はじまりの物語 第一章2・3 第二章
今回もまた熱心な皆さま。
本当にありがとうございます。
さて本作は、言ってしまえばBoy Meets Girlの物語なのですが、その背景が弥生時代の戦乱期という何ともおおげさなものです。
多くの創作人物の中に、日本神話の英雄をモチーフにしたキャラクターも登場します。彼らは、神話の筋に似た展開を見せますので今後にこうご期待!です。実は第一章に三人も登場しています。ヒントは名前です。これでお分かりの方は相当な神話通です!!
それでは、第一章の続きと第二章をお楽しみください!
第一章 邂逅
2
いくつかの山を越え、谷川沿いに進んで行くと、やがて都へ着いた。
アナトノ国は、都を内陸の山の中においているが、その基盤は北方の大陸へと開かれた外港にあるという。西方には田畑がひらけ、南には一行が上陸した内海の港がある。東側がキビノ国やイズツ国と多数の小国を交えながら接している。王家は代々優れた巫女を輩出することで国の力を大きくしてきた。今もトヨの姉が国の巫女として神に仕え、国の方針を決める手助けをしている。
荷駄と生口たちを谷川沿いのムラに入れ、一行は山裾から中腹を切り開いてつくったという都を目指した。さほど険しい山道ではないが、攻め寄せるには難儀であろう。やがて高い塀が見えてきた。その周囲は、幾重にも重なる逆茂木や空堀で固めてあった。警護の兵士に使者が会釈をし、楼門をくぐると、にぎやかな通りがあった。なだらかな山の斜面であるため、市はたいして大きくないが様々な品物を積み上げている。倉も立ち並び、人々の住まいも竪穴ではなく、地面を掘って柱を立てた掘立式のものであった。タケノヒコの国よりはるかに賑やかで、とても開放的に見えた。通りを行く人々は、どの顔も卑屈さがなく、明るい笑顔を見せていた。
ヤスニヒコは、色鮮やかな貝の飾りや織物、碧色の美しい管玉など、珍しい品々に心が躍った。しかしスクナは難しい顔をして言った。
「何だ、この国の下戸どもは。われわれを見ても、土下座もせぬ」
使者の若者が気分を害したように言い返した。
「ではスクナ様は私にも土下座をせよと?」
「当然ではないか。本来土下座してしかるべきところ、そのほうは使者のお役目があるゆえ見逃しておるのじゃ」
「ひかえよ。スクナ」
「しかし、タケノヒコ様」
「ひかえよ。それぞれの国にはそれぞれの作法があろう。わが国の作法を言う、そなたのことも分からぬではないが、それよりも下戸の者でも使者殿のように優れた者もおると分かったことは何よりではないか。これからは多くの者が力を合わせねば、より強き国はつくれぬ」
「兄上の口癖ですね。強き国って」
ヤスニヒコがクスッと笑った。彼は、病弱で神経質な長兄キミナヒコよりも、母親が同じで、強く優しく何でもできる次男のタケノヒコが好きなのだ。
「そうだ。わが願いだ」
「タケノヒコ様の言われる強き国とはいかがなもので?」
「使者殿。それは戦のない、平和な国だ。そのために強くならねばならぬ」
「ほう」
「ワノ国だけではないぞ。海の向こう、カノ国には大きな国がいくつもあってあい争っておると言うではないか。火の粉がいつ降ってこんともかぎらん。まずは私の国だけでも強き国となって、辱めを受けずに済むようにしたい」
「私は兄上のお考えに賛成です。オオババ様も近頃すぐれませんし、できることはやっておきたいです」
「余計なことはよい。それより使者殿。さきほどのスクナの無礼をお詫びする」
「もったいなきお言葉でございます。さあ着きましたよ。先ずはこの館でお休みください。食べ物も飲み物も届けさせます。我が王への謁見は明日にしましょう。また私が迎えにきますゆえ」
