第十話 鬼 VS ケモノ
《シュラ視点》
ほう! ほうほうほう!!
成程、これが“ぷろれすりんぐ”というものか!
儂の間合いを測る目的で放った“じゃぶ”は、まるで蝿や蚊でも払うように弾かれよる。
牽制で放つ下段蹴り……左右の“ろーきっく”も、はち切れんばかりのこ奴の大腿や脛で跳ね返され、こ奴自身も意にも介しておらぬ。
しかし決めに掛かろうと放った“すとれーと”や“りばーぶろう”。普通であればそれこそを防御し捌くべきじゃろうに、こ奴は敢えてその頬や腹を晒し、その身体で真正面から受け止めて来よった。
「……もう終わりか?」
「頑丈な男じゃのう。そこらの人間や魔物じゃったら今ので吹き飛んでおるぞ?」
「決め技を捩じ伏せてこそのプロレスだ」
「カカッ! なかなかに魅せよるではないか」
こ奴――【豪炎】の勇者陣内紀文は、実際それほどの痛痒を感じてはおらぬ。
顔面を打ち抜いた“すとれーと”は強靭な頸の筋肉で迎え打たれて芯をズラされた。
肝臓を抉る“りばーぶろう”も分厚い腹斜筋を被せられ、振り抜きが不充分じゃった。あれでは内腑まで打撃が届かんの。
ただ耐えるだけの脳足りんな筋肉馬鹿ではない。
あたかもその鋼の筋肉で耐えたように“魅せる”、その高等な防御技術。
儂が闘った事のない類いの輩じゃな。
「お主。斯様な見事な武を修めておきながら、何故に大帝国なぞに与しておるのじゃ? お主ほどの男子であれば、この世界でも生きて往くに不便は無かろうに」
儂の投げ掛けた言葉に一瞬眉根を動かした勇者は、その巨躯からは想像もつかぬほどの素早い踏み込みで、儂を捕らえようと両手を繰り出してくる。
儂は敢えてその両手を掴み、組み合ってやった。
「訊かせよ。最強を謳うお主が、何故大帝国などという下らぬ連中と徒党を組むに至ったのか」
手四つの形で組み合い、膂力で以て抑え込む。
「……ベビーフェイスには制約が多い。悪役として客を沸かせるヒールとは違い、卑怯な攻撃も、凶器も、場外も使えない。それだけの攻撃に耐え抜いても、時には負ける事も求められる」
「ふむ? 随分と“魅せる”闘い方じゃったが、“ぷろれす”とは興行の側面もあるのかのう?」
「……そうだ。ただ勝つのは二流。観客を沸かせてこそ一流のレスラーだ」
互いに相手を捩じ伏せようと、手に力が込もる。
踏み締め踏ん張った両の足が、飛空艇の甲板にめり込む。
「自分には許されなかった。思うように相手を圧倒し捩じ伏せる事も、貪欲に手段を選ばずに勝ちにいく事も」
不意に力を抜かれ、儂の身体が呼び込まれる。
儂は咄嗟に手を離し地を蹴って身体を引き戻そうとするがそれすらも“合わせ”られ、追いすがった奴に仰け反った腰を抱えられて、身体ごと甲板から引っこ抜かれる。
背後に回られ背面で抱え上げられた儂は、そのまま反転する視界と共に後頭部から甲板に叩き付けられた。
「ガッ……!」
しかもこ奴、背面反りの状態のままで腰を締め上げて固めてきよる!? 頸の付け根が甲板に押し付けられ、さらに腹部を強烈に圧迫され身体を伸ばすことができんのじゃ!
「ぐ……ぬぅ……! な、舐めるなよこのッ!!」
儂は何とか手を動かし、儂の腰を抱いておる腕……肘の内側に親指を捩じ込み、あらん限りの力を込めて握り込む。
親指を潜り込ませ、突き立てたのは肘の内側の“尺沢”と呼ばれるツボじゃ!
