はじまりの物語 第三章 月夜の風
熱心に読んでいただける皆さま。
いつもありがとうございます。
第三章をお届けします。
今回はタケノヒコとトヨの気持ちがわずかながら触れ合う場面です。
お楽しみください!
第三章 月夜の風
1
それから三日たった。
ヤチトは何事もなかったかのように、世話人を務めている。
都とふもとのムラの見学はほぼ一巡したため、大陸に開けた外港の様子を見に行く事にし、それを申し入れるため、タケノヒコはヤチトとともに宮殿に向かった。
ヤスニヒコとスクナは手持無沙汰となったところにユトが訪ねてきた。
ユトは、十三歳。幼い頃より武芸を学び、今や自他共に認める使い手ながら、トヨに似た端正で優しい顔立ちである。
「ヤスニヒコ殿はおられるか」
そう呼ばわる声にスクナが応対に出ようとしたが、何もすることのないヤスニヒコが直接出た。
「ヤスニヒコは私だが」
宿舎の奥にはスクナがいて、様子をうかがっている。
ユトは微笑みをたたえ、ヤスニヒコを誘った。
「気晴らしに市にでもいかぬか?」
ヤスニヒコは、ユトに見覚えがなかった。
「って、おまえ誰?」
思わず普段は口にしないような物言いをした。
ユトはカチンときたようであるが、スクナの手前もあり、穏やかに言った。
「先日お会いしたではないか。トヨの弟、ユトだ」
そう言われても、思い出せず考え込んでいたヤスニヒコを半ば強引に連れ出した。
市は宿舎のほんの先にあるのだが、ユトは道をひとつ裏通りへと案内し、人気が切れたのを確認してから、急に険しい表情をしてヤスニヒコにつかみかかった。
「お前ら、一体何を考えてる?姉上をどうするつもりだ?あ?」
「だから、誰?」
ヤスニヒコは、ふつう一度会った人物の顔と名前は忘れないのだが、ユトだけはどうしても思い出せなかった。
ユトの顔には怒気がうかんだ。
「しらばっくれんじゃねえぞ」
つかんだ胸倉を締め上げようとしたが、同じ武芸者であるヤスニヒコは、軽くいなした。
「まあ、落ち着け。そう言われても何のことだか」
その身のこなしと言葉に、ユトは意外な気がした。重厚感があり口の堅そうなタケノヒコに対し、軽妙で軽口ばかりたたいているヤスニヒコなら、ちょっと締め上げればすぐに吐くと思っていたが、どうも違うようだ。しかし、拳はもう振り上げている。引くに引けないユトは、思わず剣に手をかけた。
「やめておけ」
ヤスニヒコは落ち着いてそう言った。
「かなりの使い手のようだが、それでも俺にはかなわねぇよ」
「やってみないとわかんねぇぞ」
両者にらみ合い、一歩も引かない。
売り言葉に買い言葉ではあったが、ユトから見ると、圧倒的な殺気を放つタケノヒコと違い、ヤスニヒコには殺気こそないものの、気迫は強い。
ヤスニヒコはふと微笑みを見せた。
ヤスニヒコは、タケノヒコに似た優男でいつも微笑みをたやさない。そのような調子でオオヤマトの宮殿の中では猫をかぶっているが、実際はその辺のワルを束ねて近辺のワルガキたちと喧嘩を繰り返し、今や国中のワルガキたちの中心的な存在だ。剣も幼い頃からタケノヒコとともに修練を積んできた使い手である。ユトがどんなに凄んで見せても、全く相手にならない。
「またな。ヒマがあったらいつか相手をしてやるよ」
そう言って踵を返し、ヤスニヒコは帰って行った。
見送るユトは、剣を握る右手に思わず汗をかいていた。タケノヒコの時と同じだ。自分はあの兄弟に勝てるのかと思った。しかし、実際に剣を構えて分かった事だが、あの二人には底意地の悪さはまるで感じない。そればかりか包み込まれるような温かささえ感じた。無理に勝つ必要はないかも知れない。
とにかく。姉上が困らない限り、しばらく様子を見ようとユトは思った。
2
北の港の視察が決まり、その日は準備におわれていた。片道二日、見学二日、都合六日の旅となる。
「では、明日、日の出とともに出立いたしますので、今夜はごゆるりとお休みください」
そう言って何かと手伝ってくれたヤチトは引き揚げ、三人とも明日に備え、早々に休んだ。
やまぎわが白みはじめた。
鳥たちの声が大きくなり、そして、雲ひとつない朝がやってきた。
ひんやりとした空気の中、予定通りヤチトが迎えにきた。
「タケノヒコ様、ご同行の方々、お迎えに参りました」
「ヤチト殿、ちょっとした旅になるが、よろしく頼む」
