210 黄金の犬②
今回の章は、これで終わりです。
日が完全に落ちる前に、賢治は街道の横にテントを張り始めた。その作業を見ながら他の者は周囲でくつろいでいる。
「ケンジさん。いつも申し訳ないです」
ロビンが申し訳ない顔をして声を掛ける。
前に手伝おうとして、返って作業が遅れるので、辞めて欲しいと頼まれてからは、見ているだけである。
「ロビン! 放って置け。奴は好きでやってるんだ」
相変わらず口の悪いハールデンである。
ロビンに睨まれると空を見上げ。
「雲も無えな。今夜は月夜で辺りが見渡せる。魔物退治には持って来いだぜ。出てくれねえかなぁ」
と、うそぶいている。
彼はここへ来る前に聞いた、出ると言われている『犬の魔物』を退治する気満々である。手際よくテントを張り終えた賢治は、食事の為のテーブルを用意し始めている。
石畳の街道の、直ぐ横に張ったテントの周囲は砂地になっていて、辺りは灌木がまばらに生えている荒野になっている。
ハールデンの推測した通り、今夜は雲も無くて、真円に近い月が辺りを照らしている。
テントの中で横になって眠っていたハールデンが、両眼を開けると半身を起こした。
同時に他のメンバーも半身を起こす。
「来たぜぇ」
笑みを浮かべたハールデンは、子供が見れば卒倒してしまうほどに恐ろしい顔である。
既に皮鎧を着て臨戦態勢であった彼は、鋼製の手甲を嵌めながらテントの外へ出て行き、他の者も好奇心から後へ続いた。
「ほう。あの村人の言った通りだ……ありゃあ犬だな」
ハールデンがつぶやく。
三十メートルほど離れた小高い丘になっている場所に、巨大な犬らしきモノが、こちらを向いて四つ足で立っていた。
毛の長い大きな犬は、月光を全身に浴びて『黄金色』に輝いている。
「本当に魔物でござろうか? 奴からは敵意が感じられぬでござるぞ」
ジェームズが言うように、黄金の犬からは敵意は感じられず、じっとこちらを伺っている様子である。
「敵意が無くとも魔物に違いねえだろ? こんな荒野で本物の犬が、たった一匹で暮らして行ける訳がねえぜ」
確かにその通りである。魔物が滅多に出ない安全な街道の近くとはいえ、普通の犬では生きて行ける環境では無い。
「まあ良い。俺が退治してやるぜ。お前らは手出しせずに見て置けよな」
首を左右に揺らして骨を鳴らしたハールデンは、急ぐでもなく黄金色に輝く巨犬に向かって、恐れも見せず近づいて行った。
犬はそのままの格好で、ハールデンが近づくのを待っていたが、あと十メートルと迫ったところで、不意に丘の向こうへ姿を消した。
「あっ! 逃げやがったか!」
「兄さん! 気を付けて!」
丘の向こうで、飛び掛かる体勢を取っている可能性もあったが、ハールデンはロビンの警戒の声を無視して、犬の立っていた場所へ駆け登った。
「チッ!」
犬は、なだらかな丘を駆け下りた三十メートルほど向こうで、振り向いてハールデンを見詰めている。
「畜生! 流石の俺も犬には追い付けねえ! オイ野郎! 逃げていないで掛かって来いや!」
両手を広げてハールデンも丘を降りて行った。
彼が十メートルまで近づくと、再び犬は背を向けて駆けて行き、又、三十メートルほど先へ進むと、振り返ってハールデンを見た。
「糞! 馬鹿にしやがって! 掛かって来ねえなら、二度と来るんじゃねえ!」
腹が立ったハールデンは、唾を吐くと怒りながらテントへと帰るのであった。
「兄さん、大丈夫でしたか」
憮然とした表情で帰って来たハールデンに、ロビンが声を掛ける。
「犬の魔物は倒せたのかい?」
拳を左右の腰に当て、笑みを浮かべたメリッサが尋ねる。
「チッ! 流石のこの俺でも、逃げて行く四つ足の魔物は倒せねえや」
悔し気に言うハールデンを、鼻で笑ったメリッサは。