「ムオッ!!??」
儂の全力の指圧でツボに激痛が走ったのじゃろう。腹を締め付けておった腕が解けたので、慌てて後転して勇者の拘束から逃れる。
「ぶはぁッ!! あー、苦しかったのじゃ……! 容赦なく締め付けよって、息が出来なんだわ!」
身体を素早く起こして、呼吸を調える。
見ると勇者も、両腕の痛みを取り払うかのように腕を振り、ゆっくりと身を起こしておった。
「……何をした?」
「ふんっ。主様に人体の急所やツボは一通り教わったのでな。儂の指圧は良う効くじゃろ?」
主様との度重なる鍛練が功を奏したのう。戯れに教えられたツボ押しのおかげで、助かったのじゃ。
めちゃくちゃ痛かったであろうのう……! その痛みは、儂も良う知っておるのじゃ。
……おのれ、主様め……! 助かったけどなんか納得いかんのじゃ!
「如何にお主がその身を鋼のように鍛えたとて、急所やツボが強く成る訳ではあるまい? 主様でもないのに儂の身体に触れた恨みじゃ。もう容赦せぬぞ」
「……プロレスは、組み打ちや投げや固め技が主だ。闘いに女を出すくらいなら、最初から出しゃばらなければ良い」
むぅ、痛いとこを突きおって。
まあそうじゃな。殺し合いに男も女もあるまい。これは戦争なのじゃからな。
「それは済まなんだのじゃ。じゃが未だ主様にお情けを頂いておらぬのでな。複雑な乙女心じゃと、理解するが良い」
「そうか。お前のような強く美しい女は見た事が無い。お前が慕う主とやらがよほど見る目が無いか、それとも根性無しなだけか」
「ふむ。それは取り消してもらおうかの。主様に見る目が無いじゃと? 儂ほどの女を以てしても籠絡できぬほど、主様は多才多様な女子達に愛されて居るのじゃ。そして根性無しとな……? 果たして根性無しが、左様な情けなき者が、一体どうして神の一柱に喧嘩を売るものかよッ!!」
今度は此方から往かせてもらおうかのう!
今までのような様子見とはワケが違うぞ? ココからは、お主が言った通りの殺し合いじゃ!
「ぬうんッ!!」
お主の肉体と技術で、どれだけ儂の暴力を凌げるかのう!?
儂が振り抜いた右の拳は彼奴の咄嗟に上げた腕に阻まれたが、今までその肉体のみで受け切ってきた彼奴が、初めて防御をした。
そして今はその防御ごと身体を浮かせ、たたらを踏んで後退しておる。
「まだ、こんなパワーが!? それにこの戦い方は……!」
「お主、不満じゃったのであろう? 如何に優れた技や肉体を誇っておっても満足に戦えぬ事が。理性や規定がそれを邪魔しておったのじゃろう。じゃがそのタガを、この世界に来て外しよったな? 臭うぞ。お主のその肉体から、夥しい血の臭いがのう」
「………………」
「一体どれだけの者を、その肉体で以て殺めてきた? 大帝国とやらの命令という大義を得て。満足かの? 思う様に修めた武を揮い、己より弱き者を一方的に壊し尽くして」
儂の言葉に、防御の形のまま固まっておった彼奴の腕の奥……その口が歪む。
「気持ち良かったかの? 故郷では振るえなんだ暴力を存分に振るうのは。楽しかったかの? ただ異種族というだけで標的となった者共を、殺めて回るのは」
猛獣や魔物が牙を剥くように。
その口を獰猛な笑みに歪めて、彼奴めはその身の内から、吐き出すように猛々しく魔力を解放した。
「その面じゃ。お主は戦士とは言えぬ。ただ己のために暴力を振るう、一匹の獣じゃ。じゃからコレは、最早闘争では……戦いですらない。ただの殺し合いじゃ」
「それで良い。俺はそんな舞台をこそ求めてきた。拳で殴り殺し、足で踏み殺すために。大帝国――大帝は、そんな俺に舞台を用意してくれた。なら俺は、この力を存分に揮うだけだ。それが仲間の勇者達のためにもなるなら、尚更だ」
「ほざけ戯けが。何が“勇者”じゃ。ただの殺戮に大義なぞ有るものかよ。儂はそれを、主様に教えられた。じゃがお主にはもはや、主様より授かった術理は使わぬ。お主以上の暴力を以て、ただ屠ってくれるわ」
彼奴の周囲の……いや、儂らの周囲の温度が急激に上がっていく。彼奴め……【豪炎】とか名乗っただけあって、大した炎使いよのう。
「【豪炎の鎧】。気を抜くなよ。一瞬で終わってはつまらん」
身体に炎を纏って、彼奴が嘯く。
両の足下の炎が激しく燃焼し、爆発を起こす。
その爆発に弾かれるように、彼奴は一瞬で儂との間合いを潰して迫って来る。丸太のような豪腕が振るわれ、儂を押し潰さんと拳が叩き込まれる。
儂は左手を掲げ、それを掴み取った。
「な…………ッ!?」
どうした? 御自慢の拳が止められて、驚き過ぎて声も出ぬか?
