第六話 神様の力。
ダンジョン【神霊樹の祠】 第53階層
『此処まで客人が来るのは、実に久方振りのこと。此方は神狼の【リアノーン】と申す。其許の名は?』
穏やかだがズシリとした圧力を感じられる念話が、俺たちに送られてくる。
この威圧感……ダンマスだった頃のグラス――覇龍王グラシャラボラス――と同等だな。
「丁寧にありがとう、リアノーン。俺はマナカ。他所でダンジョンマスターをやっているアークデーモンロードだ」
「アザミといいます」
「儂はシュラじゃ」
俺とアザミとシュラの三人が、ダンジョンマスターであるフェンリル……リアノーンに自己紹介を返すと、その美しい翡翠色をした眼は、俺に向けられたままその動きを止めた。
『生じてより一年と少しにも関わらず、既に王の領域に至るとは……マナカ……と言ったか? 中々の修羅の道を歩んで来たと見えるな』
なるほど。俺と同じく、リアノーンも俺を鑑定してたってわけね。
しかし、『王の領域』だって?
リアノーンの言葉に首を傾げる。
該当しそうな点といえば、種族がアークデーモンより上位の“ロード”であることと、固有スキルの【王命】、そして称号の【公爵級悪魔】の三つくらいだ。
「王だなんて、俺には分不相応だよ。それよりもリアノーン。ちょっと前に、このダンジョンに大勢の魔族達が転移して来た筈だ。俺は彼等を保護したい」
俺についての問答は後回しにさせてもらう。
俺が今何よりも優先させるのは、セリーヌとの約束だ。
『まあそうだろうな。其許がそのような事に興味が有るようには、とても思えん。そして、魔族達だったな。確かに転移して来ている。今はこの奥に創った領域にて保護している』
良かった……!
魔族達はどうやら無事で居るらしく、俺はホッと胸を撫で下ろす。
「それは有り難い。保護していてくれて、心から感謝するよ。彼等の身元は俺が引き受ける。お前は何か必要な物はあるか?」
穏便に済ませられるなら、それが一番良い。
俺はせめてもの礼として、リアノーンに何か希望が無いかを訊いてみた。
すると。
『……久方振りに、美味い物を食したいな。かつての我が主の作った料理のような、ヒトの温もりの込もった物を』
意外にも、リアノーンはアッサリと要求を口にした。しかも、その要求が美味いメシだとは……
かつての主とか言ってたし、保護している魔族達を観察して、懐かしさでも抱いたのかな?
「そうか。そういうことなら、すぐに用意しよう。俺の家族が作った料理だ。きっと満足してもらえると思う」
そう応えて俺は早速、アザミとシュラにも手伝ってもらって結界で創った巨大なテーブルや人数分の椅子、皿などの食器等を準備し始めた。
ミラ達やアレイシャさん達は、突然始まった会食の準備に戸惑い、困惑したまま見ている。
まあ、いきなりフェンリルとご飯って言われてもそうなるか。
そこは参加するもしないも自由だけど、取り敢えず武器だけは仕舞っといてね。
「リアノーン、小さくなるか、人化できないか? 流石にお前のサイズに合う食器が無くてな。結界の皿でも良ければ用意するけど」
『いや、大丈夫だ。人の姿に成ろう』
小山のように巨大だったフェンリルの巨体が光に包まれ、見る見る内に縮んでいく。
光が収まったその場に立っていたのは、銀色のショートボブに狼の耳が生え、ボリュームのあるフサフサの同じく銀色の尻尾を揺らす、あどけない顔に翡翠色の目をクリっとさせた、全裸の少女の姿が――――
「――――って、なんで裸なんだよっ!!?? 服! 下着!! 靴下と靴ううううぅぅッッ!!」
俺は素早く動いて【無限収納】から背丈が合いそうな服を一式取り出し、光学迷彩付きの結界で周囲を覆ってから、リアノーンに服を着るように投げ渡す。
「……マナカよ、着方が分からぬ故、着させてほしい。主と共に居た頃は、衣服などこのような複雑な物ではなかった」
マジかよ……!?
