エピローグ 砂漠の墓標
今回で最後となります。
なお、「僕」は僕っ娘のつもりで書いていますが、性別に関しては読者様の想像に任せます。
その時、僕は死にかけていた。
切っ掛けは、生まれてこの方1度も外に出たことがなかった故郷を後にして、遠い聖地へと巡礼の旅に出かけたことだ。
しかし聖地までの道程も残りわずかになった頃、運の悪いことに砂嵐に巻き込まれて道を見失い、僕は砂漠のど真ん中で迷子になってしまった。
砂漠で道を見失う――それは即ち死を意味していた。
強烈な日光を遮る日陰も無ければ、周囲には食料や水も無い。
勿論持参した食料や水などは、既に尽きている。
僕は飢えと渇きと熱射病によって倒れ、そのまま天に召されるのを待つだけの身となっていた。
だけど幸いなことに、半分砂に埋まりかけていた僕を発見してくれた人がいた。
「こんなところで人が倒れているなんて、珍しいわねぇ……」
こんな砂漠の真ん中に通りかかる人も珍しいと思うが、そんな突っ込みを返す気力も体力も、当然僕には残っていない。
その人は、日光を遮ることができる岩陰のある場所まで僕を運び、更に水まで与えてくれた。
砂漠における水は、下手をすると貴金属よりも貴重だ。
それをその人は、惜しげもなく飲ませてくれた。
おかげで僕は、陽が沈む頃にはなんとか体調を回復させることができた。
まさに九死に一生を得た感じだ。
そして今は、その命の恩人と一緒にたき火の炎を囲んでいる。
たき火の周囲では、串に刺された干し肉が炎で炙られ、そこから発せられた美味しそうな匂いが周囲を満たしていた。
僕を助けてくれた人は女性だった。
たき火の炎に照らし出されたその姿はまだ若い……とは思うのだけれど、いまいち年齢が定かではない。
なんだか物凄く落ち着いた物腰をしているので、あまり若いとも思えないのだ。
彼女はまさに「老成」といというイメージがしっくり来るような、不思議な雰囲気を持っていた。
そんな彼女の外見は、砂漠用の旅装束に身を包んではいるものの、何処か浮き世離れした美しさがある。
その金色の髪も、青い瞳も、整った顔立ちも、まるで貴族の貴婦人であるかのような気品を漂わせていた。
何故このような人がこんな砂漠の真ん中にいたのか、僕は不思議に思った。
この人ならば、何処かの王侯貴族の屋敷か、あるいは聖地の礼拝場のような場所にいる方が似合うのではないかと思う。
こんな何も無く、誰もいない砂漠の真ん中にいるなんて、まるで全てを捨てて逃げ出してきた世捨て人のようではないか。
気になった僕は、
「何故、こんなところにいたのですか?」
と、自分のことを棚に上げて聞いてみる。
すると彼女は、
「この砂漠に住んでいるのよ」
との答えが返ってきた。
この辺に集落でもあるのだろうか?
それならば彼女が、こんな場所にいたのも少しは納得できる。
しかし、今僕達がいる場所からは、それらしきものは見えなかった。
こんな何もない場所ではかなり遠くまで見渡せるし、しかも今は夜なので、火の灯りがあれば、かなり目立つはずだ。
だけど人家のようなものは、何1つ見えない。
勿論、彼女が「この砂漠」と言うからには、ひょっとしたらもっと遠くの、それこそ砂漠の端の方から来た可能性もあるけれど、そうなると彼女がこんな場所にいた理由がまた分からなくなる。
まさか僕と同じように、道に迷ったとでも言うのだろうか。
そんな僕の内心が顔に表れていたのだろう、彼女は自らその疑問に答えてくれた。
「この辺りにね……大切な人のお墓があるの。
今は砂に埋まってしまっているだろうけどね。
だからたまにここに来て、掘り起こしているのよ」
大切な人の……御家族の方だろうか?
それとも恋人とか……?
それにしても、こんな砂漠の真ん中にお墓というのも、実に不思議な話だ。
なんだか、ますます疑問が募っていく。
「その人はね、あたし一人だけを残して逝くのは忍びないからって……約束してくれたの。
すぐに生まれ変わって会いに来るからって……ね。
だから、お墓だけじゃなくて、その人を待つのも、ここに来る目的かな」
「……その人のことを、いつから待っているんですか?」
「……ずーっと」
彼女はそれだけをポツリと呟いて、寂しげに微笑んだ。
なにやら僕には計り知れないような、時の重みを感じさせる。
「失礼ですけど……本当に会いに来ると思っているのですか?
いえ、僕も一応ワルダヴァオトゥの教えを受けていますから、生まれ変わりはあると思いますけど……」
でも生まれ変わった人が前世の記憶を留めているという話を、僕は殆ど聞いたことが無い。
たまに位の高い聖職者の中には、前世の記憶を憶えている人もいるらしいけれど……。
しかし殆どの人が前世の記憶なんか憶えていないので、前世が本当にあるのかどうかさえも疑っている人も多いという。
少なくとも彼女がした約束は、その相手に前世での記憶が無いのであれば、決して果たされることは無いだろう。
だけど彼女は、
「でも、あの人は絶対に約束を守る人だから……」
と、微笑んだ。
なんという信頼だろう。
それだけ信じるに値する人物を得られた彼女のことを、正直少し羨ましく思う。
そんな僕に対して彼女は言った。
「もしかしたら、あなたがあの人の生まれ変わりだったりしてね。
あたしに拾われたのは、本当に偶然かな?」
「えっ?
