148 師匠②
魔物を倒したハールデンとロビンらは、村から感謝され今夜は宿泊することになった。
丁度、村に宿泊したいと希望していたメリッサは、願いが叶って機嫌が良い。
村の名はアルガ村と言い、人口は五百人ほどの小さな村であった。外塀の一部が老朽化していて、修繕をする為に解体していたところを、普段は滅多に現れないゴゾスに襲われたそうである。
超人的な活躍で魔物を倒したハールデンを、村人はこぞって持てはやしたのであるが、普段なら調子に乗って武勇伝を話すはずの彼は、何故かいつもと違って今日は静かであり、ジェームズとメリッサを当惑させたのである。
理由を知っているらしきロビンも、特に何も話そうとしなかった。
感謝の宴も終わったその日の夜、ハールデンは与えられた部屋のベッドに横になり、眠れない様子で天井を見詰めていた。
「……師匠」
ポツリと言葉を漏らした彼は、あの日のことを思い浮かべた。
イスター王国の西の端に、クロネ村と言う小さな村があった。山で採れるもので生計を立てる田舎の村である。
クロネ村より西には、漁業が行われているオクワナ村しか存在しなくて、どちらも変わらぬ貧しい村であった。
クロネ村は小さな村であるが、周囲の森には魔物が出没するので、当然ながら塀に囲まれた村であり、魔物に対する危険にも敏感である。
村人は子供の頃から自衛のために、武器の扱いの訓練を受けるのが当然であった。
今日も勉強の終わった子供たちが、村の中央にある広場で片手剣の稽古を行っている。
村の学校は七歳から十二歳までが通っていて、卒業すれば家の仕事を手伝うようになり、頭が良くて進学して、首都ミルダに行くような子は滅多に居なかった。
「えい! えい!」
掛け声と共に木製の片手剣を振り下ろしている子供の中に、一人だけ異様に大きな体格の子供がいた。
彼の名はハールデンと言って、この時、十歳であったが身長は百八十センチあり、特に鍛えてはいなかったが、遺伝であるのか筋肉は異常に発達している。
ハールデンは掛け声を発することも無く、やる気なさげに子供用の片手剣を振り下ろしていた。彼は体格が良いので良く目立つ。
いつものことなのであるが、教えている元傭兵の男は、これまでに何度も注意していて、いい加減、堪忍袋の緒が切れた。
「稽古止め!」
叫んでハールデンに歩み寄った。
「お前はいつもやる気ないな。そんなんじゃ魔物に襲われたら助からないぞ」
「……はあ」
ダルそうな様子を見せたので、益々、元傭兵は腹を立てた。
「おい! そこの、お前! ちょっとこいつと打ち合って見ろ」
最年長の十二歳の子供を指差して指示したのであるが、指名された子供はとんでもないと首を振った。
ハールデンは学校に通い始めた七歳の頃から、学校で誰も逆らう者は居ない。当時の最上級生である十二歳のボスが、生意気だと呼び出して、逆に返り討ちに会ったのである。
最後は恥も外聞もなく多勢で襲い掛かったのであるが、全員が足腰立てなくなるまで痛めつけられて、やり過ぎであると村でも問題になったのであったが、襲い掛かったのが上級生であり、しかも多人数だったので、最終的には不問となった。
青ざめて首を振る、最年長の子を諦めた元傭兵は、それなら自分がと、木製の片手剣を手に取った。
「仕方がない。大人げないが俺が根性を叩き直してやる……これはお前の為だからな」
ハールデンの前に出ると、他の子たちが距離を取って広がった。
「先生とはやりたくない」
拒んだハールデンを見て、元傭兵は怖くなったのであろうと勘違いした。
「こんな軽い木製の剣で叩いても、少し痛いだけだ。……酷い怪我はさせないから掛かって来い」
それでもハールデンは首を振ると。
「いや、やりたくないのは、先生を怪我させたら、母ちゃんに怒られるから」
「……はあ? 何だとぉふざけるな! 構わん! 怪我させられるものならやって見ろ。ここにいる皆が証人だ。怪我をしても俺は文句は言わないから全力で来い」
完全に頭に来た元傭兵は、唾を吐いてハールデンを睨んだ。
(少しくらい痛めつけた方が、この餓鬼の教育になるんだ)
そのような言い訳を考えた。
「じゃあやる……実はさ。俺も先生には頭に来てたんだ」
ハールデンは笑みを浮かべると、手に持っていた木製の片手剣を足元に落とした。
そして腰を降ろす。
「待て、剣を取れ。素手でどうやって戦うのだ?」
戸惑う元傭兵に。
「剣より拳の方が速いから……こんな遅い片手剣なんか振ってられないよ」
「いや待て! 本気で素手でやろうと言うのか?」
元傭兵はハールデンの握った拳を見た。確かに彼には自信があるようで、ハールデンの拳は異様に大きくて、まるで岩の塊のように見えた。
相手は十歳の子供であるが、体格はそこらの大人を超えている。この拳で殴られたら、鍛えている彼でも無事では済まないであろう。
元傭兵は唾を飲み込むと、頭を振って余計な考えを捨てることにした。
自分は何年も傭兵として過ごし、幾度も戦いの経験を積んでいるのである。相手は高々、体格の良い子供ではないか。
「まあ良い。教えてやる。掛かって来い」
腰を落とすと左手を開いて前に出し、片手剣を後方に高く構えた。
「そら! 行くぞ!」
威嚇してやろうと一歩踏み出して声を掛けたが、ハールデンは泰然とした様子で動かない。
動けないのか?……まさか、カウンターを狙っているのか?