さっさと結界から出て行きたかったが、そんなことを言われたら放っておく訳にはいかないじゃん……!
「分かった。アザミかシュラに手伝わせるから――――」
「其許が良い。着させてほしい」
いやなんでさっ!? 別に服を着せるのなんて、誰がやっても一緒じゃない!?
うっ……! そんなあどけなくて綺麗な翡翠色の目で見詰められたら、断れないじゃないかよぉ……!
結局俺は渋々、女子中学生くらいの見た目の全裸の少女に、下着を含めて着付けをするという前代未聞の試練に立ち向かったのだった……!
着付けが終わったので結界を解き、リアノーンと共にみんなの所へ戻ると、壮絶なジト目の槍衾に晒された。
「マナカ様!? アザミの方が毛並みも尻尾も美しいですよっ!?」
「はぁ……主様よ、お主節操が無いにも程があるじゃろう……?」
「ま、マナカ……アナタ、そういう趣味があったのね……!?」
「お兄さん、流石にそれはマズイですーっ!!」
「なぁ、腹減ったぁ〜!」
「ちょっとベレッタさんは静かにしていてくださいっ! はわわわ……まさか、マナカさんがあんな少女を……!」
「どうやら、やはりお前を疑っていて正解だったようだな。妾の目に狂いは無かった……! この、変態めがっ!!」
ちがうんだってばあああああああッッ!!!???
「これは不可抗力で事故で事案……じゃなくて!! コイツが着せろって言ったんだからしょうがないだろっ!!?? 俺はちゃんとアザミかシュラと交代しようとしたもんっ!!」
「事実だ。此方がマナカが良いと申した。」
よし、そのまま弁護してくれよ……!
俺はこの居た堪れない空気をどうにかするために、結界テーブルの上に次々と料理を取り出し、並べていく。
「マナカ様!! 本当ですか!? 本当に頼まれただけですかっ!?」
「本当だってば! 服の着方が分からないって言ったから手伝ったの!!」
料理の後は、飲み物を並べる。
お茶とジュース、そしてどうせ欲しがるだろうからと、酒精の弱いお酒を取り出していく。
「あのような未成熟な肢体を、あんな所もこんな所も手取り足取り……ということかのう?」
「違うわ!? 触れないように全部念動で着せましたぁッ!!」
大皿から小皿に取り分け盛り付け、各椅子の前に並べていく。
「でもじっくりと観て、堪能してたんじゃないの?」
「お兄さん、不潔ですー! 衛兵さん案件ですよーっ!?」
「なあ、ちょっとだけ食べてもいいよな?」
「ベレッタさんは大人しく黙っててくださいっ! 詳しく聴こえないじゃないですかっ!?」
「観とらんわっ!? 【空間感知】スキルと【魔力感知】スキルを使って目を瞑ったまま作業したわいっ!!」
寸胴鍋からスープを深皿によそって、それも念動で各席に配る。
って、結局全部俺が支度してんじゃん!?
「ふむ。つまりお前は、斯様な見目美しい少女のあられもない姿を前にして、指一本触れるどころか観ることもしなかった腑抜けである、と?」
「事実だ。マナカは此方に触れもしなかったし、観てもこなかった」
「どっちだよっ!? どうすりゃ良かったんだよ俺は!!?? あーもー!! いいから早く席着け! 準備できたからッ!!」
ああ……もう疲れたよぅ……!
どうして俺が、こんな目に……!!
