57 嵌められた守備隊
「今夜は月が明るいな」
物見櫓に立った男は、ほとんど雲の無い夜空を見上げてつぶやいた。彼はリンバイ村の南門の歩哨である。
「こんな視界の良い晩に、賊が来るなどと聞いたことが無いな」
賊の襲撃があるとすれば、闇夜の晩か、足音の消える風雨の夜と相場が決まっている。
その時、物見櫓と地上を繋ぐ梯子を軋ませて、誰か人が上がって来る音が聞こえた。
もう交代の時間が来たのかと待っていると、見たことが無い男が上がって来た。村には旅人の護衛に付いて来た傭兵がいて、彼がそうなのかと男は考えた。
「もう交代だったかな……まあ、今夜は賊は来ないだろうぜ」
そう声を掛けたのであるが。
「いやいや、賊ってのは、そんな油断した日に来るもんだ」
笑みを浮かべた男は懐から短刀を抜き、驚いて動けなくなった歩哨の胸を一気に突いた。
声が漏れないように口を押えると、歩哨はクタクタとその場に崩れ落ちた。
「なっ」
殺した歩哨を見降ろして、ウインクした男は、代わりに物見櫓に立ち、荒野の方へ向かって手を振ったのであった。
南門の広場の村中側には、門に異変が起きた場合に、時を置かずに駆け付けられるように、傭兵と自警団が詰めている建物があった。
その建物には当然、寝ずの番が立っていたのであるが、異変に最初に気づくのは物見櫓であるはずなので、油断もあって壁にもたれて半分眠っていたのであった。
「ゴトゴト」と何やら音が聞こえて、舟を漕いでいた寝ずの番は目を開けた。そして門を見て飛び起きた。
いつの間にか門横のくぐり戸が開いていて、侵入した数人によって門の閂が外されようとしているところであった。
「出た! 出たぞ! 賊だ! 野盗が現れたぞ!」
寝ずの番が叫んだ時には、閂は外され門が開いて行ったのであった。
「ウワアァーッ!」
「カンカンカン! カンカンカン!」
半鐘が鳴らされ、辺りは蜂の巣を突いたような騒ぎに包まれたのであった。
「始まったな」
半鐘が鳴らされている建物の屋根に身を隠し、南門前の広場を観察しているのは、『毒牙党』の頭目のラーバインである。
彼と数名の配下は、昨夜の内に梯子を使い、壁を乗り越えてリンバイ村の中へ忍び込んでいた。不死教団から渡された村の地図には、丁寧に人のいない建物で、隠れて居られる場所まで記されていたのである。
まさか村中に野盗が潜んでいるとは、誰も想像もしていなくて、簡単に物見櫓の歩哨を倒し、門横のくぐり戸を開いて、門を開けることに成功したのであった。
「さて、ここからだ」
楽しそうに笑みを浮かべて、混乱している眼下を眺める彼であった。
南門から村中へ入ると広場があり、真ん中に村の中心へ入って行く『中央通り』がある。他に右に『右通り』左に『左通り』があって、この三本の通りを進まなければ村の奥へは入って行けない。
リンバイ村の守備隊は、周囲の建物から机や椅子、家具などを持ち出して来て、たちまち三つの通りにバリケードをこしらえたのであった。
門を開いた野盗たちは、門の外に続々と集まって来ているが、警戒しているのか直ぐには村中に入って来ないようである。
『中央通り』では守備隊の責任者である傭兵のリーダーが、声を枯らして指示を出していた。
「訓練通りの隊形を取れ、バリケードの後ろに槍隊! その後方に抜刀隊! その後方に弓隊だ」
半鐘が鳴らされ、次々と集まって来る傭兵と自警団が、隊形を整えて行く。時間が過ぎるほどに防御態勢は強固になる。
傭兵リーダーは近くの傭兵を呼んで指示を出す。
