181 罠
ローデウス率いるギーア治安隊の五十名は、街道に点在する町と村を巡回しつつ、順調に首都へ向かっていた。
彼らが進んで行く街道の前方には、背の高い岩山が行く手を阻むように、左右に広がって見えている。
街道はそんな岩山にぶつかって行くように伸びていて、街道の続く先だけは、岩山が谷のように削られて低くなっていた。
元々、フィリギア王国の首都ギーアの南には東西に続く岩山地帯があって、昔は南に向かうにはその岩山地帯を迂回していたのであるが、五代ほど前の王が国中の労働力を集め、岩山を削って南へ出る街道を整備したのである。
岩山を削って造成された街道である為、何ヶ所もの峠があって快適とは言えないが、港町グラッパに出るまでの日にちが、それまでより十日ほど短縮され、隊商の往来が増えて国は繁栄したのである。
前方からやって来る隊商の一隊を発見したファーガソン副官は、ローデウスに目で確認を取ってから、隊員の五十名に左へ寄るように指示を出した。街道では大人数の隊がすれ違う場合は、それぞれが左を進むように決められている。
「隊商が来るぞ! 左へ寄れ!」
指示を受けた治安隊五十名は左へ寄り進んで行く。やがて隊商とすれ違うであろう。
隊商は幌を被せた二頭引きの馬車が五台連なっていて、各馬車に四人の傭兵が付いているのが見えた。
隊商の警護の傭兵らは、近づきつつある治安隊を緊張の目で見ている。兵士に野盗団が変装している場合もあるのであるが、近づくにつれ、これだけ装備を揃えている野盗団がいるはずもなく、傭兵のこちらを見る視線も少し柔らかくなったようである。
通常ならば、傭兵が二十人も付いているような隊商を襲う野盗団はまずいない。たとえ襲う方が倍以上の人数であっても、鍛えられた傭兵を襲えば損害は計り知れないからである。
その時、隊商の先頭の馬車の、御者台の隣に乗っていた商人風の男が、「あっ!」っと大きな声で叫ぶと、馬車を飛び降りて治安隊の方へ向かって走って来たのであった。
走って来た男は、小太りで白髪頭の五十代に見える男で、いかにも商人らしい風体である。
何ごとであろうと、見守る治安隊の隊員には目もくれず、隊の前方に居たローデウス隊長に向かって頭を下げた。
「ローデウス隊長ではございませんか。ギーアだけでなく、このような場所までお出ましとはご苦労様でございます」
「お出ましと言われるほどのものでは無いがな。仕事を済ませての帰りだ……ところでお前は?」
商人に声を掛けられて返答をしたものの、ローデウスには商人に見覚えが無かった。
「あ! これは失礼いたしました。ギーアの町で商売をさせて頂いておりました、ウォルネスと言う一介の商人でございます。町で巡回されているお姿を二度ほどお見掛けしておりまして、治安の良い町で商売をさせて頂き、機会があればご挨拶をしたいと願っておりましたので、顔をお見掛けいたしましたものですから、場所も考えずに声を掛けてしまいました」
ウォルネスは恐縮と言った態で、白い頭を何度も下げた。
「そうか。ギーアで商売をな」
商売をしたのなら税金も払っているはずである。無下にあしらうのも悪いと感じたローデウスは、うんうんとうなづいた。
「お陰様で仕入れて来ました商品が全て売れまして、その後、ギーアで新しい商品を仕入れましたので、別の町で売り捌き、再びギーアに戻って来ようと思っております」
「そうか。道中気を付けるが良い」
「ありがたきお言葉にございます」
頭を下げたウォルネスは、見守る隊員の間を抜け、ローデウスの前にやって来た。
そして懐に手を入れると、重そうな袋を取り出した。中身は金であることは容易に想像がつく。
「もしもお会いすることがありましたら、感謝の気持ちとして、お渡しいたそうと懐へ入れておりました。どうぞ受け取って頂いて、これからもギーアの治安をお守りください」
笑顔で袋をローデウスへ差し出した。
周囲の隊員たちが息を飲む。
ローデウスは軽く首を振った。
「ギーアにしばらくいて、聞いておられなかったのかな? ギーア治安隊は、一切の金品を受け取らない決まりになっている」
「勿論、知っております。しかし、ここはギーアではございません。私の気持ちとして受け取って頂きたいのです」
「済まぬな。気持ちだけは受け取って置こう」
袋をローデウスは押し返した。
ギーア治安隊の規則として、住民からも貴族からも、一切の金品を受け取らないこととしている。そこから癒着や不正が生まれるのである。
その代わりローデウスは国に掛け合って、隊員の給金を三倍にしていた。
「そうでございますか……残念でございますなあ」
ガッカリとしたウォルネスであったが、ハッと思い出したように顔を上げた。そして停止している隊商の方へ手を振ると。
「おい! あれを持って来い。旅の必需品だ!」
大きな声で呼びかけた。
何ごとかと待つまでも無く。ウォルネスの部下に見える二人の商人が、一抱えもある大きな箱の左右を持ってこちらへやって来た。
フウフウと息を弾ませながら、ウォルネスの前に降ろした。
「この箱は魔道具でございまして、物を冷やす能力がございます」
