閑話 王家団欒。
王都ユーフェミア・ブレスガイア城
城の中庭に剣戟の音が響き渡る。
剣同士が触れ合い刃を滑る度に、耳をつんざくような擦過音が鳴り、鼓膜を震わせる。
「ま、まだまだぁッッ!!」
「その意気や良し! 往くぞぉっ!!」
長剣を構え直した少年が大剣を携えた偉丈夫に向かって、持ち前の圧倒的な速度で以て間合いを詰めていく。
「【雷光針】ッ!!」
かと思いきや間合いを詰めながらも魔法を行使し、まるで太陽を直視したかのような眩い光を発した。
「ぬおっ!? ぐぬっ……!?」
その速度故に動きを凝視していた偉丈夫は、突然の発光に思わず目を庇い、視線を切ってしまう。しかし少年が自ら考案し、練り上げた魔法の効果は、単なる目眩しが目的なだけではなかった。
「これは……麻痺の針かっ!?」
少年――ユリウス・ユーフェミアは、自身が得意とする雷魔法を工夫し、閃光と共に対象に複数の雷の針を飛ばしたのだ。
魔力で再現したとはいえ雷そのものである針からは、高圧の電流が流れ込み対象の身体の動きを阻害する。また針のように小さく細い投射武器ならば、閃光に紛れて気付かれ難く、且つ回避し辛いという利点があった。
そこに雷魔法の特性である高い貫通力が併さり、極細の針と言えども堅い筋肉や鎧にも難無く刺さり、対象の動きを妨げるのである。
「取ったあああッ!!」
その一瞬の目眩しと動きを阻害する針によって、相手に決定的な隙が生まれる。
ユリウスは動きを一気に加速させ、相手の左手……利き腕ではない方へと回り込み、その手に持つ長剣を振るった――――
「なッ!!??」
だがしかし相手が咄嗟に地面に突き立てた大剣が盾となり、それに身を隠した偉丈夫――マクレーン・ブリンクスの急所には、届くことはなかった。
どころか、渾身の力で剣を振るったため身体は硬直し、その速度は殺されてしまっている。
「ぬぇりゃあっ!!」
そして大剣に触れているユリウスの剣の力加減から、相手の身体の位置や体勢を鋭く察知したマクレーンは、盾とした大剣に体当たりをするが如く身体を当て、その身長に匹敵するほどの重厚な鋼鉄の塊を跳ね上げた。
「うおわッ!?」
大剣の腹を用いての盾撃。
余計な力みから意図せず体勢の崩れていたユリウスは、咄嗟に頭部を護りながらも呆気なく吹き飛ばされた。
「それまで!!」
マクレーンにユリウスが弾き飛ばされ地面にその身を打ち付けた直後、中庭に鋭い声が響く。
声の主はユリウスの姉である、フリオール・エスピリス・ユーフェミアであった。
中庭に在る東屋にて、父親であるフューレンス王、母親のグレイス王妃、そして兄弟達が見守る傍らに控え、模擬戦闘の審判を務めていたのだ。
目眩しと電流の針による麻痺から回復し、世に【軍神】と謳われるマクレーンが、大剣を背中に納めて立ち上がる。
「くおぉ〜! イツツツッ……!」
少し遅れて、マクレーンの大剣に弾き飛ばされたユリウスも大地にぶつけた肘や膝を擦りながら身を起こした。
「いやはや、ユリウスよ。随分と腕を上げたものじゃな」
「イケると思ったんだがなぁ……。流石はマークおじさんだわ。まさかとっておきの【雷光針】も通用しないとはな」
歩み寄って差し出したマクレーンのその手を素直に取り、助けを得て立ち上がりながら、賛辞を受け取るユリウス。
極度の集中が解かれたその顔には、汗がビッシリと滴っていた。
「いや、あの閃光と雷の針はちゃんと効いておったぞ。その後の展開は、云わば経験の差じゃの。身体の動きが阻害されようと、剣を地に突き立てるくらいはできる。見えてなかろうと長年の戦さの勘働きで、お主ならこう動くだろうと察することはできる。利き腕の逆から攻めるのは、まあ定石じゃからのぅ」
「そうか……経験か。オレにはまだ足りていないものだな。やっぱ対人戦で戦い抜いてきただけあるわな」
