第十四話 大帝国の七勇者。
ホロウナム大陸
アーセレムス大帝国・帝剣城ユーナザレア
「大帝陛下。東部戦線より兵達が戻りました」
「大帝陛下。北東部戦線からも同じくです」
「南東部戦線も同じく」
「大帝陛下。旧魔王国オラトリアより全ての兵達が戻りました」
各方面からの報告が、矢継ぎ早に大帝に伝えられていく。
そこは円卓会議の場であり、上座に大帝を戴き、アーセレムス大帝国の重鎮達が見守る中で、各戦線の指揮官達が大帝に目通りを果たしていく。
大帝国の指導者である大帝、クワトロ・ヴォンド・アーセレムスは、鷹揚に構えたままそれらの報告に耳を傾けていた。
そして各軍の報告が終わり、それら将軍達と入れ替わるようにして議場に入って来たのは、一人の女性だ。
「大帝陛下。各地より“勇者”達が戻りました。現在は別室にて待機させておりますが、連れて参りましょうか?」
入場し報告をした女性は、名をナザレア・ヴォンド・アーセレムスという。この大帝国の大帝の実の娘で、最後の子である。
線の細い身体に白いドレスを纏い胸元は大きく開けていて、大帝の血の呪いの象徴である【隷属紋】が、磁器のような白い肌に黒々と浮かび上がっている。
大帝譲りの黒い長髪にほんの一筋、赤い髪を持つ美しいその娘は、決して父親である大帝にその紅い瞳を向けずに、目を伏せたままで言葉を紡ぐ。
「良い。謁見の間で待たせておけ。此方はもう切りが着く故、その後に向かう」
「御意に。謁見の間にて待機させておきます」
そう大帝からの指示を受け、ナザレアは一礼してから退場する。
帝剣城の長い回廊に、集団の靴音が反響する。
近衛兵が四人ナザレアと同行し、彼女の周囲を囲んでその身を護っている。
(この帝剣城でわたくしや大帝に危害を加えようなど、出来るはずもないのですけどね……)
自身の周囲を固める兵達を冷めた目で観つつ、気付かれないようそっと溜息を吐くナザレア。
彼女は識っている。
この大帝の居城である帝剣城ユーナザレアは、ただの城ではないことを。
彼女の父親であるクワトロ大帝が自ら支配する、迷宮だということを。
迷宮の権能により、大帝とその身内である彼女は、迷宮内では上位者として登録されている。その上位者に対し牙を剥くことなど、ただの配下である者達には叶う筈もないのだ。
そもそもあの歪んだ愛情を持つ大帝が。あの父親が、余人にナザレアの身に触れさせる事など、許す筈もない。
自身の血の呪いを受け、決して叛意を抱けない美しい実の娘。
そんな女性しか愛せない異常な性癖を持つ男によって、彼女は誰の手からも護られているのだ。
最後に残った、唯一人の愛玩人形として――――
「皇女殿下。勇者殿達の部屋に到着しました」
自身の呪われた境遇を思い返していたナザレアに、先を歩いていた近衛兵の女性が声を掛ける。
彼女に付けられた近衛は、全て女性である。ナザレアは徹底して、男性から遠ざけられているのだ。
「入りましょう。大帝陛下のお言葉を伝えます」
ナザレアは近衛兵の先導を受けながら、大帝が喚び寄せた“異界の勇者”達が集う部屋へと入室して行った。
◇
謁見の間。
空の玉座の前に、七人の男女が横一列に待機している。
彼等は皆、大帝国の正規兵のどれとも異なる装備を身に着けていたが、その品質はいずれも、比べ物にならないほど高い。
それもそのはずで、彼等こそアーセレムス大帝国が世界に誇る最高戦力である、大帝が自ら異界より召喚した“勇者”達なのだ。
「大帝陛下の御成りである!」
待機していた七人の勇者達を横目に観ながら、玉座の下の段に辿り着いた大臣ら国の重鎮達。
その内の最も位の高い、場を取り仕切る宰相の位置に立つ壮年の男が、徐に宣言した。
謁見の間に集まった全ての人間が、玉座に向かって跪き、頭を垂れる。
最も高い玉座の置かれた段の袖から、この国の指導者であるクワトロ大帝が、娘であるナザレアを引き連れて入場して来る。
権威の象徴たる王冠を被り、威光を示す王笏を片手に、最も権威ある者にしか身に着けることの許されない濃い紫色のマントを翻して、玉座の下に集った臣下達を睥睨してから、鷹揚に玉座へと腰掛ける。
齢はとうに80を超えているのだが、迷宮の恩恵を受け定期的に霊薬を服用しているため、その姿は未だ若々しく、この世界の人間では珍しい黒髪は艶を湛えている。
その見た目だけならば20代前半といった父親の脇に娘であるナザレア皇女が控えると、大帝はその口を開いた。
「面を上げよ」
