174 マバラーバ
勇者ロビンに一筋の光明を見たトートル・ロウは、一行を湿地人の集落へ案内したのであった。
湿地人の集落は南側に小さな丘の見える、広い湿原の中にあった。
雨が降って水が押し寄せて来ても良いように、四方向に柱を建て、地面から人の背ほどの高さに床板を敷き、壁と屋根は木の枝を集めて造られた質素な建物である。上り下り用の梯子が掛けられている。
そんな家族用の建物が、湿原に見渡す限り無数に建っていて、一つだけそれらを集めて建てたような大きな建物があり、トートル・ロウはその建物へ一行を案内した。集会所であるらしい。
「こちらでお待ち下さい……勇者殿。村長は先日のマバラーバとの戦いの中で戦死いたしました。代わりに戦士たちの指揮をとっている者を呼んでまいります」
トートル・ロウは出て行った。
「勇者様」
湿地人が居なくなるとデラモアがロビンに話し掛けて来た。
ロビンが勇者であることは護衛には秘密であったのであるが、なし崩しになってしまったので、改めて護衛の者には、町へ帰っても話さないようにと厳命してある。
「ここへ来るまでに、マバラーバなる大蛇の話を聞きましたが、とても敵わない気がいたします。私たちや湿地人たちの危機を、救おうとされる御心は嬉しいのですが、勇者様は魔王に立ち向かえる人類の希望でございます。この場所で万一のことがあれば、魔王討伐を待ち望んでいる、世界中の人々に申し訳がありません」
トートル・ロウは、マバラーバの詳しい生態を教えてくれたのであるが、聞けば聞くほどデラモアにも護衛にも、とても人間が……まして、この華奢な少年勇者が立ち向かえるとは思えなかったのであった。
せめて、あの大男と二刀流の仲間が揃っていれば、何とかなったのかも知れないと思う。
トートル・ロウが説明するには、マバラーバは体長は三十メートル。胴の太さは一番太い部分では、大人が四人で手を伸ばしても届かないそうである。
しかも敵を麻痺させる能力も備えている。
心配するデラモアと護衛であるが、ロビンの表情は明るい。
「心配して頂いてありがたいですが、魔王と戦うことを思えば気楽なものです」
既にバーンズ帝国で、魔王グルビシュを倒した経験のあるロビンは落ち着いている。
「そうだよ。大蛇は任せときな。デカいだけが取り柄の武闘家なんかいなくても、私とロビンだけで間に合ってるよ」
唇を舐める妖艶な美女に、デラモアも護衛も、何故か背に寒いモノを感じるのであった。
待つほども無く、トートル・ロウに連れられて、他の湿地人より大柄な湿地人が建物に入って来た。
「初めまして勇者様。私は一族の戦闘の指揮を任されています、ムサル・シウと申します」
湿地人独特の、口の中で何かを転がしているような口調で話すと、ムサル・シウは頭を下げた。
その右耳には、白い石で出来た耳飾りが下がっていた。何かの宗教的なものなのであろうか?
子供に見えるロビンであるが、ムサル・シウはロビンが勇者と聞いていて、彼の実力を、いささかも疑っていないようである。
「ムサル・シウさん。マバラーバの話はトートル・ロウさんから詳しく聞きました。本来なら僕たちは五人のチームなのですが、今は訳がありまして二人抜けています。それでもマバラーバを倒す勝算はありますのでご安心ください」
「おお!」
表情は分かりにくいが、ロビンの前に並んだ二人の湿地人は、喜びを浮かべているようである。
隣で話を聞くデルモアらも、自信に満ちたロビンを見ていると、本当にやってくれるのではないかと思えて来た。
ロビンは続ける。
「聞いたところ、マバラーバは約百年おきに現れ、湿地人を食いつくした後は卵を産んで死んでしまい、再び湿地人が増えた頃にやって来るとか。このような悪循環は絶対に断ってしまわねばなりません。魔物に苦しめられている者を助けるのは勇者の使命です」
「ありがとうございます勇者様」
ロビンはうなづき。
「それで、現在はどのような状況でしょうか?」
「はい」
ムサル・シウが説明を始める。
「集落の南の低い丘を越え、二時間ほど行った場所にマバラーバの住む巨大な沼があります。奴は毎日、夕方ごろに餌を求めて沼から出て来ます。我らはそれを迎え撃っております。毎日何人かの戦士が奴の腹の中に消え、腹が良くなった奴は沼へと帰って行くのです」
彼はこぶしを握り締め。
「どうやっても奴には敵わないのですが、戦士が犠牲を顧みず戦わなければ、奴は丘を越えてこの集落にやって来ることになります」