そう言って出てきたタケノヒコは、ヤチトの他にもう一人いるのに気づいた。化粧こそ落としているが、そこにいるのはトヨだ。タケノヒコは言葉を失った。続いて出てきたヤスニヒコも気がついて、怪訝な表情のまま動かない。
「何じゃ、そのおなごは」
謁見していないスクナにはわからない。
「ひかえよスクナ、この国の王女、トヨ殿である」
そう言って、タケノヒコもヤスニヒコも礼の姿勢をとった。
トヨは化粧もしておらず、衣服もいたって粗末なものを着ていたため、スクナにはピンとこなかったが、二人の姿勢を見て、慌てて土下座した。
「これはこれは御子様にはご機嫌うるわしゅう」
「そのほう、名はなんと申す」
「スクナと申します」
「身分は?」
「わが国の王家に代々仕える大人にございます」
「大人ともあろうものが、そのように土下座するのか」
「わが国のしきたりなれば」
「みぐるしい」
「は?」
「みぐるしいと申したのだ。土下座などせぬでもよい」
「しかしながら」
「私は、そのようなものが、一番好かぬ」
トヨは、やや不機嫌な表情をした。タケノヒコも意外に思った。なぜ土下座がいかぬのか。しかしこれでは先に進めないと思い、スクナに言った。
「スクナ、トヨ殿の仰せである。土下座をやめよ」
「しかしながら」
「やめよ」
「は!」
ようやく、土下座をやめた。こうなることを予想していたのか、ヤチトは笑いをかみ殺していた。
「さて、トヨ殿。本日は何ゆえお出ましなされたのか」
「父からの命でな。近々今年の港開きの儀式を執り行うゆえ、港の様子、祭壇の様子を内々で見てまいれとのこと」
「さようか。しかし、おなごの足では難儀なこと。ヤチト殿か、ユト殿におまかせすればいかが」
「祭壇のことは、私か姉上にしかわからぬ」
トヨはさらに不機嫌となった。タケノヒコは、やや慌てた。ニヤニヤしながらヤチトが耳打ちした。
「訳は、後で」
「何を話しておる?」
「いえ、御子様。とにかくお忍びであると話しておりました。そういう次第であるから、スクナ殿、儀礼はほどほどにお願いいたします」
「さようか。そういう次第なら、致し方あるまい」
3
道すがら、皆に聞こえぬようヤチトはタケノヒコに訳を聞かせた。
タケノヒコのことが気にかかるものの、周囲の目があるところでは、ろくな話にならず、そのため今回、北の港にかこつけて同行すれば、様々な話もできると思い国王を説得したらしいとのことだった。ユトについては、トヨから口止めされているから誰にも話していないが、「姉上を連れ出そうとは不届きな奴」と、タケノヒコを警戒しているらしく、今回も警護すると言って聞かなかったのを、話がこじれると面倒なので、トヨとヤチトが押しとめた。
タケノヒコは、途方に暮れる思いだった。民衆の柱であり、弟に慕われ、ヤチトも惚れているという。わずか数歩先を歩いているこの娘は、確かに不思議なものを持っている。ぜひわが国に来てもらいたいが、このような状況で、どこから糸口をつかめばよいのか。
いきなり、トヨが振り返った。
「タケノヒコ殿、どうかされたのか?」
タケノヒコは心のうちを見透かされたような気がしたものの表には出さなかった。
「悩みの気が出ておったぞ」
「それは、どういうことか」
トヨは笑って答えた。
「何でもないなら、それでよい。人はその時その時、様々な気を出すのでな」
ヤチトが耳打ちした。
「御子様は、何でもお見通しなのです」
「わがオオババ様に似ているな」
「ほう。どのように?」
「あの不思議な力は、そっくりと言っても良いかも知れぬ。その力によって、クマヌ国ですらうかつには攻めてこない」
「クマヌも、イズツも先祖が違いますからね」
「そうだ。心許せぬ奴らよ」
トヨが話に割って入った。
「なぜ、敵と思い定める?」
「昔からそうであった」
「仲ようはできぬのか?」
「できぬ。が、相手の出方による。訳もなく戦を仕掛けることはない」
「それは、オオババ様のご意思か」
「そうだ。我が父の意思でもある。我が軍は強いが、決して無益な戦はせぬ」
「そうか。お会いしてみたいものだな。我が父は、今も屈服せぬ小国を攻め取ることばかり考えておるから、その度に死人がでる。しかもそのような事ばかりしておるから、遠縁であるイズツ国とも敵対するようになった」