そう断って箱の蓋を外すと、中には片手で掴める大きさの、赤い果実がぎっしりと詰まっていた。
「これはゴーリでは無いか」
副官のファーガソンが赤い実の名を当てた。
「そうでございます。旅の途中の水分補給に打ってつけの果物でございます。冷えていますから美味さも格別でございます」
ウォルネスは笑顔でゴーリを手に取ると、毒見も兼ねてサクッと音を立てて一口噛んだ。
辺りに甘い果実の匂いが漂う。
ファーガソンが隊長の顔色を伺うと、仕方が無いと言った風にローデウスは苦笑した。
「ウォルネス殿。飲み水を分けてもらったつもりで頂くことにする。……但し」
そう言うと懐から金貨を何枚か取り出して手に握らせた。
「悪く思わないでくれ。代価は渡しておく。規則は破れないのでな」
そこまで言われると、ウォルネスも代金を断る訳にはいかない。
「おい! 皆、頂くが良い」
先にゴーリを一つ手に取ると、ローデウスはそのままかぶりついた。
「冷たくて美味い!」
笑顔で叫ぶと「ワッ!」と周囲の隊員たちが歓声を上げ、我先にと果物を手したのであった。
笑顔でギーア治安隊の後ろ姿を見送ったウォルネスは、彼らが見えなくなると同時に、街道の端に駆け寄って口の中に指を突っ込んだ。
地面に両膝を着き、「ゲエゲエ」と先ほど食べたゴーリの実を吐き出す。
「フウ」
胃の中のものを全部吐き出し、涙目で顔を上げると、部下たちが周りで心配そうな顔をしていた。
「大丈夫ですかい兄貴」
部下の一人が眉を寄せて尋ねる。口調が先ほどまでと完全に変わっている。
ウォルネスはうなづくと。
「まあ、後で多少は腹が痛くなるかも知れないが、これは死ぬほどの毒では無い。……もしも死ぬような毒なら、勘の鋭い奴なら、一口食べて気が付いただろうよ」
「でも、兄貴がゴーリに被り付いた時は、ドキッとしましたぜ」
「ああでもしないと、あいつは騙せねえからな」
ウォルネスは唇を拭いて立ち上がった。
先ほどまでの商人スマイルが消えていて、別人のような顔つきになっていた。
同様に、彼の周囲を囲む男たちも雰囲気が変わっている。
部下の一人が。
「ギーア治安隊の隊長は、名門の貴族の三男坊って聞いていましたが、そんな風には見えない……何というか、ちょっと砕けた人物に見えましたね」
ウォルネスに同意を求めた。
「そうだな。……だがな。ああ言う奴ほど恐ろしいぜ。俺たちにとっては天敵だ。始末しておかないと危なくて仕事にならねえ」
「俺もそう感じましたぜ、兄貴」
うなづいたウォルネスは。
「さあ、これで仕掛けは済んだぞ、奴もこの罠からは逃げられねえだろう」
不敵に笑うウォルネスである。
……彼らはいったい何者なのであろうか。
フィリギア王国の首都ギーアへ向かう街道を、ロビン一行が進んでいた。先頭を賢治が歩き、ロビン、メリッサの順である。
ダニア大湿地の奥地で湿地人の『感謝の宴』に参加した三人は、先にギーアへ向かった仲間二人に少しでも早く追い付く為に、街道が岩山地帯に入る手前まで、早馬車と呼ばれる、小さな村に寄り道しない定期便に乗ったのであった。
早馬車は途中でローデウス隊長率いる、徒歩のギーア治安隊の五十人を追い抜いていたのであるが、馬車に乗っていた彼らはそれに気が付いていなかった。
街道は石畳で整備されているものの、元々は山岳であった場所を削って施工された、峠が続く地帯へと差し掛かって来た。
「登ったり降りたり、厄介な道だねえ。どうせ街道を造るなら、もっと平たんに出来なかったのかねえ」
メリッサが街道に文句をつけている。
「これだけの街道を山岳を削って造るのは、大変な大工事であったと思いますよ」
ロビンが肩をすくめる。
峠の幾つかを越えて、坂を降り切った街道の右側に、枝を広く張った大きな木が立っているのがみえた。
その先の街道の左右は、小さな茂みが幾つか見えている他は、無機質な岩肌がどこまでも続いている。
「メリッサさん。あの大木の下で休みましょうか?」
先頭を歩いていた賢治が、不意に大きな声で提案した。
「……?」
まだ休憩するような時間では無かったので、一瞬いぶかしんだメリッサであったが、直ぐに賢治の意図を理解してこちらも大きな声で返事した。
「そうだねえ。ちょっと疲れたねえ、木陰で休んで行こうか」
「えっ?」
不思議に感じたロビンであったが、彼も直ぐに賢治の意図に気が付いた。
三人は大木の木陰に入り、木の根元にある岩の上に腰を降ろした。
「何だろうね……二十……いや三十人くらいの気配がするねえ」
仲間にだけ聞こえる声の大きさで、汗を拭く格好をしながらメリッサがつぶやく。
彼女が言う気配は、街道の先の上り坂になっている辺りの、左右の岩山の陰から漂っていた。賢治は誰よりも早く気配に気が付いて、坂の手前で休憩を勧めたのである。
(言うまでも無く気配に気が付いたのは、賢治の肩に止まった妖精姿の妖魔カノンである。絶対無敵の大魔王ケンジには、気配を探るような能力は無い。大魔王の不意を突き、掛かって行ったとしても勝てる者など世界に存在しないのである)
「歓迎している雰囲気では無いですね。僕らを待ち伏せしてるってことでしょうか?」
ロビンが首を捻る。
誰かに待ち伏せされるような覚えは無かった。




