はじまりの物語 第四章 北の港
いつも熱心なみなさま。本当にありがとうございます。
今回はタケノヒコの今後にからむ強敵たちが登場します。
さて、本作は群像劇ですから実は特別な主役はありません。
あえて言うならトヨではなく、別の者を設定しています。読み進むうちに気付いていただいてもいいですし、それよりも、みなさんお気に入りのキャラクターを主役だと思っていただければと思います。
それでは、どうぞお楽しみください!
第四章 北の港
1
翌朝、日の出とともに出発した。
ムラのはずれまで、長とその家族が見送りにきてくれた。どこまでもついてきそうだったので、帰りにも寄るからとヤチトが丁重に断った。
トヨは、昨夜のことなど何もなかったかのように振舞っていたが、道すがら、ほどよい頃合を見つけて、タケノヒコに近寄り「私は、そなたの味方だ」と言って笑った。その一言が、いかにうれしいものだったか。その高揚した気分を、さすがのトヨも抑えきれなかった。
「もちろんだ」
タケノヒコも微笑みを見せて応えた。
昼すぎには、北の港に着いた。
山と海の間にあるわずかな平地に柵と逆茂木で固めた市があり、港があった。大きな船が何艘か停泊している。
「すごいな」とヤスニヒコが言った。
「いかにも、カノ国まで行く船は違いますな」とスクナが言った。
「先ずは、港役人の役場に行き、そこで宿の手配をしてもらいましょう」
そう言って、ヤチトが門番のところへ通行の許可を求めに行った。門番はヤチトの顔見知りだった。
「おう、ヤチト殿、今日も使者のお務めか」
「やあ、ユギ殿か。いや、今日は国王の命で、他国の客人を案内してきたのだ」
門番の表情が曇った。
「他国の客人か・・・」
「どうかしたのか?」
「いや、十日ほど前からカノ国からの漂着船が停泊しておるのだが、その乗り組みの者どもがちと乱暴者でなあ。船の修理も終わり、食料も渡したのに、もっとよこせと市にとどまり、狼藉を働きおるのだ。別にカノ国商人の使いの者も来ておるし、色々となあ」
「狼藉者など、捕まえればよいではないか」
二人の様子を案じてタケノヒコがやってきた。
「今この港で、漂着船の者どもが乱暴狼藉を働きおるようで」
「追い払うことはできぬのか」
「このお方は?」
「このお方が客人一行の御大将、タケノヒコ様だ」
「それはそれは。他国の方に恥を申すようですが、捕縛しようとした兵士が三人、さんざん打ち据えられ、今も寝込んでおります。それ以来誰も手出しできず、野放しなのです」
「強いのだな。そやつらは」
「強いのは大将だけです。しかしそいつが大男で、狂犬のようなものです」
「おもしろい」
タケノヒコは、笑った。
タケノヒコは、そのクニにおいては一介の兵士というよりも指揮を執る将軍なのだが、その武芸についても誰も及ばぬほどの使い手である。戦において暴れ神とも綽名されるその激しい気性をヤスニヒコはやや心配した。あまりの仕打ちをすれば、この港の者達に誤った印象を与えかねない。
「だめですよ兄上、おてやわらかに。他国の事ゆえ」
タケノヒコは笑って言った。
「そうだな。スクナ、そなたの剣は飾りの銅剣であったな。人は切れぬであろう?私の鉄の剣と換えてくれぬか」
「かまいませぬ。が、そのような高価な鉄の剣をお預かりしてもよろしいので?」
「かまわぬ。我が国の敵と言う訳ではない者に鉄の剣ではやりすぎるかも知れぬからな。これからは私もトヨ殿を見習って余程の敵でない限り命はとらぬこととする。ほどほどに懲らしめればそれでよい」
「そうですな。悪党は懲らしめなければなりませぬな」
そう言ってスクナは顔を引き締めたが、ヤスニヒコは笑った。今回は暴れ神にはならないようだという安心感からであった。しかし、トヨはやや心配そうな顔をした。不思議の力を持つトヨも、全てのことを見通せる訳ではない。見えるものは見え、見えぬものは見えぬ。今はふつうの娘のように怯えていた。
「兄上、私の剣も青銅の剣で人は切れませぬから合力いたしましょうか?」
「ひとまずは、私ひとりでよかろう。そなたは見ておれ」
「さよう。タケノヒコ様はわが国きっての勇者なれば、そこの大船に乗った気持ちでおりましょうぞ」そう言うとスクナは、高笑いした。