「そう言えば、何故そんなに死人が出るのを嫌われるのか。神の前では敵味方なしとはいえ、現に敵は武器を持って襲ってくるのだ。今一度お聞きしたい」
「そなたには、わからぬ」
「またそれを言われるか」
タケノヒコは、ちょっと困った顔をした。その表情を見て、気がとがめたのか、トヨノがとりつくろうように言った。
「すまぬ。しかし馬鹿にしておる訳ではない。この事は、分かるものにしか話せぬことなのだ。そうだ。そなたのオオババ様ならお分かりくださるかも知れぬ」
タケノヒコを傷つけぬよう、トヨは笑顔を見せながら懸命に言い訳した。普段はそのように気を使うことはなく、一方的で断定的な物言いをするのに、珍しい事もあるものだとヤチトは思った。
トヨは、初めてタケノヒコを見た時から気になって仕方がなかった。これまで感じたことのない、胸の痛みがあった。何故その様なことになるのか、本人も分からず、ただ側にいたいと思うばかりであった。はたで見ていたヤスニヒコの方が、何となくわかった。その方面では、ませていた。第四王子という事もあり、普段は特にすることもなく、同じ年頃のワル仲間とそんな話ばかりしていたからでもある。ヤスニヒコは、思わずにやけてしまった。
ふと、タケノヒコは思った。化粧をし、衣装を整えている時のトヨノ御子とは感じが違う。物言いはどことなく鋭いままだが、今の様子は、その辺りの娘と変わらない。表情が穏やかで、笑顔も見せたりしている。あの月夜の面会も、宮殿での謁見も、このような事はなかった。
ヤチトが言った。
「さあ、あの松の辺りであさげにしましょう。ちょっと遅くなりましたが、ちょうどよい湧き水もありますれば」
一行は松の木の下に腰を下ろして朝食をとることにした。今回は日数もかかるため、荷物運び兼雑用係として、タケノヒコの国から一緒に来た生口のシンを連れてきている。早速シンが準備を始めた。シンは、なかなか気の利く快活な若者で、タケノヒコはいずれ下戸か、それ以上の身分にしてやろうと思っていた。
辺りはうっそうとした森だった。木漏れ日が、ところどころを照らしていて、ときおり吹き抜ける風が心地よかった。
トヨノ御子が、いきなり祈りを始め、タケノヒコは何事かと思った。
「この地の土地神さまがおいでになったのでしょう。御子様にはお分かりですから」
ヤチトがそう言った。それならばと、タケノヒコもトヨの後ろで祈りの姿勢をとり、皆が続いた。
やがて祈りも終わり、トヨの言う土地神にも供物をささげ、一行は車座になって乾飯を湯で戻したものに漬物を添えた朝食をとった。このような山の中で、皆で食するのも楽しいものだとヤスニヒコは思った。ここにいる六人は、昔からの気の合う仲間のように感じた。しかし遠からぬ未来、この六人の運命は、そんな感傷を許さぬものとなっていく。トヨですら未だそのことに気づいていない。今はただ、タケノヒコの側にいるだけで心がときめく、普通の十五歳の少女であったと言っていい。
4
夕闇せまる頃、宿泊予定の集落に着いた。その長とヤチトは顔見知りであり、一行をこころよく引き受けてくれた。
谷あいの、わずかな戸数の集落だが、家一軒を一行のために空けてくれた。「何もおかまいできませぬが」と言いながら、長はできる限りの酒肴で一行をもてなした。もちろん、タケノヒコ一行やトヨの身分は伏せていて、北の港への使いとだけ言ってある。長はいたっておおらかな性格で、自ら愉快な芸を披露しては皆を笑わせた。トヨも笑っていた。そんな笑顔も見せるのだと、タケノヒコは思った。ヤチトではないが、自分も惚れているのかも知れないと思った。
もう十年も前のこと。ヒナの話である。子供の約束とはいえ、互いに将来を誓いあい、周囲も認めていた。その日、ヒナは風邪をひいたタケノヒコのために国境の奥深くへ薬草を採りに行った。折り悪くクマヌ国が奇襲戦を仕掛けてきたため、その戦いの一番目の犠牲者となった。タケノヒコの悲しみは激しく、亡骸のもとで三日三晩慟哭した。それ以来彼は一度も涙を見せず、より一層武芸に励み勇者と呼ばれるまでになった。女も近づけてはいない。そんな彼は今、ヒナが笑っていたあの頃の淡い想いと同じものをトヨに対して感じている。
