第9話 断罪者
「し、神父様が……」
死んだはずの神父様が蘇る。
そんな神の奇跡としか思えぬような光景を目の当たりにしても、あたしにあるのはただ恐怖の念だけだった。
本来ならば育ての親が死ななかったことを、あたしは喜ぶべきなのかもしれないけれど……。
いや、神父様は死ななかったのではなく、あの人は間違いなく1度死に、そして蘇ってきたのだ。
あたしは命の尊さを、死ねば取り返しのつかない所にあるのではないかと思っている。
だから蘇ってきた神父様の姿は、命を冒涜した酷く禍々しい存在であるかのように思えてならなかったのだ。
「ちぃ!」
イヴリエースさんは舌打ちして神父様に向き直り、剣を構えたけれど、それに神父様は全く脅威を感じていないのか、無防備にゆっくりと歩み寄って来る。
そんな神父様目掛けてイヴリエースさんは素早く踏み込み、その喉元目掛けて剣を突き入れた。
「やめ……っ!!」
あたしは思わず制止の声を上げかけたけれど、しかしその時には既にイヴリエースさんの剣が神父様の喉元を刺し貫いていた。
それにもかかわらず、神父様はまるで痛痒に感じている様子もない。
実際、先ほどとは違い、剣で刺し貫かれた喉からは全く出血する気配が無かった。
「今のあなたには、私を倒すことはできない。
それはあなた自身が一番分かっていると思うがね……。
この聖都に侵入する為に、力を使い切ってしまったのだろう?
今のあなたは怖くない──。
だからこそ私は、先ほどあなたに背を見せたのだよ。
そしてその隙につけ込んで私を攻撃せざるを得なかったことで、あなたがどれだけ弱っているのか、それはよく実感できた。
まあ、さすがに頭部を狙われていたら、もう少し再生に手こずっていたのでしょうが……あなたはそれをしなかった。
聖女に更なる凄惨な場面を見せて、無用な恐怖を与えたくなかったのですかな?
やはりあなたは甘くなりましたよ。
くっくっく……」
「…………っ!」
剣で喉を刺し貫かれているのにも関わらず神父様は明朗に言葉を発し、そして低く笑いさえした。
聖職者とは思えないような、禍々しく嘲るような笑い方で……だ。
それを見て、イヴリエースさんの顔が僅かながらも悔しげに歪む。
「……私はこの千載一遇のチャンスを、逃すつもりは無いよ」
そんな神父様の言葉が発せられた瞬間、この期に及んで未だイヴリエースさんの頭に乗り続けていた黒猫がついにそこから飛び降りた。
さすがにそこはもう安全な場所ではない──と、判断したのだろう。
事実──、
「ガッ!!」
次の瞬間、虫でも振り払うかのような動作で放たれた神父様の裏拳が、イヴリエースさんのこめかみの辺りを捉え、彼女の身体を宙に舞わせた。
その身体は軽く7メートル以上飛び、礼拝堂の壁に叩きつけられる。
あたしには人間をそれだけ勢い良く吹き飛ばした神父様の膂力も驚きだったけれど、その神父様の凄まじい一撃を受けてもなお、出血すらしていないイヴリエースさんの頭の頑丈さも驚きだった。
そう、イヴリエースさんは、あれだけの衝撃を人体最大の急所とも言える頭部に叩き込まれたのに、まだ生きていたのだ。
普通の人間ならば、まず間違い無く即死だったのではないだろうか。
だけどさすがのイヴリエースさんも今の一撃で脳震盪を起こしたらしく、立ち上がろうとしても全くそれができず、床の上で藻掻いていた。
そんな彼女に神父様はゆっくりと歩みよっていき──、
「し、神父様!?」
神父様の歩む速度は、イヴリエースさんを目前にしても緩まる気配を見せず、そしてそのままの速度で、彼女の背中を勢い良く踏みつけた。
そこから明らかに骨が折れたような音が聞こえてきて、あたしは思わず耳を塞いだ。
「くあっ!」
血の混じったイヴリエースさんの悲鳴があがったけれど、神父様は構わず彼女の背を踏みにじっていく。
そして足をゆっくりと上げ、再び容赦なく彼女の背中へ──、
「やめて下さい神父様、殺す気ですか!?」
今まさに踏み下ろされようとしていた神父様の足、あたしはそれを止めようと、神父様の腕にしがみついて全力で引いた。
正直、あたしの力だけでは、神父様の鍛え抜かれた身体をどうこうできるとは思ってもいなかったけれど、あたしが動くのと同じタイミングで、あの黒猫が神父様の顔に飛びついた。
それに虚をつかれた神父様はバランスを崩し、仕方無しにイヴリエースさんの背中ではなく床へと足を下ろす。
「くっ……!」
神父様は苦り切った表情で顔に張り付いた黒猫を引きはがすやいなや、それを勢い良く床に叩きつけた。
黒猫はゴム鞠のように2~3度バウンドしてから、そのままグッタリと動かなくなってしまう。
こんな小さな動物になんてことを……!!
「……殺すとは人聞きが悪い。
私はワルダヴァオトゥの教えに沿って、異端者を断罪しているのだよ、エリセ様?」
「それは言葉をかえただけで同じことなのではないですか!?
