第11話 真の聖女と異端の魔法
「なにを馬鹿なことを……。
その娘は、我々の教えに背いた出来損ないだぞ?」
イヴリエースさんの指摘を受けて、神父様の顔が僅かに歪んだ。
それで確信を得たのか、彼女は畳み掛ける。
「聖女当人の思想云々は、君達にとってさほど関係のないことだと思ったが?
要は器としての資質があるかどうかだ。
そして君ほどの存在が側に付き添い、頭まで下げた。
それは少なくともこの娘に、真の聖女たる素養があったからじゃないのかな?
この娘に何かあれば、君達の計画は数百年は遅れるかもしれない。
いや、これが最後のチャンスなのだろう?
それでもこの娘を犠牲にしたければそうすればいい。
私も真なる聖女を道連れとできるのならば、悪くない最期だ。
どのみち目的は達せられるからね」
「ぐう……」
どうやら図星を刺されたのか、神父様は短く唸ってからそのまま押し黙った。
つまりそれは、あたしが真の聖女とかいうものであることを、肯定したということでもあり……。
い、一体あたしって何者なの?
「この娘が大事なら、暫く大人しくしていてくれないかな。
今の私でも時間をかければ、君をどうにかすることはできそうだからね」
と、イヴリエースさんは左の掌を神父様へと向けた。
「え……?」
その時あたしは、イヴリエースさんの掌が光ったように見えた。
一瞬見間違いかとも思ったけれど、どうやらそうでもないようで、その掌には眩い光の粒子が徐々に集まって来る。
「魔法……!」
あたしは目を疑う。
イヴリエースさんが今使おうとしているのは、悪魔と契約することによって初めて使用できるという邪教の秘技──神の奇跡に相反する汚れた呪法なのだろう。
それを目の当たりにして、あたしは育ての親に逆らってまでしてイヴリエースさんの手助けしたことが、本当に正しかったのか……と、一瞬不安になった。
彼女は間違いなくワルダヴァオトゥ神教が邪悪と断じた魔法に手を染め、そして悪魔との繋がりがあることが確定的になったのだから。
でも今のあたしには、必ずしもワルダヴァオトゥの教えが正しく、そして異教が間違っているという風には思えなかった。
それに今信じるべきなのは神でも悪魔でもなく、イヴリエースさんという1人の個人だ。
あたしは彼女が尊敬するに値する一個人だと思ったからこそ、自らを取り巻く全てのしがらみを排除してでも助けたいと思ったのだ。
だから、この際魔法のことについては、とやかく言うつもりはない。
だけど──、
「それで、神父様を傷つけるのですね……?」
さすがにこの状況に至っても、育ての親のことは気になった。
「悔しいかな、今の私には暫く動けなくするくらいのことしかできないよ。
心配しなくても、あいつはすぐに蘇ってくる」
「そうでした……ね」
一体神父様は、何故ああも不死身の如き肉体を有しているのだろうか?
果たして彼が人間なのか、それともそうでないのか、最早あたしには判断が付かなかった。
今となっては、10年も一緒に暮らしてきて、彼の存在に何の疑問を感じていなかった自分が、おかしいのではないかという気さえする。
なんだかあたしの理解が及ばない所で、事態が動いている。
それがどうにももどかしくて、仕方がなかった。
でも、全ての疑問の答えを得る術は、今のあたしには無い。
ただ状況が流れていくのを見守ることしかできないのだろう。
やがてイヴリエースさんの掌に集まった光は、その輝きが最高潮に達する。
それは目を開けていることすらできないほどの眩い輝きを放ちながらも、熱は殆ど感じられないという不思議な光だった。
「では、さよならだ」
イヴリエースさんが神父様目掛けて光を撃ち放とうとしたその時、神父様は何故か勝ち誇ったように笑った。
「ああ、ほんの少しの間だけな」
「……すぐに私に追いつくと?」
「いや、そうではない。
我々にはあなたを追う必要すらないよ。
今回、我等がこのエルに形成した結界は、侵入すること以上に脱出が困難だ。
このエルから脱出する為の抜け道はただ一つしかないからな。
それはこの都市の、いやワルダヴァオトゥ神教の中枢中の中枢──。
大聖堂宮殿の祈りの間だけだ」
「…………!!」
イヴリエースさんは動揺したのだろうか、密着していた所為で彼女が一瞬身体を硬直させたのが伝わってきた。
そんな彼女の心情はあたしも同じかもしれない。
神父様の言う祈りの間とは、10年に1度の聖なる日に、聖女がこもって神の託宣を受ける場所で、聖女となったあたしにとっては、決して無関係ではない。
だけど今となっては、その場所にだけは絶対に入ってはならないような、不吉な予感がしてならなかった。
「クックック、じっくりと歓迎の準備をして待っているぞ」
「くっ……来い!」
イヴリエースさんのその呼びかけを受けて、神父様によって床に叩きつけられ、グッタリとしていた黒猫が駆け寄ってきた。
あの衝撃で死ななかったどころか、もう動ける所を見ると、やはり只の猫ではないのかもしれない。
黒猫は再びイヴリエースさんの頭によじ登る。
それを確認した彼女は、神父様目掛けて光を撃ち放った。
それはボールを全力で投げたが如きスピードで、普通の人間には回避することができないように見えた。
いや、神父様は最初から避けようとさえしていない様子だ。
本当に死なない自信があるのだろうか。
そしてその光は、神父様に当たった瞬間に弾け、凄まじい勢いで神父様の身体は元より、周囲の床や壁までも燃やしていく。
「し、神父様!」
あたしは思わず神父様に駆け寄りたい衝動に駆られたけどけど、凄まじい熱風を吹き付けられて、炎を正視することすらできなかった。
果たしてこれだけの炎に焼かれて生きていられる人間など、本当に存在するのだろうか。
そんな風に神父様の身を案じるあたしの手を、イヴリエースさんは有無を言わさぬ勢いで引いた。
「急げ! すぐにここも炎に包まれる」
確かに炎は数分と待たずに教会全体に拡がりそうな勢いだった。
一刻も早くこの場を去るのは、むしろ当然の判断だろう。
でも、あたしは10年間も暮らしてきた教会が燃えるこの光景から、目を離したく無かった。
この教会を見る機会は、もう二度と無いだろう。
できれば最後まで見届けたい。
だけど、イヴリエースさんは焦りのこもった声で、
「それに今度アルゴーンに捕まったら、私達はもう最後だぞ」
と、今迫ってくる炎の脅威さえも、全く目に入っていないかのように言った。
彼女には炎よりも神父様の方が脅威であり、彼が生きていることを微塵も疑っていないようだった。
だからあたしは、腕を引くイヴリエースさんに抵抗すること無く、無言でついていく。
途中、一度だけ背後を振り返ってみたけれど、炎の中に立ち上がる人影を見たような気がして、あたしは慌てて前へと向き直った。
そしてもう二度と後ろを振り返ろうとは思わなかった。
いつの間にか、あたしの歩みは小走りのように早くなっていた。