「お客人、そんなたやすき相手ではございませぬぞ」
「のぞむところだ」
タケノヒコは引き締まった表情の中に自信に満ちた微笑みを見せた。
その源が武芸の技にあることはヤチトにも理解できた。お手並み拝見。そう思って、この若者に対しあくまでも従順な使いの役を演じ切るつもりでいた。
2
市に入ると、一行は役場を目指した。
市中の建物はどの家も扉を閉ざしていた。人一人通りにおらず、さびしい様子であった。
「これも、その乱暴者のせいですかな」とスクナが言った。
「おそらくそうでございましょう。いつもは都以上に賑やかな市ですから」
「おんなだ!」
そう叫ぶ異国の言葉が聞こえた。
遠くに、見たこともない衣装を着た男が一行を指さし、見つめていた。
「何者か!」
タケノヒコが叫ぶと、その男は近くの掘立式の交易所らしい建物に消えた。
「今のは手下のものでしょうか。カノ国の衣装でございました」
「すると、大将が出てくるな」とヤスニヒコが言った。
「うむ。念のため、皆はトヨ殿の周りを固めておいてくれ」
どん、と音がした。
さっきの建物の扉が吹っ飛び、上半身裸で坊主頭の筋骨たくましい大男が飛び出した。そして一行を見つけると猛烈な勢いで走り、まっすぐトヨを目指してどんどん迫ってきた。
タケノヒコが剣を抜いて進路に立ち塞がり「止まれ!」と一喝した。大男は立ち止まって言った。
「何だ、おまえは」
「そのほうこそ何者か」
「うるさい」
大男がその大きなこぶしと太い腕で、タケノヒコを殴りつけようとした。タケノヒコの剣が一閃し、大男の右腕を叩いた。ぐああと、大男がうめき声をあげた。手加減はしたので骨は折れていない。
「きさま!」
大男はそう怒鳴り、左手で殴ろうとしたが、タケノヒコはひらりと身をかわし、左腕、続いて足を打ち据えた。どう、と大男が転んだ。ぐわああと大声で叫び、もんどりうっている。
「今度は骨を折るぞ。そのほうが、この港で乱暴を働く流れ者であるな。船の修理は終わり、食も与えられたと聞く。なのに何故狼藉を働く。早々にこの港より立ち去れ!」
「大将!」
遠巻きに見ていた手下どもが大男に駆け寄った。四人全員で大男を抱え上げ、さっきの建物に逃げ込もうとした。
「そっちではない!」
タケノヒコはそう言って、手下四人を軽く打ち据えた。
「そなたらの船に戻れ!」
そう一喝し、剣を振り上げた。
手下どもは、ひいいと怯え、自分らの船に向かった。タケノヒコ一行も後を追い、船着場に行った。一団が船に乗り込むのを見届けると、シンが、すかさずとも綱を解き、ヤチトとともに船を海に押しやった。
「二度とくるな!」とスクナが叫ぶと、苦しげな声で「おぼえておれー!」と大男が怒鳴り返した。
いつの間にか周りには、住民が集まっていて歓声を上げていた。
その喧騒の中に、冷ややかな細い目つきでタケノヒコを見つめる一人の異国人がいた。
その細い目の男は、タケノヒコの傍らにいたヤチトに視線を移し、ヤチトはそれに気づくと、目礼をした。
どうやらかの者も、タケノヒコのただならぬ力に気づいたようだとヤチトは思った。
彼自身、思った以上に鮮やかな手並みの武辺者であるタケノヒコに、年下とは言え、畏怖の念を抱いた。私は、この男に勝てるのか?その思いを必死で振り払った。
3
その夜、北の港は久々に賑わいを見せていた。町の者は皆が安堵し、そこかしこで酒を酌み交わしている。狼藉を恐れ、山里に逃げていた女たちも戻ってきた。タケノヒコ一行も、宿舎で役人から歓待を受けた。
振舞われた酒で、わずかに酔ってはいたものの、タケノヒコは油断していなかった。
「このまま引けば良し。しかし、あの男なら、必ず今夜のうちに仕返しにくるであろう」
皆にそう言って注意を与えていた。タケノヒコはその時が本当の戦いであると思い、その準備も怠ってはいなかった。ヤチトやシンには飾りの青銅剣を、スクナには矛を、ヤスニヒコには鉄の剣を、自分も飾りの銅剣とごく少数持ってきていた鉄のやじりを付けた弓矢を準備していた。
「それにしてもタケノヒコ殿、見事見事」
