5 ハールデンの事情
慣例により『キアーラの酒場』で仲間を集めた勇者ロビン一行は、首都ミルダの中央にある、イスター王国の王宮の方角へ向かった。
王宮の手前にある教会を尋ね、仲間が揃ったことを告げると、教会から王宮に王への謁見の申請が行われ、直ぐに謁見の用意が進められたのである。
通常ならば王との謁見など簡単に出来るものでは無いが、勇者を輩出するこの国では慣れっこの行事であり、準備はてきぱきと進んだ。
謁見が終われば勇者一行は正式な勇者と認められ、『見習い勇者』の称号を得ることになる。
『見習い勇者』は試練を通過すれば『Cランク勇者』。Bランク。Aランクとランクが上がって行く。
もしも魔王を討伐することに成功すれば、最高のSランクとなるのである。
謁見までの時間を待つ間、勇者一行は教会の控室で休んでいた。部屋は四メートル×八メートルほどの広さで、最初は整然と並べられていた椅子を移動して、各自が勝手な場所に座っている。
手持ち無沙汰の様子であったハールデンが、立ち上がって全員を見渡した。
「よう。俺は武闘家のハールデンだ。この際だから言っておくが、歳は二十二歳でこの中じゃ若輩だが、この勇者ロビンの従兄に当たるんだ。悪いがチームを仕切らせてもらうことにするぜ」
全員を見渡して反応を伺う。
「ワシは戦士のジェームズでござる。勇者殿がそれで良いのならば、ワシに異論はないでござる」
ジェームズは四十二歳である。
「女に歳を言わせんじゃないよ!(二十八歳である)。私は魔法使いのメリッサだよ。言いたいことは言わせてもらうけれど、私も別に構わないよ……でもさ、あいつにも聞かなくて良いのかい。何て言ったかな、ああ、従者のケンジだったかね」
メリッサはこの部屋にいないケンジの名を出した。
ケンジは仲間では無く従者なので、控室には入れなくて、教会の建物の外で待っている。
「ああ、奴は従者なんだから気にすることはねぇ。皆も酒場で見て聞いただろ? 奴は頭のネジが何本か飛んでる変わり者だ。まあ、利用できる内は使ってやろうと思ってる」
ハールデンは鼻で笑った。
「従兄さん。やっぱり不味いんじゃないでしょうか」
真面目で誰にも優しいロビンが口に出したが、ハールデンは首を振った。
「ロビン。今からそんな甘いこと言ってたら魔王は倒せねえぞ。魔王を倒す為には、利用できるものは何でだって利用するんだ。情けは禁物さ。魔王を倒せばそれが多くの人々の幸せに繋がるんだからな。お前は俺に従っていりゃ間違いないんだ」
分かったようなことを言って、ハールデンはロビンを煙に巻いた。
そこで部屋の扉をノックする音が聞こえ、教会の者らしき男が顔を出した。
「ついに、お呼び出しか?」
ハールデンの問いかけに顔を出した男は。
「いいえ。準備には、もうしばらく時間が掛かると思われます。……実は表の方にハールデン様に会いたいと訪ね人がございます」
「俺に……誰だ?」
首を捻ったハールデンは、「ちょっと見て来る」と、男に従って部屋を出て行ったのであった。
ハールデンが出て行くと、ジェームズがロビンに声を掛けた。
「勇者殿。彼は貴方の従兄と言われたが、本当に信用できる方でござるかな?」
「もちろんです。兄さんは世間のことを良く知っていて、いつも正しく僕を導いてくれます」
目を輝かせてロビンは即答し、その純粋な目を見たジェームズは、何も言えなくなってしまったのである。
ハールデンが教会の控室から出て来ると、教会の出入口近くに二人の男が待っていた。二人とも片手剣を提げていて、人相の良くない男たちであった。
最も人相に掛けては、ハールデンより凶悪な顔は、大陸中探したとしても、おいそれと見つかるものでは無いであろう。
教会の前の通りを大勢の人が通り過ぎて行く、通り過ぎて行く人々は、教会の前の花壇の縁に腰を降ろし、下を向いている体格の良い青年を見ながら歩き過ぎて行く。
