第十三話 女狐、ふたり。
《アザミ視点》
「まったく。なんなんですの、貴女は。獣は獣らしく、四つん這いで地に伏していれば良いのですわ」
「確かにアザミの本性は獣ですが、それでは主たるマナカ様と愛し合えないではないですか」
「ふんっ! 獣風情が一丁前に“愛”ですって? なら聞かせてご覧なさいな! 貴女の主のマナカとやらが、どれ程の殿方なのか!!」
「……良いでしょう! まずマナカ様は、子供が大好きです! 子供達を護るためなら、その手を血に染める事も厭わない、優しく、強いお方ですっ!!」
「こ、子供好きですって!? そ、それはポイントが高いですわね……!」
……何故このような状況になっているのでしょうか。
現在アザミは大帝国の最高戦力である“勇者”の一角――【風華】の勇者と名乗った、一条菖蒲と対峙しています。
【風華】の名の通りに風魔法を得意とするこの女は、マナカ様には及びませんがそれでも空中戦を得手とするアザミに、空の上といえどもピタリとついて来ています。
中々に侮れませんね……!
しかし最初に会敵した時には、お互いがお互いを嫌悪し、打倒せんと戦端を開いた筈なのですが……
「それで!? 他には何かございませんの!?」
「武術も、魔道にも精通しています。マナカ様独自の魔法などは、防ぐ手立てを見出すのが非常に困難です。しかも、鍛錬も試行錯誤も欠かしませんっ」
「努力家ですのね! 男性が勤勉なのは、女性にとっては重要ですわね!」
おかしい。
開戦当初は、お互いの髪型が同じなのが気に食わず、ズタズタに切り落としてやろうと武器を交えたというのに。
それがどうしたことか。四方を風の防壁で囲って、しかも海水まで巻き上げて、音も姿も外に漏れないようにして、こうしてマナカ様のことを訊ねてくる。
まるで、値踏みをするかのように――――
「訊かせなさい、イチジョウアヤメ。貴女は何故、敵であるマナカ様のことを知ろうとするのかを!」
慣れ親しんだ雷の魔法のイメージを喚び起こす。雷は複数箇所に収束し、球を形作る。
「【招雷狂舞】!」
複数の雷の球が、それぞれから雷撃を迸らせる。
空中を縦横無尽に駆け巡る稲妻が、アヤメに向けて次々と撃ち出される。
「【風壁】! 【風絶】!」
しかしそれらの雷撃は、アヤメが張った二種類の風の防壁によって防がれる。
「高気圧の壁と真空の壁。如何ほどな魔法であろうと、あたくしの壁を貫く事はできませんわ」
雷撃を防ぎ切ったアヤメが、蔑んだ笑みを口元に浮かべながらゆっくりと近付いて来る。
「桐梧様――あたくし達七勇者のリーダーの男性ですわね――は、高いカリスマ性と甘いルックス、そして揺るがぬ自信をお持ちですわ。それに見合うだけの野心もお持ちですわね。突如この世界に召喚されたあたくし達を励まし、導き、先頭に立って戦って下さいましたの。女癖が悪いのが、玉に瑕ですわね。」
アヤメが良く口にしていた、トウゴとやらの評価を淡々と語り出す。意図の解らないそれを、アザミはただ聴くのみだ。
「クワトロ様――大帝国の大帝ですわね。あたくし達の召喚者ですわ――は、どうにも臆病な本性が見え隠れするのですわ。大陸を統べる超大国の頂点なのは良いのですけれど、あのお方は、ご自分以外の者を信用しておられませんわ」
次いで敵軍の首魁、クワトロ大帝の事を評価し出す。
つまり、この女は何を言いたいのだ?
