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フクロウ仮面  作者: さいとうばん
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第四話

 教室はいつもと変わらないように見えた。辰美の姿が見当たらない以外は。


「おはよう、舞依。あのあと大丈夫だったの?」

「倒れちゃったって聞いたけど……」

 英子と美子だ。まさか、謎の女と戦ったせいも言えない。

「おはよう。どうも疲れが溜まっちゃったみたいで、アハハハ……」

「無理もないよ。大騒ぎだったもんね……本当、おつかれさま」

「こっちこそ、後片づけできなくてごめんね。そういえば辰美は?」

 二人とも一瞬黙りこんだが、やがて英子がつぶやくように言った。

「……知らないよ」


 その言葉を待っていたようにドアが開き、辰美が教室に入ってきた。

 さっきまで騒いでいたクラスメートが急に静かになる。あたしは辰美に声をかけた。

「おはよう、辰美。ねえ、玄関の掲示板見た?」

 辰美はあたしのほうを見ようともせず、無言で自分の席に向かった。

 ――何よ? あたしがこんなに心配してんのに、その態度!

 あたしが辰美の席に行こうとしたところを、美子に止められた。

「今は、話しかけないほうがいいですよ」

「どういうこと?」

 チャイムが鳴り、服部先生が入ってくる。昼休みまで辰美と話す機会はなかった。


「辰美……お昼食べよ?」

 昼休み、あたしは教室を出る前の辰美をつかまえようとしたが、辰美はあたしを無視して廊下へと出て行く。

 ――さすがに釈然としない。

 同好会の活動が停止になったのはそりゃあショックだと思うよ? こんなときこそ相談に乗ってあげたいのに、その態度はあんまりじゃない?