「……非常に美味であった。礼を申す」
「気に入ってくれたなら良かったよ。酒のお代わり要るか?」
「いや、酒はもう良い。まあもう少し、この懐かしき空気に浸りたいところだが……」
ちょっとしたパーティーみたいな食事会は、終わりが近付いていた。
アネモネの料理に慣れている俺たち家族はともかく、久し振りに食べるミラ達や、初めて食べたアレイシャさんらのエルフ御一行さんやフェンリルのリアノーンは、大いに舌鼓を打って絶賛して食べていた。
食事中、リアノーンの過去についても少しばかり話が聞けたよ。
なんでも彼女は、およそ千年くらい以前に、当時のシルウァ氏族の巫女であり里を出奔したエルフの娘に、怪我をしているところを救われたらしい。
それで恩に感じ主と仰いで行動を共にしていたが、ある時に神狼である自身の力を狙った輩に、その主を謀殺されたという。
怒り狂った彼女は、その輩が属する国を焦土に変え、世俗から離れた。
そして主へのせめてもの償いとして、主がいつか話していた里の役割を思い出し、彼女の一族を守護しようと人知れずこのダンジョンに潜り支配したというのだ。それがおよそ、五百年ほど前の事だそうだ。
「聞いた事あるわね。神の狼に滅ぼされた愚者の王の伝説ね」
「竜王の伝説と並んで人気の、御伽噺ですよねー」
ミラ達はどうやらその話を聞いたことがあるらしい。
そしてミーシャごめん。その竜王ウチの子なんです……! もう世界征服させないから、大目に見てあげてね。
「五百年前……確かに先代巫女長より、ある時を境に魔物の湧き方が少なくなったと伝えられているが……。よもやそれが、里を放棄した巫女が遠因となっていたとは。奇縁であるな……」
アレイシャさんは感慨深げに、食後の温かい烏龍茶を楽しんでいた。
「それで、マナカ。其許ほどの力ある者が、わざわざ魔族を保護しに来ただけではないだろう。何か他にも、望みがあるのではないか?」
思い出話を自ら切り上げ、リアノーンがそう訊ねてくる。
俺はこの悲しい運命を負った狼に、誤魔化しや強制はしたくないと思った。だから、アレイシャさんにそうしたように彼女にも、正直に俺がこのダンジョンを支配して利用したいということを説明した。
「なるほど。其許からは、此方を謀ろうという気配は一切感じなかった。主の故郷を護るには、確かにそうした方が良いのだろうな」
「……良いのか?」
「三百年ほど前に来た悪魔は、ただダンジョンを繋いだだけであったな。支配権も此方に残してくれた。しかし其許の目的のためには、主たる支配権を差し出す必要がある」
セリーヌの祖父である先代魔王のソルジャンさんは、ダンジョンをパスで繋いだ後に、支配権を返還したという。
間借りさせてもらっただけ、って感じだね。
でも俺の目的は、大陸大結界に組み込むこと。
常時“龍穴”から魔素を吸い上げ魔力に変換して、絶えず繋いだパスを循環させなければならない。そのためにはどうしても、俺が支配権を得ていなければならない。
「故に、見定める。其許に託すほどの力が有るか。此方と戦い、示してみせよ」
結局は、そうなるか。
リアノーンにとってこのダンジョンは、今は亡き大切な主の故郷を護るという、恩返しと贖罪の象徴だからな。そうホイホイとは手放せないよな。
「分かった。俺が一人で相手になるから、みんなには手出ししないでくれよ? みんなも良いね?」
穏やかな空気は一転し、緊張感に包まれる広間。
俺とリアノーンはみんなから離れ、巻き込まないくらいの距離を取ってから、改めて向き合った。
リアノーンが再び光に包まれ、本来のフェンリルの姿に戻る。
俺も体内で魔力を循環させて、臨戦態勢をとった。
『其許にだけは明かす。此方の主の名はヤクシャ。リアノーンの名は、主に名付けてもらった』
俺だけに絞った念話で、そう伝えてくるリアノーン。
俺は頷きを返して、リアノーンの主に向けた深い愛情を受け止める。
「改めて。ダンジョン【惑わしの揺籃】のマスター、アークデーモンロードのマナカ・リクゴウだ。お前の名は?」
『此方の名はリアノーン。神狼にして、ダンジョン【神霊樹の祠】の主。マナカよ、いざ尋常に』
ああ。お前の思いを、全部ぶつけて来い。
全て、俺が受け止めるから。
「『勝負!!』」
速い……!