「何から何まで済まぬ」
「いいえ。私もタケノヒコ様とご一緒できて楽しゅうございました。では明日」
そう言うと、使者は笑顔を見せて去っていった。見えなくなると、スクナが言った。
「わしは、どうもあの者が好かん」
「兄上は?」
「ふむ。まあ私の見たところ、ただの下戸ではあるまいな」
その見立てはまことに正しかった。そればかりかタケノヒコの予想をはるかに上回る立場に驚き、戸惑いを感じながら刃を交えるのは、ずっと後の事であった。
一行が宿舎にあてがわれた館に入り、旅装を解いていると、贅沢な食事と酒が運ばれてきた。ほぼ時を同じくしてアナトノ国の大人たちが挨拶にやってきた。
アナトノ国では今回の訪問について真意を測りかねているため、さかんに探りを入れてくる。実は、あの戦を見てから、タケノヒコの腹は決まっていた。どうあっても、父の密命の通りトヨノ御子を連れて帰るつもりだ。しかし、おいそれとそんな話をする訳にもいかず、表向きの理由である、「王子の修行のため、内政、軍事、交易の視察」と言い続けた。
気がつくと、ヤスニヒコは酔いつぶれていて、スクナは大人らとともに座興に興じていた。タケノヒコは、窓の外に浮かぶ冷たい月の光を眺めた。
3
翌日、国王との対面の儀は滞りなく終わった。作法はタケノヒコの国と似ている点も多くあったが、詳細は昨日の使者が事前にあれこれ教えてくれた。
使者の名は、ヤチト。
東の国より、西の国へ旅する途中、たまたま国王に拾われここに住み着いた。正妻の子である弟と折り合いが悪く、家を飛び出したという。そんなどこにでもあるような話であった。
ヤチトは、仲の良い者たちをタケノヒコたちのところに連れてきては紹介し、日が暮れるまで、館に入り浸った。そして明日は、軍勢と御子様がお戻りになるから市へ出迎えに行きましょうと誘った。
「タケノヒコ様は、あの小僧によほど気に入られたようですな」
スクナはそう言って苦笑いした。しかしタケノヒコは、ヤチトには何か狙いがあると、感じていた。
この都には、主に一部の豪族と重臣たちが暮らしている。兵士の大半を占める領民は山麓や、周辺のムラに暮らしているため、都までは来ない。タケノヒコが多くの兵士の様子を見たいと言うので、谷川沿いのムラへ行くことにした。そこに着いてみると、兵士の家族たちが大勢出向かえに出ていた。みんな戦勝を知っているため、明るい笑顔だ。
「タケノヒコ様。これが御子様への信頼なのです」
ヤチトが言った。タケノヒコは黙ってうなづいた。スクナは合点がいかないような難しい顔をしてつぶやいた。
「得るものがない戦だったのに、何故みな嬉しそうなのか」
何事にも楽天的なヤスニヒコが何気なく答えた。
「戦に勝ったからだろう」
「それだけでは、くたびれもうけではありませんか」
「ああ、そうだな。兄上はどう思われます?」
「うむ。国を治める者としては困るところだ。みなに報いる術がないからな」
「タケノヒコ様はお優しゅうございますね。でも、みなに報いる術は、作物ですか?産物ですか?土地ですか?そんな代わりのあるものばかりでしょうか?」
「他に何かあるのか?」
「もうじき御子様が帰ってこられます。その様子を良くご覧ください。タケノヒコ様ならおわかりのはず」
やがて、兵士たちの列が見えてきた。わあっという弾けるような歓声があがり出迎えの者たちや警備の兵士たちが門外へ駆けていった。みんなくしゃくしゃの笑顔で、無事の帰りを喜んでいた。人々は言う。
「ワイらの国を襲うなんざ、身の程知らず」
「トヨノ御子様を知らぬのか」
「これでしばらく襲ってくるまい」
「誰も死なずに、良かった良かった」
