第35話 猫の手も借りたいほどの窮地
あたしが限界を感じて、身の破滅を覚悟したその時、
「………………へ?」
あたしの周囲であれほど眩かった光が、唐突に弱まった。
同時にあたしへと押し寄せていた膨大な力と情報の流れ──それも一気に弱まり、いきなり地獄のような責め苦から解放されたあたしは、思わず気抜けしてへたり込んでしまう。
一体何が起こったのだろうか。
神父様が心変わりを起こして儀式を中断した?
いや――、
「な、なんだ!?
術が正常に発動しない!?」
どうやら違うようだ。
神父様も何が起こったのか、把握できていないらしい。
「こ……これは……。
力と情報が降りるべき場所を何処にするべきか、迷っている?
――馬鹿な、何を迷うことがある?
宿るべき聖女の身体は1つのはず……。
……1つ……あ!?」
神父様は何かに気がついて、目を鋭く細めた。
その眼光が見ている先は、私の胸元――そこに抱かれているイヴだ。
「ただの猫だと無視していたが……そいつが原因か!
イヴリエースめ、どんな仕掛けをしたっ!?
そんなちっぽけな獣が、儀式の障害になることなど有りえんっ!」
神父様が叫ぶのと同時に、イヴはあたしの手からするりと抜け出して床に着地する。
逃げるつもりだろうか。
でも、それでいい。
今までは只の猫だと侮られて、神父様に見逃してもらっていたけれど、さすがにもう身の安全は期待できないだろう。
「え!?」
だけどイヴは、こともあろうに自らゆっくりと神父様の方へ歩みよっていく。
まさか神父様と戦う気!?
「馬鹿、逃げなさいっ!」
あたしは叫ぶけれど、イヴはこちらを見ようともしなかった。
ただ長い尻尾をウネウネと動かし、まるで余裕があるところをあたしに誇示しているかのようだ。
「……なんだ、お前は?
イヴリエースの使い魔か?
どのみち只の猫ではないことが分かった以上、その存在は看過できん」
神父様が背中の翼を大きく広げた。
大教皇がイヴリエースさんを追いつめた時のように、その羽を触手のように伸ばして攻撃するつもりなのだろう。
「死ねっ!!」
「イヴ、逃げてっ!!」
あたしが叫ぶのと同時に、神父様の翼がイヴに襲いかかる。
あたしはイヴを助ける為に飛び出そうとしたけれど、先程の儀式の所為か、身体が思うように動かない。
結果、情けないことに、祭壇から転がり落ちてしまった。
それでも可能な限り素早く──実際にはかなり遅いけど──起きあがって、イヴの安否を確かめる。
するとそこには、信じられない光景があった。
イヴは神父様の翼による四方八方からの攻撃を、俊敏な動きでことごとくかわしていた。
確かに小動物は敏捷性は優れていて、その中でも猫は特に能力が秀でた部類だろうとは思うけれど、それでも猫がこれほどまでに素早く動けるとは想像もしていなかった。
イヴの動きはまるで、猫という種が持つ潜在能力を100%引き出しているかのような、いや、まさしくその通りだと確信できる常軌を逸した動きだった。
だけど、だ。
イヴがどれだけ素早くたって、それで神父様と戦うというのはあまりにも無謀な話だ。
事実、いくら神父様の攻撃を避けることができても、イヴには反撃する手立てがない。
そりゃあ爪でひっかいたり噛みついたりすれば、多少は痛いかもしれないけれど、イヴリエースさんが剣で突き刺し、更に炎で焼かれても死ななかった神父様に対して、それらが通用する訳がない。
それに、神父様の攻撃手段が、ただ羽を振り回すだけだとは思えなかった。
「……ちょろちょろと鬱陶しい!」
神父さまの右手が光る。
やはり魔法!
