第13話 猫と対話せよ
ある意味、真ヒロイン回。
問題はまだある。
今は陽が落ちたばかりだからそうでもないけれど、夜が深まればどんどん冷え込んでいくだろう。
エルは砂漠型の気候に属しているので、昼は当たり前のように30℃を軽く超えるけれど、逆に夜は氷点下前後まで気温が下がることもある。
砂漠の乾いた空気と砂ばかりの大地は保温性が悪く、昼間の熱気を簡単に逃がしてしまうのだ。
そんな砂漠の夜の中で、毛布の1枚も纏わずに野宿しようものなら、風邪を引く程度では済まないだろう。
勿論、マントで全身を覆っているイヴリエースさんならさほど問題は無いのかもしれないけれど、さすがに薄い修道服だけのあたしには少々、いや、かなりツライ……。
「クシュンっ! うう……やっぱり寒い……」
あたしは小さくクシャミをして身を震わせた。
こんな所で一晩、あるいはそれ以上過ごさなければならないことを考えると、なんだか泣けてくる。
昨日までは裕福とは言わないまでも、不自由無く平和に暮らして来たのに、なんでこんなことになったのだろう……。
その時、あたしの視界の隅に、もぞりと動く黒い存在がいることに気がついた。
そしてこの悲惨な状況を、少しでも打開する為の妙案を閃く。
「あ、猫ちゃん、猫ちゃん、こっちへおいで。
抱っこしてあげるよぉ~」
あたしは眠っているイヴリエースさんを起こさぬように、声をひそめて彼女の胸の上で丸くなっていた黒猫に対して、猫なで声で囁きかけた。
目の前に生きた携帯カイロと呼ぶべき存在がいるのだ、これを利用しない手はないではないか。
だけど、黒猫はあたしをチラリと一瞥しただけで、すぐにそっぽを向いてしまった。
心なしか「フン」と鼻で笑ったようにも見えた。
「……シカトですか」
なんとなくムッとするものを感じる。
猫は気まぐれな生き物なので、その反応は予想されて然るべきものなのかもしれないけれど、どうもこの黒猫は普通の猫のようには見えなかったし、頭だってかなり賢いのではないかと思える。
賢ければ人をバカにすることだってできるだろう。
いや、今まさにこの黒猫はあたしをバカにしたのだ!
普段のあたしなら、ここで引き下がっていたかもしれないけれど、こうなったらもう意地だ。
あたしは黒猫に向けて手を伸ばし、抱きかかえることを試みた。
勿論、強引にして引っかかれたら嫌なので、かなり恐る恐るといった感じだったけれど……。
ちょっと自分でも情けない。
そんな調子だからなのか、結局黒猫はあっさりとあたしの手から逃げてしまった。
全くかすりもしません。
「あうぅ~」
黒猫に簡単にあしらわれたあたしは、酷く情けない気持ちになった。
今日1日で、あたしの周りのあらゆるものが急激に変わってしまった。
そんな今のあたしには、心の支えとなるものがもう無いに等しい。
「うう……信じていた神様も、育ての親も、帰る家さえも失って……。
その悲しみを猫と戯れて紛らわそうとすれば、その猫にさえ相手にされないなんて……。
あたしの人生、いいところ無しだ……」
あたしはそんなことを涙ながらに呟いて、ふと屋根と空の境界線に視線を移した。
なんとなくあそこに行けば楽になれそうな気が……と、ちょっと本気で考えてみたり。
「はあ……」
「え?」
溜め息のようなものが聞こえた気がして、あたしはその方向に目を向ける。
するとそこにはあたしをじっと見上げる黒猫の姿があった。
黒猫はなんとなく「やれやれ……」と、呆れているような表情を浮かべているようにも見えた。
そんな渋々な態度ながらも、黒猫はゆっくりとあたしの側に歩み寄ってきて、ついには膝の上に飛び乗った。
「う……? 抱っこさせてくれるの?」
あたしの問いに黒猫は、好きにしろ、と言わんばかりに「フン」と鼻を鳴らした。
「ありがと~。
わぁ~! 温かいねぇ~!」
あたしが優しく黒猫を抱き上げた。
黒猫は一瞬暴れるような仕草を見せたけれど、我慢したのか、大人しくあたしの手に身をゆだねてくれた。
だけど何処となく落ち着きのない様子で、なんだかキョロキョロとしている。
どうやら人に抱かれることには、あまり慣れていないようだ。
それでも鳴き声一つあげない落ち着きぶりは、やはり普通の猫と一線を画しているといえるのかもしれないけれど。
……? そういえばこの子、全然鳴かないなぁ。
ふと、そんな疑問が頭をもたげた。
思えばあたしが聞いたこの黒猫の声は、彼(彼女?)の上に倒れ込んでしまった時の「ふぎゃあ」という悲鳴だけだった。
いや、今となっては、その悲鳴が黒猫とイヴリエースさんのどちらがあげたものなのかは、よく分からなかったけれど……。
……イメージ的にイヴリエースさんは違うかな?
