134 継ぐべき意思
帝国軍から指定された、カナデラ町にある宿屋『天風亭』は快適である。宿泊費用も掛からなくて、ハールデンにとっては機嫌が良くなる要因なのであるが、ここ数日の彼は珍しくふさぎ込んでいた。
今日は昼食を食堂で済まして来てから、ジェームズ、メリッサ、賢治は出かけて行ったのであるが、ロビンとハールデンは部屋へ閉じこもったままである。
ハールデンの落ち込みが、移ってしまったかのように、ロビンも落ち込んでいる。
二人が元気がない原因は、勇者ジェロームを心配しているのであった。ジェローム一行が魔王討伐へ出発してから、まもなく十日が過ぎようとしていた。
もし、討伐が成功していたならば、すでに発表があっても可笑しくないのである。
平原で陽動作戦を行っていた兵士たちも、すでに役割を終えて、砦の守備兵を除いた兵士たちはカナデラ町へ帰って来て居る。
「よう……ロビン」
「はい」
机で頬杖を突いたまま、ハールデンが声を掛けた。
「こりゃあ、ジェロームは失敗したと思った方が良い見てえだな。……魔王を倒せていたら、もう、とっくに発表があるはずだぜ」
「……」
ロビンは返事をしない。しかし、ハールデンが言ったことに、間違いはないと感じている。
「よう、ロビン。お前も、そう思うだろ」
同意を求めるハールデンであるが、ロビンに否定して欲しい気持ちもあるのだ。
彼はジェロームと話して見て、ジェロームがロビンやジェームズと良く似た性格と知り、彼にしては珍しく他人の安否を気遣っていたのである。
「確かに発表は遅いですね。討伐は……恐らく失敗したと考えた方が妥当でしょうね」
ロビンとしても口に出したくはなかったが、今の状況では、そう判断せざるを得ない。
答えを聞いたハールデンは、小さく溜め息を吐いて首を振った。
「ですが兄さん。失敗はしても、ジェロームさんたちのチームは皆が腕利きです。きっと上手く最小の被害で撤退して、洞窟まで警護して行った小隊と共に、必ず生きて帰還するはずです」
「お、オウ! そうだな! そうに決まっているぜ!」
非常に可能性の薄い希望的観測ではあるが、そうとでも考えないとやっていられない。……その答えも、もう直ぐ分かるはずである。勇者一行の警護を行っていた小隊は、間もなく砦に帰還するであろう。
「畜生! ケンジは仕方が無いが、旦那やメリッサは薄情者だぜ」
ハールデンはそう口にしたのであるが、ジェームズもメリッサもジェロームとは面識はなく、現在、外へ出て行っているのも、魔物との戦いに必要な道具を準備する為であり、情報収集も行っているのである。
「コンコン」
その時、部屋の扉がノックされた。
この宿屋はバーンズ帝国から提供されているので、やって来る者があるとすれば、帝国軍の誰かであろう。
「どうぞ! 空いてます」
ロビンが返事をすると、扉を開いて入って来たのは、想像通り軽鎧を装備した帝国軍の兵士であった。
「失礼します! 勇者ロビン様。『百年砦』のグーラッド大隊長から、砦の方へお越し頂きたいとのことで御座います」
ロビンとハールデンは顔を見合わせた。
先ほどまで話していた、ジェロームの魔王討伐の、結果であろうと想像できた。
『百年砦』へ出向くと、ロビンとハールデンは応接室へ通され、待っていたのはグーラッド大隊長と、副官のブルハンであった。
二人の表情は暗く、聞かずとも話の内容が分かった気がした。
椅子へ座った二人に、悲痛な顔でグーラッドはジェロームの死を報告した。
想像していたとは言え、報告にロビンはガックリと肩を落とし、ハールデンも目をつぶって天を見上げたのであった。
「最後の力を振り絞って、彼はこれをロビン殿に託すために、洞窟を帰って来たようです」
折りたたまれた、血の付いた跡のある地図を、机の上に差し出した。
「そう……ですか。覚悟はしていましたが寂しい結末です」
ロビンは地図を手に取ると、頭の上に掲げて礼をした。
「それで……ロビン殿! 言い難いことだが、あえて聞かせて欲しい」
グーラッドは一旦言葉を切り、真剣な表情になると。
「ジェローム殿は破れた。彼らのチームの全員が死亡したのだ……もし、貴方が魔王との戦いをここで断念しても、誰も後ろ指を指す者は居ないであろう。それだけ魔王討伐は危険であり、戦えば生還はしがたいものだ。……あえて聞かせて頂こう。貴方は魔王討伐を、今後も続けるつもりがあるのかと」