いや、たぶん神父様的には「神の奇跡」とか呼ぶのかもしれないけれど、あたしにとってはどちらも大差無い。
イヴリエースさんが使えたのだから、神父様だって使えたとしても不思議ではないのだ。
いずれにしてもその威力は、イヴリエースさんのそれが教会を燃やし尽くすほどのものだったことを考えると、いくらイヴが素早く動けるとはいっても、とても避けきれるようなものではないだろう。
その証拠に、神父様の右手に生まれた光は、一瞬にして直径数メートルもの球体へと成長した。
あんなに大きいものが炸裂すると、直撃を受けなくてもその余波だけで致命的なダメージを受けてしまいそうだった。
「光になれ!」
神父様が光球をイヴへ向けて撃ち放つ。
光球はあんなに大きいのに、風船を放った時のような緩慢な動きではなく、小石を全力で投げるのと大した変わらないようなスピードがあった。
さすがにイヴも避けきれず、その光に呑み込まれる。
「イヴ!!」
あたしは思わず目を逸らした。
あんな攻撃を受けたら、イヴの小さな身体は一瞬で粉々にされてしまうのではないか。
それどころかその余波で、あたしも無事では済まないのではないだろうか。
しかしいつまで経っても、何かが起こる気配は感じられなかった。
いや、少し間を置いて、
「…………っ!?」
神父様が動揺する気配が伝わってくる。
そして──、
「……効かない」
なんだか聞き覚えのある声が、耳に入って来る。
あたしは声のした方に、視線を戻した。
そこには何の変化もなく、未だに健在なイヴの姿があるだけだ。
何があったのだろう。
何故イヴは無傷なのだろう?
それにさっきの声は、何処から?
あの声は確か……、
「ワルダヴァオトゥから得た力では、この身体は傷つけられないぞ。
奴にとっては自身の新たな肉体になり得る身体を、僕に授けた力で傷つけられるようでは、色々と不都合もあるからな。
たとえばお前のような不心得者が、裏切りに走るというのも予想の範囲内だった訳だ。
その対策はこの身体がこの世に生まれ出る前から、聖女の魂の内に施されていたのだ。
そして聖女の魂は幾度転生しようとも、神の器になり得る肉体を得て誕生する。
この身体はその1人、真なる聖女アディアの身体を用いて創られているんだ。
だからアルゴーン、ワルダヴァオトゥから授かった術では、私を殺すことはできないぞ」
イヴリエースさんの声だ。
その声が、イヴの口から発せられている。
「ネっ、ネネネネネコが喋ってるーっ!?」
あたしは悲鳴に近い声で叫んだ。
ハッキリ言って、神父様達が天使だと知った時よりも驚いたのなんのって。
現実にありふれた存在が現実離れしたことをすると、かえって天使なんかよりもよっぽど現実離れした存在であるように見える。
しかもその声が、イヴリエースさんの声というのは一体――!?
「あ、あの……一体どういうことなのでしょうか、イヴ……さん?」
あたしはつい敬語でイヴに訪ねる。
するとイヴは、
「あ~、つまり早い話が、エリセがイヴリエースだと思っていたのは、私が操る人形みたいなもので、この猫の姿の方が本物のイヴリエースという訳だな。
信じ難い話かもしれないが……。
私はワルダヴァオトゥを倒す為に自分の身体を捨てて、猫の身体に移ったんだ」
……え……と、何だかよく分からないけれど……。
細かいことは横に置いておいて、この猫が本物のイヴリエースさんだということを、とりあえず受け入れてみよう。
するとナニ?
あたしってば、イヴリエースさんに口移しをしようとしていたところを、ずーっと本人に見られていたってこと?
それにさっきからイヴの身体を撫でまわしたり、くすぐりまくったりして……。
それって、人間の身体に置き換えてみると、物凄いセクハラ行為に及んでいたも同然ってことだったんじゃ…………。
その光景をつい頭に思い浮かべたあたしは、
「いぃいいやあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁーっ!!」
恥ずかしさのあまり悶絶した。
……悶絶しながら覚った。
な、なるほど。
イヴリエースさんが、イヴの鳴き声を聞いたことがないのも当然。
イヴがイヴリエースさん本人なら、「ニャア」とか無く必要も無い……ん?
さっきの鳴き声って、イヴリエースさんが猫の演技していたということなのかな?
人間の姿のイヴリエースさんが「ニャア」とか言っているところを想像すると、なんだか可愛い。
ついでにネコ耳のオプションに付けてみる。
駄目だ、可愛すぎる!
あたしは2つの理由で悶えた。
一瞬、今がどういう状況なのかを完全に忘れていた。
明日はあまり時間が無いので、昼と夜のどちらか1回だけの更新になると思います。どちらになるのかは未定。