「ちょっと、辰美!」

 あたしは辰美を追いかけて、肩をつかんだ。辰美はその手を振り払って言った。

「アタシに近寄んな」

「……えっ?」

「舞依にも迷惑かけちまうからさ」

 つきあいの長いあたしが、初めて見る表情だった。辰美はそのまま行ってしまった。


「だから言ったじゃないですか。話しかけないほうがいいって」

「舞依はあのあと、帰っちゃったから知らないだろうけど……」

 英子と美子が声をかけてくる。二人はあたしが倒れたあとの話をしてくれた。


 騒ぎのあと、プロレス同好会は試合を再開しようとしたが、それはできなかった。

 同好会に割り当てられた時間は三時までで、そのあとは吹奏楽部が文化祭のフィナーレを華々しく飾る予定だった。

 しかし、それを聞いてくれる人はほとんどいなかった。二百人ほどいたはずのお客さんが、消えたようにいなくなっていたそうだ。

 模擬店の食材や、美子の同人誌なんかも大量に余ってしまった。まるで学校全体がお通夜のようだったとか。

 当事者であるプロレス同好会には冷たい視線が向けられた。あまりの雰囲気に、辰美たちは早々に帰ったらしい……。


「でもそれって、あの変な奴が乱入してきたからでしょ?」

「みんな、同好会が仕込んだんだって言ってるよ。プロレスではよくあるからって」

「辰美のせいじゃないよ!」

「どうして、そんなことが言い切れるんですか?」

「だって、あれは〈ジャガーの戦士〉が……」

「はぁ?」

 あたしはあわてて口を閉じた。古代アステカの戦士の話なんて誰が信じるか。

「舞依さんが辰美さんと仲いいのは知ってるけど、今度ばかりはやりすぎです!」

 普段はおとなしい美子が、珍しく声を荒げる。英子も同意した。

「そうそう。ちょっと反省したほうがいいんだよ。同じ学生プロレスでも、ミリ女は大成功に終わったっていうのに……」


 あたしの頭の中に、今朝読んだ記事の記憶がよみがえる。

 そして、写真に感じていた違和感の正体がわかった。

「ちょっと待ってて!」

「ど、どうしたのよ舞依!」

 あたしは廊下を駆け出した。この時間なら、まだ同じ新聞が売ってるはずだ。

 校門を飛び出して、近所のコンビニへ駆けこんだ。

 父が読んでいるのと同じスポーツ新聞を見つけて、あたしはページを開く。

「うわ何、このエッチな記事! うちに来るのにはこんなのないのに!」

 ――じゃなくて。

 急いでページをめくると、例の記事はすぐに見つかった。

 華麗に宙を舞う美少女と、リングをかこむ観客たち。

「やっぱり……!」

「ゴホンッ」

 店員のわざとらしい咳払いで、自分がすべきことを思い出した。

 小銭をレジに置くと、スポーツ新聞 を握りしめて学校へと急ぐ。


 教室に戻ると、辰美は自分の席にいた。誰とも顔を合わせようとせず、窓の外を見つめている。

 見えない壁でもあるみたいにそのまわりには誰もいなかった。

「どこ行ってたの? もう昼休み終わっちゃうよ」

 英子と美子に、あたしはスポーツ新聞を開いて見せる。

「みんな、これ見て!」

「あっ! エッチな記事!」

「ここここういうのは良くないと思います!」

「どれどれどれ?」

 その声を聞いたクラスのみんなが、なぜか集まってくる。


「違くて! この次のページ!」

 あわててページをめくって、ミリ女の記事を見せる。

「……ミリ女の学生プロレスの記事じゃない。これがどうかしたの?」

「その客が着ている服を見て!」

「……うちの学校の、ボランティアTシャツ?」

 美子が眼鏡を上げながら、写真をのぞきこんだ。

「そうよ。それも一人や二人じゃないわ。客席の半分以上が同じシャツ。あたしも最初はうちの学校の記事かと思ったもん。おかしいと思わない?」

「どこが? うちのプロレスがダメになったから、みんな向こうに行ったんじゃない?」

「だからって、すぐミリ女に行こうって思う? これだけの人数が、ミリ女でもプロレスをやってるってどうして知ってたの?」

「誰かが教えたんでしょ」

「だとしても、五キロも離れたミリ女に、いっせいに移動するなんて不自然よ」

 あたしは一息ついてから言った。

「誰かが誘導でもしない限りね」


 ――教室がしばらく沈黙した。しばらくして英子がようやく口を開く。

「……それじゃあ何? ミリ女がうちの文化祭を邪魔して、出て行ったお客さんを連れていったってこと? 考え過ぎだよ舞依」

「そうですよ。理由がわからない。Tシャツだって前日に買ったのかもしれないし」

 英子の言葉に、美子もうなずく。

「理由はあたしにもわからない。でも、もう一度写真を良く見て。Tシャツにおか……阿部真里亜さんのサインが入ってる。その日、うちに来ていたお客さんだってことは確か」

「でも、これだけじゃミリ女のしわざっていう証拠には……」

 チャイムが鳴り、五限目の先生が教室に入ってくる。だが、誰も動こうとしなかった。