歓待の輪にいる人の好さそうな役人がほろ酔いかげんで、何度も言っていた。タケノヒコからすれば、たいした事はなかった。あの大男、腕力は確かにあったが、武芸ができていない。幼き頃より修練を重ねてきたタケノヒコは、体の筋肉の動きで、敵がどのような動きをしようとしているのかが分かる。その機先を制すればおのずと勝てる。しかし勝負は時の運。あの剛腕をまともに食らえばただでは済まないし、手下とともに組織的に動かれる可能性もある。
夜半、皆が寝静まった頃。
ドーンという大きな物音が聞こえた。
きたな。
タケノヒコはそう思い、起き上がった。驚いたことに、こういう事態を読んでいたのか、シンが傍らにいた。
「タケノヒコ様、私が物見に参ります」
気の利く男とは思っていたが、なかなかの者だ。そんなシンに頼もしさを感じつつ、頼むと指示した。シンは「承知!」と短く答え、物音のする方に駆けて行った。
「さあ、皆のもの、起きよ。敵襲ぞ!」
眼をこすりながら、一同目を覚まし、手はずどおりに武装した。
準備が整った頃に、シンが戻ってきた。
「タケノヒコ様、敵は四人。港の役場、市、それらの建物に火をつけ、打ち壊しを働いております」
「港?四人?」
タケノヒコはふと考えた。うさばらしに暴れるだけなら、あの大男が必ず中心にいるはずだ。しびれを切らしたヤスニヒコが催促した。
「兄上、参りましょう」
「タケノヒコ様、はよう」
「いや待て。これは罠だ」
何故タケノヒがそう言ったのか、さすがのヤチトも寝起きのせいか、理解できなかった。
「とは言え、火付けを働いておるとなると、一刻もはやく・・・」
「違う、狙いはあくまでこの私か、トヨ殿のはず」
「しかし、」
「よし、ではシンは直ちに役人殿へ注進を。その後ただちにこの場へ戻り、連絡役となれ、あの大男が現れれば、港に行く私に報せよ。行け!」
「はっ!」と、シンは駆けて行った。
「ヤスニヒコ、そなたはここでトヨ殿をお守りせよ。場合によっては斬ってもかまわぬ」
「はい!」
「ヤチト殿とスクナは私について参れ。港へ行って、狼藉者を懲らしめる。皆、心してかかれ!」
「タケノヒコ殿」
トヨが心細そうに言った。いくら戦の采配を振るう者とはいえ、神託も受けず、このようにろくな備えもなく、しかも目の前での斬りあいは、やはり恐ろしいのだ。
「心配なさいますな。すぐにかたがつきます。みな、いくぞ!」
「おう!」
気勢を上げ、三人は港へ向かった。
心配そうに一行を見送るトヨに、ヤスニヒコが声をかけた。
「大丈夫ですよ。兄上は戦いで負けたことはありませんから」
「そうか、強いのだな」
トヨは笑顔を見せた。
「それに、私も若年ながら国では剣の使い手として通っているのです」
町の人々も、異常な物音に起きだし、通りが騒がしくなってきた。タケノヒコは、港までの道すがら、人々に「火を消せ!」と指示し、状況を理解した者たちが、甕から桶に水を汲むなど、消火作業を始めようとしていた。
「どこじゃ、狼藉者は!」
スクナが怒鳴りながら駆けて回ったが、彼らの姿は見えなかった。いつ大男が宿舎を襲うかも知れず、彼はやや焦りを感じていた。ようやく寝起きの頭が回り始めたのか、ヤチトがいつものように冷静に言った。
「タケノヒコ様、これは罠だとおっしゃいましたね」
「うむ。ヤチト殿。それが何か」
「であれば、騒ぎを起こす役目を果たし、もう、船に逃げ戻っているかもしれません」
「そうじゃなあ。四人というのがあの出来損ないの手下どもであれば、そういう卑怯を働くかもしれませぬぞ、タケノヒコ様」
「よし、では船を調べよ。どこかに潜んでおるはずだ」
三人は手分けして船を調べ始めた。
一方シンは、さきほどの人の好さそうな気安い役人を訪ね、状況を報告した。
「わかった。手勢を率いて港へゆこう」
そう言うので、シンは命じられた通り、宿に戻ろうと外に出た。すると月明かりに照らされた大男の影がちらっと見えた。
タケノヒコ様の言われたとおりだな。
そう思うと同時に、大男の後をつけた。
「タケノヒコ様おりましたぞ!」
「よし!」
「そこに隠れておりまする」
「そこの者ども、出てまいれ!」
「タケノヒコ様、かまいませぬ。斬ってしまいましょうぞ」