「主様に嫌われるやもしれぬから、あまりこの姿には成りとうなかったのじゃがな……」
左手が、左腕が。肩も頸も背も胸も、腰や両の脚、尻も残る右腕も。
太く、巨きく、そして紅くなっていく。
筋肉は肥大し、頭の角は伸び、両手両足の爪も黒く、堅く、鋭く伸びていく。
視界が紅く染まっていく。
「じゃが……お主には死ぬ前に、本物の暴力というモノを教えてやらねばなるまいのう。覚悟せよ。お主に蹂躙された異種族の民達、それらが感じた恐怖と絶望を、とくと味わせてやろうぞ」
儂が産まれ持った固有スキル、【鬼化】。
これはより凶暴に、より好戦的な鬼の身体に成り、その力を解放するスキルじゃ。
さて、家族の誰かにでも見られては敵わんからのう。一気に捩じ伏せてやろうぞ。
「なんだ、その姿は……!?」
「鬼の本性……とでも言うのかのう? 心せよ。今の儂は、先程までのように優しくしてはやれんぞ?」
拳を掴み止めていた左手に、力を込める。
たったそれだけで、儂の手よりも小さくなった彼奴の右の拳はひしゃげて潰れる。
「ぐおおああああッッ!!??」
「脆いのう。のう獣よ。死にとうなければ、精々抗ってみせろよ?」
彼奴が纏う炎など、鬼と化した儂の肉体を燃やすには足りぬ。皮膚を焦がし肉を焼く前に、増大した回復力によって立ち所に治癒してしまう。
そして。
「へぶしッ!!??」
無造作に振るった儂の右手によって、彼奴は吹き飛び、甲板を無様に転がり跳ねて行く。その右腕の、肘から先を残して。
「捥げてしもうたか。これは悪い事をしたのう。どうじゃ、勇者とやら? 技術も糞もない、ただの暴力に嬲られる気分は?」
儂は悠然と歩いて、彼奴に近付く。
「はっ、はっ、はひっ! ひひひっ!?」
おいおい、まさかこの程度で心が折れたのではあるまいな?
