てきます」
断って賢治は宿屋を出た。深く帽子を被ったままである。
賢治の周囲には、人には感知できないが使い魔が何体か付いている。彼らに知性はほとんど無いが、賢治の命令に手足の如く従うのである。
宿屋から出た賢治に、人間には不可視の使い魔が寄って来た。使い魔の報告に耳を傾け、繁華街に向かって歩き始めた。
(大魔王様。あの武闘家の後をつけるのでございますか)
カノンが耳元でささやく。
「そうだ。奴は狙われているからな。己の腕に自信が有るようだが、ちょっとしたことで人間は簡単に死んでしまうものだ。人間は頭や胴が潰れたら復活できないからな。ひ弱な生き物は守ってやらねばなるまい。勇者の仲間が減れば、いつまで経っても魔王討伐が始まらないからな」
(なるほど‥‥奴が狙われるのは自業自得でしょうが、それで大魔王様の計画が遅れるのは、由々しき事態でございますからな)
「うむ」
急ぐでもなく、普通に歩いて行く賢治であった。
繁華街に入るとハールデンは路地裏へ入った。この辺りはマーシュ商会の縄張りであり、この暗い路地で獲物を狙っている者は、商会の息が必ず掛かっている。
日はとっくに落ちていて、月明りしか無い路地裏は不気味に静まり返っている。そんな通路をハールデンは恐れる風も無く歩いて行く。
やがて前方を塞ぐように三人組が現れた。同時に後方にも人の気配が現れる。
「武闘家のハールデンだな……お前、どれだけ命知らずなんだよ」
前方の男の声には、呆れを通り越して驚きが籠っている。
「命は大事さ。俺は話を付けに来たんだ。お前は下っ端だろ? 話の通じる幹部の誰かを呼んで来てくれ」
「……分かったよ。後を付いて来な」
男は背を向けると歩き始めた。ハールデンが従って歩き始めると、後ろの気配も付いて歩き始めた。
下水の臭いの混じる路地裏を、右に曲がり左に曲がり歩いて行く。暴れることになった場合は、どちらに逃げて良いか分からないな。とハールデンが呑気に考えている内に、路地裏の一画で家が取り潰されて空き地になっている場所に出た。
地面は足首ほどの高さの草むらになっていて、空き地の中央には、半壊した小屋のような建物がポツンと建っていた。
彼は前方を歩く三人に付いて空き地の中へ入って行く。空には月が出ていて、空き地を明るく照らしていた。
空き地の向こうに並ぶ建物は、黒いシルエットとなって浮かんでいる。
「さて」
中央の廃屋の傍まで来た三人が振り返った。
「何だ、こんな場所に連れて来て。早く幹部を連れて来な。お前じゃ話にならねえんだよ」
ハールデンの言葉に合わせるように、廃屋の影から男が現れた。男はマーシュ商会の事務所に行った時に見たことがある顔だった。
折り目の付いた新品の服を着て、髭も綺麗に整えている。
「あんたは幹部に間違いないようだな。こんな場所で俺を待っててくれたのか」
ハールデンの声は落ち着いている。
現れた男は肩をすくめた。
「お前は馬鹿か、もしくはとんでもない度胸の持ち主だな。いかにも俺はマーシュ商会の幹部だが、昼間にウチの下っ端を酷い目に会わせておいて、平気でこんな場所までやって来るとはな」
「んっ・・・?」
ハールデンは幹部の男が、言っている意味が分からない。
「昼間に教会まで金の催促に行った、ウチの二人組を覚えてるだろう。忘れたとは言わせねえぞ」
言われて思い出した。一人の顔を叩いたことも。
「あれはだな」
「下っ端とは言え、あそこまでやられちゃ、商会としても落とし前を付けなきゃならねえんだ。これはメンツの問題だ」
「えっ・・・?・・・待てよ。舐めた口を利かれたから、俺は一発軽く叩いただけだぜ」
「嘘をつけ! 二人とも歯は折れ、口の中はズタズタに切れて口も利けねえ。今は熱を出して寝込んでるんだよ! こうなったからには、もう、貸した金がいくらだの、金を返せだのの話じゃねえんだよ」
幹部の声に殺気が漂っていた。
「待て! 人違いだ。やったのは俺じゃねえ」
「度胸があるにしては往生際が悪いな。もう、逃げられねえぞ」
幹部がゆっくりと下がって行くと、周囲の草むらに伏せていたのか、片手剣を手にした男たちが立ち上がった。
「うそじゃねえって……畜生! あの野郎。ケンジめ、どこまでやったんだ」
