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神殺しの聖者  作者: 江戸まさひろ
第1章 聖女と異端者
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第8話 凶 行

「ぐうう……っ!」

 

 神父様の背中と胸から、大量の血が溢れ出ていた。

 

「私が甘くなったというのは間違いだぞ、アルゴーン」

 

 イヴリエースさんは冷淡にそう言い放つけれど、神父様は剣で胸を刺し貫かれても尚、その顔に笑みを浮かべ、

 

「いや……間違ってはおりませぬな。

 あなたの目的は甘すぎる。

 見て見ぬフリをしておけばよい……もの……を……」

 

 それだけを言い残し、神父様は床に崩れ落ちる。

 あたしはそれを茫然と見ていることしかできなかった。


「あ……アレ?」

 

 床には神父様の身体から流れ出た血が広がって行き、その鮮烈な紅い色があたしの白くなった意識を徐々に染めていく。

 

「し、神父様……? 

 こ、こんなに血が……。

 あ、アレ?」

 

 あたしの混乱した頭は少しずつ状況は呑み込んでいったけれど、それが混乱に更なる拍車をかけ、ついに、

 

「いやああああああーっ!? 

 神父様ーっ!!」

 

 絶叫を喉から迸らせた。

 それは自分でも驚くほど礼拝堂の中に大きく響き渡り、まるで自分の声ではないように聞こえた。


 勿論叫んだところで、今目の前にある状況は何一つ変わらないけれど、育ての親が殺されるという凄惨な状況を目の前にして、それ以外の何ができるだろうか。

 あたしはただひたすらに叫び続ける。

 

 だけど、イヴリエースさんはその悲鳴に動じない。


 いや、彼女のみならず、彼女の頭に未だ乗り続けているあの黒猫さえも、全く動じた様子が無い。

 ただ戯れるように、尻尾をウネウネと(うごめ)かせているだけで……。

 そのあまりの落ち着きぶりは、全く猫のようには見えなかった。

 

 そんな現実感の薄い1人と1匹は、まるで夢の中の登場人物であるかのようにさえ感じられた。

 しかし神父様の身体から流れ出る鮮烈な紅い色は、決してこれが夢では無いことをあたしに思い知らせる。


 この悪夢のような現実にあしは恐怖し、1歩、また1歩とよろけるように、イヴリエースさんの側から後退って離れようとしたけれど、彼女は素早く歩み寄り、あたしの手を掴んで強く引く。

 

「来い」

 

「いやっ!」

 

 あたしは強引にイヴリエースさんの手をふりほどき、5メートルほど後方にある壁際まで走って逃れたけれど、イヴリエースさんはすぐに追いついてきて、結果的にあたしは追いつめられる形となった。


「……大人しくついてきてくれないか。

 時間がない……」

 

「嫌ですっ!」

 

 相変わらず無表情なイヴリエースさんに向かって、あたしは力強く言い放った。

 誰が人殺しに大人しくついていくものか。

 聖職者として、悪に対しては決然とした態度で臨まなければならない。

 

 たとえ結果的に、命を捨てなければならないとしてもだ。

 

 それでも目からは止めどなく涙が溢れ、身体の震えも止められなかった。

 やはり怖い物は怖いし、非力なあたしでは抵抗したところで無意味だろう。

 

 でもだからこそ、せめて心だけは負ける訳にはいかなかった。

 それが聖職者としての矜持であり、あたしに残された最後の武器だ。

 あたしはその武器を用いて、決死の覚悟で反攻を試みる。

 

「あ、あなたはさっき、異教徒だからといって争うのはおかしいって言っていたではないですか! 

 あなたの考え方はワルダヴァオトゥ神の教えとは違うけれど、崇高なものだとあたしは思いました。

 だからあなたのことを素敵な人だとさえ思ったんです。

 

 だけど今あなたがしたことは、何なのですか!? 

 神父様の命を奪うことがあなたの語っていた理想と、どれだけかけ離れていることなのか、それが理解できないのですか!? 

 考え方は違っていたかもしれないけど、神父様もあなたと同じように平安な世界を求めていたはずなのに! 

 人を殺めるという恐ろしい罪を平気で犯したあなたの言うことなんか、あたしは死んでも従えません!!」

 

「…………っ!」

 

 するとどうだろう。

 あたしの言葉を受けて、イヴリエースさんの顔が苦痛に耐えているかのように歪み、それを隠すように彼女は左の掌で顔を覆った。

 そして震える声で苦しげに答える。

 

「ひ……人を殺めることは罪深い……。

 それはよく理解している。

 あれは決して許される行いではない……」

 

「な……?」

 

 あたしはイヴリエースさんの急激な変化に戸惑う。

 彼女の呼吸は酷く乱れ、身体も小刻みに震えていた。


 それはまるで何かに脅えているかのように、あるいはなんらかの病気に苦しんでいるかのようにも見えた。

 

「だが、今のは違う……。

 あれを殺めることは果たして罪なのだろうか……」

 

「な、何を訳の分からないことを言っているんですか!? 

 あなたは今、現に神父様をその手にかけたではないですか!!」

 

 あたしは思わず声を荒らげる。

 たとえそれが彼女を刺激して自身の身を危険にさらす結果となっても、イヴリエースさんの罪を認めようとしない態度は許し難く感じたのだ。

 

 だけどそんなあたしの言葉に対してイヴリエースさんは、大きな反応を見せなかった。

 むしろ徐々に元の冷静さを取り戻して……いや、その顔にはわずかに焦りの色が見える。

 

「そもそも私はまだ殺していない。

 あの程度で、あれは死なない……」

 

「な、何を言……っえ!?」

 

 イヴリエースさんの言葉の意味をはかりかねたあたしは、更に問いただそうとしたけれど、その声は途中で途切れることとなった。


 あたしの目が、イヴリエースさんの背後に信じられないものを見たからだ。

 

 イヴリエースさんもまた、視線を肩越しに後ろへと向けて、小さく舌打ちする。

 そこには神父様の死体があるはずなのに──、

 

「は……」

 

 あたしはストンと床に座り込んでしまった。

 

 膝には全く力が入らず、立ち上がろうとしてもすぐには立ち上がれそうになかった。

 おそらくこれが「腰が抜けた」と一般的によく言われる状態に違いない。

 全く生まれて初めての経験だったが、できれば一生経験したくなかった。

 

 もっとも、今はそんなことはどうでもいい。

 ただ、目の前の光景から、意識を逸らすことができなかった。


 それ程までの恐怖と驚愕が、あたしを襲っていた。

 

 あたしの視線の先では、殺されたはずの神父様が立ち上がろうとしていた。

 まるで生まれたばかりの仔馬のように頼りない足取りだったけれど、確かに2本の足で床を踏みしめている。


 そして両手が床に届きそうなほどダラリとさげられた前屈みの姿勢から、ゆっくりと上半身が起きあがっていき、それと同時に床を紅く汚していた大量の血液が、神父様の胸の傷口に吸い込まれていった。

 しかも服を染めていた血の跡さえ薄らいでいったのだ。


 まるで時間が逆行しているのではないか──と、あたしは思わずにはいられなかった。

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