「へえ、魔物は逃げたんだって……じゃあ、あそこに見える魔物は別の魔物かい?」
「何ぃ!」
振り返ったハールデンは、最初に魔物が現れた丘の上の同じ位置に、犬の魔物が立って、こちらを見ている姿を発見した。
月の光を全身に浴びて、長い毛が鮮やかな黄金色に輝いている。
「ち、畜生! あの野郎! 俺を馬鹿にするのか!」
地団駄を踏む彼であるが、追って行っても先ほどと、同様の結末になるであろうと容易に想像がつく。
「私が手伝ってあげようか? 少し近づけさえすれば、私の魔法で動けなくさせてみせるよ」
「ほ、本当かメリッサ。間違えて殺るんじゃねえぞ」
笑みを浮かべてメリッサがうなづく。ハールデンもであるが、メリッサも『三鬼党』の捕り物に参加できなくて、鬱憤が溜まっているのである。
「良し! どうせだったら左右にも逃げられないように、ロビンも旦那も手伝ってくれ……オイ! ボケッとして無いでお前も手伝うんだケンジ」
他人事のような顔で立っていた賢治にも、参加を促すハールデンである。
(大魔王様。あの魔物からは敵意が感じられません)
妖精が賢治に囁く。
「……そうか」
大魔王にとっては、特に敵意などに意味は無く、感じ取ることも無い。大魔王は圧倒的な力で、全てを平伏させれば良いからである。
(しかも……ひょっとしますと……あ奴は魔物では無いのかも知れませんぞ)
妖精は眉をひそめて黄金の犬を観測する。カノンの知覚は非常に鋭いのである。
「何だ、本物の犬なのか?」
(いいえ……恐らく)
カノンが推測を述べようとしたところで声が掛かった。
「オイ! クオラァ! 何をやってる! ボケッとするなって言ってるだろうケンジ!」
ハールデンが苛立たし気に賢治を呼んだ。二人の会話は誰にも聞こえないのであるが、二人が話している内に、他の者は動き始めていた。
慌てるでもなく賢治も加わって歩き始める。
「よっしゃあ、広がれ! 包囲するように追い詰めるんだ」
舌なめずりをしてハールデンは前に出て行く。月下で笑みを浮かべた彼の顔は、魔物でも逃げ出すほど恐ろしい。
黄金の犬は、再び丘の向こうへ消えた。
「野郎!」
丘を駆け上がると、先ほどと同じく丘を三十メートルほど下った場所に犬は居て、こちらを振り返って見詰めていた。
「逃がさねえぞ! 皆、慎重に追い詰めるぜ」
そろそろと犬の周囲に展開する一同は、左側からジェームズが、右側から賢治が包囲網を絞って行くのであったが、あと少しの所で前に駆け抜けて行かれてしまった。
「チィー!」
と、再び地団駄を踏むハールデン。
「クソ! こうなりゃあ意地だ! 捕まえるまで諦めねえぞ!」
犬は灌木がまばらに点在する、三十メートルほど向こうの荒野の中で、こちらを向いて立っている。
砂漠が近くて乾燥している為、少しの風が吹いても砂埃が舞うのである。
五人が追跡を始めると、犬も再び移動を始めた。その距離は近づきも離れもしない。
「ハールデン。こりゃ無理だね。まるであいつは分かっているかのように、いつまでたっても私の魔法の射程に入らないよ」
「畜生ーっ」
このままでは、どこまで追って行ったとしても徒労に終わる公算が高い。いっそ引き返して罠でも作った方が、捕らえられる可能性があるかも知れない。
ハールデンがそんな風に考えた頃、荒野の中にポツンと出現した、人の背ほどの高さの岩塊の陰に、黄金の犬は隠れた。
「待て!」
左右に両手を開いて、ハールデンは他のメンバーの動きを止めた。
人差し指を口に当てると、声を発さないように合図を送る。
(これが最後のチャンスかも知れないぜ)
彼一人だけが、抜き足差し足で前進を始めた。犬は岩陰に入ったまま出てこない。
(そのまま動くんじゃねえぞ)
祈りながら岩塊へ近づいて行く。
(今だ!)