「授業が始まるぞ。みんな席に着け」

「防犯カメラ!」

 美子が突然声を上げた。

「正門に防犯カメラがありますよね。なんか映ってるかも!」

「先生! 文化祭の日の防犯カメラって、まだ映像残ってます?」

「ん? ああ、多分まだ事務室に……それより授業をだな」

「私行ってくる!」言うより早く、英子が教室を飛び出していった。

「授業を……」

「今はそれどころじゃありません!」

 こういうときの美子はテコでも動かない。先生も黙ってしまった。


 美子はみんなの顔を見回した。そして辰美のほうを見た。辰美は窓の外を見つめたままだ。

 美子はためらいながら辰美に声をかけた。

「あの……辰美さん」

「……」

「……私、勝手に思いこんでたのかも。辰美さんの話も聞かないで……ごめん」

 クラスのみんなも、辰美の席に近づいていく。ようやく辰美が、一言だけ口にした。

「……別に、気にしてねえからさ」

 その肩はかすかに震えていた。


 防犯カメラの映像は曖昧なものだった。それでも、二人の女子がお客さんを誘導しているところはちゃんと映っている。

 あたしは実行委員の誰かだと思っていたんだけど、あちこちに聞いたところ、誰も見たことのない子たちだってことがわかった。

 そのことは校内新聞に掲載され(美子たち文芸部が発行していた)、この二人はミリ女の生徒じゃないか、という噂が学校中に広まった。

 だけど、学校としては曖昧な映像だけで他校に抗議するわけにもいかない。

 ――結局、プロレス同好会の活動停止処分は解かれなかった。


「納得できません!」

 何日か過ぎたあと、あたしは職員室で服部先生に言った。

「少なくともお客さんがいなくなったのは辰美たちのせいじゃないってわかったじゃないですか。活動停止は解除すべきです!」

「落ち着け、鳳」

 先生が眉間にしわを寄せる。

「わしも努力はしとるし、他の先生方も今回の件には同情的だ。だが、あれだけの騒ぎを起こして、簡単に活動再開っていうわけにもいかんのじゃ」

「それじゃあ本当に、辰美たちがなんかしたみたいじゃないですか!」

「親御さんたちが納得せんのだ。中にはカンカンに怒ってる人もいるからのう……」

 先生がため息をつく。あたしは何も言えなくなった。

 先生も親とあたしたちの間で板挟みなんだろう。


 あたしは職員室を出ると、廊下で待っていた辰美に言った。

「ごめん、辰美……ダメだった」

「気にすんな」

 辰美は笑って言う。

「アタシたちの仕業じゃないって、舞依たちにわかってもらえただけでいいんだ。そのうち活動も再開するだろうし……」

「全然よくないよ」

「えっ?」

「高校は三年間しかないんだよ。このままじゃ一年くらい何もできなくなっちゃうわけじゃん。あたしたち一年はまだ時間あるけど先輩たちは? 全然よくない!」

「……ありがとな。アタシたちだって本当は悔しいよ。こんなことなら本当に文化祭をメチャクチャにしてやりゃあよかったって思うくらいさ……」

「辰美……」

「でも、心配すんな。アタシたちはアタシたちでなんとかする」

 不意に、スマホのバイブ音がした。

 辰美はスマホを取り出して、画面をしばらく見つめていたが、その表情が突然崩れた。

「ああ! やべっ!」

「どうかしたの?」

「弟と飯食う約束してたんだった! ごめん舞依、先に帰る!」

 辰美は足早に行ってしまった。

 辰美の家には何度も遊びに行ってるけど、羨ましいほど家族の仲がいい。気分転換になればいいけど。


 ――それはそれとして。

 あたしは、昨日から考えていたことを行動に移すことにした。


 先週までの賑やかさが嘘のように、用具室は静まり返っていた。

 文化祭で使った装飾品の中から目当てのものを見つけた。

 メキシコの姉妹校に送り返す予定だった借り物の箱だ。

 ガムテープを破き、無造作に突っこまれた例の白いマスクを引っ張り出した。


「聞こえる? アステカの守護神さん」

 かぶってみたが声は聞こえない。あたしはもう一度言ってみる。

「何よ、怒ってるの? こんなところに閉じこめたから? 案外心が狭いわね」

《……ようやく訪ねてきたと思ったら、喧嘩を売りに来たのかね?》

 例の声が聞こえてきた。あれだけ不気味だった声が、今は頼もしく感じられる。

「いたのね。良かったわ……お願い、あんたの力を借りたいの」

《どうするつもりだ?》

「……友達を泣かせた奴らを、ブチのめす」


 家に帰るなり、店番をしている父に聞いた。

「お父さん、足につけるサポーターない? できれば、分厚いクッションの入ったやつ」

「な、なんだ? どうしたんだ、いきなり?」

「あー、その……体育の授業に出るのにさ、まだちょっと足が心配で」

 これは嘘だ。足の痛みはもう治まっていた。

 ただ相手に蹴りをブチこんでやるのに、素足のままではまた怪我をしかねない。

「うーん。格闘技用のレガースみたいなのはあるが……ちょっと目立つぞ」

