2 少年勇者
イスター王国の首都ミルダの大通りを、周囲の風景を物珍し気に見渡しながら歩く青年がいた。
大通りの床は隙間なく石畳に覆われ、通りの左右に立ち並ぶ二階建ての町並みは、尖った屋根は色鮮やかな青い焼き瓦が葺いてあり、外壁は鱗模様の塗壁で統一されている。
通りには人の波と荷駄車や馬車の列が続き、御者が周囲を歩く通行者にぶつからないように、大きな声を張り上げ、通りに面した店屋の売り子も、負けじと客を引き込む声を張っている。
首都ミルダは周囲を城壁に囲まれた城塞都市であり、人口は五百万人の世界でも有数の大都市である。常駐の兵力は七万五千人。予備役も含めれば最大八万人の兵力を動員することが可能である。
街中には冒険者組合や傭兵組合など様々な組合があり、それらは世界的な規模の組合であった。
喧騒の中を歩く、見た目、三十歳前後の青年は、粗末な半袖のシャツとズボンを履いている。右腰には護身用であろうか木刀を一本差していて、左腰には腰袋が提げられていた。
田舎者丸出しの青年は、大都会のミルダ市街では、通常ならば気にも留められない存在のはずなのであるが、道を行く人々が二度見するほどに目立っていた。
その原因は二つあって、一つ目は青年の容姿であった。身長は百九十センチの高身長であり、半袖のシャツから覗く腕は逞しく、服の上からでも鍛えられた胸板の厚みが良く分かる。
少し癖のある短くそろえた髪型をしていて、顔の造りは天上の名工が彫り上げたのでは無いかと、疑ってしまうほどの美しさであった。
すれ違う女性のほとんどが、この世のものとは思えない美青年を、二度見して顔を赤らめている。
二つ目は、青年の肩の辺りに浮かんでいる妖精である。妖精と契約している者は大都会のミルダと言えども珍しく、誰もが好奇と羨望の眼差しで、契約者に幸運を運んで来ると言う、小さな四枚羽根の生き物を見詰めていた。
青年は言うまでもなく大魔王ケンジである。勇者の仲間になる為にこの町へやって来たのであった。
(大魔王様……)
耳の傍で妖精が賢治に話し掛けた。
妖精は大魔王国の宰相ネフレオールの弟子である、妖魔カノンの変身した姿である。
「何だ」
(はい。恐れながら、私はこれ以上姿を変えようもございまませんが、大魔王様の容姿は目立ち過ぎます)
「気にするな」
(……そうではございますが、道行く人間の女性が大魔王様に見とれておりまして、その内、見とれた女性が人や車とぶつかって、怪我でもすれば事件となり、こちらに飛び火しないとも限りません。面倒ではございますが帽子を買って頂き、深く被ることをお勧め致します)
賢治はカノンに、人間世界で生活する上での、補助・助言をする役目を与えている。カノンの他にも数体の使い魔が、人の目に留まらぬ場所から彼の周囲を固めていた。
「そうか……分かった」
素直にうなづいた賢治は、カノンの忠告に従って通りにあった雑貨屋に入ると、つばが広い帽子を買って、深く被ったのであった。
「これで良いか」
(はい。注目が私のみの、半分になったようでございます)
「それにしても……」
賢治は思った。
(人間は三百年前とあまり変わらぬ暮らしぶりだな……あちらの世界に例えれば、中世ヨーロッパと言ったところであろうか。産業が発達せぬのは魔法の存在と、人里を離れれば魔物が跋扈する世界が広がるせいで、国同士の交易も、簡単には出来ぬ状況であるからなのか)
……文明が発達しない理由は他にもある。
魔法は全ての人々が使える訳では無いが、この世界では特別なものではない。また、魔道具と呼ばれる魔物の体内から取り出された魔石を使っての、不思議な効果のある便利な道具が存在する。
それら魔道具と危険な魔物の存在が、産業の発達を妨げている要因の一つであるのは間違いない。
辺りを見渡しながら歩く賢治の前方に、黒い壁の建物が見えて来た。入り口には看板が掛かっていて『キアーラの酒場』と書かれている。
ミルダに星の数ほどある酒場の中で、一番有名な酒場であり、勇者と認定された者が、この酒場で仲間を集うことで有名であった。