「聞いた通りだ。おとなしく出てこぬなら成敗する」
四人は船に逃げ込み、筵を被って隠れている。タケノヒコたちはその周りを囲むように様子をうかがっている。
「うわああー」
一人が叫びながら剣をふりかざし、飛び出してきた。タケノヒコは軽くいなし、その背を打ち据えた。ヤチトが、この時とばかり、筵を取り払った。そこには、怯えた三人が肩寄せあっていた。
「降伏せよ」
剣を突きつけ、タケノヒコがそう言うと、三人は観念した。飛び出した男はスクナが取り押さえた。
4
案の定、大男は一行の宿舎に向かっていた。シンは大声をあげ、何度も叫んだ。
「ヤスニヒコ様!敵襲ですぞ!敵襲ですぞ!」
その声が聞こえたヤスニヒコは身構えた。
大男は意外な声に驚いたが、構わず一目散に宿舎へ走り、その扉を蹴飛ばして乱入した。
「そのほう、ひかえよ!」
ヤスニヒコが一喝した。
「何を申すか。子供が。遊んでほしいのか」
「トヨ殿、お逃げくだされ」
トヨは怯えていて動けない様子だった。
「ほう、そのおなごトヨと申すか。今日から俺のものだ」
「無礼な!私がそんなまねはさせぬ」
ヤスニヒコは剣を構えた。
「まねではないのだ」
そう言うと、大男は拳をふりあげ、ヤスニヒコに殴り掛かった。しかしタケノヒコから鍛えられているだけはあり、ひらりと身をかわした。
「さすがは国中のワルガキどもを束ねる御大将だ」
シンはそう思った。
ヤスニヒコは、ワルガキ同士の喧嘩の時、いつも先頭をきって突っ込んでいき、敵の大将を真っ先にぶちのめす。そして決着がつくと、負けた相手に手を差し伸べる優しさを持っていた。その颯爽たる姿を同世代であるシンは何度も見てきた。タケノヒコは国の英雄だが、ヤスニヒコはワルガキ達の英雄なのだ。
よもや負けることはあるまい。これならしばらく時間が稼げるはず。
シンはそう思ってタケノヒコの指示通り、港へ報せに走ることにした。
タケノヒコたちは、手下の三人を縛りあげようとしていた。町の人々は消火に忙しかったため、縄をさがすのにやや時間がかかっていた。
「タケノヒコ様!」
シンが報せにきたのはそんな時だった。
「大男が来たのだな。スクナ、ヤチト殿、ここを頼む。役人が来たら引き渡せ」
そう言うと、宿舎に向かって駆け出した。
シンが思ったほど、大男は弱くはなかった。ヤスニヒコは、室内での戦いでもあり、剣を自由に振り回せず、ついにその足を止められ、さんざん殴られ、もう立ち上がることもできなくなった。もしもヤスニヒコでなければ、とうに命を失っている。
「弱いのう。そなた身なりは昼間の男に似ておるが、まるで弱い。これから、その美しいおなごを、わしがもろうて行くのを、そこで見ておれ」
大男は笑った。そして四肢の整ったトヨの柔らかな体をまさぐるように羽交い絞めにした。
「無礼者!」
「ほう、そなた身なりは貧しいが、身分のある者だな。ますます気に入った」
「離せ」
「そうはいかん。おとなしく言うことを聞かぬと、こやつの剣で殺すぞ」
ヤスニヒコの剣をとりあげ、トヨにつきつけた。ヤスニヒコは息も絶え絶えだが、力を振り絞り、大男の足にしがみつき、トヨを逃がそうとした。
「トヨ殿、お逃げなされ、早く!」
「そうか。お前が先に死にたいか」
大男がヤスニヒコに止めをさそうと、剣を振り上げた。
ヤスニヒコは死を覚悟した。
兄上、申し訳ない。トヨ殿を守れなかった。無念。
その時。トヨの体に異変が起こった。わずかながら、赤い光を放ち始めた。
何事?大男は一瞬動きを止めた。
「そこまでだ」
タケノヒコが戻ってきた。
「兄上!」
「タケノヒコ殿!」
赤い光は収まっていた。
大男は剣を止め、タケノヒコを睨んだ。
「そうか、おぬしタケノヒコと言うのか」
タケノヒコは鉄のやじりを付けた弓矢を構えていた。
「剣を捨てよ」
「こやつはおぬしの弟か。死ぬところが見たいであろう」
「ばかを言うな。その剣を振り下ろそうとすれば、たちどころにこの鉄のやじりが、そのほうの頭を射抜く」
「どっちが早いか、試してみるか?」
「そのほうでは私に勝てぬ。昼間わからなかったのか。一度はあの程度で見逃したものを」
「ふざけるな!油断しておっただけじゃ」