そんな誰かの話に耳を傾け、これが自分の願う強き国の在り様かも知れぬと、タケノヒコは思った。王からの命令ではなく、皆が自分の国を守るという意思を持っている。そしてこれは初めから気づいていたことだが、この国の人々は屈託がなくのびのびしている。翻ってわが国はどうか。生口は常に何かに怯えていて、下戸は薄ら笑いを浮かべている。大人たちは威張りちらし、重臣や豪族たちは更に威張っている。戦闘の命令は聞かず、みんな他人事のようにしている。負けても誰も責任を取らず互いになすりつけ、勝ったら我先に褒美を要求する。それが普通だと思っていた。それが人間だと思っていた。
誰かが言った。
「敵も大して死人はおらぬらしい。良かったのう」
さすがにその一言は、タケノヒコの理解を超えていた。
遠くで大歓声があがった。
「タケノヒコ様。御子様です」
ヤチトが教えてくれた。
歓声がどんどん近づいてくる。
やがて周辺が歓声に包まれた時、トヨの輿が目の前に差し掛かった。御簾越しに、中の様子が見えそうだったので、タケノヒコは注視した。御簾の中からは、トヨの鋭い視線が先にタケノヒコを捉えていた。ほんのわずかな時間であったはずだが、タケノヒコは吸い込まれるように、その目線に釘付けとなり、時が永遠のように感じられた。
しかし何事もなく、その輿は一行を後にして、都へと登っていった。
ヤチトが耳打ちした。
「やはりあなた様にはお気づきのご様子」
タケノヒコはヤチトを見つめた。
「私もあなた様には何事かを感じますゆえ」
ヤチトはそう言って笑った。
第二章 トヨ
1
その夜。
タケノヒコは眠れなかった。
『敵もたいした死人はおらぬらしい。良かったのう』
それは一体どういうことか。敵は討ち果たすべきものである。いや、そんな事よりトヨのあの鋭く厳しい眼差しは何ゆえか。
隣では、ヤスニヒコが安らかな寝息をたてている。御簾の向こうでは、スクナがいびきをかいている。
軽い興奮状態にある頭を冷やそうと、タケノヒコが半身を起こした時、外からヤチトの声が聞こえた。
「タケノヒコ様。御子様がお会いになります。神殿の奥、杉の木の下までおいでください。私がご案内いたします」
何故こんな時間に。しかし、手早く思い直した。宮殿での対面は儀礼にすぎず、まともな話にはならないだろう。それならば・・・
「わかった」
タケノヒコは短く答えた。
ヤチトが道案内で月明かりの道を待ち合わせの場所へ向かった。
「恋の道行きのようですね」
そう言ってヤチトが笑った。
「そうかもしれんぞ」
タケノヒコも笑った。
「しかし、何故こんな夜分に」
「あなた様に興味がおありなのでしょう」
オオババ様のご神託、父の密命。いろんな考えがタケノヒコの頭を駆け巡った。そして、あの鋭い目線を放つトヨノ御子本人への興味も抑えがたくなっていた。
約束の杉の木までくると、何者かが飛び出した。タケノヒコと間合いをとり、剣に手をかけている。タケノヒコは、反射的に剣に手をかけ反撃姿勢をとると、落ち着いて問うた。
「何者か」
相手は沈黙したままだ。オオヤマト一の武人とされるタケノヒコには、その者の技量が一目でわかる。自分には及ばないが、かなりの使い手と見た。
その相手は、動かなかったのではない。もの静かな中に突き上げるような殺気を纏うタケノヒコ相手に一歩も動けなかったのだ。
両者とも相手の間合いには踏み込まず、にらみ合いとなった。
ヤチトが苦笑しながら割って入った。
「タケノヒコ様、こちらは御子様の御弟君ユト様です。さあユト様。お遊びはこれまでに」
ユトは自分から仕掛けたものの、タケノヒコの気迫に圧倒され、引くに引けなくなっていたから、ヤチトの仲介は渡りに船だった。剣から手を離してみると、その手には汗をかいていた。
