118 実戦
この章は、今回で終了です。
夜中に用を足していたジェームズは、遠くで刃と刃の打ち合う音を聞いた。耳の良い彼が、辛うじて聞き取れたほどの小さな音であった。
------それはロンデの最後の一撃を、フェリックスが小刀で受けた時の音であった------
ジェームズは眉を寄せて耳を澄ませたが、聞こえた音は一度だけであった。
「聞こえたのは、店の裏手の方でござるな」
通常の者ならば、聞き間違いかと、疑ってしまうかも知れない小さな音であったが、彼が剣戟の音を聞き間違えるはずは無い。
裏手には裏庭があって、金蔵があり、用心棒が二人で寝ずの番を行っていると、『来宝堂』の主人であるオスタークから聞かされていた。
ジェームズは廊下に出ると、明かりの消えた暗い廊下を伝って、音の聞こえた裏庭の方へ向かって歩いて行く。闇の中で廊下の床板が、ミシッミシッと小さな音を立てている。
眠っている途中であったので、上は半袖、下は膝までの下着と言った格好である。当然ながら武器は何も持っていない。
(迂闊でござったな。武器を取って来るべきで、ござったであろうか)
そんなことを考えながらも、真っ暗の廊下を進むジェームズには、いささかの躊躇いもない。歴戦の戦士の彼には、どのような状況でも、臨機応変に対応する自信があった。
裏庭に近づくと、庭にある篝火の明かりが、彼の歩く暗い廊下の方にも漏れて来ていた。
ジェームズは廊下の壁に沿って慎重に近づくと、顔だけ出して裏庭を見渡した。
金蔵前には数人が集まっていて、どうやら鍵を壊しに掛かっているようである。庭の土間には二名の人影が倒れていて、その傍には抜き身の二刀を下げた男が立っていた。
人数から想像すれば、倒れているのは用心棒の二人であろう。傍に立っている二刀の男には見覚えがあり、流石のジェームスも驚きで声を上げそうになった。
二刀流の男は、昨夜、最終的に自分を斬ろうとしたフェリックスであった。彼は闘技場の大会に出場している人気剣士にもかかわらず、裏の顔があり、今夜は強盗として目の前に現れたのである。
(ふうっ)
まず、情けないとジェームズは頭を振った。剣とは、自分を守る為、弱い者を守る為に、学ぶものだと彼は信じている。
どうするべきかと思案したジェームスであったが、すぐそこの庭に面した縁側に、湯呑茶碗と菓子箱があり、その横には行幸のように片手剣が置かれていた。
片手剣は毒殺されたテイラーの物であったが、ジェームズにはそれが誰の片手剣であるのか分からない。しかし、そこに武器があることは確かであった。
金蔵の鍵を壊している手下を眺めていたフェリックスは、人の気配を感じて店の建物の方を振り向いた。
こちらに向かって、縁側に置かれていた片手剣を手にして現れたのは、昨夜、取り逃がしたジェームズであった。
「驚いたな……」
彼が何故、この場所に現れたのか不思議であった。ジェームズは人を呼ぶわけでもなく、無言でこちらに近づいて来る。
フェリックスはジェームスの後方を探ったが、誰も居なくて、やって来たのは彼一人であると確認した。
相手が一人であれば、どうにでもなると、彼は笑みを浮かべて頭を振った。
「はあ? お前は馬鹿か? 何故ここに居るのか知らないが、どうして人を呼ばない。呼べば俺たちは、逃げ出すしか方法が無かったんだがな」
少しは余裕の出たフェリックスである。
「そうでござろうな。ワシが騒ぎ立てれば、お前たちは逃げ出したでござろうな……だから、あえて叫ばなかったのでござる。……ここまで近づけたなら、もはや誰も逃がさんでござるよ」
ジェームズは淡々とした表情のまま、片手剣を抜くと鞘を下へ落とした。
「……? 何を寝ぼけたことを言っている。貴様は昨夜、俺の前で命乞いをしていたでは無いか。建物が壊れて運良く逃げ出したのだろう。……馬鹿が、気でも触れたのか。……まあ良い、今日は逃がさんぞ」