「そのほうの力は認めよう。しかし修練が足りぬ。私から見れば、そのほうは隙だらけだ」
「うるさいうるさい!」
大男は叫び、剣を振り下ろそうとした。が、わずかに早く、タケノヒコの矢が放たれ、剣を持つ腕に命中した。
「ぐうおおー」
大男は獣のような叫び声を上げ、剣を放り出し、片ひざをつくように崩れた。すかさず、タケノヒコは剣を抜き、トヨを守るかのように、その前に出た。
「シン、ヤスニヒコを連れて外に出よ!」
「承知!」
すかさず、シンはヤスニヒコに肩を貸し、二人は戸外へ出た。
タケノヒコはトヨを守りつつ言った。
「ケガはないか?」
「ありませぬ」
「よかった」
タケノヒコはトヨに笑顔を見せ、そして、大男に言った。
「そのほう、これ以上やると言うのなら、私も手加減せぬぞ」
「うるさいうるさい」
大男は、無傷の左手でタケノヒコを殴ろうとした。タケノヒコは紙一重でかわした。二撃、三撃と大男は拳を突き出してきた。月明りの薄い光しか届かない屋内の中、タケノヒコはまるではっきり見えているかのように紙一重でかわしていく。
タケノヒコは十歳での初陣以来、親族であり武人の長でもあるニニキに見込まれ武芸を厳しく仕込まれた。紙一重でしかかわせないのではなく、無駄な動きをせず、常に次の動きを読みながら場所どりをしているのだ。まるで隙がない。そこが、戦場で常に命のやりとりをしているタケノヒコと、ガキ大将どうしの喧嘩しか経験のないヤスニヒコとの違いであった。さらには、トヨに不測の出来事が起こらないよう配慮しつつの戦いであった。右に左にトヨを押し込め、何が起こっても怪我をしないように自分が盾となる場所どりをしつつ戦っているのだ。そのことは、トヨも気づいている。自分を守ってくれる、力強い背中を感じていた。
そして。
反撃の時がきた。
どうあってもトヨに危害が及ばない場所とタイミングでタケノヒコの剣が一閃し、大男の左腕を打ち据えた。グキと鈍い音がした。骨が折れた。ぐおおとうめきながらも、「おぬしごときこわっぱに、やられてたまるか!」と叫び、目を血走らせ、けたたましい勢いで蹴りを入れようとした。タケノヒコは、両足とも打ち据え、その骨を折った。大男は獣のようなうめき声をあげ、もんどりうっていた。
シンは、ヤスニヒコを安全な場所で休ませると、役人と兵士を呼びに行った。兵士が宿舎に着くと、既に戦いは終わっていた。
「おう、タケノヒコ殿、お手柄であったな」
役人は、タケノヒコの正体を知らない。他国の大人程度に思っていたため、気安くそう言うと、兵士に命じて大男を縛りあげた。
狼藉者の襲撃事件は終わった。
大男は番所に連れて行かれ、ヤスニヒコは医者から手当てを受けていた。シンからの報せでは、港の騒ぎも収まりつつあり、手下たちを役人へ引き渡した二人は、消火作業の手伝いをしているという。
トヨは、タケノヒコの背中にしがみつき震えていた。
「すまなかった。怖い思いをさせたな」
いつも気丈な振舞いをし、戦場ではあれほど見事な采配をふるうこの娘も、やはりまだ十五なのだ。
「言ったであろう。私はそなたの味方だ。そなたは私が守る」
トヨのしがみつく力が強くなった。タケノヒコは、よほど怖かったのだろうと思い、トヨの心が落ち着くまで、もうしばらくこのままにしておこうと思った。
5
翌朝、狼藉者の一団は、全員縛りあげられた格好で、中央の広場に引き出された。
大男は骨折の手当てをしていたが、その顔は苦痛に満ちていた。
多くの者が見物に集まる中、港役人の頭が罪状とその刑罰を宣告した。死罪も免れぬところ、人殺しはしておらぬ点と、カノ国の者である点が考慮され、アナトノ国からの追放と決まった。今後もし入国すれば直ちに死罪となる。そういう条件のもと、食料と薬草を渡して、船に乗せられ、沖へ流された。
町の人々が歓喜の声をあげ、その中でタケノヒコ一行を見つけた者たちは、その手を取って、感謝の言葉を口にした。
そんな中。
幾重にも取り囲むその人垣の向こうに、タケノヒコはただならぬ気配をまとった異国の者を認めた。その者は、左右に屈強な男たちを従え、細い目をして冷徹な微笑みをタケノヒコに向けていた。
何者?
