275 盲愛④
この章は、今回で終了です。
オクワナ村の長期漁は年に五度前後行われる。一回の漁の期間は一ケ月から二ケ月である。
ロビンは父親ルベルタが漁に出ている間に生まれたのであるが、漁から帰って来たルベルタは怪我を負っていて、母親のテイジーは、それは出港前の海鎮祭に参加しなかったからであると、心の中で暗い後悔を膨らませて行ったのであった。
幸いにもルベルタの怪我は順調に快癒し、次の漁には元気に乗船したのであった。当然ながら今回は海鎮祭には無事参加できたのである。
……それからロビンが二歳の誕生日を迎えるまでは、特に大きな出来事は起こらなかったのであるが、再び海鎮祭が行われる夜に、ロビンが熱を出したのである。
その日は姉のサンドラも、妹の夫を送り出す手伝いの為に、ハールデンを連れてオクワナ村へとやって来ていた。
「この子は! こんな大事な日に熱を出すなんて! とんでもない間の悪い子だよ!」
怒りの目でテイジーは二歳になる我が子を睨んだ。
テイジーの暴言とも聞こえる言葉に、夫のルベルタも姉のサンドラも驚きの顔を向けた。
「何を言ってるんだテイジー! ロビンに罪は無いだろう! お前は海鎮祭に来なくて良いから、叱るよりしっかりロビンを看病してやってくれ」
いつもは穏やかなテイジーが、目を吊り上げて怒る姿に戸惑いながらも、夫のルベルタは息子の看病を優先するように告げた。
「本当だよテイジー。私も手伝うから、まずはロビンを良く見てやろうよ」
姉のサンドラも、妹の意外な側面を見た気がした。
テイジーはそんな声は聞こえていないようで、姉の顔を睨むように見ると。
「そうだ! 姉さんがいるんだから……お願い姉さん。ロビンを看病してちょうだい。私は海鎮祭に参加して、海神様に夫の無事を祈らなきゃならないから」
「ロビンは俺とお前の子だろう。サンドラ義姉さんに頼まずに、お前が看病してやってくれ」
強い口調で告げるルベルタであったが、テイジーは頑固に首を振った。
「前にも海鎮祭に参加できなくて、貴方は怪我をしたじゃないの。あの時はロビンがお腹にいて、腹痛を起こして参加できなかった……また、同じことが起きたら大変だわ」
「俺の言うことが聞けないのかテイジー!」
いつもは自分に従順なテイジーに、少しイラついて声を張り上げるルベルタである。
「でも……私は貴方が心配で……」
テイジーの目に涙が浮かんだ。
そしてそのまま床に崩れると、大きな声で泣き出してしまったのである。
どうしたら良いのかと戸惑うルベルタ。
「分かったよ……ルベルタさん。ロビンは私が見てるから、テイジーを連れて海鎮祭に行って来なよ」
「……いや、義姉さん、ありがたいが、そう言う訳には行かない。ロビンは俺とテイジーの子だ。俺も海鎮祭には行かないで、ロビンの看病をするよ」
ルベルタも意地になっているのか、サンドラの提案を断ったのである。
結局、二人は海鎮祭には参加せず、夜遅くまでロビンを看病し、朝方にはロビンの熱も治まったのであった。
ルベルタは寝不足のまま漁船に乗り込み、村人の歓声の中、漁船は出港して行ったのである。
「母ちゃん、叔父さんは寝不足で大丈夫かなあ」
母親を見てハールデンは心配そうに口にする。彼は途中で寝てしまったが、眠そうな様子であったルベルタを気に掛けていた。
「叔父さんは強い漁師だから、一晩くらい寝なくても大丈夫さ。それに最初の漁場までは数日かかるだろうから、その間に元気になるさ」
次にサンドラは目で妹を捜した。熱の下がったロビンを毛布に包んで、先ほどまで隣でルベルタの出港を見守っていたのである。
「テイジーはどこに行ったんだろうねえ?」
