第5話 至高の物書きと執筆動機
お姉さんの言葉を受けて、あたしは顔の筋肉が強張るのを感じた。
このワルダヴァオトゥ神教のお膝元である聖地エルで、このように神様を冒涜することを声高に叫べば、まず間違いなく異端者として民衆に私刑を受けるだろう。
今この場所にはあたししかいないとはいえ、彼女は自らの命を危うくするようなことを平然と言ってのけたのだ。
今のあたしには、このお姉さんをどうこうするつもりは無いけれど、思わず周囲を見回してしまう。
誰かに聞かれていたら、絶対にトラブルどころの騒ぎではなくなるだろう。
「な、何故そのような考えを……」
「ま……切っ掛けは…………ちょっと事件があってね。
それでワルダヴァオトゥの教えはともかく、ワルダヴァオトゥそのものは信じられなくなったんだ」
「? ……仰っていることの意味がよく分かりませんが……」
あたしはつい小首を傾げた。
お姉さんは「ワルダヴァオトゥの教えはともかく」と言った。
それはワルダヴァオトゥ神の教えは正しいということを認めているということだろうか?
少なくとも否定はしていない。
だけどその教えを説くワルダヴァオトゥ神そのものについては、キッパリと否定しているのは一体どういうことなのか?
そんな疑問を感じたあたしに対して、お姉さんは質問で返してきた。
「……君は神を、どういう存在だと思っている?」
「え……それは、この世界を創造なされた御方です」
「うん、それは正しいのかもしれないね。
では、神は何の為に世界を創造したのだろう?」
「そ、それは……」
お姉さんの問いにあたしは答えられなかった。
いや、あたしに限らず、このような問いには、当の神様御本人にしか正確な答えは出せないのではなかろうか。
人間だって心の内で考えていることは、言葉にするまで他人には分からない。
いや、言葉にしたとしても、それが本心なのかどうかなんて、確かめる術は無いに等しいのかもしれない。
神様の言葉も、同じことになるのではないだろうか。
結局、神様が何を考えて世界を創造したのかなんて、それは推測の中にしか答えは得られないのだと思う。
しかも、誰も本当の正解は教えてくれない。
だけどこのお姉さんは、ある程度確信を得ているのか、淀み無く話を進めた。
「では、ここに1冊の小説本があるとしようか」
「は? はあ……」
あたしはお姉さんが急に話題を変えたように思えて戸惑ったが、話の続きをよく聞いてみると、話題は変わってはいなかった。
「この小説の登場人物にとっては、小説の作者こそが造物主……つまり神ということにならないかな?」
「は、はあ。いえ、只の作家さんと神様を同列に扱うのは、不埒な考え方だと思います」
「そうかな? 確かに紙の上にインクで書かれた世界と、今私達が住んでいる世界とでは大きな違いがあるように見えるけど、本質は全く同じだと思うよ。
ただ、この世界が本よりもはるかに高度な技術と材料を用いて、より複雑に細部まで造り込まれているだけじゃないかな?
……ともかくだ、小説の登場人物にとって作者は神とも言える存在だけど、その作者は果たして神の名に相応しいほど偉大な人物なのだろうか?」
「…………」
あたしはお姉さんの言わんとしていることがなんとなく理解できたけれど、何と答えていいのか分からず押し黙った。
たぶん、それは神様を冒涜する言葉となってしまいそうな気がしたから……。
「たとえ小説の登場人物にとって作者が造物主だったとしても、その作者は私達と同じ人間に過ぎない。
間違いを犯すこともあれば、決して許されないような罪を犯してしまうこともあるだろう。
ましてや全知全能な訳でもない。
それと同様に、この世界の神も世界を創造したからといって、必ずしも神聖で偉大な者だとは限らない。
あるいは神の住まう世界においては、神はごく平凡な個人の1人に過ぎないかもしれないないんだ。
果たしてそんな彼らに信仰の対象として崇めるだけの価値はあるのかな?」
「だ、だけど、それで神様を否定するのはおかしくないですか?