「レガース……? それ! それでいい!」

「あ、ああ。ちょっと待ってなさい」

 父が店を離れている間、あたしは店内を見まわした。

 季節外れの水着を安売りしているコーナーがある。そこから白のワンピース水着を鞄に入れた。

 父が持ってきたレガースとかいうのは初めて見た。

 分厚いウレタンが詰まった脛当てで、これなら多少のことで足を痛める心配はなさそうだ。


 部屋に戻り、水着とレガースを身に着けて、軽く蹴りの動作をしてみた。

 ジャージよりも格段に動きやすい。

 感触に満足したあたしは、水着の上から学校の名前が入っていないウインドブレーカーの上下を着る。

 これでどこにでもいる運動部の部員に見える……はずだ。

 マスクをポケットに押しこんで、なるべく汚れていないスニーカーの紐を固く結ぶ。

 自転車にまたがって、ミリオン女学園に向かってペダルを踏んだ。


 ミリ女までの道は知っていた。高校に入る前に説明会に行ったことがある。

 もっともただの冷やかしで、受験する気はなかった。学費は楽女の倍だし、三年も寮生活なんて耐えられそうにない。まあ最大の理由は偏差値が足りないことだったけど。

 駅前通りを過ぎると、同じ町とは思えないほど閑静な住宅街が広がっている。そこからさらに三十分ほどペダルを漕ぎ続けた。まず徒歩で行く気にはならない距離だ。

 急な坂を上りきると、蔦の絡まる鉄柵が見えてきた。

 その奥に見える、赤レンガのお城みたいな建物――そこがミリ女だ。


 あたしは目立たない場所に自転車を停めると、ランニング帰りの運動部員のフリをして正門に入る。

 守衛と目が合ったが、さすがに全校生徒の顔なんて覚えてないはず――。

「ちょっと君」

 守衛に呼び止められて、心臓が口から飛び出しそうになった。

 落ち着けあたし。まだ他校の生徒とバレたわけじゃない。

「ど、どうかしました?」

 あたしは何事もないかのように答えた。

「後楽女子の生徒さんだね?」

 ――終わったな。


『他所の学校に殴りこみに行くとは、どういう了見だ!』

『停学……いや、退学だな鳳!』

『お母さんは、舞依をそんな子に育てた覚えはありません!』

『出て行け! おまえなんかもううちの子じゃない!』


 頭の中をいろんな想像が駆けめぐる。

 しかし、守衛の言葉はそんな想像を一瞬で吹き飛ばした。


「他のみなさんは、もう先に行ってますよ」

「……!」

 すぐに状況を理解した。来てる……辰美が、プロレス同好会が! 

 目的はわかっている。あたしと同じはずだ。

 ――ミリ女のプロレス部に、自分たちのやったことを白状させること。

 そしてジャガー魔人をブチのめすこと。

 でも、それを辰美たちがやっちゃダメだ!

 同好会は活動停止中だ。そんな状態で他校に殴りこんだりしたらまず停学、下手したら退学だ。

 その点あたしならマスクで顔を隠せるし、同好会とは表向きなんの関係もない。

 それに、あの校門の木をへし折った蹴り技――ハチャ・ピエルナだっけ?

 あれならたかが高校生の(あたしも高校生だけど)プロレスごっこなんて一発で仕留められる。


「いつ? どこに行きました?」

「ニ十分ほど前……大ホールにいるはずですよ。真っ直ぐ行けば看板が出ているから」

 聞き終える前にあたしは駆け出した。

 頼むから間に合って! あたしが行くまでバカなことをしちゃダメだからね!


 広い敷地に並ぶ建物の前を走り抜けながら、あたしは思った。

 ここは町だ。一つの町だ。

 コンビニがある。美容室がある。喫茶店がある。郵便局や銀行のATMさえある。

 全寮制だから校外に出なくても用事が済ませられるようになっているんだろう。

 不気味なのは、そのどれもが閉まっていることだ。まだ夕方なのに、他の生徒の姿も見かけない。

 まるで地方の寂れた商店街だ。まあ、そのおかげで誰にも見られずにホールまで着いたわけだけど。


 大ホールと言っても、学校の体育館みたいものだろうと想像していたあたしは、一目見て唖然とした。

 それはガラス張りの玄関を備えた円形の建物で、千人くらいは余裕で入りそうだ。

 商業用のホールとしても充分やっていけるだろう。

「なんなの、これ……学費が高いはずだわ」

 あたしは緊張しながら玄関に足を踏み入れた。


 廊下は薄暗く、静かだった。

 本当に誰かいるのか不安になりながら、劇場のような分厚い扉をそっと開き、中をのぞいてみる。

 場内はすり鉢状に座席が並べられていて、中央には本格的なプロレスのリングが置かれていた。

 ミリ女のプロレス部員らしい、赤いジャージ姿の女子が二十人ほど、緊張した面持ちでたたずんでいる。


 その視線の先に、白いジャージを着た四人の女子がいた――辰美たちに間違いなかった。

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