ハールデンの手を握ったサンドラは、しばらく周辺を捜したのであるが、人混みの中で妹の姿を見つけることはできなかった。
「先に帰ったのかねえ?」
自分に何も告げずに帰ってしまうとは、思えなかったサンドラであるが、仕方なく妹の家へ向かうのであった。
妹の家が見えて来ると、小さく子供の泣き声が聞こえてきた。
(どこの子が泣いてるんだろうねえ)
妹の家に近づくほどに泣き声は大きくなって来た。その泣き声は異様なほどに高かった。
「!!!」
泣き声に緊急性を感じたサンドラは走り出し、妹の家の扉をノックもせずに勢い良く開いたのであった。
「テイジー!」
妹はテーブルの上に赤ん坊を横たえ《何かをしていた》。
姉の叫びに気が付いたテイジーは、素早く毛布でロビンを包んだのである。
「何をしてたのテイジー!」
姉の問いに妹はロビンを抱き上げ、激しく首を振った。
「何もしていないわ!」
その間もロビンは火が点いたように泣いている。
無言で近づいたサンドラは、妹の手からロビンを包んだ毛布を取り上げた。
「何するの姉さん!」
取り返そうとするテイジー。
「ハールデン! おばさんを動けないように、捕まえておくんだよ」
何が起きているのか分からずに、キョトンとしていたハールデンであったが、母親の命令で素早く叔母を後ろから抱きかかえた。
まだ八歳であるが、大人と変わらない体格で、並みの大人以上の力があるハールデンからは逃れられない。
「ごめんなテイジー叔母さん。母ちゃんの言うことを聞かなきゃ、ご飯が食べさせてもらえないんだ」
抵抗する叔母を、できるだけ優しく押さえつけながら、ハールデンは許しを乞うた。
サンドラは大泣きするロビンを、そっとテーブルへ降ろし、毛布を外したのであった。
「ウワッ! 酷えな」
叔母越しに覗いたハールデンが眉をひそめる。
泣き叫ぶロビンの手から足から胴体まで、指先でつねったらしき痣がびっしりと付いていたのである。
「テイジー! 何てことをしたんだアンタは!」
恐ろしい形相で姉のサンドラは妹を睨んだ。
「この子が私を海鎮祭に行かせなかったからだよ! ああ、ルベルタは……今度の航海できっと怪我をしてしまうよ。ああ、ルベルタが怪我をしてしまう」
姉の剣幕など目に入らないようで、テイジーは夫の名前を呼んでいる。
「何を言っているんだい。あんたは……ロビンは、あんたの子なんだよ」
目の焦点のあっていない妹を見て、言葉に詰まるサンドラである。
こんな状態の人間に、何を話して見ても心に届かないであろう。
……しばらく考えたサンドラは。
「良いかいテイジー。ロビンは私が預かるよ。……分かるかい。ロビンは私がクロネ村へ連れて帰るからね」
ゆっくりとテイジーに理解できるように話した。……しばらく間をおいて、テイジーにも姉の話した言葉が理解できたらしい。
「何てことを! ロビンは私の子だよ、姉さんにだって絶対に渡せない。ロビンは夫が帰って来るまで私が面倒を見るんだ!」
「そして、傷だらけのロビンを夫に見せるのかい? ルベルタさんはロビンを見て何て言うと思う?」
妹の顔を覗き込んでサンドラが怖い目で告げる。
狼狽したテイジーは。
「もうしない。絶対にしないから。許して姉さん。もう絶対にしないから」
「無理だね。あんたは無意識に近い状態で、ロビンをつねっていたんだ。きっとまたやるよ。漁から帰って来たルベルタさんはアンタを許さないよ」
「えっ、えっ、でも、でも……わっ、うわぁアーーッ!」
テイジーは上半身を大きく揺すって泣き出したが、後ろから抱きかかえているハールデンはビクともしない。
