第37話 獣の人形
とりあえずエリセには頼らず、私自身にできることをするしかないようだ。
それでアルゴーンを倒せるのならば、それに越したことはない。
私はまず、分身の翼を背にしまい込んだ。
「なに……?」
アルゴーンには、私が翼をしまい込むという行為の意味が理解できなかったようだ。
確かにあの翼は、攻撃にも防御にも役に立つ。
彼からしてみれば、自らの剣と楯を投げ捨てるも同然の行為に見えただろう。
だが、翼にだって欠点はある。
あの翼は、身体を素早く動かす為には邪魔なのだ。
「!?」
アルゴーンの顔が、驚愕の色に染まる。
たぶん彼には、私の分身が目の前から、瞬間的に消え失せたように見えたのではないだろうか。
だが、私は分身のスピードを極端に上げた訳でも、ましてや本当に消した訳でもない。
ただ、人間の動き方をやめただけだ。
「な、なんだ、この動きは!?」
アルゴーンは動揺する。
私の動きに全くついていくことができないのだから無理もないが、これによって彼が劣勢になったのは確かである。
事実、先程の猫の姿とは違い、今度は私にも剣という攻撃手段があるのだ。
読めない動きから繰り出される斬撃――これを完全に回避する術は、アルゴーンにはあるまい。
これは猫の姿になってから私が得た、数少ない使える能力だ。
猫の動作は人間のものとは、当然ながらかなり違う。
私はその動作を、分身の動きに組み込んでみたのだ。
勿論人間と猫の体型や骨格は全く違うので、再現できない動きも多く、あくまでイメージ的なものを取り入れたに過ぎない。
だが、それでも普通の人間の動き方しか知らない者には、その動きを予測することも、見切ることも難しいだろう。
しかもだ、
「何だと!?」
さすがと言うべきか、それでもアルゴーンは分身の動きに多少は反応している。
いましがたも分身が放った斬撃を、間一髪でかわしたかのように見えた。
……が、彼の額は浅く斬り裂かれた。
それは当然、分身の攻撃をかわしきることができなかった為だが、アルゴーンはその事実をにわかには理解できなかっただろう。
私の目から見ても、今のは間違いなく斬撃をかわすことができるタイミングと間合いだった。
普通の斬撃ならば──。
しかし私は、アルゴーンに斬撃の間合いを外された瞬間、分身の肩と肘の関節をはずして、腕を伸ばしたのだ。
これによって、通常では届かないような距離にいる標的を斬ることも、通常では有り得ない角度に関節を曲げて攻撃を繰り出すことも可能となる。
これは分身からの痛覚の情報を遮断し、そして脱臼によるダメージも瞬時に回復することができる再生能力があるからこそ可能な技だ。
無論、少なからず分身にダメージが生じる以上多用はできないが、猫の動きを取り入れた動作にこれを織り交ぜた攻撃を完全に見切ることは、たとえ天使でも不可能であると断言できる。
ましてや私は人間であった頃から、異端審問庁一の剣術の使い手であったのだ。
根本的にアルゴーンとは、戦闘能力が違い過ぎる。
「こ、この化け物がっ!」
私が放つ斬撃がアルゴーンの身体を刻んでいく。
彼も必死で抵抗しているが、私の動きを読めないのであれば、それはさほど意味が無い。
ただ、こちらもまだ相手に致命傷を与えている訳ではない。
多少の傷ならば天使はすぐに回復させてしまうし、あまり時間をかければ分身の動きにアルゴーンが慣れてしまう可能性も有る。
早く勝負を決めてしまのが得策だろう。
私は分身の身を低く屈めつつ、アルゴーンの死角に回り込ませた。
猫の視点を得てから気づいたが、人間は下から見るとかなり隙が多い。
まあ、下から攻撃を受けることを想定している者などほぼ存在しないだろうし、当然と言えば当然だと言える。
これを利用しない手は無い。
私は身体中のバネを引き絞るように、床すれすれまで分身の身を屈めさせてから、跳び上がるように剣を振り上げる。
アルゴーンはこの時点でようやく下からの攻撃に気がついたようだが、このタイミングではかわせるはずもない。
「ぐああっ!!」
アルゴーンの右腕と翼が床に落ちた。
本当は胴を両断するつもりだったが、反射的に身を捻って、腕1本と翼1枚で済ませたその身のこなしは、さすが彼も天使と言うべきか。
だが腕1本と翼1枚、安くはない代償だろう。
天使の身なら接合も再生も可能なのだろうが、それにはかなりのエネルギーが必要なはずだし、攻撃や防御にも支障をきたす。
それに少なくともこの戦闘中に、回復させる余裕は無い。
いや、余裕を与えない。
私はアルゴーンにとどめを刺すべく分身を踏み込ませたが、逆に彼は退いた。
私から逃げ回り、傷を再生させる為の時間稼ぎをしようと言うのだろうか。
だが、逃がさない。
確かにアルゴーンが逃げることに全力を注げば、分身の剣の間合いからは逃れることができるだろう。
しかしそんなことで、いつまでも逃げ続けられないことはアルゴーンも分かっているはずだ。
私の目の届く範囲内なら、充分に魔法の有効射程圏内なのだから。
分身の掌に光が宿り、それは見る見る間に膨れあがって、光の球と化す。
アルゴーンの教会で使った時には、彼にトドメを刺すほどの威力を持たせることはできなかったが、今度はあの時の数倍の力で撃てるだけの余力はある。
どうやらエリセの力を借りること無く、戦いに決着をつけることができそうだ。
「さあ、300年以上も世話になったが、もう終わりだ。
君の顔は正直、もう見たくないな」
「全く同感ですな。
私の方もそろそろ終わらせるとしましょうか」
アルゴーンが嘲るように笑った。
……まだ抵抗する気か?
