175 二対四百
ハールデンとジェームズの仮面ブラザーズは、総勢四百人のグラーゲル組が大注目している中で、二人で考案した戦う前の『決めポーズ』を披露したのであった。
……彼らとすれば自信満々のカッコ良いポーズであり、相手は完全に見惚れているはずである。
「……ヒューーッ」
前方の四百人と、後方から見詰める二百人の、シンと静まった沈黙の中で、草原を吹き抜ける風の音だけが聞こえている。
(決まったぜぇ!)
(痺れる瞬間でござる!)
二人は自分らのポーズが格好良過ぎて、皆が見惚れていると信じていたのであるが、実際は何が行われているのか理解が追い付かなくて、全員が「えっ?」と思考停止に陥っていたのである。
戦闘前に決めポーズを披露するなど、その場にいる全員の想像を振り切ってしまっている。
しかし、意図は違えども、どちらにせよ虚を突くことには成功した仮面ブラザーズであった。
これを結果オーライと呼ぶ。
一瞬ののち、二人はそれぞれ、近くで木偶のように放心している、グラーゲル組の者たちに襲い掛かった。
この戦いが始まる前に。ハールデンはデラモア商会のレナンに、相手を無惨に惨殺すると宣言している。
相手は散々悪行を働いて来た者たちであり、一般人を殺すことも躊躇わない、人の皮を被った極悪非道の者たちである。一切の容赦をする必要は無いとハールデンは決めている。
二人の作戦は、手の届く範囲の相手を『出来るだけ無残に、出来るだけ派手に』惨殺することであった。
仲間が酷い姿で殺されれば、必ず怯えが起きるはずである。特に前衛に配置された者たちは、金で雇われた助っ人であり、命を張ってまで戦う覚悟はないのである。
怯えが全体に広がり、誰かが逃げ出す切っ掛けを造れば、恐慌は一瞬で全体に広がるであろう。
何が起きているのか理解できず、棒立ちになったグラーゲル組の助っ人の中を、二刀の片手剣を踊るように振り回す、仮面ブラザーズ兄ジェイ。
彼が踊るように刃を振って通り過ぎると、首が飛び手が飛び足が飛び。袈裟懸けに斬られた者は、首と片腕を付けて斜めに切断された。
胴を切断された者は頭から地面に落ちて、「痛え」と叫んで両手で地面を這ってから絶命した。
その臓物を地面に撒き散らかせた死に方は凄惨で、眼前に迫った死に我を取り戻した周囲の者は、叫びながら我先に逃げ始めた。
「ううう、おわーぁアーッ!」
「だずげでぐれーっ」
「せ、せ、せ、切断されるー!」
「死にたくないー!」
もう一方の鋼製の鉤爪を付けた、仮面ブラザーズ弟ハール。
木偶の棒のように、隙だらけで突っ立っているグラーゲル組の助っ人の中に、暴風のように飛び込んで行った。
二メートルニ十センチを超える巨体にも拘らず、独楽のような速さで回転し、当たる者全てを薙ぎ払った。
「ウオリャー!」
薙ぎ払われた男たちの身体が周囲に散乱し、腕も足も、そして首も、遥か遠くまで飛ぶのであった。
ハールデンは出来るだけ無惨な死体を量産しようと、倒れた男たちを、息があろうが無かろうが、目に付く限り頭を踏み潰して回った。
「モグラ叩き作戦じゃあ! クオラァー! 悪党ども! 覚えたかー!」
作戦名もセンスが無いのだが、それを笑っていられる余裕のある者はいない。
「覚えたかー!」と叫ぶハールデンであったが、忘れたくても忘れられない地獄の光景である。ここで幸運に生き残った者たちも、夜中にうなされて目を覚ますことになるに違いない。
「ひ! 酷え!」
「死神が来たー!」
「く、来るなー!」
「ウギャー! アギャー!」
中には意味不明の悲鳴を上げつつ、パニックになった前衛の二百人は、柵の向こうで呆然とした顔をしている、デラモア商会以外の方向へ向かって、後ろも見ずに逃げ出したのである。
『蜘蛛の子を散らす』とはこの様子を指す言葉であろう。
「あー? 何が起きてるんでえ! 何故、助っ人が逃げ出してるんでえ」
