241 海賊上陸
(早く日よ登れ)
東の空を睨んで小隊長は祈った。日が登れば魔物が居なくなる訳では無いが、少しはこの絶望的な状況に、希望が見えるのではないかと思えたのである。
その時。
小隊長の祈りが通じたように、真っ暗な闇夜の中に日が登った。
しかし日は東からではなく、北の草原方向から登ったのである。その光点は日よりも遥かに小さな光球であったが、それはその辺りの草原一帯を照らす、強烈な光量を持っていた。
「ウオオォオーーッ!」
「ガアァアーーッ!」
同時に前方から一斉に魔物が吠える声と、人らしき叫び声が辺りに響き渡り、声は人々の周囲を包囲した魔物の集団へ広がって行った。
「来るぞ! 集中しろ!」
何が起きているか分からない小隊長であったが、このまま無事で済むわけは無いと、部下と人々に向けて警戒を叫んだ。
しかし、騒がしい叫び声は前方で二つに分かれると、円陣を組んだルーミッド村の村民と、ワランバ兵を避けるように、左右を通って後方へ通り抜けていったのである。
「何だ! 何が起こっている!」
全くの想像外の出来事に、小隊長も誰も困惑を隠せない。
そして狼狽する彼らの前方から、まるで神が降臨するかのように、皮鎧の上にマントを羽織った人が現れたのである。
呆然としてたたずむ小隊長に、突然現れた人が話し掛けて来た。
「皆さん大丈夫ですか? 良かった。間に合ったようですね」
その場に似合わない、落ち着いた声で話し掛けて来たのはロビンである。他の仲間は(賢治を除く)光球の下で魔物を掃討中である。
「あ……貴方様は……」
小隊長は、その威厳に満ちた爽やかな笑顔の青年を見た。姿格好はワランバ軍の兵士にも、ただの傭兵にも見えない。強いて上げるならば冒険者であろうか。
小隊長以外のワランバ兵も、村民たちも夢のような出来事に、ただ離れて見ているばかりである。
「た、助かりました。ぼ、冒険者の方でしょうか? よくこんな場所に来ておられましたね。お仲間は大勢いらっしゃるのでしょうね」
大群の魔物を簡単に蹴散らしている気配から、かなり多くの冒険者のチームが来ているのだと、疑いもせず想像した小隊長なのであるが。
「いえ、僕らは五人組の一チームだけです。僕は最初に少しだけ手伝っただけで、もう用済みのようなので、後は信頼する仲間に任せました」
平然と口にするロビン。
《正確には賢治は戦っていないので、現在魔物を駆逐しているのは、たった三人なのであるが》
「……へっ?」
意味が分からない小隊長に、ロビンは懐から教会発行の勇者の証明書を出して、彼だけに見せた。
「貴方だけに僕の本当の正体を教えますので、他の方には内密でお願いします」
「げっ! (勇者様!)」
「勇者様」の言葉は辛うじて口を押えて叫び、驚きで目を飛び出させて、ひっくり返りそうになった小隊長である。
彼が驚きで倒れそうになったのも無理も無い。人類の希望である勇者は誰もが尊敬する存在であり、どこででも会える存在ではない。このような僻地の草原の中で助けてもらえるとは、まさに千載一遇の奇跡であった。
「ところで、この人々は何故ここに? 見たところ女子供、老人ばかりで、どこかの村の住民の方のようですが?」
尋ねられた小隊長は「はっ」として我に返った。今は驚いているばかりには行かない。村は海賊の襲撃を受けて、危機的状況を迎えているはずである。
「ゆ、勇者様! 漁村が襲われようとしています……いや、もう襲われているかも知れません。どうぞお助け下さい」
言葉を震わせながら、ロビンの手を握ったのであった。
雲に隠れた月の光は弱くて、ルーミッド村の沖に錨を降ろした海賊船は、注意深く観察していなければ、容易には発見できなかったであろう。
普段から警戒を怠っていなかったので、当直のワランバ兵が気づくことが出来たのである。
海賊船の左右に設置された小型船が海に降ろされ、凶悪な面構えの海賊たちが次々と乗り込んで行く。
甲板で指揮を執っているのは、海賊船の船長であるガーレリア船長である。黒髭を蓄えた腹の突き出た大男である。
「静かに近づくんだぞ。奴らはまだ気が付いちゃいねえはずだ。……奴らの守備兵は五十人かそこらのはずだ。兵も住民も皆殺しで構わねえが、略奪が済むまでは家に火はつけるんじゃねえぞ」