だが、それを許すつもりはもう無い。
私の命令を受けた分身が、アルゴーン目掛けて光球を撃ち放つ。
それは拍子抜けするほどあっさりとアルゴーンの身体を呑み込み、瞬時にアルゴーンの身体は炎に包まれた。
だが、これはどういうことなのだろう?
思っていたよりも炎の勢いが弱いような気がする。
私がそんな疑問を感じた瞬間、炎の中から何かが飛び出して分身の身体を貫いた。
「翼!?」
私の驚愕の声に応えるように、炎の中から声が返ってきた。
「……私にも多少はワルダヴァオトゥの力を無効化する能力はある。
もっとも……ハイの力も含まれているあなたの魔法は、さすがに完全に無効化することはできないがね」
炎の中から、皮膚が焼けただれた凄惨な姿のアルゴーンが姿を現した。
そして彼は、突然私の方へ向かって一直線に駆けだした。
いや――、
「エリセっ!?」
「きゃあっ!?」
アルゴーンは急に軌道を変えてエリセの方に突き進み、彼女の身体を捕らえる。
「やられた……」
「勝負は決まったな……」
せせら笑うアルゴーンの皮膚は、瞬時に再生されていった。
そんなに簡単に再生させるほど、生ぬるい炎を放ったつもりは無かったはずだが……。
やはり炎の勢いが弱かったのは、気の所為ではなかったようだ。
しかしどのような手段で、私の術を弱めたのだ?
彼自身は「ワルダヴァオトゥの力を無効化する能力はある」と言っていたが、それでは聖女と同様の特性を、その身の内に宿らせているというのだろうか。
……聖女?
「……まさか、聖女をっ!?」
「ほう……種が分かりましたかな?
そうですよ。
これまでの聖女から、真の聖女に近い因子を見つける度に、それを我が身体に吸収したのですよ。
先程のあなたがドミニクから力を得たのと、おそらくは同様の方法でね。
いずれはワルダヴァオトゥの力を、この身に宿らせるのだ。
それなりに受け入れの準備を、しておかないとな……」
先程の私と同様に――いや違う。
私が神父様からエネルギーを得る為に彼の血を呑んだが、ただ血を呑むだけで相手の能力まで得られる訳ではない。
アルゴーンは聖女の力が身体の何処に宿るのかを確かめる為に、聖女の身体を弄くり回し、力が宿る部位を特定すると、それを自らの身の内に取り入れた。
――つまり、人の肉を喰っていたのだ。
聖女の力が脳に宿っていれば脳を、心臓に宿っていれば心臓を、全身に宿っていれば全身を――。
あまりにもおぞましいその行為と、私の吸血を一緒くたにはされたくない。
「一緒にするな、下衆が……。
吐き気がする……!」
エリセも同感だったのか、それともこのままでは自分も喰われてしまうという可能性に気づいたのか、不快げに顔を歪めていた。
「……神父様……そこまで狂っていたなんて……」
「何とでも言うがいい。
所詮は負け犬の遠吠えだ。
おっと、今のイヴリエース殿は猫でしたな。
ククク……」
「くっ……」
確かに、状況は私達にとって不利となった。
分身はアルゴーンの翼に全身を引き裂かれ、大きなダメージを受けてしまった。
動けないことはないが、現状では本来の能力を発揮することは難しいだろう。
仮に傷を再生能力で癒やしたところで、おそらくエネルギーの消費はかなりの物になってしまう。
どちらにせよ、分身単体ではアルゴーンを倒せるだけの攻撃を繰り出すことは難しい。
そもそもエリセを人質にされたこの状態では、どうしようもない。
万事休す──か?