「あたくしに侍るに足る殿方を見定めていましたのよ。元の世界……日本に帰れないのは心残りですけれど、この発展途上の世界で女帝として君臨するのも、悪くはないのではなくて?」
「……貴女自らが、その器だと?」
「当然でしょう? あたくしは一条菖蒲。故郷では大財閥の令嬢でしたし、召喚されたこの世界では下々を導く“勇者”なのですから。これは最早運命ですわ。あたくしこそ人の世を統べるに相応しいと、神はお考えに違いないですわ。それでしたら、身の回りに置く者にも、それなりの品や格が必要でしょう?」
……確かに、美しい外見に加えて高い能力も有していれば、このように増長した考えを持っても不思議は無いですね。
召喚される以前から恵まれた環境に居たのなら尚更に。
ですが……。
「滑稽ですね」
「……何ですって?」
この女は、根底で思い違いをしている。そしてその事に、気付いてすらいない。
「恵まれた生まれ。恵まれた環境。恵まれた立場。確かにそれら全てに貴女は恵まれているのでしょうね」
「そうですわよ。あたくしほど恵まれた人間が、他に居まして? まさに神に選ばれし人間でしょう。貴女の慕うマナカという男も中々に優良らしいですし、小間使い程度になら、重用して差し上げますわよ?」
やはり、思い違いをしている。
「それを自ら成したのであれば、なるほど神の意思すら感じられるでしょうね」
「……何が言いたいのですか」
「いいえ? ただ貴女は、与えられてしかこなかったのだな、と。優れた容姿に“恵まれた”。優れた実家に“恵まれた”。優れた能力に“恵まれた”。優れた召喚者に“恵まれ”、優れた仲間に“恵まれた”。まるで寄生虫のようですね」
「はぁッ!? このあたくしが、寄生虫ですって!?」
「だってそうでしょう? 貴女自身は、何一つ自らの手で勝ち取ったものは無いのでしょう? 生まれや容姿、才能は親が。今の立場は大帝が。何か一つでも、血の滲む努力を経て自らの手で成し遂げた物が有るのですか?」
「なんっ――――」
「誇るべきものは貰い物。自らを磨き高みに至る気概も無い。ただ与えられる物に満足し、努力を怠り、自らが高みに居ると慢心する。
「気付いていないのでしょう? 貴女が他者に求めている“品”や“格”こそ貴女に足りないものであり、それは与えられるだけでは決して身に付くものではありません。
「自身の力の限りにより良い結果を求め、より進歩し、思考を停めない。それこそが王道であり、ヒトの上に立つべき格者です。アザミはそうした誇り高いヒト達を、この目で見てきました。
「貴女には何も無い。ただ良い見目とそれなりの能力を整えられ、見栄えのする神輿に飾られた、中身の無いお人形。それが貴女です」
最早議論は無駄です。
このような小物が勇者などと持て囃されているなんて、アザミからしたら信じられません。大帝国の大帝とやらの器が知れますね。
その点我が主君、マナカ様の素晴らしい事!
自身も努力を怠らず、驕らず、周囲の者の幸せまで考えてくれる。そんなマナカ様だからこそ、誇り高い【名君】やいずれ名だたる実力者が集い、慕い、力を貸してくれる。
フリオール殿下が先にご成婚を勝ち得たのは妬ま……、羨ま……、悔しいですが、それも誇りを捨てず、努力を重ね続けてきた彼女であれば納得もできましょう。
そうです。アザミは、マナカ様の下に集った私達は、このような薄っぺらな上辺だけのお人形とは違うのです!
