254 燃える海賊船
バラバラに切り裂かれた海賊の身体が宙を飛び、肉片が海中で待つ魔物の餌となるべく、海面にばらまかれて行く。
人間ミキサーのように回転するハールデンは、海賊の一切の抵抗を許さない。猛威を振るうハールデンは、操舵室に向かって進んで行き、不幸にもその進路にいた海賊は、片端から死体と化して宙を飛んだ。
「た、助けてくれ! 奴は、やっぱり人じゃなくて魔物だ!」
「退け! 下がれ! 逃げ道を開けてくれ!」
もはや海賊たちは抵抗も忘れて、とにかく凶悪な顔の巨人の前から逃げることに必死になっている。
「お、お前ら何してる。奴は操舵室を狙っているんだ、こっちに来させるんじゃねえ! 何とかしろ!」
バランダー船長の怒鳴り声も、怯えた手下たちには届かない。踏みとどまる者は皆無で、皆が背を向けて必死の形相で逃げて来るのである。
「貴様!」
船長のそばを通り抜けようとした手下を、一人捕まえて吊るし上げた。
「情けねえぞ! お前はそれでもバランダー海賊団の一員か! 奴をやって来い!」
吊るし上げられた手下は、苦しい顔をしながらも首を激しく左右へ振った。
「せ、船長! ありゃあ駄目だ! あんな化け物を見たことがねえ! 逆立ちしても勝てねえ」
手下は怯え切った目をしていた。
「貴様ら使えねえ!」
手下を甲板に叩きつけたバランダーは、己の片手剣を引き抜いた。
「オラァ! 見てろ、お前ら!」
叫んで気合いを入れ、ハールデンに向かって歩いて行くと、たちまち前にいた手下たちが左右へ割れて道を造った。
「船長!」
「バランダー船長のお出ましだ!」
「頼んだぜ船長!」
手下が光明を見出したように口々に叫ぶ。何と言ってもバランダー船長は、この海賊船で最強の戦力であった。
「うん?」
突然、前が開いて姿を現した巨漢を、ハールデンは値踏みするように睨みつけた。
巨漢と言っても、身長は彼よりニ十センチ以上は低い。それでも体重は余り変わらないように見えた。
「ほう? どうやらお前がこの船の親玉らしいな」
歯を剥きだして笑みを浮かべたハールデンの顔は、そこらの魔物よりよほど恐ろしい。残忍さでは誰にも負けないと自負しているバランダーも、思わず震えて唾を飲み込んだほどである。
「こ、この野郎! す、好き勝手に暴れてくれたな。お、俺と手下を一緒にするなよ。俺はメチャメチャ強いんだぜ」
威勢よく怒鳴り付けたつもりであったバランダーの声は、彼の意志とは反対に震えていた。
彼の本能が危険を告げ、心臓が早鐘を打っていた。目の前に立った大男は、顔だけでなく全身から凶悪な雰囲気を発散させている。
(あーー! だ、駄目だ……こいつは根っからの殺人鬼で極悪人だ。俺とは格が違う。やれば確実に殺される)
殺人鬼とか極悪人呼ばわりは、勇者の仲間であるハールデンに失礼ではあるが、彼を目の前にしたバランダーには、自分が無残にも惨殺される姿しか想像できなかったのである。
次の瞬間、バランダーは膝がガクガクと震え、恥も外聞もなく背を向けて逃げ出していた。
「う、うわーー! 船長が逃げ出しちまった!」
こうなれば恐怖は全体に広がって行き、一斉に逃げ出した海賊たちは、船内へ続く階段を降りて、全員が甲板から姿を消してしまったのである。
「……へっ?」
誰も居なくなった甲板で、呆然と佇むハールデン。
「何でえ、もう、終わっちまったのか?」
倒す相手が消えてしまって、拍子抜けしたハールデンは、それでも操舵室へ足を向けた。
「ちっ! 船内で暴れてやってもいいんだが時間がねえ、次の船も壊さなきゃいけねえからな」
つぶやきながら操舵室に入ると、室内の中央に舵輪と呼ばれる、船を操作するための回転式のハンドルがあった。
「あらよっ!」
軽く叫んだハールデンの右足が一閃すると、ハンドルは粉々に吹き飛んだのである。
これで海賊船は舵を操作することが出来なくなり、後は海流と風に任せて、海上を流されて行くだけである。
「うん?」
片眉を上げたハールデンが甲板を見ると、ちょうど水中から飛び出て来た影が、船の中央辺りに着地したところであった。
影はメリッサである。
「ハールデン!」
メリッサは片手の甲で、「シッシッ」と追い払うように、ハールデンへ指示を出した。
