第2話 聖女候補、罪を犯す?
「い……生きているのかしら?」
あたしは恐る恐る女性に近づいた。
女性と黒猫は一応呼吸をしているようだ。
あたしは一瞬ホッとしたが、深刻な事態であることは変わりない訳で……。
少なくとも宗教国家である為に泥酔するほどの飲酒が禁じられているこの国では、酔っぱらいが道の真ん中で眠っているということは殆ど考えられない。
また、この界隈にもホームレスの人達が何人か住み着いてはいるけれど、いくら住む家が無くともこんな道の真ん中では眠ったりはしないだろう。
となると、この女性がこんな所に寝て……いや、倒れていた理由は自ずと限定される。
彼女は何か重い病気か怪我によって倒れた可能性が高いのではなかろうか。
しかもそんな人物の上に、あたしは勢い良く倒れ込んでしまった。
それが彼女の身体に、致命的なダメージを与えてしまった可能性も否定できなかった。
聖職者であり、聖女の候補にまでなったあたしが人を死に追いやる──それは決して起こってはならない事態であることは言うまでもない。
その上、これはあたし1人の問題ではなく、ワルダヴァオトゥ神教会全体の威信に関わる大事件となりかねなかった。
故にあたしは、通常の過失致死傷罪よりも更に重い厳罰で裁かれることになるだろう。
しかもワルダヴァオトゥ神の教えは厳格で、時として罪には死をもって贖わなければならない。
ああああああああああああ、あたし犯罪者ですか!?
もうすぐここに警備隊が来て連行されちゃいますか!?
しかも尋問とか拷問とか色々大変なことされちゃいますか!?
そして処刑場にしょっ引かれて、
「聖女候補が人殺しだなんてこの教団の恥さらし!」
とか街の皆さんに罵られたり石を投げつけられたりした上で、断頭台の露と消えるのですか!?
ああ……それなら、何処ぞの島国の風習に倣って、この場で腹を切って詫びを入れた方がまだマシな気が……。
でも、お腹を切るのは痛そうだし……小指で勘弁してもらえないかなぁ……って、それも十分痛いし。
どれもこれもいやぁ────っ!!
……そんな恐い考えがあたしの頭の中を、物凄い勢いで駆け抜けていった。
その勢いたるや土石流の如し。
巻き込まれたら余裕で100回は死ねそうな破壊力ですよ。
いや、死ぬのは1回で充分だけれど。
「はわっ、はわわわわ! どうしよう!?」
あたしはこの事態をなんとかしようと、周囲を見回した。
だけど、土石流に殆ど押し流されてしまった思考力では、この事態を処理することなどできるはずもなく、ただオロオロとするだけだった。
ああ……この事態の対処法は全く分からないのに、顔から血の気が引いていくのだけは凄くよく分かる。
そして3分ほどオロオロとした後にようやく、
「そ、そうだ、教会に運んで手当を……!」
という極当たり前の結論に至ったけれど、いざ女性を運ぼうとした段になってあたしの動きはピタリと停止せざるを得なかった。
見るからに女性は、あたしよりも30cmは上背があり、しかもかなり鍛え込まれていそうな身体つきをしていた。
間違いなくあたしの1.5倍近い体重があるはずで(具体的な数値は、お互いのプライバシーを考慮して秘匿する)、それをあたしの腕力で抱え上げることは困難……というか絶対に無理。
「え、え、えっと、とりあえず」
あたしは女性の足を掴み、体重をかけて思いっきり引っぱってみた。
すると、なんとか動かすことはできたので、どうにか女性を引きずって教会まで運ぶことを試みる。
しかし、それから約5分間で進めた距離はわずか5m足らず。
この調子では教会までの残り約15mを進むのに、最低でも15分はかかるだろう。
というか、入り口の段差を乗り切ることはまず不可能だ。
これでは緊急を要する重症者にとっては、致命的な時間の浪費になると言わざるを得なかった。
あるいは既に手遅れ!?