最後尾で前方を眺めるグラーゲルには、最前線で何が起こっているのか分からなかった。
ただ、血飛沫が上がって、味方の助っ人がパニックになって、右往左往している様子だけは見えている。何か想定外の不味いことが起きているようだ。
「ち、畜生! 前に指揮に行ったハーマンは何してるんでえ」
幹部の名を口に出して、不平をもらすのであった。
そのハーマンは助っ人に突撃を告げた後、安全な本隊の二百人の元へ戻って来ていたのであるが、我を忘れて逃げ惑う助っ人に困惑していた。
彼らの一部は、整然と並んだグラーゲル組の隊列の中にも逃げ込んで来て、組の者にも混乱が広がろうとしている。
「馬鹿があ、役に立たねえ奴らだぜ!」
ただ、この混乱を引き起こしているのは、仮面で顔を隠した二人の男が元凶であることは分かっている。彼らの周りで血飛沫が上がるごとに、恐慌を来した助っ人たちが悲鳴を上げている。
助っ人の逃げ惑う様子を見て、本隊であるグラーゲル組の組員も、益々落ち着かない様子である。
「チッ! たった二人相手に何をしてるんでえ!」
ハーマンは辺りを見渡して、目に付いた配下のブロンコを呼んだ。
「ブロンコ! 腕の立つ奴を十人ほど連れて、先ずはあの二刀流の野郎を殺って来い。落ち着いて囲めばどうってことはねえ」
「えっ?」
明らかに怯んだ顔になったブロンコであったが、幹部の命令には逆らえない。息を飲むと出来るだけ腕が立ちそうな者を選ぶと、逃げ惑う助っ人たちの波に逆らいながら、二刀流の男目掛けて向かって行った。
風のように変幻自在に移動し、周囲を斬り倒す二刀流の男は、直ぐ近くまで迫って来ていた。
「馬鹿野郎が、逃げようとするから後ろから斬られるんだ。刀を前にして向かって行きゃあ、そうそう簡単に斬られるもんか」
そうつぶやいたハーマンであったが、その時、何か黒い塊が宙を飛んで彼目掛けて落ちて来た。
反射的に両手で受け止めた彼であったが、それは奇跡的な偶然であったのであるが、ジェームズに切断されて、宙を飛んで来たブロンコの頭部であった。
ブロンコは恨めし気な目で彼を睨んでいた。
「うひゃーっ!」
情けない悲鳴を上げたハーマンの目の前に、二刀を舞うように振るうジェームズが居て、次の瞬間には彼の首も切断され、ブロンコの首と共に地面を仲良く転がったのである。
「ひえーーっ!」
彼の首の無い死体が倒れる頃には、周囲はパニックになって、我先に八方へ逃げ出していたのであった。
リグルは三十五歳。グラーゲル組に入って十年目である。片手剣を扱うのが巧みであったので、親分に気に入られて護衛の一人として、いつもグラーゲルの近くに待機している。
今日は素人のデラモア商会との喧嘩であったが、こちらは頭数が倍も居て、彼の出番は無いはずである。
喧嘩が始まればあっという間に制圧してしまって、後は命乞いをする奴らに止めを刺すだけである。
親分のグラーゲルは、無慈悲な男である。必要のない者は生かしておかないだろう。
「グエップ!」
朝から何度目かのゲップを出して、水筒から水を飲んで口をゆすいだ。
今朝起きた時は昨夜の深酒が残っていて、体調不良で休もうかとも思ったのであるが、流石に喧嘩の日に休むわけにはいかないと、やることは無くて立っていれば良いだけであろうと思い、吐きそうになりながらもこの場所へやって来たのであった。
そんな楽勝ムードだったのは最初だけで、最前線で悲鳴が上がった途端に、前線が崩壊して助っ人が八方へ逃げ惑い始めた。
それは僅かな時間で、本隊へも伝播して行ったのである。
「何だ! 何が起きてる! ゲーップ!」
前から血相を変えて逃げて来る同僚に、彼は声を掛けるのであるが要領を得ない。
「死神が来た!」
「魔物が何十体も召喚された!」
「こっちに来るぞ!」
「逃げろ!」
何が現れたのかは不明であるが、引きつった顔で逃げて来る同僚を見て、恐ろしいモノがやって来ることだけは分かった。