(ええい! 怪我をさせるかも知れないが、お灸を据えるつもりで全力で行くぞ)
決断すると同時に素早く前に出ると、避けられない距離からハールデンの脳天目掛けて片手剣を振り下ろした。いくら子供用の木製とは言え、当たれば無事では済まない速さであった。
(えっ!)
元傭兵が振り下ろした片手剣は、ハールデンの頭の上で、彼の左手に受け止められていた。
「ぐいっ」っと、力を加えて捻られると、全力で握っていたにもかかわらず、簡単に片手剣は取り上げられてしまった。
取り上げた片手剣を無造作に放り投げたハールデンは、大きな右の拳を後ろへ引いたのである。
「ま、待て! 待て待てー!」
叫びながら後ろへ飛んだ元傭兵は、両手を前に突き出して叫んだ。
「待てと言ってるだろ! お前、剣を素手で受け止めるなど反則だろう」
「……何で?」
ハールデンは本気で不思議そうな顔をしている。
「もしも真剣だったなら、お前の手は斬られているだろうが」
「でも、真剣じゃ無いし」
不満顔のハールデンである。
「真剣で稽古をやっていたら、怪我人どころか死人が出るぞ。だから稽古は、木製の剣を真剣と思って行うものだ」
「面倒臭っ」
肩をすくめたハールデンは、「分かったよ」と言ってフンフンとうなづいた。とぼけているようにも見える。
「とにかく。もう一度始めからだ。今度は剣を手で握るなよ」
元傭兵は念を押すと、近くの子供から、新たに木製の片手剣を受け取った。
(危なかった)
心の中で思い、額の汗を拭いた。
子供とは言え、先ほど見た動きは、思わぬ反応の速さであった。あなどって全力を出さなければ、恥をかくかも知れない。特に、あの拳を食らえば……。
「行くぞ!」
いきなりハールデンの鼻先目掛けて片手剣を薙いだ。
これはフェイントであり、途中で腕を引くと一歩踏み込んで胸を突いた。
実際に実戦で、何人もの相手を倒した得意技である。
「決まった!」と思った元傭兵であったが、残像を残してハールデンの姿が消え、代わりに側面から恐ろしい速さの回し蹴りが飛んできて、元傭兵は辛うじて転がって危機を避けたのであった。
片膝を着いて半身を起こした元傭兵の向こうで、ハールデンは驚いた顔をして彼を見ていた。
「先生って、思ったより強かったんだ……今ので決まったと思ったんだけれどな」
「舐めるな!」
叫んで立ち上がった元傭兵であったが、ハールデンが立ち止まらずに、二撃三撃と続けて蹴りを放って来ていたなら、最後まで躱せた自信が無かった。
「お前! 何か格闘技を習ってるな」
油断を見せずに言った元傭兵であるが、ハールデンはあっさりと首を振った。
「何もしていないよ。俺がやってるのは、母ちゃんの畑仕事の手伝いだけだよ」
元傭兵は信じなかったが、それは本当である。体格同様に、ハールデンの動きは天性のものである。
力と技は努力で向上するが、速さは持って生まれた才能である。ハールデンは天才的な才能の持ち主であった。
「次は俺から行くよ……先生なら、俺が全力で殴っても壊れないだろうから、……じゃ、行くよ」
ハールデンは言い放つと、特に構える訳でもなく、自然体でゆっくりと前に出て来た。絶対に勝てる自信が満ち溢れて見える。
岩のような拳が目に付いて、元傭兵は息を飲んだ。
(不味い……俺はわずか十歳の子供に負けるのか)
上から目線で飲まれてしまった元傭兵は、自分が勝てる気が全くしなくなったのであるが、今さら逃げる訳にも行かない。
負ければ仕事を失うことになるであろう。
「待った!」
その時、どこかから声がかかった。
助け船が現れたと、喜色を浮かべた元傭兵は、声を掛けた人物を探したのであった。