巨体に似合わぬ軽業で、ハールデンは岩塊を駆け登り、犬が隠れているはずの岩の向こう側へと降り立ったのであった。
同時に他のメンバーも駆け付けた。
ハールデンは岩の影になっていた部分を見降ろして、呆然として突っ立っていた。
「これは……」
追い付いたロビンが、つぶやきながら岩陰に近づく。
そこにはフードを被って丸くなった、人のミイラが横たわっていたのである。大きな黄金の犬はどこにも見当たらない。
ミイラは大きさから大人の男性であり、死亡してから長い月日が経っているように見えた。
「……ん?」
ロビンが男のミイラのマントをめくると、ミイラは、これもミイラとなった犬の死骸を抱いていたのであった。
「何でえ。嘘だろ……あの犬の魔物は魔物じゃなくて、犬の幽霊だったってか? ハッ! そんな馬鹿な。ありゃあどう見たって実体を持っていたぞ」
ハールデンは首を振った。
「……事実は分かりませんが、このミイラの人物と犬は、荒野で迷ってこの場所で命を落としたのでしょうね。魔物もほとんどいない場所ですので、食い散らかされずに、そのまま乾燥してミイラとなったのでしょう」
ロビンが推測を述べた。
「はあ? 何でえ、それじゃあ犬が幽霊になって、自分らの死体がある場所を教えたって訳なのか? 馬鹿らしい」
肩をすくめるハールデンである。
「兵士たちが魔物退治に来た時は、どうして現れなかったのでござろうか」
疑問を口にするジェームズ。
「多分ですが、相手は魔物退治が目的の兵士たちですから、自分達のミイラを見つけても、特に気にもかけてくれないと分かっていたのでしょうね」
一人と一匹のミイラを見降ろすロビンは。
「これも縁ですから」
彼はミイラの持ち物が何か無いか、懐と周囲を探したのであるが、恐らく荒野を彷徨っている途中で捨てたのか落としたのか、ミイラが何者かを示す物は見つからなかった。
「折角ですから、供養の為に埋めて上げましょう……犬も一緒にね」
ロビンの提案に、賢治は腰袋からスコップを取り出すと、黙って穴を掘り始めたのであった。
(大魔王様)
カノンが作業中の賢治に話し掛ける。
「お前は最初から分かっていたようだな」
(ハッキリとでは御座いませんが、そのような気は致しておりました)
「タダの犬に、このような能力があるとはな」
(恐らくでございますが、ミイラとなった人間の思いと犬の思いの他にも、この辺りに漂っていた別の何かの思いが入り交ざって、このような現象を起こしたと思われます。どこにでも起こるような代物ではございません)
「そうか」
(はい。私も、我が身が消滅しても、主人を思う気持ちは見習わねばと、感銘を受けた次第でございます)
「……」
黙々と穴を掘る賢治であった。
一人と一匹のミイラを埋葬し終わった勇者一行は、盛り上がった土の墓を背にして、テントのある街道側へと帰って行く。
彼らは振り返らなかったのであるが、彼らの姿が見えなくなるまで、新しい墓の横で、埋葬された一人と一匹は、月明りを浴びながら後ろ姿を見送っていたのであった。
……これ以降、犬の魔物は現れなくなったそうである。
小説を書いている時間は無いのですけれど、ちょっとでも時間があれば書いてしまうのは、悲しいサガなのでしょうか。
次の章からは、二度目の魔王討伐に入るつもりなので、時間が取れる環境になったなら始めたいと思います。
今年も読んで頂いてありがとうございました。