トートル・ロウもムサル・シウの隣りに並ぶと。
「戦士もいつまでも奴を止めておくことはできません。実は少数の者を選んで、子孫を残す為に南東の方へ逃がす計画も立てておりました。……その南東の地も、決して安全とは言えないのですが」
「分かりました。悠長にしては居られない状況ですね……今からでも奴の住む沼へ同行してもらえますか?」
ロビンは立ち上がった。
「確かにね。早く始末した方が良いみたいだね」
メリッサも立ち上がる。彼女は自身に満ち溢れていて、特に緊張の様子もなく、近所まで出かけて来ると言った雰囲気である。
「い、今からですか……もちろん構いません。私も夕方前には沼に帰らねばならないところでした」
何か用事があって、たまたまムサル・シウは集落へ帰って来ていたのであろう。マバラーバは毎日夕方に姿を見せるならば、それまでに指揮者の彼は沼に帰らなければならない。
ロビンはデルモアと警護の者に向かうと。
「皆さんは危険ですので、ここでお待ち下さい」
彼らはうなづくより無い。同行しても足手まといになるだけである。
湿地人の集落を出たロビン、メリッサ、賢治の三名は、ムサル・シウと五名の湿地人戦士と共に、南に向かって進んでいる。
ロビンは彼と並んで歩くムサル・シウを見て、気になっていたことを尋ねてみた。
「ムサル・シウさん。始めて見た時から気になっていましたが、貴方の右耳の白い石の耳飾りは、何か宗教的なものでしょうか……こうしてみて見ますと、他の戦士の方も付けているようですね」
同行している五名の湿地人戦士の右耳にも、同じ耳飾りが見えた。
うなづいたムサル・シウは。
「沼に着きましたら、勇者様にもお渡しするつもりですが、これは麻痺防止の効果がある『沼神の耳飾り』でございます」
「麻痺防止!」
「はい……先祖より言い伝えられた、マバラーバの現れる災厄の日が来るまでに、戦士の数だけ集めよとの教えのもとに、滅多に見つかる物では無いのですが、百年掛かってダニア大湿地のそこらで集めた石を、耳飾りにしたものです。これが無ければマバラーバとは一瞬も戦えないのです」
「そうでしたか」
ロビンにはジェームズより教わった、魔法を切り裂く、刀法《斬魔》の技があるが、それは魔法が向かって来ることを察知して、初めて使える技である。
それに対して『沼神の耳飾り』は、常に麻痺から身を守ってくれるようである。
夕方が近づいている。
少し高くなった丘の上で、ロビンはメリッサと共に、ダニア大湿地で一番大きいであろう、沼を見詰めていた。
二人の右耳には、湿地人から渡された麻痺防止の耳飾りが下がっている。
「やはり氷系魔法を使うと、後の攻撃がやり難いですね」
「そうなるね。じゃあ雷系魔法かね」
「そうですね。水がありますから、威力も十分に伝わるでしょうから」
フンフンとうなづくメリッサ。
「使うタイミングが問題だね」
「はい。沼から半身が出たくらいが、ちょうど良いと思います」
「分かったよ。私に任せときな」
「よろしくい願いします」
二人はマバラーバを倒す打ち合わせ中である。
沼の近くでは百名近い湿地人が待機していて、顔色は判断できないが、悲壮な雰囲気であった。
毎日、数人の仲間がマバラーバに食われているのであるから無理も無いであろう。今日食われるのは自分かも知れないのである。
「魔物は居たかカノン」
賢治が肩に止まった妖精に尋ねる。
妖精の姿をした妖魔カノンは、先ほどまで沼の上空を飛び、大蛇の姿を捜索して来たのである。
(はい大魔王様。沼の中央辺りでトグロを巻いて動かずにおりました。あの湿地人が話していたように、体長は三十メートル近い大物でございます)
「そうか……大きさ的には、ロビンも初めて相手にする魔物だな」
顎に手を当てた賢治は。
「それでロビンは勝てそうか? まあ、魔王を倒さなければならない勇者が、大きいとはいえ、麻痺が使えるだけの、たかが蛇に負けはしないであろうがな」
聞かれて苦渋の表情を浮かべるカノンである。
大魔王も同じであるが、カノンにとっても、彼らが余りにも強過ぎるので、魔物は元より、人間も強弱が図り難いのである。
(も、申し訳ございません。その点に関しましては、いまだに未熟者でございます)
「謝らなくても良い。私も同じだ……まあ、危なければ守ってやれば良いであろう。……最悪、消滅しなければ……息さえあれば蘇らせることはできる」
大魔王は対象が死なない限り、僕として蘇らせたり、完全な姿で蘇らせることが出来るのである。