「あたくしが……お人形……? 中身の無い、空っぽな女だと言いますの……!?」
「そう聴こえたなら、その耳だけはマトモなのでしょうね」
その顔を憤怒に歪め、その口を憎悪に戦慄かせて、アヤメが魔力を昂らせる。
「あたくしが人の上に立つ器でないと、そう言いましたの!?」
「ええ、言いましたね。貴女のような小物に振り回されては、下に着いた者達が憐れでなりません」
溢れ出る敵意と殺意が魔力に混じり合い、アザミ達を外部と遮断していた風の結界が、剣呑な気配を孕み蠢き出す。
「許さない……! 獣風情が、このあたくしをこうまで侮辱して!! あたくしは一条菖蒲でしてよ!? この美貌と力こそ、人を従えるに相応しい女王なのですわッ!!」
「そう思っているのは貴女だけですよ。誇りも信念も持たない貴女になど、真に心を通わせられる友も、仲間も、ましてや愛し合える者など、出来ようはずが無いでしょう」
「うるさい……! うるさいうるさいうるさいうるさいうるさいウルサイイイイイイィィィィッッ!!! 死ね!! 死んであたくしの前から消えて無くなりなさいッ!! その不愉快な姿をズタズタに引き裂いて!! 【暴風殺の輪舞】!!!」
殺意が弾け、魔力が解き放たれる。
アザミ達を隠し覆っていた風の結界が、憎悪を巻きアザミを取り込み、引き裂こうと圧し迫ってくる――――
「無駄な事です。マナカ様の結界を、そのような稚拙な魔法で破壊できるはずがないでしょう」
アザミはマナカ様より下賜された結界の術具を起動して、全方位から襲い来る風の刃を防御する。
素晴らしい術具をありがとうございます、マナカ様。
このような小物に使わされたのは業腹ですが、マナカ様のアザミへの愛を見せ付けるには、絶好の機会となりましたね。
「バカな……!? あたくしの、最強の魔法が通じないなんて……!」
「アザミは。我々マナカ様を慕う女性達は皆、お互いを認め、努力を競い、マナカ様の力になろうと日々研鑽を積んでいます。貴女には何か有りますか? 身を焦がすほどの切ない想いや、何をしてでも勝ち得えたい渇望や、未来の成るべき姿を追い続ける理想が」
せっかくです。この女が獣風情と扱き下ろしたアザミの真の姿でも、見せて差し上げましょう。
固有スキルの【人化】を解いて、本来の姿である九尾の狐の姿に戻ります。そしてゆっくりと宙を歩いて、アヤメとの距離を縮める。
「い、嫌……! 来ないで、来るなァッ! 汚らわしい獣がッ! あたくしの邪魔をしないでよッ!!」
「嫌われたものですね。ですが愛を知らず、誇りも信念も持たず、ただ他者を自身を満足させる飾りにしか思っていない貴女に何を言われても、最早アザミには何も響きませんし、感じません」
狂気に飲まれたように、立て続けに風の刃を放ってくるアヤメ。しかしその刃はアザミには届かず、その一切がマナカ様の結界に阻まれ、霧散していきます。
ああ……! マナカ様がアザミを守ってくれていますっ……!!
ですがそろそろ、借り物でないアザミ自身の力によって、この憐れで滑稽な女に終止符を打ちましょうか。
「来るなって……言ってるでしょッッ!!」
アヤメが振るい、目にも止まらぬ速度で飛来した鞭の戦端を、アヤメが得意とする風魔法で動きを鈍らせ、口で咥え取る。
「くっ! この……ッ! 離しなさいよケダモノッ!!」
「イチジョウアヤメ、憐れな女。与えられた全てを自分のものと勘違いし、増長した挙句に仮初の愉悦に浸る、愚かな女」
再び【人化】して鞭を手で掴んで、遂にはアヤメの目の前に立つ。アヤメは顔を憎悪と恐怖に歪め、涙を流しながらも歯を食い縛ってアザミの顔を睨み付けている。
その顔を真っ直ぐに見据えて、決定的な言葉を吐く。
「強い想いも、誇りも信念も持たない貴女など、獣にも劣る」
扇を一閃する。
魔黒金で拵えられた鋭利な扇はその頸を断つ。
広げた扇の上には歪んだ狂気を孕んだアヤメの顔。
頭を失ったアヤメの身体が、糸の切れた人形のように海に落下していく。
「貴女如きがマナカ様を小間使いですって……? 身の程を知りなさい、下種が」
扇をゆっくりと傾ける。
重力に引かれたアヤメは、そのまま扇の上を転がって海へと堕ちて行きます。
首元でバッサリと切られたその黒髪が見えなくなるまで、アザミは見届けました。
ふと、眩い光が視界に映る。
その光は凄まじい奔流を描き、そしてある一点でその流れを堰き止められ、更に激しく瞬きました。
遅れてこの身に届く衝撃波と轟音。
今のは、敵軍の魔導兵器による攻撃でしょうか? そしてそれを防いだように見えたあの壁のような物は、いったい……?
「なんだか胸騒ぎがしますね……。皆は無事なのでしょうか」
我等六合家の者がそう簡単に討たれるとは露にも思いませんが、今の眩い閃光は気になります。
一度皆と合流した方が良いかもしれませんね。
「マナカ様……どうかアザミ達を見守っていてください……!」
アザミは、いつの間にか随分と遠く離れていた主戦場へと、急ぎ向かいました。