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フクロウ仮面  作者: さいとうばん
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第一話

 坂本辰美が文化祭準備室のドアを開けたとき、あたしは嫌な予感がした。


「鳳舞依はいる?」

 答える前に辰美はあたしを見つけた。

 癖毛のポニーテールを揺らしながら近づいてきて、ドヤ顔で生徒会の承認書を突き出して言う。

「決まったぜ。楽女プロレス同好会、文化祭で学生プロレス開催決定!」

 あたしはため息をついた。辰美とは小学校からのつきあいだが、彼女の趣味だけはわからない。

 ――いったい、プロレスなんかのどこがいいの?


「なんで許可するかなあ。プロレスなんてバカみたいなこと」

「舞依が言うかあ? だって舞依のお母さんは……」

 あたしはあわてて辰美の口を手でふさいだ。

「辰美。ここで言ったら絶交だからね……お母さんが昔、プロレスラーだったとか!」


 あたしの母、阿部真里亜が数年前までプロレスラーだったことはもちろん知っている。

 それも辰美に言わせれば“超”のつく有名人だったらしい。

 あらゆる団体のチャンピオンベルトを総なめにしたとか、テレビで見ない日はなかったとか、サイン待ちの列が一キロを超えたとか、そんな話を聞かされてもピンとこない。

 あたしにとって母は、スポーツ用品店を営むただの主婦、鳳真里亜だ。


「何も隠すことないじゃん。羨ましいくらいだぜ」

「知ってるでしょ、あたしがどんだけ苦労したか!」

 思い出すたびうんざりする。

 小学生のころから、あたしが阿部真里亜の娘だとわかると、毎日のように体育会系のクラブから入部を持ちかけられた。


 まずは格闘技系。柔道部はもちろん、剣道部からも声をかけられた。

 なんで? 柔道はともかく剣道はプロレス関係なくない?

 次に陸上系。まあ、自慢じゃないけど足は速いほうだからわからなくもない。

 だけど授業で好タイムを出すたびに『さすが阿部真里亜の娘だ』とか言われるといい加減嫌になる。

 足の速さは親と関係ないっつーの!

 最後に球技系。バスケ部とかバレー部とか、ここまでくるともうわけがわからない。

 誰にだって得意不得意はあるでしょ? あたしの場合、球技がそれ。

 なのにシュートをミスするたびに『阿部真里亜の娘なのに……』って顔するのやめてくんない?


 ここまで言ったんだから最後まで言わせてもらうわ。

 中学生のころ、クラスの男子があたしに手紙を渡してきたことがあった。

 ちょっと気になる子だったからそりゃドキドキしたわよ? そして照れ臭そうにこう言ったわ。

『この手紙……お母さんに渡してくれる? あとサインも頼んでいい?』

 なにそれ! あたしはどうでもいいってこと?

 あたしだってお母さんほどじゃないけど黒髪の美少女だと思うよ?

 いや美少女は言い過ぎか。ちょっとは可愛いところもあるはず――あるよね?


 そんな調子で普段は男子から、ときにはなぜか女子からも声をかけられる。

 どれも母宛てにファンレターだのプレゼントだのを渡してほしいとか、そんなんばっか。

 そういうのは母の団体(確か〈ファイティング・フィメールズ〉とかいう名前)に送ってよ!