そんなことに気付いたあたしは、なんとなくこの猫の声を聞いてみたくなった。
喉をくすぐってやれば「ゴロゴロ」とぐらいは鳴いてくれるだろうかと思い、手を喉の所へ持っていこうとすると、さすがに黒猫は逃げ出そうとする気配を見せた。
しかし、今はしっかり抱きしめているので簡単には逃がしません!
「ほらほら~ぁ、キミがどんな可愛い声で鳴くのか聞かせて下さ~い♪」
と、黒猫の喉をくすぐってみるが、黒猫は少しも鳴き声をあげなかった。
ただ、必死で我慢しているのか、ブルブルと震えてはいる。
なんだかこんな風に抵抗されると、意地でも鳴かせてみたくなるのが、人の性という物ではなかろうか。
「よーし、じゃあ、脇の下やお腹とかをくすぐったらどうかなぁ?
うりゃあ!」
あたしは、持てるくすぐり技術の全てを投入して、黒猫の全身をくすぐった。
すると、さすがにこの子も耐えきれなくなったのか、涙目になりながらついに──、
「い──」
「い?」
黒猫が微かに声を上げたような気がした。
しかし「い」とは変わった鳴き声だ。
最初が「い」では、「にゃあ」にも「みゃあ」にも、ましてや「にぃ」にもならない。
なるほど、変な鳴き声だからこの子は鳴くのを頑なに拒んでいたのかもしれない……と、納得しかけた瞬間、
「──じめるな」
「はううっ!?」
コスン、とあたしの脳天に衝撃が奔った。
あたしが慌てて振り返ると、イヴリエースさんが手刀を構えていた。
たぶんその手刀を、あたしの頭に振り下ろしたのだろう。
それはかなり手加減されていたのか、殆ど痛くは無かったけれど、完全に虚をつかれたあたしの心臓は大きく飛び跳ねた。
そちらの方がよっぽど痛い……。
あ、今の「い」という声も、黒猫のものではなく、イヴリエースさんの「苛めるな」という言葉の出だしだったのか。
そうか、そうだよねぇ。
「い」なんて鳴く猫なんか、いる訳無いよねぇ……。
それはともかく、暗殺者さながらに気配を消して攻撃を仕掛けてきたイヴリエースさんの実力はやはり只者ではない。
彼女がその気になれば、あたしに自覚させる間もなく命を奪うこともできるのではなかろうか。
恐るべし、イヴリエースさん!
「お、起きていらっしゃったのですか!?」
「あれだけ騒がれればな……」
イヴリエースさんは、憮然とした口調で答えた。
う……寝起きには機嫌が悪いタイプか?
「す……スミマセン」
「いや……私も悪かった。
君1人で起きていても退屈だったろうし、この寒さの上にその服装では眠って時間を潰すこともできそうにないものな。
私のマントを貸しおけば良かった。
これにくるまっていれば寒さはどうにか凌げるから休んでおけ」
と、イヴリエースさんは自らのマントを脱いで、あたしに手渡そうとしたけれど、あたしはその言葉に甘える訳にはいかなかった。
「いえ、いいですよ。
それじゃあイヴリエースさんの方が寒くて眠れなくなるではありませんか。
というか、むしろよく眠れるかもしれません。
──永遠に。
今はあなたの方が体力を回復させなければならないのですから、ここはあたしが我慢しますよ」
「それで君が凍死されても寝覚めが悪いのだが……。
私は平気だよ、野宿は慣れているからな。
遠慮はするな……」
「で、でもぉ……」
イヴリエースさんは無理矢理マントをあたしに手渡して、座り込んでしまった。
それで話は決着したつもりなのだろう。
だけどマントを手渡されたあたしは、これでいいものかと、暫し逡巡していた。
「あ、そうだ!」
あたしはイヴリエースさんの真横にちょこんと座り込み、自分と彼女の身体にマントを巻きつけた。
「ちょっ……!」
「この方が温かくていいですよ。
女同士でこんな密着しているのも何か変ですけどね。
……嫌ですか?」
「そうでもないが……」
そう言いつつも、明らかにイヴリエースさんの声には戸惑いの色が含まれていた。
確かにイヴリエースさんは、人とコミュニケーションを取るのがあまり得意なタイプには見えないから、彼女にしてみれば他人と馴れ合うような行為には抵抗があるのかもしれない。
でも、寒いよりはきっといい……と、あたしは勝手に判断した。
「うふふ……イヴリエースさんの体温が伝わってきて暖かいですよ~。
あ……あたしの身体、冷えていて冷たくありませんか?」
「……いや、冷たさは感じない……」
「そうですか? 良かった~。
あ、猫ちゃんも入りませんか?
おいでおいで~。
温かいですよ~」
あたしは、少し離れた位置に蹲っている黒猫を、手招きして呼んだ。
けど、さすがに先程のくすぐり刑がこたえたのか、完全に無視を決め込んで動こうとはしなかった。
というか今更のように気づいたけれど、あの子はいつの間にあたしの腕の中から逃げ出したのだろうか。
確かにイヴリエースさんによる突然の襲撃を受けた所為で、先ほどのあたしは動転していたけれど、それでもその逃走を全く覚らせなかったあの猫も只者ではない。
そんな猫を怒らせると後が怖いかも……と、ちょっと後悔した。