作家さんにだって当然立派な人がいますし」
お姉さんの話がかなり冒涜的な内容になってきたので、あたしは反論を試みることにした。
このまま神様を侮辱するような言葉が吐かれ続けることを黙って見過ごしていては、ワルダヴァオトゥ神教の信徒の名折れだ。
だけど、お姉さんは全く動ぜずに話を更に進める。
「君の言うことはもっともだけどね。
そこで、何故神は世界を創造したのか? という最初の疑問に戻る訳だけど、小説の作者は何故小説を書くのだろう?」
「それは生活の為……」
「だけじゃないよね。お金を得る為の手段は他にも沢山ある。
そもそも、作家として食べていくのは簡単なことでは無いと思うよ。
私が思うに、作家が小説を書くのは自分を満足させる為、つまりは娯楽の為じゃないかな。
勿論他にも誰かにメッセージを送りたいとか、色々と細かな理由があるのだろうけど、やはりこれが一番大きいと思うよ。
楽しくなければ何万、何十万という文字を書き連ねるという大変な作業を、自ら望んで行ったりはしない。
つまるところ、神も自分を満足させる為に世界を創造したんじゃないかな。
……娯楽だよ?
物語を面白くする為に、登場人物が泣いたり笑ったり、時には死んでしまうのと同じように、もしも私達の生き死にも、喜びや悲しみも、神の娯楽として弄ばれていたのだとしたら……私は神を許せないよ……」
お姉さんの顔は相変わらず無表情だったけれど、その声音には何か昏い響きが含まれていた。
そんな彼女の重い雰囲気にあたしは呑まれかけたけれど、なんとか気力を振り絞って反論を試みる。
「でも、それはあなたの一方的な思い込みにすぎないのではないですか!?
神様はあたし達に素晴らしい教えを説いています。
人々を幸せに導く為の偉大なる教えです。
それを説く神様が、あなたの言うように酷い存在だとはあたしには思えません!」
そんなあたしの反論に対して、お姉さんはすぐさま言葉を返してきた。
しかもその内容は、あたしにとって予想外のものであった。
「……隣人を愛し、迷える者を導き、苦しむ者に救いの手を差し伸べよ。
また、大食、傲慢、嫉妬、怠惰、好色、強欲、憤怒の大罪を決して犯さぬよう、日々清廉に過ごすことに努めよ。
これらを定めし神の御心に背かぬことこそ、信仰に生きる者の道なり。
……君が素晴らしいと言う、ワルダヴァオトゥの教えの概略はこんな所か」
「は……はい」
あたしはあれだけ神様を否定している人間の口から、その教えの言葉が出たことに大きな違和感を抱いた。
でも、よくよく考えてみれば、彼女は元々はワルダヴァオトゥの信徒だったそうだし、それに神様を否定していてもその教義までは否定していなかったっけ……。
「私もこの教えは間違ってはいないと思うよ。
でも、これは当たり前のことじゃないかな?
さっき私は言ったよね。
君が私を助けたのは、神様云々よりも君の魂が高潔だから……と。
神なんか関係ないよ。
だからたとえそれが、神の教えとして人々に伝えられることがなかったとしても、おそらくは人間社会を円滑に動かしていくルールとして、自然発生的に作り出されていた可能性が高かったのではないだろうか。
少なくとも、人は神の教えだから助け合うのではなく、助け合わなければ生きていけないからこそ助け合うのだと私は思う」
「あ……!」
あたしはハッとする。
何故このお姉さんが神様を否定しても、その教えまでは否定しなかったのか──それはこういうことだったんだ……。
あたしには反論の言葉が見あたらなかったら。
一瞬、それが真理のようにさえ思えたから……。
そして更に追い打ちをかけるようにお姉さんの言葉は続く。
「それに、これらの教えはワルダヴァオトゥに限らず、異教の神々の殆どが多少の違いはあれど、同じようなことを説いているしね」
「え?」
お姉さんの言葉にあたしは目を丸くした。
耳が痛い話です。