閑話 とある日の女子会。
ダンジョン都市“幸福の揺籃”
Bar・鬼の角
《アマコ視点》
ワタシはアマコといいます。
主である、ダンジョンマスターのマナカ様により産み落とされた、一体の“覚”という名の妖怪です。
固有スキル【読心術】と額に第三の目を持ち、他者の心を覗くことができる種族です。
先日は望外にもマナカ様のお仕事に同行し、ワタシの固有スキルを以てお役に立つことができました。
それだけでなく、王都までの行き来はマナカ様が直接に、その……だ、抱き上げて飛んで下さいまして……!
ええ。いわゆる、お姫様抱っこというヤツです……!
密着する身体と身体……アレは良いものです。世の女性が憧れるのも、解る気がいたします。
……とても恥ずかしかったですけどね?
そんなワタシは、マナカ様に直々に特別休暇を頂戴しましたので、軽くお酒を嗜むために、お気に入りのお店へと足を伸ばしました。
隠れ酒房“Bar・鬼の角”です。
こちらのお店は、都市の繁華街から一本入った路地に隠れるように設置された下り階段から入ることができます。
実はこのお店、真のお酒好きの口コミのみで宣伝をしていまして、知る人ぞ知るといった、本当に隠れた名店なのです。
お店の看板は階段を下りきらないと有りませんし、呼び込みのスタッフが居る訳でもありません。
多少なりともこの都市の政務に携わっているワタシだからこそ知り得た情報なのですが、なんでもこのお店、マナカ様の前世で行きつけだったお店を再現したというのです。
それをお聞きしたその日の夜には、ワタシは気が付いたら足を運んでいました。
チリリーンと、静かな落ち着いたドアベルの音に出迎えられ、店内に足を踏み入れます。
波打った形のカウンター席が、奥からズラリと二十席ほど。
ボックス席にはテーブルごとに衝立で仕切りが置かれて、青々とした観葉植物が落ち着いた雰囲気を演出しています。
一番奥には通路が伸び、通路手前には男女別の化粧室が完備され、更に奥へ進むと、予約限定の個室席がいくつか在ります。
クリーム色の壁紙に暖色系の間接照明で、適度に仄暗く、調度品のテーブルや椅子、棚等は全て黒で統一されています。
これが、落ち着いた大人の雰囲気と言うんでしょうかね。ゆったりとしたBGMに合わせて、店内の時間までゆっくりと進んでいるように思えます。
「いらっしゃいませ。いつものお席でよろしいですか?」
お店のマスターさんの、綺麗な白髪を全て撫で上げ、こちらも真っ白な口髭を生やした執事然としたタキシード姿の鬼人の男性が、グラスをこれまた真っ白な布巾で磨きながら迎え入れてくれます。
ワタシは彼に頷くと、いつも座らせていただいている、マスターさんとはカウンター越しに正面となる席に、腰を下ろしました。
空かさずマスターさんが、熱いおしぼりを開きながら、丁寧に渡してくれます。
よほどお熱いでしょうに、いつもマスターさんは眉ひとつ動かさずに、おしぼりを即座に適温にまで冷ましてくださるのです。
その流れるかのような所作はとても美しく、また非常に紳士的に感じますね。
「お飲み物は如何なさいますか?」
「そうですね。最初はやはり、軽めのビールをお願いします」
このお店、ビールとひと口に言っても、数種類在るのです。
軽めの味わいで爽快感のある、黄金色のビールのピルスナー。
香り高く味わい深い、黒いビールのスタウト。
フルーティな甘みが特徴の、赤いビールのフルーツビール。
そしてマナカ様がどうしても飲みたかったという、クリーミーな泡と控えめな苦味のヴァイツェン。
頼めば飲み比べもさせてもらえますし、気分を伝えればマスターさんがオススメを教えてくださいます。
ワタシは最初はラガー系のピルスナーで、後はエール系のヴァイツェンに変えるのが、よくする飲み方ですね。