息を飲んで尋ねたグーラッドであったが。
「当然です。ジェロームさんの意志は僕が継ぎます」
一瞬の逡巡も見せず、ロビンは即答した。
「僕は勇者ですから」
キラキラと目を輝かす少年勇者を見て、グーラッドとブルハンは、熱い物が込み上げて来た。やはり勇者は人類の希望なのである。
「流石は……流石は勇者殿。僭越ながら意思を確認させて頂いたことを、恥ずかしく思います。そうなれば、我ら『百年砦』も総力を挙げ、命を投げ出して貴方様に協力させて頂きます」
グーラッドはロビンの手を取った。
「ありがとうございます。協力はして頂きたいと思っています。……ところで、ジェロームさんは、他には何か、おっしゃられてはいませんでしたでしょうか」
ロビンとしてはジェロームが、他に何かヒントを残していてくれてはいないかと、藁にもすがる思いである。
「はい。ジェローム殿が最後に話された言葉は、『通路は、まだ秘密のままだ』『緑と赤の点滅に』と、申されたそうです」
「『通路は秘密のまま』『緑と赤の点滅に』」
ロビンは口の中で繰り返した。
「よう、ロビン。通路が秘密のままだと、知れただけでも良いじゃねえか。魔王の近くまで行けるなら、俺たちなら魔王を倒せるぜ! 俺たちなら絶対に倒せるって」
ハールデンは自信の塊のような男であり、決意を浮かべて立ち上がった。
そして己の鍛え上げた身体を誇るように、両腕に力を込めて、巨大な力瘤を造ったのである。
「ウオォーッ!」
ジェロームの無念は必ず晴らすと、気合を入れてハールデンは叫んだ。
立ち上がった巨人を見上げるグーラッドとブルハンは、桁外れの筋肉に圧倒されるより、恐い顔の笑顔に圧倒されて、魂が抜けたように真っ白に固まったのである。
それから、しばらくの準備期間を置いて、魔物の陽動を行う為の軍勢と、再びロビン勇者一行を洞窟まで送り届ける為の、警護を行う小隊が編成されたのであった。
【但し、一般の兵士には陽動作戦であることも、勇者が魔王の元へ向かうことも、告げられていなかった】
それは魔王に情報が漏れることを危惧したことと、ロビンが自分の名を出すことを嫌ったからである。彼は自身の名声など眼中になく、ただ人々の平和の為に、全力を傾けたい人間だったからである。
前回、勇者の警護を行った小隊は、行きと帰りの行軍で、総員の四割を失っていることもあり、秘密裏に小隊の編成を行ったのであるが、声を掛けられた兵士の全てが、怖気る事無く自分から進んで小隊に加わったのであった。
それは嬉しい誤算であり、警護隊の欠員を覚悟していたグーラッドを喜ばせたのである。
警護の小隊を指揮するのは、再びフレッチャー小隊長である。前回も命懸けで指揮を執ったのであるが、『馴れた者が行った方が良いだろう』と、危険を顧みず今回も志願したのであった。
平原を整然と進む軍隊と分かれ、百人編成の小隊が、三日月湖目指して森の中へ入って行った。本体の兵士たちは全く気付いていない。
前回と少し違うのは、百人の警護隊の先頭に、勇者一行の従者が立っていることである。
フレッチャー小隊長は危険であると、口を酸っぱくして反対したのであるが、絶対に大丈夫であると勇者一行から諭され、仕方なくケンジと名乗る従者を先頭に立てたのであった。
二週間ほど前に警護隊が通った道であるが、草はすっかり大きく育っていて、先頭を行く賢治の後方では、後へ続く部隊の為に草刈りが忙し気である。
「カノン!」
(ハハッ!)
賢治の前方へ回った妖精が空中でお辞儀をした。
「使い魔の配置は間違い無いか?」
(はっ! 警護隊の前方、両側面、後方、頭上共に配置が出来ております)
「うむっ。被害の出ないようにな」
(心得ましてございます)
もう一度、お辞儀をした妖精は。
(少し、確認を致してまいります)
そう告げると、高く伸びている森の木々の梢を抜けて、葉の向こうに見える青空目掛けて飛んで行った。
良く晴れた空へ高く飛び上がった妖精は、特殊な目で、眼下を行軍する小隊の周囲を見渡した。
彼の目には小隊の周囲を完全に包囲している、使い魔たちの姿が白く映っている。
(守っていると思っている者たちが、守られているとは思いもせぬであろうな)
つぶやいたカノンは北の方向へ視線を移した。
森の木々の遥か向こうには、三日月形の湖が見えていて、日を反射して眩しく光っているのであった。