「ここから門の外を見たところ、百人近い賊がいるようだ。恐らく全戦力をここに集めていると見た。……お前は念の為に東西の門に三十人ずつ連れて行って警戒しろ。残った守備隊でここは守る」
指示を受けた傭兵はうなづくと、周囲の者に声を掛け六十人を選んで走り去って行った。
五百人近い守備隊の残り四百四十人が、三つの隊に分かれて『中央通り』と『左右通り』に分かれて隊形を整えたのであった。
「さあ! 野盗ども、いつでも来い」
迎撃態勢はこれで万全であるが、なぜ、いつになっても野盗団が、村の中に押し入って来ないのか不思議であった。
ひょっとすると早々に守備を固められ、押し入る機会を失ったのかも知れない。事実、今押し入って来たとしても、弓矢の洗礼を受け、バリケードの前で立ち止まったところを、槍で突かれることになる。
半鐘の音がリンバイ村に鳴り響き、宿屋で眠っていたウィローンとカルラッチは、着替えて食堂へ降りて来たのであった。ウィローンは片手剣を下げている。
食堂には既に多くの泊まり客が、不安げな表情で集まって来ている。
「おお! ウィローン殿!」
「ウィローン様!」
彼の姿を見かけたダンチェフとミレイユが走り寄って来た。二人とも不安であったのか真っ青な顔である。
「落ち着かれよ。大丈夫だ」
本当は自身の心臓が、大きく音を立てているウィローンであったが、二人の手前、余裕があるような態度で応じた。
「ウィローン殿は戦いに行かれませんのか?」
早口にまくし立てるダンチェフであるが。
「先ずは、どうなっているか情報を集めねばな。闇雲に動いても無駄なだけだ。こういう時こそ、冷静に行動せねばならないものだ」
「なるほど、流石でございますな」
落ち着いている様子のウィローンを見て、頼もしく思うダンチェフ親子である。
その時、宿屋の主人が食堂へ現れた。
「皆さま、お静かにお願いします。分かったことをお知らせします。どうぞ落ち着いてお聞きください」
現れた宿屋の主人の元に、集まろうとする宿泊客を手で制した。
「只今、自警団の方が現れまして、詳細を聞きましたところによりますと、どの様な手段を使ったのか分かりませんが、野盗団は南門を開いたそうでございます」
「何だと!」
「野盗は村に入ったのか!」
騒然となりかける宿泊客を、主人はもう一度、手で押さえるように振ってなだめる。
「最後までお聞きください。現れた野盗団は約百人。村の守備隊は五百人でございます。野盗は門を開いたものの、村中に入れずに広場を挟んで睨み合いが続いている模様でございます。村中へ侵入するには広場を越え、三つの通りのどれかを突破せねばなりませんが、守備隊はバリケードを築いて、野盗を一歩も村中へは入れない構えのようでございます」
「おおーっ」
「良かった!」
宿泊客から安堵の溜息と拍手が上がった。
ウィローンはダンチェフ親子に笑顔を向けると。
「はははっ! これでは私が行くまでも無いですな。野盗どもは村へ入って来られません。ご安心なさるが良かろう」
内心、ホッとして告げたのであった。
最初に半鐘が叩かれてから、かなり時間が過ぎている。守備隊の人数も増えて通りの守りは完璧になったようである。
村の中の戦力にならない女子供は、当然ながら南門から一番遠い北側の区域に、避難を終えている頃であろう。……その北側には門が無くて脱出口は無い。
「準備万端整ったな。そろそろ良かろう」
屋根の上で様子を見ていたラーバインは、満足そうな顔をして立ち上がった。守備陣が戦闘態勢を整え、住民が避難を終えたはずなのに、予定通りと言った顔である。
立ち上がった彼は、屋根を降りる事無く棟を走り、家々の間の空間を飛んで『右通り』へ移動した。