彼奴はゆらりと。まるで幽鬼の類いのようにフラリと立ち上がり、儂を睨み据える。
「はひっ、ひひひ……ッ! お、俺は、さいきょう……! 俺が、最強なんだあああああッッ!!!」
右腕を失くし、それでも吼えて彼奴は向かって来おった。
「カッ、カカカカッ!! そう来なくてはなぁ! さあ来い! かかって来い!! 獣の全力を儂に見せてみよッ!!」
その身を自らの炎が灼くのにも構わず、全霊で生み出した炎を纏い。目を血走らせ、口から泡を吹いて、歯を剥き出しにして雄叫びを上げて。
「死ね゛ええええええッ!! 化け物があぁああああッッ!!!」
残る左拳に全ての力、全ての魔力、全ての炎を集約し、彼奴は大きく振りかぶった拳を、全力で打ち込んできた。
轟音と共に爆発が起き、巨大な火柱が上がる。
打ち込まれた拳は儂の胸にめり込み、その炎が儂の身を灼き焦がす。
じゃが。
儂は右手を動かし、火柱の外へと突き出し、彼奴の頭を掴む。
「死ね! 死ね! 死ね! 死ねええぇぇええええッッ!!!」
彼奴は尚も炎を振り絞り、立て続けにその拳から爆炎が上がる。
じゃが儂はそれを無視して、静かに口を開いた。爆炎が口の中も焦がしてくるが、構わずに告げる。
「然らばじゃ、憐れな歪んだ獣よ。お主は、柵から解き放たれるべきではなかったのじゃ。血に飢えた獣なぞ、誰も欲したりはせぬのじゃよ」
「死ね! しねしねしねしねし――――」
右手に力を込めた。
彼奴の頭は、その怨嗟と恐怖の声と共に、潰れたのじゃった。
「ふぅ、暑い暑いっ」
【豪炎】の勇者の死と共に、彼奴の生んだ業火からようやく解放される。
儂の身体は【鬼化】の影響で再生力が高まり、彼奴に負わされた傷も火傷も、瞬く間に癒えていく。
傷が完全に癒えたのを確認し、儂は【鬼化】を解いた。
「シュラの姉御、ご無事で!?」
未だに立ち上る残り火と大量の煙の向こうから、イチの声が聴こえる。
「おう、イチかの。こっちは今しがた終わったところじゃ」
そう返事をしながら煙の中から抜け出し、合流する。
「どあっ!? ち、ちょいと、シュラの姉御ッ!!??」
ようやく煙から抜け出した儂に対して、イチの奴は慌てて手で顔を覆い、顔を背けよった。
なんじゃ、失礼な奴じゃのう。
「あ、姉御、服! 服が!!」
あん? 服がいったいどうしたと――――
「――――……のじゃあッ!!??」
し、しもうた……!?
ただ純粋な暴力のみで斃す事に拘り過ぎて、服の存在をすっかり忘れてしもうていたわ!?
うむ、ぜぇーんぶ燃えておった! 儂今、スッポンポンじゃあああッ!!??
慌てて主様に与えられた魔法鞄から衣服を取り出し、身に着ける。
うぐぐ……! このシュラ、一生の不覚じゃ……!!
「み、見たか……?」
「み、見てやしませんよッ!?」
「本当か? 本当の本当にか……?」
「い、一瞬! ホンの一瞬、チラッとだけでありやすッ!! それよりも、敵さんの方がガッツリ見てやすってば!!??」
「敵、じゃと……?」
儂はぐるりと首を巡らせて、周囲を確認する。
現在地は飛空艇の甲板上じゃな。謂わば敵地のど真ん中じゃ。
で、儂に倒された勇者の仇討ちかは知らぬが、敵兵にぐるりと包囲されておるのう。
こ奴ら……何時から居ったのじゃ……?
良く良く観れば、こ奴ら皆前屈みになっておるのう……?
「カ、カカカ……!」
「あ、姉御……? お、お気を確かに……!」
何故お主ら前屈みなのじゃ?
どうして顔を赤くしておるのじゃ??
なんで、どうして……ッ!?
「のの、のおおおおおおおじゃあああぁあああああああッッ!!??」
「ちょ、姉御!? やべぇッ!?」
おおお、お主ら全員、きっ、記憶ごと吹っ飛ぶのじゃああああああああぁぁぁッッ!!!
次に我に返った時、儂は海に浮かんでおった。
飛空艇は海に沈んだのじゃろう、海面から黒煙が立ち昇っておる。
“空歩”の術具で足場を創り、海面から身体を引き上げた儂は、戦場の様子をぐるりと確認してから、やらねばならぬことを頭の中で整理したのじゃな。
うむ。取り敢えずイチを探し出して記憶を消さねば!!