「ユトがどうしても私の警護をしたいと言うのでな」
そう言ってトヨが木の陰から姿を見せた。その美しい顔立ちは、祈祷のための白い化粧をしていて、月の光を浴びていよいよ美しく見えた。
「これは、御子様」
ヤチトは中腰となり、臣下の礼をとった。タケノヒコはまだ反撃姿勢を崩していない。
「タケノヒコ様、さあ」
ヤチトが礼の姿勢をとるよう促した。
「トヨノ御子殿と承った。しかしながら今のは座興か?返答によっては覚悟せねばならぬ」
トヨは笑った。
「座興じゃ。ゆるせ」
そして、丁寧な礼をした。
「座興か。あいわかった」
タケノヒコは剣を収め、礼をした。
「さて、タケノヒコ殿」
トヨはタケノヒコの目を見ていきなり切り出した。
「そなた、私を連れ出しに来たのであろう?」
表情にこそ出さなかったが、タケノヒコの心にさざなみが立った。情報が漏れているのか。それとも・・・
ヤチトもユトも、予想もしない言葉に立ち尽くしていた。
「隠し立てしても、私にはわかるのだ。まあ良い。そなたは美しい魂をしておる。そこにおるヤチトも美しい。だから二人とも私は信ずる。聞こうではないか。ヤチトに語った強き国とやらを」
トヨは目に見えない圧倒的な力をまとっていた。さすがのタケノヒコも、押し流されそうになるのを必死でささえ、声を絞った。
「いや、その前に合点がいかぬ。美しい魂とは何のことであるか?」
「そなたにはわからぬ」
「わからぬから聞いておるのだ」
「では、わずかに教えよう。人はひとだけで人ではないのだ。神の御許よりさずかった魂が本当の人なのだ。体は入れ物にすぎぬ」
タケノヒコは驚いた。
「わが国のオオババ様も同じことを言われておる」
「当然だ。この世の本当の姿がわかる者なら、そう言う」
タケノヒコは素直に信じ、空恐ろしさと頼もしさを感じた。
「いまひとつ。何故そなたは敵兵にまで情をかける?」
「神の前に敵も味方もない。大切なことは、それぞれの命を全うすることだ。親子兄弟、それに好きおうた者同士、皆が仲良く暮らすことだ」
その言葉にタケノヒコは少なからず胸をうたれた。
彼には未だに整理しきれない苦い思い出があった。
その昔、タケノヒコにはヒナという許嫁がいた。戦の犠牲となったヒナさえ今も生きていてくれたら、私の心もトヨの言うように穏やかであったかも知れないと、その刹那、彼は慟哭のような激しい胸の痛みに襲われた。
ふと、月が目に入った。
しばらく考え、そして声を絞り出した。
「私が求める強き国とは、他国に辱めを受けぬ事であるが、その本質は、まさにそのことかも知れぬ」
「そなたとは意見が合いそうだ。明日の対面の儀を楽しみにしておるぞ」
そう言うとトヨは笑い、ユトやヤチトとともに去っていった。
タケノヒコひとり月明かりに照らされていた。
「不思議なおなごがおるものだな」
タケノヒコは、何度も戦を経験し、数えきれない敵を倒した。国では勇者と称えられている。しかも将軍としてどんなに不利な戦いでも負けた事がない。諸国にも伝わる竜山合戦では、三千のクマヌ国軍を二百の精鋭軍のみで打ち破った。それなのに、トヨの気迫には圧倒されどおしだった。
「たった十五の娘に・・・」
そう思ったが、腹はたたなかった。それよりも、あの瞳の奥に揺らめく深い悲しみのようなものが気になった。
2
翌朝、あさげが終わり一休みしている時に、ヤチトが宮殿の使者としてやってきた。先日の戦場を見た者として申し入れていたトヨとの対面を許すというものであった。三人は身支度を整え、宮殿へ向かった。
どのような御子なのかと、スクナとヤスニヒコは話しあった。
宮殿に着き、広間に入ると、やがて国王が現れた。