上から覗くと『右通り』も、先ほどまでいた『中央通り』と同じく、バリケードの裏側に槍隊が配置され、抜刀隊、弓隊と言った隊形である。
それぞれの隊が、肩を寄せて密集体型になっている。
「では、始めるぞ!」
呟いたラーバインは、最後尾の弓隊の背中目掛けて片手を伸ばした。
「《火輪》! 《火輪!》」
いきなり火系中級魔法が放たれ、一瞬にして弓隊の後方の十数人が炎に包まれた。彼らは前方に見える野盗にばかり集中していた為に、どこから攻撃されたのかも分からない。
「うわわぁーっ」
「あぎゃぁーっ」
炎に包まれた者は叫んで転げ回り、前の者に助けを求めて抱き付いた。抱き付かれた者の髪も皮鎧にも炎が燃え移る。
「クククッ」
屋根の上で笑ったラーバインは、更に火系初級魔法の《火球》をいくつか最後尾の中に放つと、再び『中央通り』に向かって屋根伝いに戻って行った。
その頃になって『左通り』の方からも火の手が上がり、悲鳴と混乱の叫びが沸き上がる。
「ドーベルも始めたな」
屋根を移動しながらラーバインが笑みを浮かべる。『毒牙党』三人衆の、小男のドーベルは火系初級魔法を使う。彼も『左通り』の屋根の上から、布陣した最後尾の弓隊へ向かって《火球》を放っているのであろう。
『中央通り』へ戻って来たラーバインが、足下の守備隊を見降ろすと、左右の通りから聞えて来る悲鳴を聞いて、守備隊全員に動揺が広がっているようである。
「何だ、あの悲鳴は」
「何が起きているのだ」
左右の通路の様子を知ることも出来ず、悲鳴が聞こえているだけであることから、何が起きているのかと疑心暗鬼だけが膨れ上がる。
その様子にほくそ笑みながら、ラーバインは眼下の弓隊の最後尾に手を伸ばした。
『中央通り』の傭兵リーダーは、他の者と同様に混乱していた。野盗団は門の外にいるのは見えていて間違いない。それならば聞こえて来る悲鳴は何故なのか?
「何!」
広場の様子をうかがった、傭兵リーダーは思わず叫んだ。
バリケードに隠れ、左右の通りを守っているはずの守備隊が、守るべき通りを捨てて、広場に飛び出て来た者がいたからであった。
そんな訳が分からぬ状況で、今度は自分の隊の後方から悲鳴が上がった。後方を見ると弓隊が炎に包まれて叫びを上げていたのであった。
「熱いーっ!」
「助けてくれーっ!」
「退いてくれ! 前を退け!」
炎に包まれた者は暴れて周囲の者に火を点ける。
「逃げろー!」
「前に! 前に行ってくれ!」
守備隊全員が前に逃げようとしてバリケードを押した。
傭兵リーダーは左右の守備隊が、なぜ広場へ飛び出して来たかを理解した。彼らは同様に、後方から火に追われていたのである。
「仕方ない! 前だ! バリケードを越えて広場に出ろ!」
不規則に積まれた家具や机を乗り越えるのは簡単には行かない。後方では前に逃げるに逃げれない者が火に包まれ、あるいは押し倒されて踏み潰されているのであった。
「クソ!」
何とか傭兵リーダーは、必死にバリケードを乗り越えて広場に出た。
この守備隊の混乱に乗じ、正面に見える南門からは、長い柄の先に巨大な鉄球の付いた武器を振り回し、こちらに向かって来る大男の姿が見えた。
その隣には、これも長い柄の先に、鎌のような湾曲した武器を持った、異様に腕の長い男が走っていた。
そして、二人の後方から少し間を空けて、赤い鉢巻をした野盗団の一団が突っ込んで来るのが見えた。
迎え撃つ自分たち守備隊は、弓隊を失い、まだ多くの者がバリケードの向こうで、前が詰まって出て来れない状態である。
「嵌められた!」
傭兵リーダーは、虚しく叫ぶしか無かった。