「かしこまりました。本日の先付けは、出汁巻き玉子とナスの煮浸し、それといいモノが入りましたので、辛子明太子をお付けしています。ご用意してもよろしいですか?」
「ええ、いただきます」
このお店は、いわゆる“お通し”や“先付け”といった物は、強制ではありません。客の嗜好や空腹度に応じて、食べるか否かを選ばせてくれるのです。
恐らく念話を用いて厨房とやり取りをしているのでしょう。確認したマスターさんはそのまま、細長いピルスナーグラスを器用に操り、客から見える位置でサーバーからビールを注ぎます。
ほぼ真横に倒されたグラスに黄金色のビールが流れるように注がれ、7分目といった辺りでグラスは真っ直ぐにされ、泡を注がれます。
美しく正確な7:3の比率で注がれた黄金と白の色合いに、思わず喉が鳴ってしまいますね。
「お待たせしました、ピルスナーでございます。それとこちらが、先付けの三種盛りでございます」
木彫りのコースターの上に、音を立てずに置かれたグラス。そしてお箸と、横長の複数盛り用のお皿に、本日の先付けが三種盛られて差し出されます。
「マスターさん。それと、食べられる物をお願いします。今日のオススメは何でしょう?」
「お食事でしたら、深海魚であるメヒカリの唐揚げか、豚のタンの赤ワイン煮込みが、本日のお勧めでございますね」
「では、豚のタンの方をお願いします。いただきますね」
「ご用意させていただきます。ごゆっくりお寛ぎください」
再び念話で指示を伝えたのでしょう。
マスターさんはそのままグラス磨きを再開します。
まずはひと口ビールを飲んでから、その喉越しを楽しみます。そして先付けのナスの煮浸しに箸を着けいただきます。
チリリーンと、澄んだドアベルの音が耳に届きます。
「いらっしゃいませ。いつもご来店、ありがとうございます」
「マスター、こんばんは! 今日もお邪魔しまーす♪」
「お邪魔いたしますわ」
おや、あの二人(二体)は……
「あら? 都市魔物総括の、アマコ様ではありませんの?」
「え? あーホントだぁ! 奇遇ですねアマコさーん♪ こんな所で会えるなんて、アタシとてもとても嬉しいわ♪」
「貴女達でしたか。階層の守護はよろしいのですか?」
まだ宵の口の早い時間に、二人連れ立って入店してきたのは、マナカ様のダンジョン【惑わしの揺籃】の階層主の魔物でした。
「このようなお早い時間に、珍しいですわね。お独りですの?」
「ええ。マナカ様に特別休暇を頂いたので」
第25階層の主、メデューサのサツキ。
防衛戦では、ペットのパラサイトスライムに寄生させた魔物を操り、自身も強力な【石化の邪眼】スキルで攻撃をしてきます。
ご令嬢のような話し方と、頭部に髪の代わりに無数に生える蛇達が特徴の、人型の魔物女性ですね。
「アタシ達も、ダンジョンが【家族旅行モード】に差し替えられたから、非戦闘系のアタシたちはお休みなのよ。それでサツキちゃんと一緒にいつものお店に行こうって、お出掛けして来たの♪」
第35階層の主、人魚姫のリリス。
戦闘はしないものの、下層へ続く島を守護する魔物で、悪天候を操る大海蛇のドザエモンを飼い慣らしている。
まあ飼い慣らすというか、彼女は魔法の込もった歌を歌い続け、ドザエモンはそれを楽しんで踊り狂うだけなのですがね。
攻略者はそのドザエモンが起こす大嵐に耐えながら、リリスが満足するまで歌を聴き続けるという、意味不明な試練です。
少し以前にマナカ様が階層主の調整に入りましたから、恐らくはその時に、下半身を人化させる何かしらの術を授けられたのでしょう。
本来の彼女は、半人半魚の、美しい魚の尾ビレを持つ姿ですからね。
「なるほど。それでは各階層は、現在はどなたが?」