「とにかく、ロビンは私が預かるよ。……それがあんたの為でもあり、ロビンの為でもあるよ……心配しなくていいよテイジー。ルベルタさんが帰る前には、必ず連れて来るからね」
最後は優しく声を掛けたサンドラであった。
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「そのような……」
ジェームズは絶句している。
「俺には今でも、叔母さんの気持ちが分からねえよ。まあ、どっか壊れちまったんだろうな」
肩をすくめたハールデンは、唾を吐こうとして吐く場所が無く、嫌な顔をして飲み込んだ。
「まあ、そんなでロビンの野郎は、父親が漁に出る度に俺の家に泊まりに来ることになったのさ。……だからよ、俺は母ちゃんと、可哀そうなロビンを守ってやらなきゃいけねえんだ」
広間がしんとなる。
「ロビンが十六になる頃には、俺はもうイスター王国の首都ミルダに出稼ぎに出ていたんだが……」
出稼ぎとは体の良い言い方である。実際はハールデンは腕っぷしを生かして、首都ミルダの裏社会では良い顔になっていた。
「そんな生活だったんだが、ロビンは素直で良い子に育ったんだぜ。俺の母ちゃんの育て方が良かったんだろうなあ」
(「はぁ?」それなら、お前は、どうしてそんな風に育ったのさ)
メリッサは口から出そうになる言葉を、かなり真剣に努力して抑え込んだ。
「そして十六になって、母ちゃんと実家に帰ったロビンは、父親の船の帰って来る朝に、教会から『勇者に選ばれた報告』を聞いたのさ」
「勇者ロビン殿の誕生でござるか。目出度き日でござるな」
ジェームズは感動している。
「ああ、それだけなら目出度い日だったぜ」
鼻を鳴らしたハールデンは。
「それでよ。船は帰って来たんだが、帰航途中に嵐に会っちまって、ロビンの親父は仲間を助けるために、崩れた荷の下敷きになっちまって、両足の膝から下を失っちまっていたんだ」
「!」
「もう、漁師としては引退だわな」
「そ、それは不幸なことでござるな。それでもロビン殿は、そのような不幸を背負っている様子は、全く感じさせぬでござるな。誠に敬服いたすでござる」
「で、ロビンの両親は、今はどうしてるのさ」
メリッサが先を尋ねる。
「はあっ! 呆れることに叔母さんのテイジーは幸せ一杯さ。教会から生活の金は十分に出るんだからな。両足を失って、永遠に漁に行けなくなった愛しのルベルタの面倒を、これから先一生観れるんだ」
再び唾を吐こうとして、ハールデンは嫌な顔をして飲み込んだ。
「俺ぁ、あのチビ助を守ってやらなきゃならねえのさ」
……その時、廊下を走る音が近づいて来たのであった。
足音は彼らの広間の前で止まった。
扉が勢いよく開く。
顔を出したのは紅潮した顔のロビンであった。
「皆さん! アラバーントの群れが現れました! 正面門の前に集合して下さい!」
「うっしゃぁー!」
ハールデンが叫びを上げ立ち上がると、ジェームズ、メリッサも立ち上がり、先を競うように廊下へと飛び出して行ったのである。
広間に残ったのは、相変わらず無表情な賢治と、彼の肩の上で、なぜかソワソワしている妖精である。
「カノン!」
(ははっ!)
「大丈夫であろうが、ロビンが怪我をせぬように守ってやるが良い」
(承知いたしました!)
カノンは喜び勇んで部屋を飛び出して行った。
「フッ、カノンめ……人間に興味を持つとは、面白い奴だな」
しばらくして、ぽつりと賢治がつぶやいたのである。
何とか更新しました。
更新が遅れましてすみません。
体調不良で入院してしまいました。初めての体験ですが、年末年始は病院で過ごします。
次章は、いつになるか分かりませんが、必ず書くつもりです。
気長に待ってやって下さい。




