291 密談
ゼン公の襲撃を物陰から観察していた曲者は、ロルスタットの東側にある歓楽街へとやって来た。そして、中でも高級料亭の並ぶ通りへと足を進める。日は既に沈んでいて、外灯に明かりが灯っていた。
三十代に見える曲者は、身なりの良い服装をしていて、どこかの名門貴族の家臣と思われる。彼の歩みは躊躇いが無く、この辺りに何度も来て慣れている証拠であろう。
やがて彼は歓楽街の奥まった場所にある、一軒の高級料亭の前で足を止めた。この辺りに建ち並ぶ料亭の中でも、最も格式の高い店である。
彼は周辺を見渡して、誰も後をつけている者が無いことを確かめると、料亭の中へと入って行った。
追跡者がいないことを十分に確認した曲者であるが、実際には不可視化した妖精姿の妖魔カノンが、空中から見ていたのであったが、これに気づかなかったのは仕方のないことである。
妖精も曲者に続いて料亭へと飛んで入って行く。
曲者が玄関の暖簾をくぐって入ると、フロントにいた中居がこれに気づいた。
「あ……ラーボス様の……」
曲者は何度か料亭にやって来ているようで、中居は彼の顔を見知っていたようである。
「公が来られておられるはずだが」
「はい。どうぞ、お上がりください。ご案内いたします」
営業スマイルを浮かべ、彼に上がるように促したのであった。
料亭の奥には、渡り廊下で母屋とつながった離れ座敷があり、八畳ほどの広さの部屋になっていた。誰も隠れて近づけない場所であり、密談などに使われる部屋である。
部屋の真ん中のテーブルには豪勢な料理が並べられていて、三人の男が酒を飲んでいた。酌をする女の姿が見えないのは、今は密談を行っているからであろう。
上座に座っているのはブロン共和国三武公の一人、ラーボス公五十五歳である。痩せていて黒く長い髭が特徴の人物で、性格は気難しくて陰では家臣に疎まれている。
そんな彼であるが、今夜は機嫌よく飲んでいるようである。それは気の許せる同席者のせいであろう。
右の席に座っているのは、これも三武公の一人であるサムス公五十二歳だ。小太りの体格であり、頭髪はほとんど残っていない。
ラーボス公とサムス公は親戚である。三代前にラーボス家から分家してサムス公を名乗ったのである。
残りの一人は、ラーボス公の長男でクライン三十歳。子供の頃から剣術を習っていて、体格も良く貴族の子弟にしては中々の腕前であった。
ひとしきり談笑が済むと、サムスが上目遣いにラーボスを見上げた。
「兄者……今頃は全てが終わっているはずでございますな」
サムスがラーボスを兄者と呼んだのは、サムス家はラーボス家の分家であり、歳も近いことから、子供の頃から仲良く兄弟のように育ったからである。
「うむ。やがて報告が来る手はずになっておる」
「首尾よく行けば『北の魔王』の襲来を直近に控えて、主のいなくなった北の最前線を、ゼン家には任せられませんな」
笑みを浮かべるサムス。
彼の言葉から、ゼン公襲撃の黒幕は彼らであることは決定的である。
「ゼン家は代わりに長男を立てようと考えるであろうが、そうは行くものか。私を支持する貴族も多い。私はゼン家の長男の経験不足を糾弾して、我が家の長男を推薦するぞ」
同席する長男のクラインが頭を下げる。彼は父親に付いて、何度も従軍していた。
ラーボスはうなづき。
「こんな時の為に、あれこれと金をバラ撒いてあるからな」
----のちに判明するのであるが、ラーボス家とサムス家は、ある方法で裏金をため込んでいた----
「そうなれば兄者。三武公は全て我らの血筋が担うことになりますな」
「ああ。ブロン共和国の平和は、我ら一族の手に委ねられることとなる。……私が議会から、国の代表に使命される日も近くなるであろうな」
ブロン共和国の政治形態は、貴族代表三十六名、平民代表十八名からなる合議制であり、議会から選ばれた貴族が国の代表者となる。それは国で最も名誉のある役職である。
「私が武公を引退する時は、クラインは本家に戻れば良い。その頃にはクラインの息子も、跡を継げるくらいには大きくなっておるだろう」
「私も全面的に協力致しますぞ兄者」