指示されて海賊たちはうなづいている。言い付けを守らなければ、ガーレリアは誰であろうと容赦なく処分する男である。
「特にフェーゴ! お前は気を付けろ」
名指しされた海賊は、他の海賊とは違った珍しい長いマントを纏っていて、肩をすくめてうなづいた。
彼は冒険者崩れの魔法使いで、海賊船の中でも特別待遇されている男であった。
「分かってるよ船長。家を燃やしちまったら、お宝まで燃えちまうからな」
「その通りだフェーゴ! お前の出番は無いと思うが、あの砂浜の柵が邪魔な時は、得意の《火球》で燃やしちまいな」
親指を立ててガーレリアは指示を出した。彼にはこの火系魔法を使うフェーゴの他にも、同じく片手剣の達人のマルガを手下としていた。
そんな二人の優秀な部下を持ってはいたのであるが、多勢に無勢で海賊島の勢力争いに破れたのである。
彼はこんな東の僻地まで落ち延びて来たのであったが、彼と同様に落ち延びて来た、別にも二隻の海賊船があって、それぞれの船に船長が乗っている。
三つの海賊は同じ境遇の者同士、敵対こそしていないのであるが協力もしていない。協力して村を襲えば襲撃は楽になるが、漁村は貧しく、手に入る獲物が少なくなるからであった。
「良いか! 今日はどんなに抵抗があっても絶対に引かんぞ! 命懸けで行け!」
ガーレリアは手下たちを鼓舞する。彼らには知らせていないが、落ち延びて来た時に積んでいた物資は、あと少しで底を尽くのである。そうなれば彼の立場も微妙なことになるだろう。
静かに海に降ろされた数隻の小型船は、海賊たちを満載し、音を立てずに砂浜に向かって進んで行ったのだった。
「良いか、出来るだけ海賊どもが柵の近くに来るまで我慢せよ」
柵の内側の全体が見渡せる場所で、ランバが小声で指示を出し、それは守備についた兵士と村の有志たちへ伝わって行った。
本来ならば上陸するところを狙うべきなのであるが、こちらの戦力は圧倒的に少なく、柵へ近づいて来たところを、全力で大打撃を与える作戦である。
その一撃で大きな被害を与えれば、海賊たちの戦意を挫くことに成功する。そのまま逃げ出してくれれば一番良い。
東の空が明るくなって来ていて、水際に降りた海賊の姿と小型船を、シルエットとして浮かび上がらせている。やって来た小型船は十隻ほどで、海賊の人数は予想通り百五十人くらいのようである。
柵の内側に隠れた守備隊が、息を潜めて見詰める中を、海賊は一団となって、漁村のある方の柵へ向かって近寄って来た。
息を潜めて海賊の動きを伺っていたランバは、ついに立ち上がって叫んだ。
「撃て!」
満を持していたワランバ兵は、弓による一斉射撃を行った。
「ウアァーーッ」
闇に紛れての接近が、察知されていないと考えていた海賊たちから悲鳴が上がり、バタバタと数人が砂浜に倒れた。
「畜生! 待ち構えてやがったか! 皆、盾を前に出せ」
続いてワランバ兵による弓の第二射攻撃が行われたが、今度は盾によってほとんど防がれたようである。
「守備兵は少ないぞ! 野郎ども一気に柵を壊してしまえ!」
盾を前に出て来た海賊であったが、明るくなり始めた薄明かりの中に、柵の間からこちらに向けられた槍先を発見した。
そのまま無理に前進すれば、柵を取り壊している間に大きな被害を被ることになる。海賊の足が止まった。
「良いぞ! 海賊の前進が止まった」
ランバの狙い通りの展開である。
最初に海賊船を発見した一時間ほど前に、戦えない住民を草原側へ避難させ、同時に隣の漁村の守備隊へ救援要請を向かわせている。時間が過ぎれば救援の兵が間に合うことになる。
「お前ら退け! 前を空けろ! だが、矢が飛んで来た時は俺を守れよ」
狼狽している海賊たちの後方から、他の海賊とは格好が違う、マントを着た痩せた男が前に出て来た。
魔法使いのフェーゴである。
「フェーゴ兄貴……」
「兄貴、手を煩わせちまって済まねえ」
フェーゴが前に出て来ると、海賊たちは頭を下げて道を譲った。普段は前線には出ない彼であるが、こういう場面で頼りになる存在である。
「情けねえな! こんな漁村の手作りの柵一つ、お前たちだけで何とかならねえのか」
不満げに大きく舌打ちをして、首の骨を鳴らして見せたマント姿のフェーゴは、槍が潜んだ柵に向かって片手を伸ばした。
次の瞬間。
「《火球》!」
得意の火系初級魔法を放ったのであった。