アネモネやヴァンとはまた違った速さ。四足歩行の獣特有の柔軟で機微に富んだ軌道を描き、俺との間合いを潰してくる。
縦横無尽に疾走しながらも、風魔法や氷魔法、他にも火、土、光など様々な属性の攻撃魔法を放ってきて、反撃の隙をなかなか与えてくれない。
「やるね!」
『其許もな!』
俺はその全てを結界で防ぎ、逸らし、跳ね返して、僅かな隙あらば即座に反撃の魔法も放つ。
機動戦を仕掛けてくるリアノーンに対し、俺はどっしりと足を止めて撃ち合っているんだけど……これじゃ埒が明かないな。
「今度はこっちから行くよ!」
リアノーンが放った無数の風の刃を、全ての軌道に合わせて同属性の【風の円月刃】で相殺し、その隙に飛行魔法を行使してこちらから距離を詰める。
『むうっ!?』
突然距離を詰めてきた俺に面食らったのか、一瞬だけリアノーンの動きが鈍る。そこを狙わない手はないよね。
俺はリアノーンが反射的に振り回した爪を掻い潜り、一気に懐に飛び込んで間合いに入る。
「ふっ!!」
鋭い呼気と共に足を踏み込み、その反撥を利用して流れるように身体に捻りを加え、その力を余すことなく拳に伝える。
魔力を纏った拳に、分厚い肉体を殴った感触が返ってくる。打撃した瞬間に引きの動作を素早く行い、拳からの衝撃を身体の内部に伝える、“浸透勁”。空手では“裏当て”とも呼ばれるその技術の本領は、表面ではなく内部の破壊にこそある。
「ガッフ……ッ!?」
リアノーンがたたらを踏んで足を止め、口から血を吐く。
身体が大きい分ダメージも浸透しづらいだろうけど、内蔵は鍛えようがないだろ? 魔力を纏った防御も、それを超える魔力を纏えば突破できる。後に待つのは、その膨大な魔力の直撃だ。
『ま……まだまだぁっ!!』
驚いたな。内蔵にダメージを受けたってのに、まだスピードが上がるか。
最早視力だけでは追い切れないほどの速度で、前後左右、縦横無尽に駆け回り、翻弄してくる。
けど……!
「回復に回している魔力が丸見えだよ!」
俺は各感知スキルを全開にして、【高速演算】スキルも駆使してリアノーンの動きを先読みし、進路の尽くを結界で塞ぐ。
加速した傍から阻まれ方向転換を余儀なくされるのを繰り返し、いよいよリアノーンの動きが制限されていく。
『くっ!? また……!』
そして三方を塞がれ遂に足が止まった瞬間、俺は魔力を練って準備していた、“とっておき”を発動する。
「これで、詰みかな?」
『ば、バカな……!? 転移など、ただ一匹の生き物には手に余るはず……!』
リアノーンの前と左右を結界に遮り、そしてその背後に【転移】した俺は、右の拳にこれでもかと魔力を圧縮している。
「どうだ? まだ続けるか?」
その意志を見せれば、俺は即座にこの拳を振り下ろすよ。
『……此方の負けだ。教えて欲しい。転移の魔法など、どのようにして習得した?』
そんな未来を感じたであろうリアノーンは、殺気を納め地に伏せた。
それを確認してから、俺も構えを解いて全ての結界と魔力を解除する。
「なぁに。仲良くしてるイタズラ好きの神様に、ちょっと応援してもらってな」
今使ったのはククルに……ちょっと前に貰った【時空間操作】の“概念”を元に創った、転移魔法だ。
転移自体は今までもダンジョンの権能で散々してたからね。イメージを固めるのは簡単だったよ。
うん、どうやって貰ったかは黙秘させてもらうよ!
『神までも友か。此方が敵う筈もなかったな。其許に、このダンジョンの支配権を託そう』
こうして俺は無事に、ダンジョン【神霊樹の祠】の支配権を獲得したのだった。
うん、アザミさん? シュラさん? そんなにじり寄って来ても、教えないよ!?
うるさいよみんな!? 誰が口移しで力を貰ったなんて言うもんかよぉっ!?