「頼むぞ」
「叔父さん、よろしくお願いします」
クラインが二人の杯に酒を注ぎ、三人は一斉に杯を開けた。
その時、渡り廊下を歩く足音が近づいて来た。
「お連れ様が見えました」
中居が声をかけて座敷の扉を開けた。中居の隣りに立っているのは、ゼン公襲撃を見届けていた男である。
「失礼いたします」
男は座敷へ入った。
ラーボスは中居に声をかける。
「もうしばらく打ち合わせに時間が掛かる。誰も座敷に近寄らせないように頼むぞ。……その後は女を呼んで派手に騒ぐぞ」
「はい。承知いたしました」
笑みを浮かべた中居は扉を閉めると、足早に廊下を去って行った。
「報告せよ」
「はっ!」
男は直立不動になると、見て来た襲撃の顛末を、一切脚色することなく伝えたのであった。
報告を聞きながらラーボスは、明らかに機嫌が悪くなって行く。色々と考えていた計画が、全て台無しになってしまったのである。
「使えぬ奴らめ……十五人も居て仕留められなかったのか。情けない」
直立不動で主人の反応をうかがっていた男は、突如現れた助っ人の二人が、想定外の強さであったと伝えようとしたのであるが、主人の機嫌がますます悪くなると想像して、黙っていることに決めた。
「金で集めた無頼など、その程度のものかクソ! 我が家の正規兵さえ使えれば、そんなヘマはしないものを」
ラーボスは怒りがおさまらない様子である。
(いやいや……完全武装の正規兵だろうが誰だろが、あの化け物には敵いませんって)
男は確信したが、彼は愚かでは無かったので、口には出さずに黙って直立している。
「まあまあ兄者。失敗したものはどうしようもないですぞ。それより、襲撃で生き残った者の始末はつけたのであろうな」
サムスが男に尋ねる。
「はっ! 逃げて来た三名は、いつものように毒入りの酒を飲ませ、死体も処分いたしました。現場で捕らえられた者もいるかも知れませんが、我らが誰なのか知る者はいません」
依頼主が誰であろうが、金さえ手に入れば良いという破落戸を集めたので、捕まった者から依頼者がバレる心配は無かった。
又、男が「いつものように」と口にしたということは、同じような手を使って、何度か邪魔者を消しているのかも知れない。
「それならば良い。お前は帰れ」
「ははっ」
礼をした男は頭を下げると、これで解放されたとホッとして、部屋を出て行ったのであった。
「面白くない……運の良い奴め」
ラーボスは不機嫌のままである。ゼン公は運良く生き延びた、くらいにしか思っていない。
「兄者。失敗は残念ですが、始末が少し先に延びたと考えれば良いでしょう」
「むむ……まあな」
サムスがラーバンの杯に酒を注ぎながら尋ねる。
「あちらの方の手配はいかがですか?」
「ああ。あっちは問題ない。物資は集まったので、氷が張る頃には届ける予定だ」
部屋の隅の空中にはカノンがいて、この場の会話を全て聴いている。
(あちらの方? 手配? 氷が張る頃には届けるとは?)
カノンは考える。
今分かるのは、氷が張る頃に、彼らが何かを行おうとしていることだけである。
「今年は生ぬるい襲撃では済まさんぞ! いつもの倍の白魔狼でゼン公軍を攻め、奴を戦死させてくれる」
決意を口にしてラーボスは杯を空けた。
白魔狼とは、北の魔王の先兵となり、凍ったトーゴー海峡を渡って襲撃して来る魔物である。白い狼に似た姿であるが、尻尾には鱗が生えていて、先端には猛毒の毒針を持っている。
カノンは驚く。
話の内容から推測すれば、ラーボスは『北の魔王』の先兵である白魔狼を、操ることが可能なことになる。
「それがようございます兄者。街中で襲って殺すより、魔物と戦って戦死したとなれば、誰も我らの関与を疑う者はございません。ついでに従軍しているであろう、ゼン公の息子も同時に始末すれば、来年からゼン公の受け持ち区域は、クライン殿に転がり込んで来るのは確実でございます」
「うむ……そうだな」
少し機嫌の直ったラーボスは、再び杯に注がれた酒を飲み干した。
「では、前祝いと言うことで、派手にやりましょう」
サムスは大きく手を叩いて、中居を呼ぶのであった。