「そっちは二人で、こっちは一人しかいないんだ。忙しいからさ、さっさと次の船に行っておくれ」
「わーったよ!」
肩をすくめたハールデンは、不満そうな顔をしたが、文句も言わずに海に飛び込んで、次の船目掛けて去って行った。白い航跡を残して進む彼には、海中の魔物も追いつけない。
文句を口にしなかったハールデンは、メリッサの言う通り、今回の作戦で一番忙しいのは、彼女であると理解していたからである。
「さて……」
ハールデンが去ると、彼女は甲板から消えた船員が逃げ込んで行った、船の下層へ続いている階段の前へやって来た。
中を覗くと、見張りらしき、黒い手入れのされていない髭を生やした男が、怯えた目で、上目遣いにこちらを観察していた。
「うおっ! 化け物顔の大男が、お、女に変身したぞ! し、しかも、凄え美人じゃねえか!」
目をパチクリしている。
「ほ、本当か! どうなってるんだ!」
奥から数人が顔を出し、口を開けた間抜けな顔でメリッサを見上げた。
メリッサはそんな彼らの顔を見渡し、鼻に皺を寄せた。
「何とも薄汚い顔が並んだねえ。マシな男は居ないのかい?……この船は不合格ってことにしようかねえ」
拿捕する船の選択はメリッサに任されていて、それ以外は海に沈める計画である。
「はあ……こんな調子で合格なんて出るのかね。最初っから不安になってきたよ」
やれやれと言った表情の彼女は、下層から見上げる海賊たちへ向かって片手を伸ばした。
「私は悪党には容赦しないからね……せいぜいあの世で、海賊になったことを後悔するんだね……《火輪》!」
メリッサは躊躇いも無く、彼らに向かって火系中級魔法を放ったのであった。
いきなり巨大な高温の火球が海賊たちの中央に出現し、彼らは自分でも知らぬ間に消し炭となって即死していた。そして灼熱のガスと火の暴風が、海賊船の中へ中へ、下層へ下層へと流れ込んで行った。
「ドドオォーーン!」
凄まじい太い炎の火柱が、海賊軍の右翼の先頭の、バランダー船長の海賊船から立ち昇った。
左翼側の先頭の海賊船の上では、手を止めたジェームズがその光景を見ている。
「メリッサ殿の選別が、始まったようでござるな」
ジェームズの周囲には首の無い死体が散乱していて、船の揺れに合わせて、胴体を失った首が甲板の上を、右へ左へとコロコロ転がって行く。
とっくに抵抗の意欲を失った海賊たちは、物陰と船内に隠れてしまって、いきなり現れて猛威を振るった死神に、居場所を知られないように息を潜めている。
ジェームズは無人の甲板を歩いて行って、操舵室へと入った。
船の舵である舵輪の前に立つと片手を一閃し、斜めに切れた舵輪の半分が床に落ちたのである。これでこの海賊船の操船は不可能となった。
操舵室を出たジェームズは、一番遠くに見える大型の海賊船を目を細くして睨む。
「待っておれよ偽者め! 本物のカッコ良いポーズを拝ませてやるでござる」
決意を口にすると、次の船目掛けて海へと飛び込んだのであった。
「だ……駄目だ……親方に叱られる」
雑用係のルカは涙目になって、床に散乱した食材を拾い集めていた。
料理長に肉と玉ねぎを、食糧庫から取り出して来るように指示され、食材を固定しているバンドを外した時に、運悪く船が大きく傾いたのであった。
(……船が傾いたのは、ハールデンが暴れ始めたせいである)
「叱られるゥ……叱られるゥ」
泣きながら食材を拾い集める。
食糧庫の扉は密封性が良くて、頑丈に造られているのであるが、扉の向こうでは誰かが怒鳴っているような、騒がしい声が聞こえる。
食材が来なくて料理長が怒っているのかも知れない。
「へーい! お待ち下さい料理長様! 親方様! へーい! もう少しお待ち下さい。 へーい! 只今すぐにお持ちします!」
(それにしても熱い。さっきまで、こんなに熱かったかな?)
ルカは額の汗を拭った。
彼は余裕が無くて扉の方を見ていなかったのであるが、扉の頭の高さくらいに取り付けられたガラス窓の向こうは火の海になっていて、調理場の床には黒焦げになった同僚と料理長が転がっていたのである。
その内、扉も燃え尽きて、食糧庫もルカも無慈悲に炎に包まれることになるのだ。