そもそも我々の神の教えでは、無益な殺生は禁じられているはずです!」
「異端者・異教の徒はその限りではない……!」
冷淡にそう言い放つ神父様に、あたしは寒気を感じずにはいられなかった。
こんな神父様をあたしは見たことがない……。
今の神父様の言動は、神様の教えを説いている時の慈愛に満ちたものとは正反対で、最早別人だと言ってもいいくらい印象が違う。
だけど、あたしはどうしても納得がいかず、神父様に食い下がる。
「ですが、命を奪うのは、どうしようもない悪に対しての最後の手段とするべきです。
まずは改宗を促す説得を試みてからでも……」
「甘いですなエリセ様。
死の裁きは我等ワルダヴァオトゥ神教に反する者達への、最初で最後の手段ですぞ?」
「な!?」
神父様の言葉にあたしは耳を疑った。
それはワルダヴァオトゥ神教に敵対する勢力には、その罪の大小を問わず、皆殺しにするということだ。
つい数分前まであたしにとって実の親以上の存在だとさえ思っていた者から、何故そのような恐ろしい言葉が出てくるのか、それがどうしても信じられなかった。
「異端者・異教徒は問答無用で全て死罪だと言うのですか!?
そんな恐ろしいことが許されるはずが……」
「許されるも何も、これは今に始まったことではない。
もう何百年も前から許されていたことだ。
そう、我等異端審問官は、異端者・異教徒を見つけ次第例外無く裁いてきたのだ」
「は?」
神父様の言葉にあたしの顔は一瞬呆けたように緩む。
異端審問官?
あたしには馴染みの薄い役職名だった。
異端を審問する──その名前からは、それくらいのことは想像できるけれど、それ以外の具体的なことは一切知らない。
いや、神父様の養女とも言えるあたしにさえも、全く知らされていないのだ。
おそらく一般の信徒にも公にされていない、秘密の役職なのではないだろうか。
「確かにエリセ様の言うように、説得によって異端者・異教の徒をワルダヴァオトゥの正しき教えに導くことが理想的でしょう。
だが、それにはどれだけの時間と労力がいるのですかね?
間違った教えを、太陽が東から昇り、西へと沈むのと同じくらい当たり前のこととして刷り込まれている連中に、それが間違いだと言って聞かせても、果たして信じるでしょうか?
たとえ信じさせることができたとしても、それにはどれだけの時間がかかるのでしょう?
1ヶ月? 1年? それとも10年?」
「そ、それは……」
神父様の問いに、あたしは口ごもるしかなかった。
確かに熱心な信仰心と長い年月によって培われた価値観を、異教徒から「それは間違っている」と言われて、「はい、そうですか」と、容易に受け入れることができる人間は少ない……いや、皆無かもしれない。
人によっては人生の全てが間違いだった──と、断じられるも同然だからだ。
それを認めるくらいならば、死を選ぶ人だっているはずだ。
そんな人達に言葉で説き伏せることが、どれだけ困難なことなのかは想像に難くなく……。
神父様の言う通り、説得が効果を現すまでに年単位の時間がかかることも珍しくないだろう。
しかも1人の人間が1度に説得できる人間の数には限界がある。
おそらく全世界に無数に存在する異教徒を改宗させる為には、ワルダヴァオトゥの信徒の全てを動員してもほぼ不可能だ。
「それだけの時間があれば、100人改宗させることができたとしても、我等の手の届かぬ所で、その何倍、何十倍、いや何百倍も新たな異教徒が産まれてしまうでしょう。
あるいは、説得の段階で逆に異教徒に感化されてしまう者もいるかもしれない。
……神の教えを知らぬ者に神の教えを授けるのは容易いが、間違った神の教えしか知らぬ者に、正しい神の教え授けることは非常に困難だ」
「だから……死の裁きを与えるのですか?」
「その方が効率が良いですからな。
いや、異教徒達にとっても、間違った神の教えに従い続けるよりは救いとなるでしょう」
「そんな……!」
あたしは愕然とした。
あたしはこれまでに、多くの人々に救いをもたらすと信じてワルダヴァオトゥの名の下で働いてきた……つもりだった。
しかしあたしの知らない所で教団は、異教徒を問答無用で地獄に落としてきたのだという。
あたしもその手伝いをしてきたのかもしれないと思うと、恐ろしくてたまらなかった。
「そ、そんなの……おかしいです!」
「何を言われる。
そも、かつて自らが先陣を切って、異教徒どもを何十万も粛正したのは、そこの女ですぞ」
「え?」
神父様の視線が足下に臥すイヴリエースさんに注がれた。
彼女は神父様より受けたダメージから未だに回復できないのか、必至で起きあがろうとはしているけれど、それが叶わずにまだ藻掻いている。
「なあ……、元異端審問庁総監・イヴリエース閣下。
かつて我等に『聖者』と讃えられ、異教徒どもに『悪魔』、『死に神』と恐れ忌み嫌われし者よ!」
誤字報告ありがとうございました。
便利な機能ですね、これ。