宴の最中、トヨは急に席をたち、戸外へ出て行った。タケノヒコが窓からその方向を見ると、厠でもなさそうだ。月夜の事とはいえ、ここは山の中である。もしものことがあれば大変と、後を追ってみることにした。
月明かりが美しかった。あたりの木々を、小川を、きらきらと輝かせていた。
さて、どこに行ったものかと捜していると、なにやら会話のようなものが聞こえてきた。声のする方に行き様子を伺うと、トヨが誰もいない方向に話しかけていた。昼に見た、土地神への祈りとは違う。何やら諭すように話していた。止める気にもならず、獣の気配も近くにはないから、しばらく様子を見ることにした。
小半時もたっただろうか。トヨは急に祈祷を始めた。そして、かっと奇声を発して、終わった。辺りは、静寂に包まれた。
「タケノヒコ殿か」
こちらを見てもいないのに、トヨはそう言った。もうよかろうと思い、タケノヒコは進み出た。
「そなた、なぜここにきた」
「こんな夜分の山の中に出て行くなら、心配するではないか」
「心配してくれるのか」
「もちろんだ」
トヨは、ふと笑顔を見せた。
「今、何をしていたのか?」
「そなたにはわからぬ」
「またそれか」
タケノヒコは困ったような、怒ったような顔をした。トヨはその顔を覗き込んだ。何やら品定めをしているかのような表情だった。やがて、珍しく自信のなさそうな小さな声で言った。
「話しても良いが、そなたも笑うのであろう」
「私は、笑わぬ」
「尋常な事では、ないのだぞ」
「そんな事なら、そなたと会ってから何度もあった。しかし私は笑っていない」
トヨは答えず、ただタケノヒコを見つめていた。
「それに、その様な話はオオババ様からいろいろと聞いておる」
「わかった。では話そう。人は死んでも魂は死なぬ。大方の者は神の御許に戻るのだ」
似たような話を、タケノヒコは確かにオオババ様から聞いたことがある。だからヒナが死んだ時も耐えられたのだ。
「しかしな、たまに、この世にとどまるものもおる。例えば、戦で死んだある者は、何度も何度も、自分が死んだ時の様子を繰り返しておった。ひもじい思いをして死んだ者は、ひもじい気持ちのままこの世にとどまっておる。私には、それらが見えるのだ」
「見えるのか」
タケノヒコは絶句した。そんなものは普通見えない。オオババ様ですら、気配はわかるが、よほどのことがなければ形は見えぬと言っていた。
「私は、そういった者たちを鎮めねばならぬ。神の御許に送らねばならぬ。今の者は、この川で溺れて死んだ者であった。私が言い含めて、神の御許に送ってやった。特に、戦とか、飢饉とか、何らかの災いとか、そういった尋常ではない死に方をした者は、迷って出ることが多い」
「それゆえ、敵にも情けをかけるのか」
それは、不用意な一言であったかもしれない。三度目であったからだ。トヨには非難されているように感じられ、感情を抑えきれなくなった。
「見えるもののつらさは、そなたにはわからぬ」
あの凛とした強いトヨは、ここにはいない。
「この世のありようが見えぬ者たちから、笑われるのだぞ。本当のことを言っているのに、馬鹿にされ、うとまれるのだぞ」
タケノヒコは、意外な気がした。あれほど、背筋を伸ばし、ハキハキものを言い、見事な戦をしてのけるトヨが、こんな姿を見せるとは。
「つらかったな」
タケノヒコは、そう口にした。
トヨは、不意に反対を向いた。
出かかった涙をこらえているようだった。
わずかに静寂の時が流れた。
思えばトヨとの対面の時、国王が見せた態度は、今の言葉を裏付けるようなものであった。今、肩を震わせている娘はわずかに十五歳。しかし背負っているものが重く、数多いのだ。あの瞳の奥に宿る深い悲しみの正体は、周りの者が信じてくれぬからなのだと、タケノヒコは気づいた。
「すまぬ。座興であった。ゆるせ」
トヨがそう言って立ち上がった。いつものトヨノ御子の調子である。立ち去ろうとするトヨに、タケノヒコは言葉をかけた。
「私は、そなたの味方だ」
トヨは立ち止まった。
「そなたの重荷を私にも分けてくれないか」
そんな言葉が何故出てきたのかタケノヒコにもわからない。ただとっさにトヨの悲しい眼差しを振り払いたくて、そう言った。そしてそれは、本心からの言葉であった。
月明りの照らす小川に、風が渡って行った。
完読御礼!
週一ペースで連載しています。
これからもよろしくお願いします。