第7話 不必要な救済
「噂をすれば……というやつかな」
「神父様!?」
あたしは酷く焦りながら、声のした方へと振り返った。
そこには50代半ばの、法衣を纏った男性の姿がある。
黒髪の中に白髪が目立ち始めているけれど、長身で筋肉質の体躯と猛獣の如き鋭い眼光は、老いを全く感じさせることなく、育ての親に対してこう言うのもなんだけれど、聖職者というよりは歴戦の傭兵と言った方がピッタリとイメージが合う。
それでも、一応歴とした神父ではあるのだけれどね……。
「エリセ君……」
「ひゃ、ひゃいっ!」
神父様は厳かな声音で、あたしに語りかけてきた。
思わず上擦った声で返事をしてしまったのは、何となく彼が怒っているように感じられたからだ。
気の所為だと思いたい。
「その女から離れたまえ。
彼女は異端者だ。
我々は異端との接触が禁じられている」
神父様がいきなりお姉さんを異端だと断じたことで、あたしの頬は緊張で引きつった。
神父様の言う通り、ワルダヴァオトゥの信徒は、異端者との接触が禁じられている。
それは異端と接触することによって、彼らの思想に感化されないようにする為であり、お姉さんが異端者だと知らなかったとは言え、その禁を破ってしまったあたしには、なんらかの罰が与えられても当然の処置だろう。
しかもこの神父様、あたしが何か間違ったことをした時には、鉄拳制裁を加える厳しい人で、それだけにあたしにとっては、それこそ神様よりも恐ろしい時がある。
そして今回あたしが犯してしまった過ちは、これまでで最も重い物の部類に入るだろう。
勿論、それに対して神父様があたしに与える罰も、生半可なものではありますまい。
ああ……顔の形が変わるほどの平手打ちや、1週間以上の断食を覚悟しなければいけないかも……。
だけどあたしは、勇気を振り絞って神父様へ異議を唱えた。
あたしは罰を受けるにしても、命に関わる訳ではない。
しかし今のお姉さんは、投獄されただけでも命に関わるような気がする。
それを黙って見過ごす訳にはいかなかった。
「ですが、この人の身体は今弱っています。看病は必要かと思いますが……」
「異端者に情けをかける必要はない」
「う……」
静ながらも、有無を言わせぬ迫力のこもった神父様の言葉に、あたしは思わず頷きそうになった。
確かにワルダヴァオトゥ神の教えでは、許されざる罪に汚れた異教徒や異端者は、いずれ必ず地獄に落とされて裁かれることが確定しているという。
だから決して救われることのない彼らに、今更救いの手を差し伸べた所で、それは無意味であり、むしろその救いの手によって彼らが1日でも長く生き続ければ、それだけ彼らが振りまいた罪で世界は汚されていく。
それ故に、異教徒や異端者には救いの手を差し伸べてはならないのだと──。
あたしはワルダヴァオトゥ神の信徒として、当然のことのようにそう教え込まれ、そしてそれを今まで分かったようなフリをして来たけれど、実は未だにその教えだけは受け入れることができてはいない。
あたしは苦しい時に誰も手を差し伸べて貰えない時の、悲しみと絶望を知っている。
それを知っておきながら、目の前に苦しんでいる人がいるのに、むざむざと無視などできるはずが無いではないか。
「でも、あたしは既にこの方へ、救いの手を差し伸べてしまいました。
差し伸べた手を今更振り払い、救いを求めていた者に絶望を与えるような真似はしたくありません。
この方は元々はワルダヴァオトゥの信徒ですし、悪い人ではありません……。
罰はあたしが受けますから、この方には慈悲を与えてはいただけないでしょうか?」
あたしの懇願を受けた神父様は、暫し瞑目してから優しげな微笑みを浮かべた。
「エリセ君、君の自己犠牲の精神は素晴らしいと思う。
私には君を咎めることはできない」
「それでは……」
神父様に許された……そう思ってあたしは、ホッと胸をなで下ろす。
しかし──、
「だが、異端者の存在は看過できぬのだよ。
特にその女はな。
あなたもそれは分かっているでしょう、イヴリエース殿?」
神父様はあたしに向けた優しげな視線とは全く違う、厳しい視線をお姉さん──どうやらイヴリエースという名前らしい──へと向けた。
……?
何処かでその名前を聞いたことがあるような……?