「タケノヒコ殿。そなたは何ゆえトヨとの対面を望む?」
「先般のあの戦ぶり、見事であったためでございます」
「戦ぶりとな」
国王は、昨夜の出来事を知らぬようだった。うかつにしゃべらなくて良かったとタケノヒコは思った。
「はい。私は父国王と嫡男である兄の名代として国軍を預かる身でございますゆえ」
「まあ、その話は存じておるが・・・」
ヤスニヒコが口を挟んだ。
「国王陛下。私たち兄弟は父オオヤマト国王より、鉄の武器を大量に持つイズツ国に対し、一歩もひかぬ、この国の戦ぶりをとくと見てくるよう言いつかっておるのです」
「そのことも存じておる。それゆえヤチトを遣わし、案内させたのだ。しかしながら、あれは変わったものでなあ」
「何がでございますか」
「うむ。何というか」
「国王陛下。私は戦場で、見事な采配を見物いたしました。それに、凱旋してくる時のあの民衆の歓迎ぶりもとくと見ました」
「そこよ。トヨは民衆に甘すぎるのじゃ。魂がどうとか言って、次々と掟を緩めるゆえ、最近では下戸どもも、まともな礼儀をみせぬようになった」
この国の民の、あの屈託のなさは伝統ではなく、トヨが醸す気分なのだと、聡いタケノヒコには即座に理解できた。
「しかし国王陛下。我々は対面を許すと聞いてここにきたのです」
「わかった。しばし待たれよ」
そう言うと国王は中座し、奥にひきこんだ。狐につままれたような顔でヤスニヒコが言った。
「兄上、たかが対面なのに、あまり歓迎されてないですね」
五人兄弟の中で、ヤスニヒコが一番タケノヒコに、身なりも考え方も似ている。何かただならぬ雰囲気を感じ取ったようだ。
やがて、トヨがユトを伴ってやってきた。祈祷の正装をし、昨夜のように化粧もしていた。
「そなたがタケノヒコ殿か」
トヨはそう言った。それは、昨夜のことは秘密であるという合図だとタケノヒコは思った。宮殿のそこかしこに潜む耳目は必ずしも友好的なものばかりではない。用心するに限る。
「おはつにお目にかかる。私がタケノヒコ。これは我が弟ヤスニヒコ」
「ヤスニヒコにございます。以後よろしく」
トヨは眼を細め、身を乗り出して言った。
「ほう。そなたらは二人とも、よき魂をしておる」
ヤスニヒコはきょとんとしていた。
タケノヒコは言葉を続けた。
「先般の戦、勝ち戦にて、まずはお祝い申し上げる」
「詳しくは、ヤチトから聞いておるであろう。ここで語ることもない」
「しかしながら、あのような戦を見たこともなく、なにやら不思議に思うが」
「ただあることを認めればよい。それだけのことだ。そなたにはわかっておるはず」
ヤスニヒコが口をはさんだ。
「私にはわかりません」
「では、わかるまでこの国にとどまるがよい。そうだ。今宵は戦勝祝いの宴を催すゆえ、二人とも招待しよう」
「ありがたくお受けいたす」
「では、これにて。夕刻、宴の時分にまた」
宮中での対面でありながら特に形式ばったわけでもなく、かと言って打ち解けていた訳でもなく、昨夜と変わらず、何かつかみどころのない、釈然としないものをタケノヒコは感じた。
「十五のおなごには見えませんね」とヤスニヒコが真顔で言った。
3
都は宴の準備の喧騒に包まれていた。たいまつを用意する者、神殿を清める者、楽器を運びこむ者、食べ物を準備する者それぞれが忙しそうだ。賑やかで、陽気な声が飛び交っていた。そんな様子をタケノヒコはつぶさに見て回り、観察した。
人々は快活だ。しかし、決して無礼な訳ではない。道行く人々は、それなりに礼儀を守っている。ただ、何に怯えるでもなく、堂々と自分の意思と言葉で話をしているのだ。
遠くの山が朱色に染まり、夕闇がせまる頃、方々のムラから人々が三々五々神殿前の広場に集まって来ていた。タケノヒコらは、ヤチトに案内され、王族の席に座った。