「その他の戦い方も見事じゃったぞ。剣の損耗を防ぐ太刀回しや速度の緩急の付け方、そして魔法の組み込み方の工夫もじゃな。この短期間で、まさかこうまで迫られることになるとはのう」
模擬戦の反省を行いながら、王家の面々の待つ東屋へと歩く二人。その二人を出迎えるのは、審判を務めていたフリオールだ。
「二人とも、見事な戦いだったぞ。ユリウスも腕を上げたな。我は誇らしいぞ。特にマークおじ様を追い詰めたあの魔法は素晴らしかった。後で我にも教えてくれぬか?」
成長期真っ只中で姉に身長が追い付いた弟の頭を、それでも撫でてやりながら、そうユリウスに声を掛ける。
「一応自前のとっておきなんですがね。分かりましたよ、フリィ姉……リクゴウ夫人?」
「んなっ!?」
照れを隠しながら頭を撫でる手から逃れ、意趣返しを試みるユリウス。今度はフリオールがその顔を赤くして狼狽える番であった。
「ちょまっ!? ユリウス! 揶揄うんじゃないっ!!」
「はいはい、リクゴウ夫人。失礼しましたっ」
迷宮の主であるマナカ・リクゴウと正式に婚約したフリオールは、婚儀の暁には姓がリクゴウとなる。
それを揶揄するユリウスは、姉の照れ隠しに振り上げられた拳から、そそくさと家族たちの元へと走り寄る。
「ユリウスよ、見事であった。随分と腕を上げたな」
「父上、ありがとうございます。とは言っても、最後には無様を晒しましたが」
「ユリウス兄上! 格好良かったです!」
「マークおじ様をあそこまで追い詰めたんですもの。素晴らしいですわ、兄上」
父親であるフューレンス王を始め、見学していたミケーネ第4王子とマーガレット第2王女も、口々にユリウスに賛辞を贈る。
父親に返礼をしてから、二人の弟妹の頭を撫でてやるユリウス。
そんなユリウスに、マクレーンとの模擬戦をハラハラしながら見詰めていた母親であるグレイス王妃が、心配そうな顔で近付く。
「まったく……いくら腕を上げたと言っても、いきなりマクレーン卿と模擬戦だなんて。ユリウス、貴方はせっかく若返った母をまた老けさせる気ですか……! 怪我は無いですか? 痛む所は?」
「母上、すみませんでした。【軍神】はオレの目標でもあったので、つい気が逸ってしまいました。身体は大丈夫ですよ。これでも、マナカの所でかなり鍛えられて来ましたから」
若返ったせいで完全に同年代の少女にしか見えない母親に苦笑しながらも、ユリウスは心配を掛けたことを詫びる。
「さあ皆。良き戦いに盛り上がるのも良いが、少し風が出てきた。話の続きは、城内でするとしよう」
フューレンス王の掛けた一言で、王家の面々は近衛騎士を伴いながら、城の王族の居住区域へと引き上げて行った。
◇
王族が食事を摂るその一室に、実に久方振りに家族が揃った。
国王夫妻であるフューレンスとグレイス。
第2王子のセイロン。
第3王子のユリウス。
第4王子のミケーネ。
第1王女のフリオール。
第2王女のマーガレット。
神皇国ドロメオの宣戦布告に始まり、政務に携わっていないユリウス以下の子息達は、長女のフリオールが治めるダンジョン都市“幸福の揺籃”に保護されていたのだ。
離れ離れであった家族が一同に会し、こうして食卓を共にするのも、穏やかな空気でこうして団欒を楽しめるのも、全ては一人の男のおかげであった。
迷宮の主にして魔族である男、マナカ・リクゴウ。
ある日突然現れたその男は、ユーフェミア王国にも、その王家にも、劇的な変化を生じさせた。
本人曰く、生き残りたいから手を組む。
そう言ってユーフェミア王家に近付いて来たマナカは、国王を始めそれを取り巻く柵すらも次々と打ち砕き、捻じ曲げ、さりとて決して己の利益ばかりでなく、王国にも多大な恩恵を齎したのだ。