「アタクシの階層は、“ダイダラボッチ”さんが護っていますわ。ペットちゃん達は、スライム軍団の司令塔ですわね」
「アタシの所は、シーサーペントが回遊組に加わって、主は“海座頭”のおじいちゃんね。ドザエモンには危なくなったらちゃんと逃げるように言っといたわ! だって、アタシの一番のファンのドザエモンが居なくなったら、アタシとてもとても悲しいもの!」
ダイダラボッチですか。
マナカ様の前世で、山を運んだり湖を作ったという伝説を持つ巨人ですね。
この世界のどんな巨人系の魔物よりも大きく、強く。巨人系の魔物が多く出る岩場エリアの主としては、ピッタリでしょうね。
そして海座頭は、楽器の琵琶を背負った老人の姿をした妖怪ですね。小柄な見た目ながらも、海を自在に操り、幾人もの漁師を海に沈めてきた、恐ろしい妖怪です。
これまた、海エリアの主に相応しい妖怪でしょう。
「どちらも、マナカ様が産み出された妖怪ですね。能力も高いですし、それならば安心です」
「アタクシとしては、階層守護者としてマスター様のお役に立ちたかったのですけれどね。ですが支援系の能力者では危険だと、マスター様が仰いましたのよ」
「アタシはお歌を歌うことと泳ぐことしか出来ないし、ドザエモンだって戦いが好きなワケじゃないからねぇ。海座頭のおじいちゃんも、『羽を伸ばしてくるがええぞ』って言ってくれて。アタシ、とてもとても嬉しかったわ!」
ワタシと話しながら、二人はマスターさんにお酒を注文します。
あら、二人でボトルをキープしていたんですね。手慣れている様子ですし、結構な常連のようです。
キープしていたのは……麦焼酎ですか。
芋ほど香りが強くなく、口当たりも優しいですからね。わりと女性向けかもしれません。
割り物は緑茶と水ですか。まあそこは好みですからね。
ちなみにワタシは、烏龍茶割りが好みです。
用意が整い、一杯目が注がれました。
「それでは、アマコ様。乾杯ですわ」
「お疲れ様です♪」
「ええ、お疲れ様です、二人とも。乾杯」
自然と二人と一緒に飲む雰囲気になったので、ワタシは二人の焼酎グラスと自分の物を合わせます。
というか、この二人は何故か、ワタシを挟んでカウンターに座ったのです。
まあ嫌ではないので、構いませんが……
少しして、ワタシが頼んだ豚タンの赤ワイン煮込みが出来上がったのを見て、二人が我もと料理を注文しました。
サツキがアサリの酒蒸しを、リリスがネギトロとアボカドのカクテルサラダをそれぞれ頼み、だというのにワタシの料理を恨めしそうに眺めてきます。
「……良ろしかったら、二人も召し上がりますか?」
「ホントですの!? 嬉しいですわ! アタクシのアサリの酒蒸しもシェアいたしますから、少し味わわせて頂きたいですわっ!」
「アタシのネギトロアボカドも分けてあげるっ! せっかくだし、三人で色々頼んでシェアしましょっ♪」
普段誰かと食事やらお酒やらを楽しむことがそうありませんので、なんだか新鮮ですね。
ワタシはマスターさんにお願いして、取り分け用のお皿を、人数分用意していただきました。
ゴロリとしていながらも、ナイフを当てるとホロリと柔らかい豚のタンを、二人に取り分けて差し上げます。
「んんんーッ♡ お口の中でホロホロと崩れて、赤ワインの豊かな香りが広がって、大変美味ですわー!」
「ギュッと凝縮されたお肉の旨みが最ッ高ッ♡ とてもとても美味しいわっ♪」
ええ、本当に!
このお店の料理は全て、マスターの故郷の料理をアネモネ様が再現し、それを指導された厨房担当者“イタマエ”さんが腕を揮っています。
食材から調理法から、この世界の水準を遥かに超えたモノばかりなので、少々値は張りますが納得の美味しさですね!