自分を殺せば借金が取れなくなるので、まさか相手がこんな態度に出て来るとは思っていなかった。
もう何を言っても相手は信じてくれないであろう。ハールデンは腰袋から鉤爪付きの手甲を取り出して両拳に嵌めた。
「しゃあねえな。後悔するなよ」
こうなれば一暴れして、幹部を人質に捕るしか逃げる方法は無いであろう。手加減をするほどの余裕も無いので、大勢の死人が出ることになる。
その時、空き地の入り口辺りで声がした。
「あー。お取り込み中の所、ちょっと済みません」
今まさに修羅場が始まろうとしている緊張の場に、全く相応しくない気の抜けた声であった。
空き地に立っている全ての男たちの目が、一斉に声を発した主に突き刺さった。
そこに立っているのは賢治であった。肩の上に妖精が乗っている。
「おお!……あいつだ。あいつがお前んとこの下っ端をやったんだ」
ハールデンは子分たちの後ろに姿を隠した、幹部に向かって叫んだ。
「俺じゃねえんだ。俺は謁見の準備がで来たって、教会に呼ばれてあの場から去ったんだ……後はこいつに話を付けてくれって頼んだんだが、まさか、そんな酷え目に会わせるなんて」
ここぞとばかりにアピールした。
幹部は考える。下っ端をあれだけ暴行されたまま放って置けば、ハールデンに怖気づいたと世間に噂が広まるかも知れない。
そうなってはマーシュ商会が舐められる。そこで仕方なく金を諦めて始末するつもりであったが、犯人が別に居たのなら、そちらを始末すれば面目は立つ。
ハールデンの並外れた暴力は脅威であり、始末する為に何人もの手下を失うと覚悟していたが、彼と戦わなくて良い上に、金が返って来るならそちらの方が商会の為になる。
「金は必ず返す。その二人が口が聞けるようになりゃ、俺の疑いは晴れるはずだ」
幹部はうなづいて片手を上げた。
「良いだろう。お前の話を信じることにしよう」
ハールデンを取り囲んだ男たちが片手剣を下げた。彼らにしても安堵した様子である。命令を受ければ襲い掛からねばならなかったが、この有名で凶悪な武闘家が、簡単に倒せるとは思っていなかった。
「分かりゃ良いんだ」
ハールデンも拳を降ろした。
「金の話は後日で良い……今日の所は、お前は帰ってくれ」
「おう」
幹部に言われてハールデンは踵を返した。代わりに賢治が空き地の中に入って来る。
途中で二人は、すれ違うことになる。
「最後まで、お前は目出度い奴だな。だが、嫌いじゃ無かったぜ。頑張れ~」
両拳を顎の下に当てて、「頑張れ~」と、おちゃめな目で賢治を見てウインクした。
「嫌いじゃ無かったぜ」と、殺されることが決定した人間に話しかけたハールデンは、後ろも見ずに去って行ってしまった。
賢治は先ほどまで、ハールデンが立っていた場所で立ち止まった。
「奴の言った通り、本当にお前は目出度い奴だな……やったことの責任を取ってもらうぜ」
幹部が合図すると、周囲の男たちの片手剣が振り上げられた。相手は体格は良いが、先ほど相手にしようとしていた凶暴な武闘家とは違い、楽勝の気分である。
(大魔王様。このような羽虫相手では貴方様の名前が汚れます。ここは私にお任せ下さい)
「汚れるなど、そんなことはどうでも良いが、普通に殺してしまっても良いものかな?」
(……おっしゃる通りでございますな。辺りに死体が散乱して騒ぎになるのも不味うございますね……では、死体も消してしまいましょう)
「消えてしまっても騒ぎになるのではないかな。マーシュ商会が、ハールデンに落とし前を付ける為に、寄越した者たちだからな。少なくともマーシュ商会が騒ぎ出すだろう」
(では、マーシュ商会ごと、今夜の内に消してしまいましょう。後釜に座ろうとする者は多ございましょうから、感謝する者はいましても、苦情を言う者はおりますまい)
「……分かった。お前に任せよう」
(ありがたき幸せ)
「コラコラ! 何をつぶやいている。今頃、恐怖が湧いて来たのか、命乞いしても助けてやる訳には行かんぞ。死んで後悔するが良い」
幹部はそう言うと片手を上げた。その手が振り下ろされると、配下が一斉に飛び掛かるのだ。
賢治は帽子を取ると、真っ直ぐ幹部を見てつぶやくように命令を下した。
「消せ」
次の瞬間、妖精が黒い球に変化すると、空き地一杯に闇が広がったのであった。