(しかし、治せぬ歪みも在った。愚かだったとはいえ、かつての我が長子に哀悼と謝罪の意を捧げる。正しく導いてやれなかった、お前と同じ愚かなこの父を許せ、ウィリアム)
食事を始める前の祈りの時。
フューレンス王は、自らが裁き命を奪う事となった、元ユーフェミア王国王太子であった息子への祈りを捧げていた。
無言で祈る家族を眺めれば、言葉にせずとも皆が同じように、兄であった男の冥福を祈っているのが判った。
皆の黙祷が終わったのを見計らい、フューレンス王はグラスを手に取り言葉を発する。
「我が愛しい家族たちよ。我が国はこれより、未曾有の大事変へと身を晒すこととなるだろう。北の大帝国やその背後に控える邪神との、この世界の存亡の懸かった大変な戦さとなろう。だが案ずる事は無い。
「セイロンよ。お主は益々利発さに長け、その政務の手腕は宰相も認めるところである。少々野心に欠けるところはあるが、これからの時代、お主の政治手腕は益々脚光を浴びることとなろう。
「ユリウスよ。お主に芽生えてきた強き思い、余は嬉しく思う。弟妹を慈しむ優しさも、戦いに臨む厳しさも。良くぞそこまで成長してくれた。お主にも思うところは有ろうが、またいずれ語り合おうぞ。
「ミケーネ。他者と向き合う強さは、分け与えられるものではない。それはお主が自ら得た強さである。その今はまだ小さき誇りを、大切に育むのだ。辛き時は塞ぎ込まず、父や母、兄や姉を存分に頼れ。余も、確と耳を傾けよう」
王から向かって左側に並んで座る王子達。その彼ら一人一人に、フューレンスは語り掛ける。
「フリオールよ。お主の嫌った政略の上での婚約となったこと、まずは謝ろう。済まなかった」
続いて右側に座る王女達へと視線を向け、語り始める。
「お主のマナカへの想いを、余は利用した。余にとっても……いや、王国にとっても、あの男は最早大切な男なのだということを、お主であれば解ってくれよう? あの男が、マナカが必ず生きて戻って来られるよう、常に傍に立ち、良く支えるのだ。出来るな? 我が愛しい娘よ」
厳しくも温かい視線を向けられて、フリオールは背筋を伸ばし、真っ直ぐに見返して答えを返す。
「はい、父上。何時ぞやの塔で誓った言葉の通り、必ずや」
かつて元王太子に幽閉された時の言葉を、今一度父親に誓うフリオール。その顔は未だあどけなさを残しつつも、支えるべき主人を見定めた、自らの妻の顔と瓜二つであった。
「マーガレットよ。お主には姉の分も淑女たれと、色々と手厳しく教育を課してきた。お主がそれに不満を持つこともせず、真摯に自らを磨いてきたことは良く知っている。愚かな父に褒められても嬉しく思わぬだろうが、お主は王女として、立派に成長した。何か望むものが有れば、申してみるが良い」
隣りで頬を掻いて視線を逸らす長女越しに王が末の娘を見遣ると、マーガレットは瞳を輝かせ、嬉々として口を開く。
「では父上。僭越ながらマナカ義兄上様の都市に、欲しい人材が居りますの。孤児のモーラという子なのですけど、わたくしとお友達になって下さいましたの! 大変利発で、活発で、是非共に暮らしたいと思っておりましたの! 如何でしょうか? モーラを、わたくしの専属侍女に引き立てて頂けませんか?」
ダンジョン都市で過ごした思い出を反芻しながら、マーガレットは父王に願いを伝える。
それを聞いたフューレンス王は、些か面食らいはしたものの、嬉しそうに口元を綻ばせた。
「そうか。良き友人と巡り逢えたのだな。打診はしてみよう。保護者であるマナカと、そしてそのモーラという娘さえ良ければ、お主の専属の従者として迎え入れよう。もちろん、それなりの処遇も約束しよう」
「言質は頂きましたわよ父上っ。そのモーラですが、将来の夢はマナカ義兄上様のお嫁さんですの! その時には、わたくしの裁量で良きに図らいますわね!」
