208 退場
欠けた月が中空に登っている。雲は少なくて辺りは月明りで明るかった。
ギーアの町の外れにある、古い剣術道場の周りは、ギーア治安隊の三百人が密かに囲んでいた。
屋敷へ進入する為の唯一の門の前には、ローデウス隊長とファーガソン副官とジェームズが顔を合わせていた。
今夜は治安隊は四か所に分かれていて、場所が遠かったロビンとハールデンの二班は、まだ到着に時間が掛かりそうである。
眉をひそめた顔で、ジェームズは門の柱に掛かっている看板を見上げた。看板には『盟友会館剣術道場』と、太い文字で書かれている。
ジェームズと同じように、ファーガソンも複雑な表情で看板を見上げた。
「ジェイ先生……」
話し掛けられてジェームズがうなづく。
「ファーガソン」
事情を知っているローデウスも、小さく溜息を付いた。
「まさか、あの方々が『三鬼党』の首領とは」
草相撲で出会った、屈託なく笑う三人を思い出して、首を振ったファーガソンはローデウスに向かって。
「隊長! 『三鬼党』は悪徳商人だけを狙い、人も殺さず、貧しい者に金を分け与えていました。逃がすことはできないにしても、何とか罪を軽くできないでしょうか? 彼らには面識がありますが、気の良い男たちでした」
「……無理を言うなファーガソン」
苦し気な表情のローデウスである。
理由はどうであれ、盗賊を働いた罪を許す訳には行かないのである。
「隊長殿のおっしゃる通りでござる」
腕を組んで目をつぶったジェームズは。
「彼ら三名は間違いなく腕利きでござる。隊員が無理に捕り物に押し入れば、多くの犠牲が出るやも知れんでござるぞ……その前に、ワシに彼らと話をさせて頂いても良いでござろうか?」
ローデウスとファーガソンは顔を見合わせ。
「では我々も同行しましょう」
「いや、ここはワシ一人で行った方が良いでござろう。お願い致すでござる」
頭を下げるジェームズに、許可を出さない訳にはいかぬローデウスであった。
一方、こちらは道場の中央に集まり、胡坐をかいて向き合った三兄弟である。彼らの前には三つの杯と、酒の入った瓶が置かれている。
「すっかり囲まれたな」
長兄のイーロンは肩をすくめたが、困った顔はしていない。弟二人も平然とうなづいている。
屋敷の周囲はいつもと変わらぬ静寂に包まれているが、彼ら三人には息を凝らしている、多くの人の気配が伝わっている。
「ユージンが報告に現れない状況からすると、彼は消されたのかも知れんな……可哀そうなことをしたな」
次男のジムが、残念そうにため息をついた。
「俺たちを除いた『三鬼党』は、ユージンを消して、自分達だけで『堀屋』へ押し入ったが、治安隊に察知されて全滅と言った顛末であろうな」
「兄貴の見立て通りだろうな。捕まった誰かが、我らの居場所を吐いたってわけだ」
イーロンの推測をジムが肯定する。
「で……どうする兄貴」
三男のザビロが二人の兄貴の顔色を伺う。
イーロンが。
「そうさなあ。相手はギーア治安隊の精鋭だが、我ら三人が別の方向へ飛び出せば、そうそう三人共に捕まることはあるまいが……」
「相手も必死だろうな。逃げるには、何人か斬らなければならなくなる」
「それは嫌だな……なんとか避けたいな」
それぞれが言葉を口にした。
「ギーア治安隊は素晴らしい組織だ。俺たちが諦めていた理想を、国の組織として実現して行っている」
「ああ、素晴らしい組織だ」
「この先も、ずっと続いて行って欲しいものだな」
再びそれぞれが口を開いた。
「……どうだ。この辺りで後を託すことにするか?」
長兄のイーロンの言葉に、弟二人は迷わず、笑みを浮かべてうなづいた。
「良し! 決まったなら、ちょっと一杯やるか」
「おう!」
「やるか!」
それぞれの前に置かれた杯に手をやって、先ずは一口、杯を傾けた。
そこでイーロンが、ふと道場の入り口側に視線を向けた。
「ふむ。誰か、やって来たようだな」
そして立ち上がったのであった。
開いていた門を潜ったジェームズは、玄関には向かわずに庭の方を通って道場へ向かった。そちらの方に人の気配があったからである。
思った通り屋敷の方に明かりは無くて、渡り廊下でつながった道場からは、明りが洩れていた。
渡り廊下は道場の周囲を回っている回廊へ繋がっていて、出入口がある側には、庭へ降りられる階段も付いていた。
階段の近くへやって来たジェームズは、わずかに眉をひそめた。
(むむっ。嫌な臭いが漂っているでござるな)
それは微かな臭いであったが、ジェームズにはハッキリと感じ取られた。
階段の前に立って、道場の出入口を見上げたジェームズの前で、それが分かったかのように道場の扉が左右に開かれた。
「……どなたかと思えば、これはこれは、確かジェイ先生でございましたな」
月明りに照らされて姿を現したのは、盟友会館の三人の道場主である、イーロン、ジム、ザビロの三人であった。
(おやっ?)