タケノヒコは、味方ではない事を直感で理解した。いずれ戦わねばならぬ。そんな気がした。
やがてその者は、両手を合わせて頭を下げ、丁寧なお辞儀をしてどこかへ立ち去った。
「タケノヒコ様、いかがなされました?」
傍らでヤチトがそう聞いてきた。
「いや、異国の者がいたのでな」
「カノ国の者でしょう。今、商人の使いが来ているそうですから」
「商人?」
「さようでございます」
「いや、それはどうか。あれほどの殺気は並みの武辺者ではないぞ」
ヤチトは、その異国人の正体を知っている。しかし今はタケノヒコに知られる訳にはいかない。彼はつとめて何でもないでしょう。ただの商人でしょう。と言い含めた。
細い目の異国人。その正体はカノ国の諜報員である。ワノ国には大陸の各国から多数送り込まれていて、そのうちの一人である。もしタケノヒコが今回アナトノ国に来ていなければその運命の交差はずっと後の事だったかも知れないし、そもそも出会わなかったかも知れない。しかし、出会ってしまった二人は、そう遠くない未来に命の火花をぶつけ合う事となる。
6
一夜が明けても、ヤスニヒコは熱が下がらなかった。生死には及ばぬようだが、意識が朦朧とし、宿舎で伏せていた。
「今ちょうど港にきておるカノ国の商人がくれた妙薬もあるでな」
そう言いながら夕べの役人が薬草を持ってきてくれた。
「ところで、そなた達は何者であるか」
そう言う役人に対し、この上は身分を明かさないと、役人たちの顔も立たず、勤めにも障りが出るかも知れぬとタケノヒコは思い、「事情を聞きたいから役場に来てくれぬか」という役人の要請に応じた。トヨは、その身分がわかると余計な騒ぎになると思い、タケノヒコとヤチトだけで出かけることにした。
「ではスクナ、ヤスニヒコの事、頼む」と言いつけて出かけた。
役場には裁きを終えた役場の頭が戻っていた。頭は尊大な男だった。
「そのほうども、昨夜はごくろう」
頭越しに怒鳴るように言った。
「しかし、わが兵士だけで取り押さえることができたものを、余計なことをしてくれたものだ」
迷惑顔で続けた。
「よって、こたびの騒ぎはそのほうどもの落ち度として国王に報告する」
ヤチトが声を荒げて言った。
「それはおかしゅうございます。あのような狼藉者を三日も四日もほおっておったのはお頭様ではございませぬか」
「だまれ!わしは奴らの油断を待っておったのじゃ。口ごたえいたすか、下郎!」
タケノヒコが言った。
「確かに、騒ぎを起こしたのは私です。しかし、わが身に振りかかった火の粉を払ったまで。それがおかしいと申されても筋が通りませぬ」
「うぬ、そこな下郎、そのほうも口ごたえいたすか!」
役人が、ヤスニヒコたちを助けようと間に入った。
「まあまあ、お頭。原因はあのカノ国のものどもであり、彼らは私たちを助けてくれたのではございませぬか。報告は、いかようにも私が申し開きいたしますれば。そうですな。例えば、お頭はこの者どもに助太刀を命じてお手柄を立てられたのです」
頭は、ニヤリと笑った。
「そうじゃのう。我が手柄であるな」
丸く収まりそうであったが、ヤチトがきっぱりと言った。
「違いまする。手柄はこのタケノヒコ様でございます!」
「だまれ下郎!」
頭は怒り、近くにあった甕を蹴った。甕は割れ、溜めてあった水が溢れだした。
「言わせておけば、この無礼者!」
今度はヤチトが怒った。
「このお方は、かのオオヤマトの王子タケノヒコ様である!」
「お、」
「オオヤマトでござるか!」
頭と役人は、顔色を変えて土下座した。
「そのほうどもの無礼目に余る。オオヤマトの王子であり、かつ我が国王の客人としてここにおられるタケノヒコ様に、なんたる言いがかり。しかも手柄を横取りしようとは!タケノヒコ様、この無礼者どもをいかがいたしましょう」
タケノヒコは笑った。