クワトロ大帝のその言葉に、臣下一同が跪いたままで顔を上げる。まだこの段階では、大帝に目を向けることも、立ち上がることも許されない。
一同は正面よりやや下を見据えて、大帝の次の言葉を待つ。
「許す。楽にせよ」
この言葉でようやく、立ち上がって大帝の顔を見ることが許される。
臣下達は一様に立ち上がり、大帝に黙礼を捧げてから身体の向きを変える。
その視線の先には、未だに跪き、頭を下げている勇者達の姿があった。
「勇者達よ、面を上げよ」
先程の焼き返しのように、勇者達にも大帝が許しを与える。
二度目の許しを受け勇者達も立ち上がり、大帝に黙礼を捧げた。
「では、各自の報告を聞こう。宰相よ」
「はっ。では、【迅雷】の勇者殿よりご報告を。」
「はい」
大帝の補佐である宰相が報告者を指名する。【迅雷】の勇者と呼ばれた黒髪を刈り上げた、銀縁の眼鏡を掛けた青年が、返事と共に一歩前へと進み出た。
「【迅雷】、倉敷悠真です。私は北方の海岸線に巣食う、魚人族の討伐を完了してきました。村落は全て焼き払い、残党も居ません」
「よろしい。次、【水麗】の勇者殿」
倉敷悠真と名乗った青年が列に戻り、入れ替わりに肩口ほどの髪を金髪(根元は既に黒髪が目立っているが)に染めた少女が進み出る。
「はーい。【水麗】の立科アゲハでぇす♪ アタシはぁ、南の森のダークエルフの村を潰してきましたぁ♪ 生き残りは居ないと思うよぉ♪」
「次、【大山】の勇者殿」
次に前へ出たのは小柄な、彼の故郷であれば小学生と言っていいほどの年齢に見える、茶髪の少年だ。
「た、【大山】の勇者の、は、服部夕陽です。ぼ、ぼくは北西の山の中の、リ、蜥蜴人族を倒しました。に、逃げれたヒトは、い、居ないと思います」
呂律が上手く回っていない様子で、吃りながら報告した少年が列に戻る。
「続いて、【豪炎】の勇者殿」
少年と入れ替わったのは、頭をスキンヘッドにした体格の良い青年だ。
「【豪炎】、陣内紀文。帝都南西の亜人のゲリラを討滅した。以上だ」
言葉短かに簡潔に述べて、【豪炎】の勇者はさっさと列に戻った。
「……次、【風華】の勇者殿」
そんな【豪炎】の勇者に溜息を漏らしつつ、次の勇者を指名する宰相。呼ばれたのは20代前半ほどの女性である。
「【風華】の勇者、一条菖蒲ですわ。あたくしは旧魔王国オラトリア攻めにて、北軍を率いましたの。中央以北に魔族は、残って居なくてよ」
艶のある漆黒の長髪。毛先は前髪も後ろ髪も一直線に切り揃えられている、いわゆる撫子ヘアーの女性は優雅に髪を払いながら報告する。
「大変結構。次は、【闇静】の勇者殿」
宰相の言葉に、ゆらりと進み出る黒髪の高校生ほどの年齢に見える少年。前髪は伸びて目を覆い、襟足も肩まで届きそうなくらいに伸びている。
彼は前髪を上げることもなく、まるで宰相を見下すように顎を上げて、朗々と、まるで水を得た魚のように語り出した。
「【闇静】の勇者、城ヶ崎智彦。我は南軍を指揮してオラトリア攻めに参戦した。我が闇魔法の舌禍たる威力によって、魔族共は尽く灰と化したわ。やはり魔の者は、灰より出でて灰に帰す運命なのであろう。我が最強の呪文たる【闇の渾沌】によって敵戦線は千々に崩れ、ともすれば涙を流し命を乞う者まで――――」
「もう結構、退がりなさい。では続いて――――」
こめかみを押さえ、目を瞑ったまま宰相が報告を強制終了させる。仲間の勇者達も謁見の間の大帝の臣下一同も、苦笑を浮かべていた。
「【光貴】の勇者殿、報告を」
不承不承ながらも列へと戻った【闇静】の勇者と入れ替わり、髪を綺麗な金髪に染めた、20代半ば程の見目の良い青年が進み出る。
ひと目で特注品と判る意匠の細かいピアスを左右の耳に揺らし、【闇静】の勇者とはまた違った、自信に溢れた佇まいで口を開いた。
「【光貴】の勇者、冷泉桐梧だ。オレはオラトリア征伐軍の中央を率いて、連中の王都を落としてきた。“魔王”クシュリナス並びに四天王だかって奴らも潰してきたし、連中もどうやらダンジョンを都市にしていたらしいからコアも破壊した。都民の討伐はオレの管轄じゃないから、軍団長に訊いてくれ」
一種のカリスマ性とでも言うのか。彼から溢れ出る気迫のようなものに、列席した貴族らは知らずの内に冷や汗を流していた。
それは対峙する宰相も同じようで、その堂々とした佇まいに気圧されて、不敬を咎めることも忘れていた。
彼は人の上に立つ者……王者の風格を備えて、ただ淡々と報告を済ませて、列に戻ってしまった。
「……コホンッ! 大帝陛下。以上が、勇者殿方の報告でございます。何かご不明な点は?」