追い詰められているはずの三人には緊張感も無く、どこか吹っ切れたような気配を感じたジェームズである。
一礼したジェームズは、先ずは河原で出会った時の非礼を詫びる。
「あの時は全員に偽名を名乗っていたので、失礼してジェイと名乗ったのでござるが、ワシの本名はジェームズでござる」
「……そうでしたか。事情があったのであれば、別に謝って頂く必要はございません」
そう口にしてから、イーロンはジェームズの様子を伺った。特に珍しい二刀を差している。
「ん? その二刀……並々ならぬ強者の雰囲気……ジェームズと言えば、もしや、あの史上最強と名高い戦士ジェームズ殿か!」
口に出したイーロンだけでなく、残りの二人も驚愕の表情である。
静かにうなづいたジェームズは。
「史上最強などと、過分の評価でござるよ……強いだけの者ならば世間に多くいるでござる。ワシは今、志高く、人々の平和の為に命を懸けている少年に、命を預けているのでござる」
「何とな……」
時間が許せば、この真面目で愚直そうな戦士と語り合いたい三人であったが、今はそのような場合では無かった。
「残念でございますなジェームズ殿。ゆっくりと話を聞いて見たかったが、そうも行かない状況のようです」
「うむ。そうでござるな。さて、お三人は包囲を破って逃げられるつもりでござろうか」
いきなりジェームズは核心を突いた。
三人は顔を見合わせ、笑みを浮かべた。
「ジェームズ殿。我らにギーア治安隊の隊員は斬れません……彼らに『世間を正す』我らの夢を託し、我ら三人は、この辺りで舞台から退場することに致しました」
代表してイーロンが決意を口にした。
「……そうでござるか」
ジェームズは彼らの言葉を信じた。肩を落として大きく息を吸うと。
「残念! でござる」
息を一気に、吐き出しながら声にした。
イーロンと二人の弟は、迷いも無く澄み切った目をしていた。もはや何を話しても決意は揺らがないであろう。
「ジェームズ殿。我らのやり方は間違っていたでしょうが、何も特別な地位も力も無い我らには、このようなやり方しかできなかったのです。もし、この三人が出会って意気投合しなければ、それさえも出来なかったでしょう。……後は治安隊の成功を祈るばかりです」
「分かったでござる。……治安隊が踏み込むには、まだ、しばらく猶予があるでござろう」
ジェームズは背を向けると歩き始めた。
その背に向かってイーロンが。
「ジェームズ殿が、命を預けている方にもよろしく」
声を掛けるとジェームズは、振り返らずにうなづき、静かに影の中へ消えて行った。
「……ジェームズ殿が命を預けている方とは、どのような方なんだろうな」
「平和の為に命を懸けている少年と申されていたぞ」
イーロンは疑問を口にする弟二人を見ると。
「オイオイ。もう、その話は良いであろう。まだ、一杯目しか飲んでおらんぞ」
「そうだな。やろう」
「おう、やろうやろう」
道場の戸が閉められたのであった。
「如何でしたか?」
門から出て来たジェームズに、ローデウスとファーガソンが、飛び付かんばかりの勢いで質問する。
「彼らは、ギーア治安隊に後を託して、退場すると申されていたでござるよ」
そう話したジェームズは、なぜか辺りを見渡した。
「どういう意味でしょうか?」
ローデウスの質問に。
「この辺りは周りに何も無い場所でござるな……だから、こんな辺ぴな場所を選んだのでござろうな」
「はあ?」
二人にはジェームスの、話した意味が理解できない。
「彼らの集まっていた道場の、前に立った時、嫌な臭いがしたのでござるよ。それは油の臭いでござった」
「えっ?」
「……ああ、始まったでござるな」
ジェームズが屋敷の上空を見上げて言うと、二人も同じく空を見上げる。屋敷の上空が赤く染まり始めていた。
「これは?」
「か、火事か!」
「ローデウス隊長殿。ファーガソン殿。済まないが彼らを止められなかったでござる。『世間を正す』彼らの思いを、治安隊は継いで行って頂きたいでござる」
頭を下げるジェームズに、何も言えない二人である。
床下に油が仕込んであった道場は、周囲に延焼することも無く、朝まで燃え続けたのであった。
これで今回の章は終わりです。
201話で書きましたが、この先のアイデアを書いたメモを全て失くしてしまって落ち込んでいます。更に、今年中に二回目の魔王討伐を書くつもりでしたが、色々とリアの事情があり、時間的に不可能となりました。
毎回読んで頂いている方には申し訳ないですが、しばらく書く時間が無いので、とりあえず、リアル年末工程を終わらせてから、復活する予定です。
復活の時期は明言できませんが、時間があれば少しずつでも書くつもりですので、更新した時は忘れずに読んでやって下さい。