(ふふふ。あっちの世界で遊んだゲームと、全くそっくりな設定では無いか。酒場の名前さえ、どこか似ている気がする)
ひょっとすると、この世界の影響が、あの有名なRPGの設定を生んだのかも知れない。
笑みを浮かべた賢治は、躊躇わずに酒場の扉を押したのであった。
大魔王ケンジが『キアーラの酒場』へ足を踏み入れた頃、その酒場へ向かって大通りを歩いて行く二人組の姿があった。
一人は身長は百六十五センチほどであり、真新しい全身皮鎧を着込み、腰に片手剣を下げた少年であった。
彼こそがこの度、教会から新しく認定された『勇者ロビン』であった。ロビンは十六歳。イスター王国領の西端にある、オクワナ村出身である。
オクワナ村は王国の中でも最も田舎の村であり、ロビンの風貌は朴訥な田舎の少年と言った雰囲気であったが、澄んだ目と真一文字に結んだ唇からは、生来の真面目さがうかがわれる。
その隣を歩くのは、ロビンとは似ても似つかぬ大男であった。身長はニメートルニ十センチほどであろうか。使い込んだ皮鎧を着ていて、はち切れんばかりの鍛えられた筋肉が、皮鎧を膨れ上がらせている。
武器は持っていないように見えるのだが、左腰に下げた革袋には、鉤爪付きの手甲が二つ入っていた。
彼の職業は武闘家であり、ロビンの従兄にあたる二十二歳のハールデンであった。
ハールデンは、ここミルダでは有名な男である……悪い意味で有名な男であり、暴れ出すと誰も近寄れない、乱暴者の上に吝嗇であると評判の、悪名の高い男であった。
顔のあちこちに傷が残っていて、凶悪な面構えであり、子供などは顔を見ただけで泣き出してしまうであろう。
大通りには人が多かったが、ハールデンが歩いて行くと、人波が災厄を避けようと左右に分かれるのであった。
「従兄さん」
ロビンが隣を歩くハールデンを見上げて声を掛けた。彼は小さい頃から従兄を兄さんと呼んでいる。
「何だロビン」
「みんなが僕に道を空けてくれてるよ」
申し訳なさそうに、ロビンが眉を寄せる。
「道を空けるのは当たり前だろ。お前は教会に勇者と認定された男だ。人類の敵の魔王を倒してくれるお前に、皆が敬意を払ってるんだよ」
本当は己の巨体と、凶悪な顔から発散される暴力的な雰囲気に、人々が恐れて道を空けていると分かっているのだが、従弟の気分を良くさせようと口角を上げてそう言った。
「そうなんだぁ・・・頑張らなくちゃ」
疑いを知らない真面目なロビンは、頬を紅潮させるのであった。
その表情を見ながらハールデンは何度もうなづいた。まさか従弟が勇者に選ばれるなど、彼は夢にも思っていなかった。
小さな頃から知っていたが、正義感はあるが虫一匹殺せないような、気の弱い子供だったのである。
ハールデンは田舎で、恵まれた体格を生かせる武闘術を習っていた。首都ミルダにやって来てからは、圧倒的な暴力で実戦をこなしながら腕を上げ、たちまち裏の世界で一目も二目も置かれる存在に成り上がったのであったが、それを面白く思わない裏の勢力と、最近は度々揉めていて、そろそろ別の都市へ移動しようかと考えていたのであった。
移動する為には金が要る。彼は方々に借金があり、その清算も迫られていた。借金など踏み倒せば良いのだが、貸主がどこかに泣き付けば面倒なことになる。
腹を立てた貸主の中には、噂に聞く暗殺組織に依頼する奴が出るかも知れない。刺客など恐れはしないが、面倒なことは出来れば避けたかった。
どうしようかと迷っていた時に、教会からの指示で極秘にされていたが、親戚の伝手で従弟のロビンが勇者に認定されたことを知った。
勇者の仲間になれば王国から支給される支度金がある。借金を返済して大手を振って街を出て行けるのである。
しかも、試練をいくつかこなせば、別の国にも行ける通行手形を手に出来るのである。その上、もしも魔王を滅ぼせば一生の栄誉を手に出来る。
(こいつは棚から落ちて来たぼた餅だ)
思いもよらなかった幸運に、笑いが止まらぬハールデンであった。
ハールデンの当面の目的は支度金である。支度金は『キアーラの酒場』で勇者が仲間を集め、それを王国に申請し、王への拝謁後に支給される決まりになっていた。