フェリックスは左足を前に出し、二刀を構えた。右手の長刀を頭上に高く構え、左手の短刀を前に出して水平に構えた。天地の構えと彼は名を付けていて、攻防自在の最強の構えである。
相手の攻撃を短刀で受け払いし、長刀で叩き斬る連続技であり、一瞬でジェームズを倒してしまえば、店の誰にも気づかれることは無いであろう。
「何だ。二刀流のジェームズが、一刀しか刀が無いのか? ふふふ、勝負の結果は、最初から分かっているようなものだな。俺の進化し、洗練された二刀流で、あの世へ送ってやる」
一刀しか持たないジェームズを前にして、フェリックスは自信満々であり、鍵を壊していた手下たちも、手を止めて兄貴の勝利を確信し、余裕の表情で見学を決め込んでいる。
「弱い犬ほどよく吠えるとは至言でござるな。……御託は、もう良いでござるよ。……では、そろそろ斬っても良いでござるかな? 後悔せぬよう、全力を出すことを勧めるでござる」
そんな風に言われて、フェリックスは怒気を浮かべたようである。
次の瞬間、ジェームズの姿が残像を残して消えたように見えた。神速の踏み込みに続く打ち込みを、フェリックスは何とか反応し、短刀で受けたと思ったのであるが、刃と刃が当たる衝撃は無くて、彼の短刀は左手を付けたまま地面に落ちていた。
「げえっ?」
衝撃的な光景に驚いた彼であったが、大会の為に、稽古だけは欠かさなかった彼の身体は、無意識の内に動いている。
飛び込んで来るジェームズの背に向かって、右の長刀を振り下ろしていた。
しかし、ジェームズはその刃の下をくぐりながら、フェリックスの胴を抜いて、後方へ走り抜けていた。
「があっ?」
信じられないと目を剥いて、後方を振り返ったフェリックスであったが、胴は半ばから切断されていたので、振り返ったのは上半身だけであった。
不自然な格好になった彼の腹からは、内臓が飛び出し、ぐにゃっと胴から折れ曲がった彼は、額から地面に落ちた。
「痛っ!」
そう叫んだ後、彼は絶命していた。
平然と振り返ったジェームズは。
「勝負の極意は真剣にあり! 試合で強い弱いと優劣をつけても、所詮は空論でござる」
次に驚愕で凍っている手下らを睨み付けると。
「ここで哀れと命を助けても、貴殿らは同じ過ちを繰り返すだけでござろうな。……これ以上、悪行を行えぬように、気は進まぬが、一人も逃がさぬでござるよ」
ゆっくりと賊に近づいて行くのであった。
役人の現場検証が朝から続いている。
ジェームズは見たままを彼らに話したのであった。
賊は全員で十人いて、中には闘技場で有名な人気剣士もいたので、最初はジェームズが一人で倒したと信じる者は居なかったのであるが、役人の中にジェームスの顔を知っていた者がいて、闘技場で三連覇し、伝説になっている彼ならばと、最後は誰もが納得したのであった。
「町を歩けなくなるので、ワシの名前は出さぬようにして頂きたいでござる」
ジェームズは、彼の名が出ないように役人に要望し、バーンガッドの名士である、オスタークからの口添えもあって、その希望は叶えられたのであった。
殺されていた二人の用心棒は、一人は毒殺されていて、もう一人は家族が全員、自宅で殺されていることが判明した。
特殊な病気であった娘も共に殺されていて、彼女の薬代が高額であったことから、何となく事件のあらましが想像できたのである。
用心棒の一人が娘の薬代で買収され、賊を庭に引き込んだものの、口封じの為に、家族ともども抹殺されたのであろう。
「酷えことをしやがるぜ!」
「私が引導を渡してやりたかったよ!」
話を聞いて憤懣やるかたないハールデンは、役人も(顔が)怖くて近づけない程であり、賊に異常な憎悪を示すメリッサも、当然ながら近づき難い殺気を放出するのであった。
『来宝堂』のオスタークも、脅されていたロンデの事情を、知らなかったと後悔したのであるが、一度に二人の用心棒を失って、早速、今夜からの警備にも困ることになった。
こうなれば当面は店の者が、数人で寝ずの番をするしか無く、昼間の営業にも支障が出るかも知れない。