 その一方で、怖い先輩からは目をつけられるし。

『あんたさァ、親が有名人だからってさァ、チョづいてんじゃないのォ?』

 下町ヤンキー気質丸出しで絡まれたときはそりゃ怖かったわ。

 だけどあたしが辰美の親友だってわかってからは絡まれることもなくなった。

 辰美はそのころ柔道部員で、あたしに手を出すってことは柔道部を敵にまわすってことだったから。


 実際、辰美は強かった。

 あたしがいた中学の柔道部はかなりの強豪だったんだけど、辰美は一年のころから団体戦のレギュラーだった。個人では全国大会で四十八キロ級、第三位。

 天才少女と呼ばれていたし、あたしもそのころは応援してた。それがなんで。


「なんで辰美は、プロレス同好会なんかに入ったのよ!」

「だって高校出たらプロレスラーになるつもりだし」

「あああもったいない。どうして柔道続けないのよ。才能の無駄遣いだわ」

「そりゃ舞依の……じゃなかった阿部真里亜さんに憧れてさ」

「だったら、ちゃんとしたレスリング部のある高校に行けばよかったのに」

「プロレスとアマレスは違うしさ。それに舞依と同じ高校行きたいじゃん?」

「むう……」

 そんなふうに言われると言い返せない。あたしは気を取り直して、文化祭実行委員の仕事に戻った。

「ところで、舞依がさっきからいじってるこれ何?」

「うちってメキシコに姉妹校あるじゃない? そこから文化祭用にいろいろ送ってきたの」


 あたしが通う後楽女子高等学校――通称“楽女”は、戦前からある古い女子校だ。

 かつては良家のお嬢様も通っていたらしく、その名残か国際交流も盛んだ。

 もっとも今では、そんなお嬢様はあたしの知る限りこの学校にはいない。

 そういう人はうちから五キロも離れたところにある、全寮制の私立ミリオン女学園に通っている。


「ふうん。ポンチョとかソンブレロはわかるけど……ん? これは!」

「ちょっ、勝手に触んないでよ」

 あたしの言葉を無視して、辰美はダンボール箱から、白い布切れをつまみ上げる。

 ――広げてみると、それは鳥の顔をしていた。

 頭にかぶるものらしく、目元は鋭角に切り抜かれ、口も大きく開いている。そのまわりには鮮やかな紫の縁取りが施してあった。これって、つまり……。

「ルチャ・リブレのマスクじゃん!」


 ルチャ・リブレとはメキシコのプロレスのことだ。

 いくらメキシコで人気があるからって、こんなもの送ってくることないでしょ? リストにも載ってないじゃない!

「これ貸してよ! 試合のときかぶるからさ!」

 ほら見ろ! 辰美が興奮してる!

「ダメ。借り物なのよ? 破けたりしたら困るでしょ」

 あたしは辰美の手から鳥のマスクを引ったくると、箱に放りこんだ。

「ちぇっ……それじゃあ舞依、あとで一緒に帰ろ」

 辰美が出て行ったあと、あたしは送られてきた品物をどうするか頭を悩ませる。

 今は九月の初め。文化祭まではあと二週間だ。


「お友達が来てるよ」

 辰美と一緒に家に帰ると、父が大きな体を揺らして言った。

 あたしの家は学校から少し離れた商店街にある、〈オオトリスポーツ〉というスポーツ用品店だ。

 プロレスのレフェリーだった父は母と結婚してから、引退してこの店を開いた。

 友達が来ることは珍しくないが、今日店にいたのは友達というより、辰美の先輩――つまりプロレス同好会の人たちだ。


「鏑木先輩! おつかれさまです!」

「おう、辰美か。舞依ちゃん、お邪魔してるよ」

 大人びた口調で挨拶をしてくれたのは、三年生で会長の鏑木寛子先輩だ。

 整った顔立ちに、色気のある黒髪。羨ましいほど成熟した体も、とても高校生には見えない。

 それもそのはず、鏑木先輩は今年二度目の三年生を……いやまあ、この話はやめよう。

「ウッス鳳! 元気かあ!」

 暑苦しい声を張り上げて、二年生の周防梨花先輩があたしの背中を叩く。

 切りそろえた前髪の、図書館にいそうな色白の美少女なのに、なぜこんな性格になるのか。

「リカ~。そんな大声出さないの。鳳さんが驚いてるでしょ」

 ゆるふわのショートボブを揺らして、同じく二年生の倉田淳子先輩がたしなめる。

 いや倉田先輩にも驚かされるんですけど。一八〇センチの身長と、富士山みたいなバストを見るたびに。


「先輩はどうしてここに?」

 あたしは倉田先輩に尋ねた。

「文化祭で学生プロレスが決まったでしょ? いろいろ買いそろえにね。それに……」

 みんなあたりを見まわしてソワソワしている。その様子を見て父が微笑んだ。

「真里亜ならもうすぐ帰ってくると思うよ」

 とたんに先輩たちの表情が明るくなる。なるほど、そういうことか。

「アタシが教えたんじゃないからね」辰美が小声でささやいた。

「わかってるわよ。プロレス同好会なんかつくる人たちだもん」

 母のことは先刻ご承知というわけだ。


「先輩。リンコス、こういうのどうですか?」

 店内を物色していた辰美が、緑のタンクトップを手にして鏑木先輩に聞く。

 リンコスというのはリング用コスチュームのことらしい。

「いいじゃないか。辰美に似合うと思うぞ」

「でもおヘソ出ちゃうわね。いいなぁ、私なんか絶対無理」

 倉田先輩が言う。いやいや先輩こそボン・キュッ・ボンのグラビア体型じゃないですか!