「そうだな。私は父国王に代わり国軍を預かる身、わが軍勢三千を率いて、この無礼者どもを討ち果たすべく、攻め込むか」
「さ、三千!」
二人は、生きた心地がしなかった。冷や汗が流れた。オオヤマトといえば、強力な軍事国家として聞こえている。しかも今にして思うとタケノヒコと言う名は、風の噂に聞くオオヤマトの暴れ神ではなかったか。
ヤチトも笑った。
「それには及びませぬ。このような不届き者、国王に代わって私が成敗し、無礼に対するお詫びといたしまする」
「おおそれながら」と頭が言った。
「何か申し開きがあるか」そうヤチトが言った。
頭は声を震わせながら言った。
「オオヤマトの将軍と知っておれば、かような口はききませぬ。お忍びであったゆえ、わからず、あのように申したのでございます。ひらに、ひらにご容赦くだされ」
タケノヒコは穏やかに言った。
「頭殿、すぎた座興であった。お許しあれ」
頭はわずかに顔をあげ、上目遣いにうかがうように言った。
「まことでござるか」
「うそは申さぬ。こたびは忍びであり、これ以上騒ぎを大きくするつもりはない。そのほうたちの良きように報告せよ。ただしな、客人であれ、領民であれ、もっといたわれ。狼藉者には立ち向かえ。それが頭たる者の務めであろう」
その優しい言い方に、役人は感じ入った様子でひたすら平伏した。頭は許されてほっとしたのか、薄笑いしながら、さかんに頭を掻いていた。
「とにかく、我が弟のケガが落ち着くまで、ここで世話になる。忍びであるゆえ、過剰な儀礼は無用に願いたい」
7
宿舎に戻ると、今度はまたおかしな様子となっていた。
シンが部屋の片隅で怯えていて、トヨがシンの前で腰を落とし、両手を広げて庇っている。
スクナが剣を振り上げ、二人に対している。
何事か。
タケノヒコは冷静に訳を聞こうとした。
「タケノヒコ様、わしはこの臆病者を成敗しようとしているのです」
「臆病者とは、シンのことか」
「そうです。ヤスニヒコ様を助けず、うろうろ走り回っておったばかりの卑怯者。ヤスニヒコ様がこのような目にあったのも、こやつのせいです」
トヨが言った。
「違う。この者は、敵襲を大声で報せてくれた。それに、この者が素早くタケノヒコ様を呼びに行ってくれたおかげで、皆助かったのだ」
「御子様、これは我が国のことなのです。そこを、どいてくだされ」
「ならぬ!シンは言いつけを守ったのだ」
「そうだ。シンは私の言いつけを守ったにすぎぬ。スクナ、剣を収めよ」
「しかし、ヤスニヒコ様がこのようになり、おかわいそうではありませぬか」
「弟は一人前の武人である。当然、覚悟があったはず。そのほうの気持ちはうれしいが、トヨ殿の申される通りだ」
「こやつひとりくらい、ヤスニヒコ様とは比べようがございませぬ」
十五歳になるシンは、声を殺して泣いていた。奴隷身分のため口ごたえできない。また、奴隷は大人の気分によって殺されてもオオヤマトでは合法であった。
「スクナ、控えよ。私が未熟ゆえ、ケガをしたまでのこと」
ヤスニヒコは熱にうなされながら、苦しげに言った。タケノヒコは腰をおとし、シンの肩に手をかけ、穏やかに言った。
「シン、そのほうの昨日の働き、見事であった。よって本日より我が家来とする」
スクナは呆れ顔になった。
「タケノヒコ様、何を仰せに」
「聞こえたであろう。今日からシンは我が家来であるから、そなたの一存で成敗することまかりならぬ」
「しかし」
「我が弟を思うそなたの心はありがたい。しかし、このシンも良く働いた。それで良いではないか」
スクナは不服そうな表情だ。
「スクナよ。私とて敵には容赦せぬ。しかしシンは敵ではない。それに奴隷である前に人なのだ。人は人として共に生きねばならぬ。それが、私の思う強き国の基となるのだ。そこを理解してくれぬか」