あの……その……」
なんと答えていいのか分からなくて、僕がドギマギしていると、彼女は、
「アハハハハ、ハイ、お肉が焼けたわよ」
と笑いながら、干し肉を刺した串を渡してくれた。
もしかしてからかわれたのだろうか?
だけど、彼女はそれっきり喋らなくなってしまった。
もしかしたら、僕が彼女の待っていた人ではないということが分かって、落ち込んでいるのかもしれない……と思った。
ただ、長い沈黙の途中で、彼女の口は1度だけ動いた。
その声が僕の耳に届くことはついぞ無かったけれど、その唇の動きが、「憶えてないんだ」と言っているように見えたのは、気のせいだろうか?
僕は間がもたないので、ひたすら干し肉を口の中でモグモグと噛んでいた。
あんなに美味しそうな匂いがしていたのに、味はよく分からなくなっていた。
やがて干し肉だけのささやかな夕餉が終わると、彼女はおもむろに立ち上がり、たぶん北の方角を指さした。
「エルの方に向かうのなら、夜の内に歩いた方がいいわ。
昼は目印が無いけど、夜なら目印があるから」
と、今度は空を指さす。
「あの星は動かないから、いい目印になるよ。
あの星の下にエルがあると思って真っ直ぐ進みなさい」
「あ、ありがとうございます。
何から何まで面倒を見てもらって……。
できれば改めてお礼がしたいです。
えと……あなたは暫くはここに?」
「エリセ・シス……」
「え?」
「あたしの名前。
この砂漠であなたがこの名を呼べば、私の方から出て行ってあげる」
至極真面目な顔で彼女はそう言った。
でも、なんの冗談だろう?
エリセ・シスと言えば、『人類の解放者』などと呼ぶ人もいるが、その一方では『神の言葉を偽りて、人心を惑わせし魔女』と呼ぶ人もいる。
彼女に対しての評価は、人それぞれが持つ価値観によって全く異なるけれど、それまで一枚岩だったワルダヴァオトゥ神教に新たな思想をもたらした結果、教団内に対立を生んでいくつもの分派へと分裂させた張本人だ。
彼女の行動が正しかったのか、それとも間違っていたのか、それは僕にもよく分からない。
いずれにせよ、それはもう数百年前の話だ。
既に歴史の彼方に消えたはずの人物だ。
そのエリセ・シスと、この人が同一人物であるはずがない。
もしも同一人物ならば、まさしくそれは、数百年もの永きを生き延びた魔物だ。
まさか、この人がそんな物であるはずが……。
だけど、彼女は何かを否定するでも、肯定するでも無く、ただ静かに僕のことを見つめていた。
その表情は、自身が歴史上の存在と同一人物であることを、肯定しているように見える。
少なくとも、嘘や冗談を言っているような顔ではない。
僕はなんだか、急に怖くなってきた。
だから――、
「あ、ありがとうございました!」
そう叫びながら慌てて身を翻し、走り出す。
思わず僕は逃げだしていた。
「イヴっ!」
背後から彼女の悲痛な叫び声があがったけれど、僕はかまわずに走り続けた。
いや、何故か一瞬踏み留まりそうになった。
自分の名前でもないのに、自分の名を呼ばれたかのような不思議な感覚──。
でも、僕は怖くて踏み留まれなかった。
そして、走って、走って、走り続けた。
……が、やがて息は切れ、僕はフラフラになりながら走るのをやめる。
もうこれ以上走れそうになかった。
だから恐る恐る後ろを振り返り、そして誰も追ってきていないことを確認して僕は安堵した。
でも、同時に後悔が襲ってきた。
たとえ相手が何者であれ、僕は命の恩人から逃げ出してしまった。
それに「イヴ」というあの人の呼びかけ。
その名前が、僕の頭から消えてくれない。
何故こんなにも、この名前が気になるのだろう……。
「イヴ」という名前は、もしかしたら僕の前世に関係があるのだろうか?