だけどイヴリエースさんは、あたしは元より屈強な大人でさえも射竦められてしまいそうな、神父様の鋭い眼光を受けてなお平然とした表情……というよりは、元々の無表情を崩さずに抑揚無く答えるのだった。
「ああ、君と私は水と油よりも相容れられないだろうね、アルゴーン……」
「!? お知り合いだったのですか?」
あたしは思わず神父様と、イヴリエースさんを交互に見比べた。
何故イヴリエースさんは、神父様の名前を知っているのだろう?
かつて彼女が教会に所属していたのならば、面識があったとしても不思議ではないのかもしれないけれど、親子ほども年齢の差があるこの2人の間にどのような関係があるのか、それはよく分からなかった。
ただ、なにやら不穏な空気はひしひしと感じる。
「ああ、古い馴染みとでも言おうか。
正直、彼女のことを慕っていたこともあったよ」
「は、はあ……?」
神父様の言葉を受けて、あたしはかなり間抜けな表情になってしまった思う。
神父様が自分の半分以下の年齢に過ぎないであろう娘を慕っていた──それが意味する所が理解できなかったのだ。
まさか数十年も神に仕えてきた聖職者が、未だ異性への欲求を捨て去ることができなかったとでもいうのだろうか。
しかも古い馴染みと言うからには、たかだか2~3年の付き合いではありますまい。
おそらく10年近い昔からの知り合いということになるのだろう。
10年前といえば、イヴリエースさんの正確な年齢をあたしが知る由もないけれど、たぶん10代前半の少女であったはずだ。
そんな年端もいかぬ少女に神父様が懸想していた──。
……駄目だ。
これは色恋沙汰とは全く縁のない生活を送ってきたあたしには、想像の限界を超えた事態だ……。
しかも、イヴリエースさんの次なる言葉が、あたしの混乱に拍車をかける。
「そうか、それは気づかなかったな。
だが、確かに君が私に忠実であったことはよく憶えているよ」
忠実? ……それって、神父様がイヴリエースさんの部下だったってこと?
ますます2人の関係が分からなくなってきた……。
「でも、それが使命ならば、どのようなことでも遂行していた君が、随分と甘くなったものだ。
異端である私に、わずかでも組みした者を許すとはね」
「……あの頃は、あなたと神の信頼に応えようとしたまでのこと……。
いえ、今でも甘くなったつもりはありませんがね。
むしろ甘くなったのは、イヴリエース殿の方でしょう。
ただ、私にはこの御方を裁く権限が無いだけのことです。
そうでなければ許しはしませんよ……」
「え……?」
ついにあたしの混乱は、絶頂に達したかに思われた。
神父様があたしのことを「この御方」と呼び、しかも裁く権限がない……?
それって一体──!?
そんなあたしの混乱を無視して、イヴリエースさんと神父様は更に衝撃的な会話を続ける。
「裁く権限が無いだと?
君より上位に位置するというのか、この娘が?
まさか……!?」
「おお、これは失言でしたな。
あなたほどの御方が、知らずに接触していたとはね……」
「……そういうことか。
確かに面影はあるとは思っていたが……。
だが、偶然でいきなり出会えるとは思っていなかったからな……。
……これは神が仕掛けた罠なのか?」
「クックック……これは傑作だ。
自らの目的を目の前にしておきながら、それに気づかなかったとはな。
ああ、そういうことだよ。
このような悪戯を希に起こすから、神が定めた運命という物は面白い!」
神父様は戯けたように両手を広げて笑った。
でも、すぐに態度を正して、あたしの前に跪いた。
「え……? し、神父様……?」
「エリセ君……いや、エリセ様。
先程あなた様が、正式に聖女様であると認定されました」
「っ!? ま、まさかあたしが……!?」
神父様の言葉を受け、あたしは唇をわななかせた。
自分が聖女に選ばれるなんて、全く信じることができない。
おかしい、これはタチの悪い冗談なのではないか。
でも、育ての親であり、聖職にある神父様が、あたしを欺くような真似をするとは思えない。
だとすると、本当にあたしが聖女に……!?
一体この現実をどう受け止めればいいのだろう。
今のあたしには、それを考えることすらままならず、1秒ごとに頭の中が真っ白になっていく。
だけど、それに反してあたしの視界は紅く染まって──。
「な……!?」
あたしの白くなった意識は、急激に現実へと引き戻された。
何故ならば、イヴリエースさんが何処から取り出した長剣によって、あたしの前に跪いている神父様の背を刺し貫いていたのだから。
一瞬で覚醒した意識は、再び混乱の最中に叩き込まれて、白く脱色させられていった。
一体、何が起こって──!?
この辺から流血が増えていきます。
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