人々は深く帽子を被った青年を見ているのではなく、その青年の肩辺りに浮かんで、羽ばたいている妖精を見ているのである。
中には「可愛い」と声をかけ、笑顔で通り過ぎる子供もいた。
青年は大魔王ケンジである。ここで待つように言われて、特に何も考えずに腰を降ろしていた。
妖精がたまりかねて、賢治にだけ聞こえるように声を掛けた。妖精は妖魔カノンの変身した仮の姿である。
(大魔王様……ケンジ様。勇者一行に加わったものの、大魔王様を従者にするなど不届き千万でございます。こ奴らは不敬罪で全員処分し、次の勇者が現れるまで待った方が良いと愚考いたします)
賢治は下を向いたまま答える。
「それこそ愚行だぞカノン。たかが人間にどのように思われようが良いでは無いか。お前は躾を受けたことの無い犬や猫に、行儀が悪いと腹を立てるのか? 獣に尻が丸見えだから、下着を履けと道理を説いても仕方あるまい。放って置け、笑って許してやるのが真の超越者と言うものだ」
「ははあ。そう言う物でございますか。未熟者で申し訳ございません」
「お前は、まだ若いからな……彼らの寿命など我らから見れば儚いものよ。少し目を離せば知らぬ間に歳を取って死んでしまっている。そんな生き物に腹を立てるなど未熟者だ。むしろ憐れに思ってやれば良い」
「ははっ」
「まあ、大を生かす為に、時には思い切って小を切り捨てる場合もあるがな。それは臨機応変だ」
その時、下を向いていた賢治が顔を上げた。教会の中から、勇者の仲間である武闘家のハールデンが出て来たからである。
ハールデンは前後を人相の良くない男に挟まれて、建物の裏手の方へ消えて行った。
(何ごとでございましょう?)
カノンの問いかけに。
「知らんな……あの武闘家は街で評判の無頼漢らしいからな。そちらの筋からの呼び出しでは無いかな。勇者の仲間になったとしても、評判が変わる訳は無かろうからな」
興味無げに賢治はつぶやいたのであった。
ハールデンは前後を男に挟まれて、裏路地へ入って来た。彼は身長はニメートルニ十センチを超える大男で、荒っぽいことには慣れているので全く怯えている様子はない。
「おい。このくらいで良いだろう。俺はこの後、用事があるんだ。話なら聞いてやるから早く話せ」
「何だと! お前は自分の立場が分かってんのか。俺たちはマーシュさんの手の者なんだぞ」
マーシュと言うのは、ミルダの裏社会でもトップクラスの実力者である。表向きはマーシュ商会と言う人材派遣会社の代表であるが、実際は暴力を背景に縄張りの商店から金を巻き上げ、売春や麻薬にも手を広げている。
「マーシュがどうした。俺が勇者の仲間になった情報を聞き付けて来たんだろ。ふん、借りた金なら支度金が入れば叩き返してやるぜ。そう伝えておけ」
「何だその口の利き方は。なめんじゃねえぞ、勇者の仲間だってマーシュさんに逆らえば、どうなっても知らねえぞ」
「パーン!」
いきなりハールデンの平手が男の頬を叩き、男は倒れはしなかったが、立ち眩みをしたのかフラフラと後ずさった。
「てめえ!」
もう一人の男が片手剣に手を掛けた。
「ほう。お前も叩かれたいか? 俺は今日は気分が良いから叩いたんだぜ。俺が拳で殴っていればどうなっていたか想像して見な」
凶悪な顔で睨まれた男は片手剣を抜けない。男も遠くからハールデンが暴れている様子を見たことがあるが、二人くらいではどうにもならない相手である。
「と、とにかく。いつ金を返すかはっきりしてもらおうか。日にちを聞かなきゃ俺たちも、そうですかと帰る訳には行かねえんだよ」
「ハッ! そんなもん知るか。気が向いたら返してやるよ」
ハールデンは鼻で笑った。後々、面倒なので金を返すつもりであるが、脅されて返すなど彼のプライドが許さない。いざとなれば事務所に乗り込み、暴れまくって後悔させてやるつもりである。
「ち、畜生! 俺たちが剣を抜かないと思ってるなら大間違いだぞ」
「面白え、抜いて見な」