とても良い笑顔でそう宣うマーガレットに、話を聴いていたユリウスが「ぶふっ!!」と堪えきれずに噴き出した。その隣りではミケーネが困った顔で笑っている。
「お、お主、謀りおったな!? なんなのだその娘は!? マギー、お主最初からそれが狙いで……!」
「当然ですわ! フリィ姉上がご婚約されたとしても、マナカ義兄上様を慕う女性達はまだまだ大勢居らっしゃるのです! 王国と末永くお付き合い頂くには、こちら側にも多くの味方が必要ですわ! 特に、義兄上様と親交の強い人物が、ですわっ!!」
将来的にマナカに近しくなると、そう見込まれる人物を囲み込む。なるほど妙案であるし、情に絆され易いあの男になら充分に効果が見込めるであろう。
しかしそれを考え、王すら出し抜いて実行に移したのが若干12歳の娘であるという事実に、フューレンス王は口元が引き攣るのを止められなかった。
「まあまあ陛下。見たところ関係は良好そうですし、王国の益になるのでしたら、良いではありませんか。わたくしは、マギーの純粋なお手柄だと思いますわよ」
自身も苦笑を浮かべつつも、国王の妻であるグレイスが王を宥める。
「いや、だがなグレイスよ。こんな、マナカを騙すようなことは……!」
「人聞きが悪いですわ父上! 父上も先程仰ったではありませんか。マナカ義兄上様とモーラが頷けば、と。決して王家の策略で取り込む訳ではございませんわ! お互いの合意の下に行われるのですから!」
「ぐむ……っ!」
まさか【名君】と謳われし王が、実の娘とはいえ、12歳の少女に言いくるめられる。
それを見て溜め息を吐く者、腹を抱えて笑う者、困ったように苦笑する者など反応は様々であったが、意に反して晩餐の席は、和やかな空気に包まれた。
「まったく……少々強かに育てすぎたやもしれんな。妃に良く似てきた」
「お褒めの言葉として受け取らせて頂きますわ、父上。ではお声掛けの方、お願い致しますわね?」
「うむ……まあ、言ってしまった以上確と打診はしよう。その代わり、先方の意向が優先であるからな? 努忘れるでないぞ?」
「承知致しましたわ、父上!」
満面の笑みで席に腰を下ろすマーガレットに、頼もしいやら末恐ろしいやらと、複雑な心境で苦笑するフューレンス王。
「さて、すっかり前置きが長くなってしまったが、この度我が国は前代未聞の諸国連合の宗主国と相成った。余やマーク、そしてフリィは戦場へと赴くが、留守はお主達に任せるぞ。
「お主達であれば、宰相の手助けもあることであるし、今の王権が戻った王国であれば、抑えていられよう。余の代理である王妃……母上を良く支え、助けてやってほしい」
フューレンス王の発した願いに、兄弟達は親譲りの強い目を返し、返事をする。
そこに頼もしさと喜びを感じながら、フューレンス王は手に持ったグラスを掲げる。
「フリィの婚約の祝いと、我ら王家の結束。そして我らが王国と、迷宮の益々の発展を祈って」
家族揃ってグラスを掲げ、口々に乾杯を唱和する。
酒を嗜まないセイロンは紅茶で、未成年のマーガレットとミケーネはジュースであったが。
そして話題は、やはり一人の男のことが中心に巡る。
マナカの奴は……
マナカめ……
あ奴のおかげで……
王族らしからぬ賑やかな団欒となったが、その温もりは、彼らの誰しもが求めていたことかもしれない。
各々の頭の中で、悪戯が成功したような、少年のような笑みを浮かべる男の姿が、時に道化のように、時に物語の主役のように、踊り、戯け、それぞれの口から語られる。
それを感慨深げに眺めつつ、時に笑いつつ。
フューレンス・ラインハルト・ユーフェミアを始めとする王家の面々は、この局面を左右するそのたった一人の男を護らねばと、強く思ったのであった。