そんなに簡単に、信頼できる用心棒を探せる訳が無いのである。
「オスタークさん。実は今、僕専用の片手剣を造ってもらっています。一から造りますので日にちが掛かります。……寝ずの番は出来ませんが、金蔵の近くの部屋で我々が眠ることにしましょう。僕の仲間は達人ばかりですので、ちょっとした異変でも気づくことが可能ですから」
期間限定ではあるが、ロビンが用心棒を買って出たのであった。
「おお! それは助かります。急いで新しい用心棒を探すことに致します。……お礼に片手剣の代金は私に持たせて下さい」
「それは……」
断ろうとしたロビンであるが、ハールデンが割り込んだ。
「辞めろってロビン! これを断っちゃあ、返って失礼ってもんだぜ」
確かにその通りであろう。ロビンも断れなくなり、笑顔でうなづいたオスタークであった。
「何だと! フェリックスが斬られて死んだだと?」
椅子から腰を浮かせたのは、バーンガッドの裏社会で、大物と言われているスタンリーである。
繁華街の中の目立たない建物の中に、スタンリー組の事務所はあった。
親分であるスタンリーは五十二歳。スキンヘッドで太った体格をしているので、対立する組からは『太っちょ』とか『鬼饅頭』などと、あだ名で呼ばれている。
「誰にやられたんだ!」
報告に現れた幹部を怒鳴り付けた。
幹部はバリルと言う名で人相が悪く、見た目だけで裏家業と分かる雰囲気の男である。
死んだフェリックスは正式な組員で準幹部である。もしも対立する組に殺されたのなら、必ず仕返しをしなければならない。
「それが親分。手下を十人連れて押し入った『来宝堂』で、用心棒と斬り合って死んだそうです」
「はあ?」
スタンリーは浮かせていた腰を椅子に降ろした。
「相手の用心棒は二人いて、腕利きだったそうですが、用心棒も二人とも死んでいるそうです」
役人はオスタークから頼まれて、そのように発表していた。事実をそのまま発表すると、賊を倒したジェームズの名が出るだけでなく。この事件を参考に、再び用心棒の家族を、人質に捕るような事件が起きないとも限らない。
「何でえ。奴は闘技場の大会で、優勝するほどの腕前だったんじゃねえのか? たった二人相手に十人掛かりで殺られたのか? 話にならねえな」
「油断していたんじゃねえですかね」
「チッ! 使えねえな……やっぱりウチの頼りになる用心棒は、ブレナン先生しかいねえな」
舌打ちしたスタンリーは、長年、組の用心棒をしている腕利きの男の名を挙げて、椅子に座り直した。幹部バリルは、まだ話があるようである。
「それで親分。押し入って死んだ者の中に、ボーンの他数名の、ウチの組の者と顔を知られている奴がいまして。ウチがバックに居ると思ったのか、探りを入れて来る役人がいまして……」
「成功すれば、いくらか金はウチに入って来たんだろうが……面倒だな。軍の上の者に金を渡して、何とかもみ消しちまえ。こういう時の為に手懐けているんだからな」
「分かりました。直ぐに手配します」
バリルは頭を下げると部屋を出て行った。
「畜生! フェリックスめ! 死んだ上に、尻拭いまでさせやがって!」
余計な出費であると唾を吐きたい気分であったが、金になりそうな別の一件を思い出して、何とか腹の虫を納めた。
彼の縄張りの中で、最近、急に売り出して来た若い者ばかりの集団があり、彼らを手下に加えようと画策しているのである。
スタンリー組に入れてやると誘えば、簡単に尻尾を振って来るはずである。この世界では後ろ盾無しに生きて行けないからである。
何とか、今回も更新しました。
明日は休みなので、昼まで寝ます。
次章は、同じくバーンガッドで展開されますが、更新が遅れたらスンマソン。
毎日、更新している作者の人を尊敬します。
絶対に毎晩飲んでない方々と思います。
どうやったら可能なのでしょうか?
自分は、毎晩飲んでます。
後で読み返すことは、ほとんど無いので、誤字脱字の報告をお願いします。