真剣なタケノヒコの眼差しにスクナは抗しきれず、やがて渋々承諾した。
シンはうずくまり、大声をあげて泣いた。しかし今度のそれはうれし泣きだった。
トヨは下唇をかみしめ、はにかんだような微笑みを湛えながら、控え目にタケノヒコを見つめた。
思えば初めて彼を見た時、その背後にまとわりつくただならぬ霊気に驚いた。よくよく見ると彼本来の御霊は光り輝く美しいものであるのに、そのようにまとわりつかれねばならない環境にいるのだと気づいた。後にオオヤマトの将軍であると聞き、本人は決して望んでいない厳しい戦いの中を生き残ってきた人間なのだと合点がいった。そしてその本来の御霊の光は、かつて自分が慕った唯一の人、今は亡き実の兄と同じ優しさに満ちている。もし、彼の言う強き国が、自分の思い描く穏やかで、実り豊かな作物が辺り一面黄金色に輝くような、笑顔のあふれる国と似たものであるならば、自分は彼を支えたい、共にいたいと、あの凱旋してきた日、一瞥しただけの彼に対し、そこまで想いが膨らんでいた。そしてタケノヒコは、自分が見込んだ通りの強さと優しさを持っていた。
タケノヒコは、トヨの視線に気づいて微笑んだ。役場での事といい、今の事といい、この娘のおかげで自分も変わりつつあると感じていた。殺伐とした戦いに明け暮れるだけでなく、自分もトヨのように民に慕われ、その心の柱になりたい。それが強き国の基なのだ。そのためにも、今までのように冷徹に断罪するばかりではなく、心を広くして、そしてもっと強くありたいと思うようになっていた。
タケノヒコは、トヨと出会うことで、本来の御霊の輝きを取り戻しつつあった。
8
それから二十日も経った頃。
ヤスニヒコの様子も落ち着き、一行は都に戻ることにした。
その間、タケノヒコはヤチトとともに貿易取引の実際、名産品の名前と産地、外洋船の構造や操船方法など、実に様々なことを学んだ。カンのいい彼はあらかたのコツを覚えた。特に小型の帆船については、誰の助けも借りず一人で見事に操れるようになった。
トヨは、父に命じられた通り、海を見下ろす丘の上にある祭壇の様子を見に行き、儀式が行えるよう手配をし、準備よしと、父に報告の使いを送った。トヨにわずかながら変化があるとすれば、それまでタケノヒコに対し「殿」と同列程度の尊称をつけていたが、尊敬と親しみを込めた「様」という呼び方に変わったことだ。
シンはトヨへの感謝の気持ちから、懸命にその手足となって働いた。それにタケノヒコの言う「共に生きる」という言葉に希望の灯を見つけて、自分も全力で働こうと決めた。
ヤスニヒコは病床にありながら、窓の外に見える道行く年頃の娘を品定めしてはニヤニヤしていた。
スクナは、例の気安い役人と毎日飲み交わして上機嫌でいた。
そして出発の日。
タケノヒコは、いろいろあったこの港に、感慨深いものを感じていた。この時代、十四・五歳で成人とはいえ、タケノヒコは十六歳。現代なら多感な青春期である。
外柵の門のところまで来た時、振り返ると、多くの住民が見送りに来ていた。
タケノヒコは自分では気づいていなかったが、この町の人々には、悪者を懲らしめる颯爽たる王子様、気さくに物事を聞きにくる親しみやすい王子様として慕われていたのだ。
人々は口々に、「お気をつけて」「お元気で」「またいつでも来てくだされ」と言ってくれている。
タケノヒコは皆に笑顔を見せ、手を振った。
それはちょうど、トヨノ御子が戦場から凱旋してきた時の歓迎ぶりのようだった。
完読御礼!
今回で長い人物紹介の件が終わり、次回「第5章戦のあしおと」以降、前編はじまりの物語、後編チクシ大戦物語にかけて戦に次ぐ戦で、激戦の連続となります。
多くの仲間との出会いや強敵との戦いの中で若者達は夢を描き、それぞれの想いと共に進んでいきます。
今後の若者達の熱いドラマにご期待ください!