「過度な謙遜はかえって嫌味だぞ、アッコ!」

 周防先輩も同じことを考えていたらしい。

「まあ、似合う似合わないはあるな。その点これなら誰が着ても似合うぞ!」

 鏑木先輩は水着コーナーから、自信満々に一着の水着を引っ張り出した。

「シンプルな濃紺のワンピース! これこそストロングスタイルの象徴!」

「……」

 それスクール水着だし! それも旧式の! そんなの特定の人しか喜ばないよ!

 他のみんなも黙ってしまった。三年生の言うことには逆らえないのだ。


「……ところで、周防先輩はどんなの着るんですか?」

 辰美があからさまに話題を変えると、父がカウンターの下から紙袋を取り出した。

「そうそう周防さん、頼んでいたもの届いてるよ」

「届きましたか! 自分のリンコス!」

 周防先輩がいっそう暑苦しい声を出す。

「何っ! リカ、いつの間に?」

「ウッス! 学生プロレスの開催を見越して、夏休み中バイトして特注しました!」

「開催決まらなかったらどうするつもりだったの?」

「買う前にそんなこと考えるバカがいるか!」

 いや先輩、そこは考えようよ。


 視線が集まる中、周防先輩が紙袋から取り出したのは黒のワンピース水着だった。

 それだけなら普通だ――毒々しいサソリのシルエットがプリントされている以外は。

 まるでヘビメタのTシャツだ。正直ダサ……。

「カッコイイ!」

「うん。美しさと逞しさを兼ね備えた、レスラーにふさわしい逸品だな」

「うらやましい……私もシングレットにプリントしてもらおうかなぁ」

 みんな大絶賛だ。自分の審美眼に自信を無くしかけていると、店のドアが開いた。

 リンコスのことなど忘れてしまったように、先輩たちが目を見開く。

「あら、いらっしゃい。今日はどうしたの?」

 買物から帰ってきた母が、そこにいた。


 自分の親ながら、美人だと思う。軽くウェーブのかかった髪の下からのぞく、掘りの深い顔立ち。

 一七〇センチの体は四十代とは思えないほど完璧なスタイルで、形のいい胸が野暮ったいジャージの上着を突き破りそうだ。

 あたしも一六五センチはあるから、母に似て身長はあるほうだ。

 だけど胸は……ああ神様、どうしてそこは遺伝しなかった!


「あ、あの実は、今度の文化祭で、学生プロレスの開催が決まりまして……」

 鏑木先輩が珍しく緊張している。

「それでッ! 試合前に一言! お願いできないかとッ!」

 周防先輩の声は緊張を通り越して、もはや怒鳴り声だ。

「あら、そうなの! 私はもちろんいいけれど……」

 母はあたしを見た。あたしの言いたいことがわかったみたいだ。

「あたしは嫌よ。お母さんが学校に来るなんて!」

「大丈夫だって。〈鳳真里亜〉さんじゃなくて、〈阿部真里亜〉さんでお願いするから」

 辰美がこともなげに言う。

「そりゃお母さんの旧姓を知ってる友達はいないけど……」

「ええっ? みなさん知らないんですか? てっきり知ってるものかと」

 倉田先輩が意外そうな顔をした。

「うふふっ……最近の子は、あんまりプロレス観ないしね」

 母は寂しそうな目をしたが、すぐに顔を上げて言った。

「いいわよ、お邪魔するわ。ただし、舞依のことは黙っててちょうだいね」

「もちろんです! ありがとうございます!」

 みんなが頭を下げた。先輩が自分の親に頭を下げている光景は、なんとも奇妙だ。


 それから三十分ほど、リングは用意できないからマットだけ敷いてやるつもりだとか、怪我するような危険な技はしないでちょうだいとか、台風が近づいているけど当日晴れるかなあとか、そんな話をしてからみんな帰っていった。


 あたしはふてくされながら二階の部屋に入った。

 クッションがわりにしている、でっかいフクロウのぬいぐるみを抱きしめて、ベッドに横になる。

 現役時代、ほとんど家に帰ってくることがなかった母が、お詫びのつもりで買ってきたらしい。

 ――子供のころの遊び相手といえば、辰美とこのフクロウだけだった。


(フクロウさん。当日は台風でプロレスが中止になりますように)

 あたしは祈ったが、その祈りは届かなかったようだ。

 台風は文化祭の前日に去り、当日は絵に描いたような九月の秋空だった。

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