ヤチトが言った。
「タケノヒコ様、この都に住まう者の数がおわかりになりますか?」
「この感じでは三百くらいか」
「そうです。この山に、大人や商人達がそれだけいるのです」
「うむ」
「ふもとのムラをはじめ国全体にはおよそ二万」」
「さすがだ。大国にふさわしい」
「イズツ国はご存知でしょうか」
「いや。知らぬ」
「六万でございます」
「ほう」
「本来ならとても勝ち目はございませぬ」
「わが国とてわからぬ」
「しかし、六万とて兵士の数はわずかに三千」
「うむ」
「国衆が二万でも、その全てが戦えば兵士の数は二万でございます」
「そうはいかぬぞ。国には老若おるからな」
「要は、皆に国を守る意識を持たせることです」
「それはそうかも知れぬ」
ヤチトは笑った。
「まあ、今夜の様子をご覧あれ。強き国の参考になると思いますよ」
辺りはもう真っ暗になった。神殿や広場にはかがり火が灯され、ゆらゆらと照らしていた。やがて、集まった民衆の前に国王が現れた。
「皆の者、こたびの勝ち戦、御苦労であった。そのよろこびと感謝の心を先祖代々の御霊に、そして神々に捧げようではないか。皆、祈れ」
わぁっと歓声があがり、鐘が打ち鳴らされた。神殿に巫女が現れ祈りを始めた。
「あれがトヨノ御子様の御姉君、タマノ御子様です。この国の巫女をお務めです」
「トヨ殿は?」
「神事には参加なさりません」
タケノヒコは不思議に思った。気迫では姉よりトヨの方が勝っている。それなのに何故トヨは神事を執り行わないのか。
ひときわ鐘を打ち鳴らし、祈りの儀式が終わった。国王が再び叫んだ。
「皆、我々の感謝の心は、ご先祖様と神々に届いたぞ!では、我々の喜びを見ていただこう!大いに飲め!食え!そして歌え!」
大きな歓声があがり、人々は我さきに酒を求め、食を求め、賑やかな酒宴が始まった。
王族の席でも大いに話が弾み、宴は盛り上がりを見せていた。
特にヤスニヒコは、王族や重臣たちの間を行き来して酒をすすめて回り、にこにこしながら皆と屈託のない話に興じていた。皆もこの異国の話上手な若者につられて上機嫌だ。そんな中、ユトだけが苦々しい思いでヤスニヒコを見つめていた。
しばらくすると再び鐘が打ち鳴らされた。
人々がうぉーっと、ひときわ大きな歓声をあげた。
タケノヒコは何事かと思った。
鐘は乱れ打ちを続けている。そして太鼓も打ち鳴らされると、神殿の前に、火のついた矛を持った一団が現れた。人々が手拍子を、そして足を踏み鳴らし始めた。火の矛は、ぐるぐると回され、幻想的な風景を作り出した。その中央にトヨが現れた。美しい衣装をまとい、鮮やかな化粧をして奉納の舞を始めると、さらに大きな歓声があがった。鐘や太鼓の音曲に合わせ、トヨは舞った。人々はいよいよ歓声をあげ、手拍子を強め、陶酔を深めていく。喜びの心を神に捧げる、この宴のクライマックスである。
ゆらゆらと妖しげに揺らめく松明の明かりを受けて、艶やかに舞うトヨにタケノヒコは見とれた。それはとても美しいと思った。
「トヨノ御子様は、この国の要なのです」
ヤチトが言った。
「国王は良い人ですが、考え方が古く、民の心を掴んでいません。御子様こそ、民の心をひとつにまとめるお方なのです」
さもありなんとタケノヒコは思った。トヨは美しい。そして、強い。
「だから、私はほれているのです」
ヤチトは意外なことを言った。
タケノヒコがヤチトの顔を覗き込むと、松明のゆらめく光を受けて、ヤチトは不敵に笑っていた。
完読御礼!
おひとりでも読んでいただける方がおられましたら、連載は続きます!
どうぞよろしくお願いします。