謁見の間を満たした静寂に慌てて取り繕った宰相が、大帝に伺いを立てる。
その言葉を受けた大帝は、一度勇者達を見渡してから、徐に口を開き語り出した。
「七勇者達よ。各々の大任、まことに大儀であった。褒美は後ほどナザレアに持たせ、今日より七日間の休養を許す。存分に英気を養うが良い」
その大帝の言に勇者達の、特に若い世代の者達が顔に喜色を浮かべる。
しかし大帝の言葉は、そこで終わりではなかった。
「今日より半月の後、帝都に結集した我が全軍を以て、海を隔てた南に位置する【ドラゴニス大陸】に侵攻を開始する。汝等七勇者には、それぞれ軍を率いての奮戦を期待している」
勇者達に、帝都に一堂に集められた理由が語られた。
その言葉は、彼等勇者にとっては寝耳に水だったようだ。彼等は皆、驚きに目を見開いている。
「大帝陛下、発言の許可を」
そんな勇者達の中で最も早く反応を示したのは、【迅雷】の勇者と呼ばれた倉敷悠真であった。
「許す。何だ?」
悠真は一礼すると、緊張した面持ちで、慎重に口を開いた。
「南の大陸を侵攻すると仰いましたが、目標は何でしょうか? 国か、それとも大陸そのものを手に入れるおつもりですか?」
銀縁の眼鏡の位置を指先で調節しながら、悠真は背筋を伸ばして大帝に質問を投げ掛ける。その視線は鋭く、眼鏡が無ければ咎められかねないものである。
「いずれ大陸は手に入れる。だがまずは、一人の男を討滅するのだ」
「「「「…………はぁ!?」」」」
大帝の言葉に、七勇者達は揃って声を上げた。
さもあらん、彼等七勇者は、それぞれが一騎当千の強者である。大帝国の最高戦力の名は伊達ではないのだ。
このホロウナム大陸を統べる最強の大帝国。更にその大帝国にて最強。彼等には、その自負が有るのだ。
「大帝陛下! いくらなんでも、たった一人の男に全軍と、しかも七勇者全員を動員するなどあまりに過剰です!」
案の定、質問をした悠真が大帝の宣言に噛み付く。
冷静に見えてはいても、最強の名を謳われてきた自尊心が踏み躙られて、眼鏡の奥の目には怒りと屈辱が浮かんでいた。
「待て、悠真。続きはオレが話す」
そんな悠真に歩み寄り、肩を掴んで制した男が居た。
【光貴】の勇者、冷泉桐梧である。
悠真は桐梧に見据えられて、息を一つ吐くと列へと戻った。
「大帝陛下、流石に聞き捨てならない。唯一人の男に対して、アーセレムス大帝国の全軍百五十万の兵と、最高戦力のオレ達七勇者を動員するなんてな。その男、いったい何者なんだ? そこまでしないと勝てないと、陛下が判断するほどの男なのか?」
穏やかな声音で、桐梧が大帝に質問する。
彼等七勇者は、元は異世界の、地球という星の日本国で暮らしていた者達だ。ある時突然、このアーセレムス大帝国の手によって、この世界アストラーゼに召喚されたのだ。
彼――冷泉桐梧は、日本の都会の歓楽街ではナンバーワンの、カリスマホストであった。
その対話技術やカリスマ性、見目の良さや自信に溢れた所作を存分に発揮して、七勇者の中でもリーダー格として君臨している。
そんな彼こそ、自身こそ最高にして最強だという自負が有った。そしてそれが今、傷付けられた。
だからこそ、彼は己の心を律し、全ての感情に蓋をして、人当たりの良い態度で、カリスマホストであった頃数多の他人を信用させてきた話術を駆使して、大帝に語り掛ける。
「その男、名をマナカ・リクゴウと云う。我が守護神マグラ・フォイゾをして、敵と言わしめる男だ。そして、朕と同じく迷宮の主でもある。
「その戦力は未知数。判っているのは、彼奴が迷宮の権能を使い熟していることと、“転生者”であるということ。異界の勇者である汝等であれば、その脅威は測れよう?」
大帝が発した“転生者”という言葉に、七勇者達はハッとした表情を浮かべる。特に強く反応したのは前髪で目を覆い隠した【闇静】の勇者、城ヶ崎智彦だったが、それは全員に無視された。
「故に、全力を以て当たるのだ。守護神たるマグラ・フォイゾをして、『敵』と言わしめる男である。軽視や油断は罷りならぬ。理解したのなら、各々の任務を拝命せよ」
大帝は一切の驕りを見せずに、淡々と命を下す。
それに対して七勇者達は、彼等の支柱たる【光貴】の勇者、冷泉桐梧を見遣る。
未だ一歩出た位置に留まっていた桐梧は、暫しの黙考の後、大帝に跪いた。残る勇者達も、慌ててそれに倣う。
「謹んで、陛下の命をお受けする」
そう、桐梧は感情を感じさせない表情で、頭を垂れて短く言葉を発したのであった。