……だが、彼は逃げる訳には行かない。彼はグラーゲル親分の護衛であり、彼の後方には親分がいるのである。
現に今も後方では親分の声が聞こえている。
「馬鹿野郎! 逃げるんじゃねえ! 後で責任を取らせるぞ!」
親分の折檻は容赦がないことで有名である。中には命を落とすまで責められる者も居るほどである。
この場所で踏みとどまって戦えば、見ていた親分に褒められて、自分は出世するかも知れないと、リグルの頭に打算が浮かんだのであった。
「ゲーップ!」
一際大きなゲップをしたリグルであったが、急に太陽が陰ったように、周囲が暗くなったことに気が付いた。それは前に出現した巨大な物体が、太陽の光を遮ったのであったが、その物体は人の形をしていた。
仮面を付けた筋肉の塊が、死神のように彼の正面に仁王立ちしていた。
「あ”ーーーっ! ゲーップ!」
悲鳴とゲップを同時に上げたリグルの生存本能が、大至急、その場を逃げることを勧めていた。
本能に従って回れ右をしたリグルは、己の命を掛けて走り出していた。二日酔いの為に胃液が逆流して来たが、そんなことに構っていられない。
逃げて行く正面に現れた男が、何か喚きながら彼を逃げさせまいと妨害したが、リグルは突き飛ばして男を転倒させた。その拍子に、ついに昨夜の酒が胃から飛び出して来て、転倒させた男の顔を吐しゃ物まみれにしてしまった。
「ゲエェーップ! ゲロゲロ!」
酸っぱい唾を吐き出し、それでも走りながら、今、突き飛ばしたのは親分のグラーゲルであった事実に気が付いたのであるが、そんなことはどうでも良かった。逃げなければ確実に殺されるのである。
「畜生! 臭せえ! 今、突き飛ばしたのは誰だ! 後で見つけて殺してやる! 俺は泣く子も黙るグラーゲルだぞ!」
頭から吐しゃ物を被り、尻もちを着いた格好で、憤怒の為に叫んだグラーゲルであったが、彼の正面に立った者がいた。
「臭えな! そうか。お前がグラーゲルか……本人が名乗るのだから間違いは無えんだろうな」
仮面を付けた筋肉の塊がそこにいた。頭から返り血を浴びて、真っ赤になったハールデンだった。
「はあ……面白くねえ。幾らも殺れねえ内に、全部逃げちまった」
作戦通りの結果なのであるが、本気でがっかりした様子のハールデンである。
蝶の仮面を付けた凶悪な顔の巨人を目の前に、恐ろしさで歯をガチガチとぶつけながら、周囲を見渡したグラーゲルであったが、四百人いた配下と助っ人は、誰も居なくなっていた。
……この辺が国を守る兵士や、報酬に命と名誉を懸けている傭兵との大きな違いである。
命欲しさに逃げ出した者たちの去った跡には、累々と横たわる死体だけが転がっている。
「あっけないモノでござるな。幾らも斬らぬうちに逃げてしまったでござる」
刀を拭いながら、こちらも仮面を付けたジェームズが近づいて来た。そして尻もちを着いているグラーゲルに気が付いた。
「このゲロまみれの者は?」
頭から吐しゃ物を被った男を見て、鼻をつまんで眉を顰めるジェームズである。
「グラーゲル組の親分だそうだ」
「ほう。なぜ汚いか分からぬが、生け捕りにしたのでござるか」
「いや、要らね」
ハールデンは大きく足を上げると、何が起きているのか分からなくて、困惑を浮かべているグラーゲルの頭を一気に踏み潰した。彼も、まさかいきなり殺されるとは思っていなかったはずである。
両手両足をピンと伸ばしたグラーゲルは、しばらく痙攣していたが、やがて動かなくなった。
「うわっ! 靴にゲロが付いちまった」
鼻に皺を寄せたハールデンは、靴の裏を骸となったグラーゲルの服にこすりつけて入念に拭く。
ジェームズを見ると。
「生かしておいても、使い道も無えだろ?」
今さらながら確認した。
「うむ。まあ、そうでござるな」
グラーゲルの生死など歯牙にも掛けないハールデンであるが、今頃ロビンはどうしているのであろうかと、不安げな顔で空を見上げたのであった。