このままでは間に合わない──そう判断したあたしは、
「ちょっ、ちょっと待っててください。
今助けを呼んできますからーっ!」
と、今来た道を大あわてで逆走し始めた。
助けを呼ばなければどうしようもない状態であることに気付いたまではいいけれど、助けを呼ぶのならば目の前の教会の方が近いことに気付くべきだった。
それに気づいたのは、表通りを目前にした辺りで……。
「ああっ!? しまったー!!」
……なんでこんなにうっかり者なのかと、自分でも呆れ果てる今日この頃だ。
幸いなことに、女性は急を要するような身体の状態ではなかった。
あたしが人通りの多い表通りで救助に協力してくれる人を見つけ、元の場所に戻ってみると、女性の意識は回復していた。
彼女は身動きもままならない身体をおして、あたしが放置していた買い物カゴへと、必死に手を伸ばしている。
目的はたぶんカゴの中の食料だろう。
そのことからこの女性は、極度の空腹によって倒れたのではないかということが推測できた。
しかしいかに飢えていたとしても、いやだからこそ飢餓によって体力と免疫力が低下しているはずの女性に、先ほど地面にぶちまけて泥だらけの不衛生な物を食べさせる訳にはいかなかった。
万が一食中毒にでもかかったら、それこそ命取りになってしまう。
「駄目ですっ!」
あたしは慌てて女性の前から買い物カゴを取り上げた。
すると最後の力を振り絞って食料を得ようとしていたらしい彼女は、目標を見失って一気に脱力したのか、パッタリと地面に臥したまま全く動かなくなってしまった。
どうやらまた意識を失ってしまったようだ。
あたしは急いで協力者力の力を借りて、女性を教会へと運び込んだ。
そしてすぐさま彼女に食べさせる為の、料理の準備に取りかかる。
ただ、メニューが問題だ。
いきなり空きっ腹に物を詰め込むと、暫く機能していなかった胃が受け付けないだろう。
となると、豆をすりつぶして煮たスープがいいだろうか。
これなら消化吸収も良くて、胃腸にも優しいだろう。
そして1時間が経過した頃、スープはでき上がったのだけれど、ちょっと困った事態にあたしは陥っていた。
「これ……どうやって食べさせればいいんだろう……?」
とりあえず運び込んだ女性は、教会の礼拝所の隅にシーツを敷いて、そこに寝かせているのだけれど、未だに目覚める気配は無い。
当然これでは自力で物を食べることなどできるはずもなく、だからと言ってこのまま何も食べさせなければ餓死してしまうかもしれない。
「となると……えと、もしかして口移しで食べさせなきゃ……ダメ?」
そんなことを考えて、あたしは顔が火照るのを感じた。
何の本だったのかは忘れたけど、意識が無い人へ物を食べさせる手段として、口移しでやる方法が紹介されていたのを読んだことがある。
その具体的なやり方はよく憶えてはいなし、今となってはそれが本当なのかどうかすら確かめられないけれど、このままではやらない訳にはいかないだろう。
せめてこの教会を取り仕切る神父様がこの場にいれば、他に何か良い知恵が無いかと相談することもできたのだけれど、あたしが帰ってきた時には神父様は外出していて居なかった。
結果的に、表通りまで助けを呼びに行って正解だったようだ。
ともかく、このまま他の誰かの助けを得られないのであれば、ここはあたし1人で事態を解決するしかない訳で……。
でも、口移しだなんて……!
口移しと言えば唇と唇が触れ合う、つまりは接吻。
接吻と言えば婚姻の誓いにも使われる、愛し合う者同士の神聖な行為ですよ?
それを聖職者のあたしに、今さっき出会ったばかりの人とやれと?
いや……あたしだって全く関心の無い事柄という訳ではないけれど、でもだからこそこんな何処の誰とも知れない、しかも同性に唇を奪われるというのはちょっと遠慮したいなあ……と思うのですよ。
だけど──、
「……でも、これはチャンスですか?」
突然そんな誘惑が脳裡に閃いた。
神様に身を捧げた修道女であるあたしには、恋愛は御法度だ。
いや、恋愛だけではなく当然結婚も性交渉も出産も厳禁。
正直、生物の本能と自然の営みを否定する無茶な掟だと思わないでもないけれど、とにかく修道女を辞めない限り、あたしとは一生縁が無い。
でも、だからこそ強い憧れもあるのも否定できない事実だった。
これまでは無理をして経験したいとも思わなかったが、今なら接吻だけは人命救助という名目で何の後腐れもなく試してみることができる。
その相手がたとえ同性だとはいえ、一生に1度も経験することも無く終わるよりはいいかもしれない……ような気がしないでもない……。
「…………」
あたしは眠っている女性の顔をじっと見つめる。
黒く長い前髪が目にかかり、その上黒いマントが口元まで覆い隠していたので顔つきは分かりづらかった。
だからそれらをちょっと除けてみる。
すると彼女はなかなか精悍な顔つきをしているようだった。
とりあえず口移しが絶対に嫌と言うほど、嫌悪感を覚えるような顔ではない。
いや、むしろかなり美形な方ではなかろうか。
……うん、息をのむほど綺麗なお姉さんだ……。
また、長身で細身ながらも鍛え抜かれた身体つきは、下手な男性よりも凛々しさを感じさせる。
性別が女性であるという一点を除けば、始めての接吻の相手としては理想的だとさえ言ってもいいのかもしれない……んじゃないかなぁ。
たぶん……きっと。