だとしたら、僕は本当にあの人が待つ大切な人の、生まれ変わりなのかもしれない。
確かによく考えてみると、「イヴ」という名前以外にも思いあたる節が無い訳でもない。
実際、特別に敬虔なワルダヴァオトゥ神教徒でもない僕が、急に聖地エルへの巡礼を思い立ったのも、不思議といえば不思議な話だ。
僕はエルに行ったところで、特にやりたいことがあった訳でもないのだ。
それでもエルに行きたいと強く想ったのは、ここに来る為だったのではないか。
具体的なここの場所が思い出せないから、とりあえずエルに向かおうとしたのではないか。
砂嵐に巻き込まれた時だって、本当はその場でじっとして、砂嵐が過ぎ去るのを待てば良かったのに、不用意に動いて街道から逸れ、砂漠に迷い込んだことも只の判断ミスではないような気がして来た。
全てははこの場所を目指し、そしてあの人との約束を守る為に……。
だけど、僕はあの人から逃げ出してしまった。
それはあの人に対しての、酷い裏切り行為だったのではなかろうか。
激しい後悔に襲われながら、僕はトボトボと歩き続ける。
そして僕は何か硬い物に躓いて転んだ。
こんな砂ばかりの砂漠の真ん中で、石や岩に躓くということはあまり考えられないような気がした。
もしやと思って、自分が躓いてしまった物体に目を向けてみると、それはやはり、平べったい石版が砂の中から頭だけを出しているように見えた。
きっと墓標だ。
あの人の大切な人が、ここに葬られていることを示す墓標。
僕は砂に埋もれたそれを、掘り起こしてみることにした。
たぶん予想通りなら、墓標の表面には『イヴ』と、その名が刻まれているはずだ。
僕の前世だったかもしれない人の名前が。
丁寧に墓標の周りから砂を取り除いていく。
意外とその作業には手こずったけれど、どうにか邪魔な砂の殆どを、墓標の周りから取り除くことができた。
古い墓だった。
少なくとも数年やそこらの、昔のものではない。
確実に10年以上が経過しているのではないかと思われた。
おそらく最低でも、僕が生きた年数と同じくらいは経過しているはずだ。
だが、それだけの年数が経過していても、墓標の表面は完全に風化してはいなかった。
幾度と無く砂中に埋もれるほど、大量の砂が混じった風に晒されてきた来たはずなのに、風化の度合いはさほど強くはないようだ。
僕はその墓標の表面に触れてみた。
たとえ月明かりがあったとしても、夜の闇の中では、そこに刻まれた文字をハッキリと読みとることはできなかったが、僕は指先の感触を頼りにして、一文字一文字どんな文字が刻まれているのか確かめる。
そこには、思いのほか長い言葉が刻まれていた。
僕はその言葉を少しずつ理解していき、そしてその度に涙が溢れ出てくるのを止めることができなかった。
『幾たびの転生を重ねようとも、永遠の時を共に生きる。
其は我が家族、我が友、我が恋人、我が隣人、我が守護者。
即ち――我が世界の全てたる者、汝イヴリエースここに眠る。
再会するその時まで』
嬉しかった。
何故かそこに記されている言葉が嬉しく感じて、仕方がなかった。
その存在があの人にとって、世界の全てとまで記されていた。
そのことが無性に嬉しい。
そして、僕にもかつて、世界にも等しい存在がいたような気がしてならない。
ずーっと遠い昔、たぶん僕が生まれる前に。
それはきっと――、
「エリセ・シス……」
僕が呟いた瞬間、
「なぁに?」
背後から返事が返ってきた。
あの人の声だ。
その名を呼べば現れるとは言っていたけれど、今の今まで誰もいなかった場所に、一体どうやって一瞬で移動してきたのだろう。
それは最早、人間業ではない。
だけど先程とよりは、怖くない。
それよりも今は、別の感情で僕の心は満たされている。
静かに僕を見つめているあの人に向けて、僕は深々と頭を下げた。
「あの……さっきはごめんなさい……。
逃げたりして本当にごめんなさい!」
「……あなたの謝罪の言葉は、もう聞き飽きました。
あなたは何事も重く受け止めがちな傾向がありますよね」
暫くの間、少し冷たい表情で僕を見ていたあの人は、そう言いながら不意に苦笑した。
たぶん、それで許したという合図なのだろうと僕は思った。
「それよりも、他に言うべきことがあるのではないですか?」
そう言ってあの人は微笑んだ。
とても奇麗な笑顔だと思った。
この人の正体は、僕にはまだよく分からない。
もしかしたら本当に数百年前から生きている魔女で、僕は何かの術に魅入られているだけなのかもしれないけれど、それならそれでもかまわないと僕は思った。
とにかく僕は、彼女に問われて、何も考えず、ただ頭に思い浮かんだことをそのまま答えることにした。
たぶんそれが正解なのだという直感があった。
「あの……ただいま、エリセ」
そんな僕の言葉に彼女は、
「はい、おかえりなさい、イヴ」
先程よりも、更に奇麗な笑顔を浮かべた。
僕はこの笑顔の為に、約束を果たしに来たんだな……、と思った。
たぶん次の僕も、そのまた次の僕も、たとえ幾度生まれ変わろうとも、この笑顔を見る為に、きっと僕はこの場所に帰ってくるだろうと確信できる。
だって、ここに僕の世界があるのだから――。
神殺しの聖者 完
最後まで読んでただきありがとうございました。
次は「鬼」をテーマにしたオムニバス(まだ一作分だけしか書いていないのであくまで「予定」)と、魔法使いを主人公にした話をやった後、現時点で私が書いた最長の物語(本編は終了済みだが、外伝シリーズは続いている)を投下していく予定ですので、今後もお付き合いいただければ幸いです。
では、また。