酒場は勇者の仲間となる栄誉を求めて、虎視眈々と機会を伺う者たちが詰めている。酒場の一画には、希望者が多い場合、選抜の為に力を競う場所まで設けられているのである。
……それでも勇者がいつ誕生して、いつ仲間を募集しに来るかは分からず、酒場がいつも満席とは限らない。たまたま勇者がやって来た日に、酒場にいた者にだけ、勇者の仲間になれる可能性があるのである。
勇者と会えるかどうかは運次第であり、たまたま会えて仲間に選ばれるのは、もはや『神の思し召し』と言えるのである。
……前方に目立つ黒い建物の『キアーラの酒場』が見えて来た。ハールデンは隣を歩くロビンの肩に手をやると、腰を折って顔を近づけた。
「ロビン……段取り通りにするんだぜ」
念を押した。
仲間に出来る人数は最大四人までで、それ以下の人数でも良いと決まっている。つまり勇者を入れれば最大でも五人パーティーである。
【パーティーの最大人数が五人と決められているのは、世界各地にあるダンジョン攻略の経験により、その人数より多いと、犠牲者が増えると言う統計から来ているものであった。細い通路、狭い部屋など、人数が多過ぎると分断されてしまい、結果的に犠牲者ばかりが増えるのである。又、仲間割れが起きる可能性も、五人を超えると飛躍的に大きくなるそうである】
ハールデンは、ロビンには自分の他には、戦士と魔法使いを選ぶように話してある。普通であればあと一人、回復のできる僧侶辺りを選ぶのであるが、戦闘の苦手な僧侶は必要無いと告げてあった。
回復は道具屋で売っているポーションで十分であり、洞窟の宝箱からでも回収ができる。支度金の額は決まっているそうなので、人数が少ないほど懐に入る金が多くなることを見越しての、ハールデンの考えであった。
「大丈夫かな従兄さん。もう一人選んだ方が良くないかな」
不安げな顔のロビンである。
「俺に任せておけ。戦闘のできない僧侶なんて、ただの金食い虫だぜ。俺と戦士で魔物を蹴散らし、数が多い場合は魔法使いがまとめて始末するって戦法だ。魔王だって俺たちが弱らせたところを、お前が一発決めれば楽勝だって」
「分かったよ」
小さくロビンがうなづくと。
「お前と俺が、最初からつるんでるところは見せたくねえから、俺が注目を浴びてる隙に酒場に入って、カウンターで仲間を募集すると宣言するんだ。行くぜ!」
ロビンの肩を軽く叩くと、ハールデンは酒場の扉を押して中へ入った。
酒場の中は煙草の煙が充満していた。板張りの床に塗られた防腐剤の臭いが僅かにする。照明は天井にいくつか埋め込まれた、光る魔石のうす暗い明りだけである。
扉を開けると、あちこちからの視線がハールデンに集まった。この酒場に集まる者は皆がライバルであり。入って来た者の実力を値踏みする為である。
ハールデンは見た目が明らかに武闘家であり、名前も通っているので同じ職業の者は、あからさまに嫌な顔をした。ここミルダで彼に敵う武闘家は誰もいない。
ハールデンの巨体の後ろを通ったロビンは、カウンターへ向かって歩いて行く。皆の視線が大男に集中しているので、彼の姿に気づいた者は少なかった。
カウンターに着いたロビンは、奥にいるバーテンダーを見上げた。
いつの間に現れたのかと、ロビンに目をやったバーテンダーの目が大きく見開かれて行く。ロビンの威厳のある姿と、過去の経験から、勇者が現れたことを悟ったのであった。
「勇者の仲間を募集します」
そう宣言したロビンは、教会から発行された《勇者の証明書》をバーテンダーに見せた。
「ゆ……勇者の仲間募集! 勇者の仲間募集!」
声を震わせたバーテンダーが大きく叫んで、棚にあったハンマーを振り上げ、カウンターに置かれたガベルを何度も叩いた。
「ダンダンダン! ダンダンダン!」
ガベルが連打されると、慣例により酒場の入り口の扉が閉められることになっている。
すぐさま扉は閉められると同時に閂が降ろされ、もう誰も酒場に入れない状態になり、中にいる客は一瞬静まったのちに、興奮して大歓声を上げたのであった。