挑発したハールデンであったが、後方から声が掛かった。
「ハールデンさん。用意が整ったので、教会に帰って来るようにとのことです」
三人が声の方を見ると、そこには肩の上に妖精が止まった賢治が立っていた。
教会の外の花壇に座っている賢治を見つけた教会の者から、先ほど出て行ったハールデンを探して来るように言い付けられたのであった。
「おう。そうか、俺がここに居るのが良く分かったな」
うなづいたハールデンは、賢治がポーターの能力があることを思い出した。捜索もポーターの能力の一つである。
「じゃあな」
ハールデンは男の一人の肩を叩くと、背を向けて歩き出した。
「待てコラァ! 話は終わっちゃいねえぞ」
男たちの怒声を無視したハールデンは、賢治の横をすり抜けながら。
「おい。鍛えてるんだろ。筋肉を見りゃ良く分かるぜ。従者の初仕事だ。奴らを黙って帰らせてみな」
そう言うと片手を上げて、後ろも見ずに去って行った。
「待て!」
追おうとする二人の前に賢治は立ちふさがった。
(さて、どうやって帰ってもらおうか)
跡形もなく消滅させることは造作も無い。しかし、それでは失格であろう。人間として六十年生きた知識は残っているが、目覚めて大魔王としての自覚を取り戻した賢治は、人の命を軽んじる傾向にある。
殺さぬようにと思った賢治であったが、先ほどハールデンが男の頬を叩いていた様子を思い出した。
その時、叩かれた男は怯えた表情を見せていた。
(良し、それで行こう)
「てめえ! そこを退け!」
体格は良いが、ハールデンより組み易しと見た男の手が伸びたが、男の右頬が鳴った。
「パチン!」
「パチン! パチン! パチン!」
左右の頬が立て続けに鳴り、男は地面に倒れ込んだ。
「こいつ!」
もう一人が片手剣に手を掛けたが、その男の頬も左右が立て続けに鳴った。
「パチン! パチン! パチン!」
その男も同様に地面に倒れ、頬を押さえて呻いている。
路地裏の通路の土間は湿った苔が生えていて、男たちの服はたちまち汚れた。
「帰る気になるまで叩きますよ」
宣言した賢治は、最初に倒した男の胸倉を掴んで、片腕で自分の顔の高さまで持ち上げた。
力を込めている様子はなく、軽々と言った風である。男は鼻血を流して涙目になっていたが、賢治は一切の手心を加えない。
「はい! 右! 左! 右! 左! ……左! 右! 左! 右!」
リズム良く頬が鳴る音が路地裏に響いた。
「はい。君はちょっと休憩。次、君ね」
「はい! 右! 左! 右! 左! ……左! 右! 左! 右!」
再びリズムよく音が響く。
「はーい。休憩! 交代しようか」
再び最初の男の胸倉を掴んで立たせると、男は首を振って、イヤイヤをした。鼻血で口元から胸元までが真っ赤に染まっていて、既に反抗する気力は失われているようである。
「帰る・・・帰るガら、勘弁ジて下さい……」
頬を腫らした顔で涙を流しながら、男は懇願した。口を利いたことで折れた歯が、ポロポロと足元に落ちた。
力を込めて叩いているようには見えなかったのであるが、実際には効いているようである。
「君は帰る気になったんだね。じゃあ良いでしょう」
手を放して地面に落とした賢治は、先ほど叩いた男に手を伸ばしたが、その男も怯えた顔で「帰る帰る」と何度も頭を下げた。
こちらも歯が折れてしまっているようで、足元に歯の欠片が転がった。
「じゃあ、立って。ほら、立って」
苦し気に呻きながら、口から胸の辺りを真っ赤にして、フラフラと立ち上がった二人は、支え合いながら路地裏の奥へ消えて行った。
賢治は肩に止まっているカノンに話しかける。
「どうであったカノン」
(お見事でございます大魔王様。あのような虫けらでさえ、殺さずに情けを掛けられるとは。このカノン、大魔王様の慈悲深い御心に感服いたしました)
「フフフフ・・・そうかそうか。合格か」
褒められた賢治は満足そうに破顔したのであった。