世界中何処を探しても、マナカ様の邸宅を除いて、このお店ほどの料理を出すお店は存在しないでしょうね。
一応“Bar”と謳っているんですけどね、このお店。
ワタシ達は、美味しいお酒と美味しい料理に夢中になって舌鼓を打つのでした。
◇
「らからぁ〜、アタクシもぉ、マスター様のためにぃ、活躍したいのれすわぁ〜!」
「アタシらってぇ、ホントはあるじ様のお力に、なりたいれすぅ〜!」
お腹も膨れてしまい、後はチビチビとお酒を飲むばかりになった頃。
呂律も怪しくなり、それでも飲むことは止めないサツキとリリスが、ワタシに撓垂れ掛かってきます。
これが、世に言う“絡み酒”というものですか。
お酒の勢いで願望がダダ漏れですね。
「らんとからりませんのぉ〜? アマコ様ぁ〜!」
「アマコさんならぁ、あるじ様にお願いぃ、聞いてもらえらいんれすかぁ〜?」
やれやれ。
二人とも魔物だというのに、人間用のお酒ですっかり酔っ払ってしまって。
ですが、二人の気持ちも分かります。
マナカ様はこのダンジョンを留守にして、戦争に向かわれます。
確かにこのダンジョンには、隣国のユーフェミア王国の民達や、新興国である新生魔王国オラトリアの民達が多く暮らしていますから、攻め入られる事無く、外界にて決着を着けたいというマナカ様のお考えには賛同いたします。
しかし本来であれば此処こそが、マナカ様のお力を真に発揮出来る場所なのです。
そして留守を預かりながらも、戦力的にはリクゴウ家の方々の足元にも及ばない我等。
口惜しい気持ちは、良く分かります。
「そうですね。マナカ様にお頼みしても、なかなか首を縦には振ってはいただけないでしょう。なので……」
「にゃので〜?」
「らんれすのぉ〜?」
二人に、たった今思い付いた案を披露します。
ふふっ。こんな突拍子もない事を考え着くだなんて、ワタシも少し、酔いが回ってきているのかもしれませんね。
「ワタシ達で、コッソリ冒険者登録してしまいましょうか。どうせ休暇中で暇ですし、戦争までの間に少しでもレベルを上げて、冒険者として参戦してしまいましょう。マナカ様が与えて下さった自由意志を、今こそ存分に揮いましょう? 自由と自己責任が旨の冒険者相手でしたら、マナカ様も無理は言えませんよ、きっと」
「おお〜っ!!」
「しょれれすわぁっ!! しゃしゅがアマコ様れすわぁ〜!」
それに冒険者ギルド・クレイドル支部には、あのコルソン様も居らっしゃいますからね。
マナカ様のためと言えば、あのお方ならきっと、お力添えをしていただける筈です。
「では、二人もそれでよろしいですね? 今日はワタシの家に泊まってください。明日、一緒にギルドに参りましょう?」
「感謝いたしますれすわぁ〜!」
「アマコしゃん! アタシ、とてもとても、嬉しいれすぅ〜♪」
そうして話がキリとなると、二人はカウンターテーブルに突っ伏して、眠り始めてしまいました。
まったく、お店に迷惑でしょうに。
「マスターさん。夜行馬車を一台、手配していただけませんか? 二人の飲食代もワタシがお支払いいたしますので」
「かしこまりました。到着いたしましたらお報せします」
馬車を待つ間、グラスに残ったビールを惜しみながら飲み干します。
しばらくゆっくりと過ごしていると、馬車が到着したとマスターさんが教えてくださいました。
ワタシはサツキとリリスをそれぞれ馬車へと抱いて運び、改めてマスターさんにお礼を言いました。
すると、マスターさんは。
「お客様。本日はとてもお楽しそうに過ごされたようで、大変嬉しく思います」
そう、仰いました。
その言葉に「確かに」と。ストンと、胸の内に温かいモノが落ちた気がします。
ですので、ワタシはマスターさんに真っ直ぐに向き合って、言葉を発しました。
「本当に、今日は楽しかったです。また三人でお邪魔させていただきますね」
マスターさんに見送られて、ワタシ達三人を乗せた夜行馬車が、夜の繁華街を走ります。
産まれて初めての、友人との思い出も乗せて。