謎な先輩と緑の鈴
「あの…午後の授業が、」
「ああ、構わない。先生には俺から伝えておこう」
「………。」
午後の昼下がり。
昼休みはとっくに終わり、3限目が始まる時間帯となっていたが、アディントン先輩は堂々とサボり発言をしていた。こういうときのために生徒会権限があるんだよ、と涼し気に語っていた彼を、すこしずるいなと思った。
結局私はアディントン先輩を家まで案内することとなり、現在、庭園へと二人で向かっていた。
ちなみに、逃げるといけないから、と何故か先輩に手を繋がれている。
もう逃げません、と訴えても、前科があるから信用できない、と一蹴される始末。
…本当に変わった人だ。
『生徒会』とは先輩のように変わった人たちばかりなのだろうか。
「あの、」
「なんだ?」
紺色の髪を日光に反射させながら、先輩は私に向かって甘く微笑む。
美醜に疎い私でも、先輩は相当の美男子とわかる。元ルームメイトのアシュリーも、生徒会の会長は学院内の女子生徒の憧れだと語っていたのを思い出す。
それが何故、下級ランクの後輩女子の住みかなど心配しているのか…未だに謎である。
私はふうと息をつき、先輩に尋ねた。
「…えっと、『生徒会』は、他に…いらっしゃるの、ですか?」
「ああ、『生徒会』に興味があるのか?そうだな、今は俺を入れて5人在籍している」
先輩は快く、丁寧に説明してくれた。
まずは副会長のマティアス・ローゼンダールさん。騎士科4年生で、先輩の幼馴染なのだそうだ。筋骨隆々の肉体派で、騎士科の実技試験ではいつも満点近い成績だという。
次に書記のキース・グローヴァーさん。黒魔法士科3年生で、珍しいことに特化している魔法属性がなく、攻撃系の黒魔法はだいたい使えるとのこと。人当たりがよく誰とでも仲良くなれるような方だそうだ、うらやましい。
うんうんと頷いていると、ただし奴は女好きだから近づくなよ、と先輩に釘を刺された。何故なんだろう。
三人目は、会計のヘンリック・ドレムラーさん。1年生ながら時空魔法研究科、魔法科学科のふたつに所属している天才少年らしい。闇魔法の使い手であることはもちろん、自身で魔法陣の作成など行っていることから早々と『特級』の称号を与えられたとか。すごい人もいるものだ。
そして四人目は―――
「フェリシア・ウィンザーさん…ですか?」
「なんだ、知っているのか」
「えっと…詳しくは、わからないですけど…編入生、ですよね?」
「そうだ、レントさんと同じ学年だな。彼女は珍しい白魔法の使い手だ。また、これまた珍しく精霊を見る事ができるということで精霊研究科にも入っている。数十年に1人の逸材と学院側も騒いでいたな」
「はあ…すごい、ですねえ」
「それで、すぐに『特級』認定され、先週から生徒会入りした」
「……そう、ですか」
少し答える声が小さくなったのが自分でも分かった。
庭師の老人も言っていたが、やはり精霊を見たり触れたりすることは普通ではないらしい。
精霊たちは、私にとってはとても身近な存在だ。
――でも、何故か、それを他人に知られてはいけない気がした。
「…どうした?レントさん」
閉口した私を不思議に思ったのか、アディントン先輩が私を覗き込んだ。
「え、いえ…なんでも、ないです。それより、着きました」
「ここが?」
「ええ」
私は慌てて取り繕い、庭園の中の小屋を指さした。今ではすっかり馴染んだ私の家だ。
これで私の発言が虚言でないとわかっただろう、と胸を張った。
だが、
「……何も見えないが」
「え?」
目を凝らす先輩はそう呟いた。思わずパッと顔を見上げたが、嘘はついてなさそうな様子だった。
見えないとは、どういうことなんだろう?
「…えっと、そんなはず、ないです。…こちら、です」
「あ、おい!」
言いながら私は繋がれた手を放し、庭園の奥まで進んだ。
すぐに私の現在住んでいる小屋に着く。見慣れたやや古ぼけた木製の小屋だ。
「ほら、この家です。見えないなんてこと――あれ?」
と、振り向くと、アディントン先輩の姿はなかった。
数分前まで隣にいたのに、忽然と姿を消してしまったのだ。
私は首を傾げた。どうしてついてきていないのだろう?
「…先輩?」
私は不審に思い、先輩と別れた場所まで戻ることにした。
庭園の入り口に差し掛かり、キョロキョロと先輩を探すと、
「セルマ!!」
「え、きゃあ!!?」
突然、何者かによって捕まえられた。がばっと音がするほど強く両手で抱きしめられ、身動きができない。私は悲鳴を上げた。
「な、なな、なんで、」
「ああ、セルマ。よかった、また消えてしまったかと」
恐怖でガクガクと震えていると、聞き覚えのある声が上から降ってくる。
それがアディントン先輩のものだ、と気づき少しホッとした…が、何故急に抱きかかえられてしまっているのかと思う。それと、
「…また、ってなん、ですか?」
「ん?…ああ、こっちの話だ。…それより」
アディントン先輩は腕の中の私をじっと見た。
「お前が言っていた小屋とやら、やはり俺にはまったく見えない。お前が入って行ったあとについて行こうとしても、進めなかった」
「え?」
「つまり…何らかの魔法が働いていて、セルマは入れて俺は入れないようになっているということだ。…セルマがやっているのか?」
私は目を瞬かせた。
小屋に入れないような細工がされている?
もちろん、障害魔法なんて高度な魔法、私に扱える訳がない。しかし私が入れて、先輩が入れないなんて……
「あ、もしかして」
と、私は唐突に思い出した。
「何だ?」
「えと…ちょっと、離して、ください」
「嫌だ」
「え」
思わず目が点になる。アディントン先輩はフイと顔をそらした。
「嫌だったら嫌だ。そんなこと言ってお前はすぐに消える」
と言って、駄々っ子のように力を入れて私を抱きしめる。
私は『ええ…』と心の中で嘆息した。そんなこと言われても、こちらはどうしようもない。
というか、アディントン先輩の行動が意味不明で怖い。いつの間にか名前呼びになっているし。
息をひとつつき、私は彼の背中をぽんと叩いた
「…すぐ、戻ってきます。先輩が、入れない理由が…わかったかも」
「絶対だな?」
「はい」
「わかった、すぐ戻ってこい」
アディントン先輩が私を離すと同時に、小屋の方に向かって歩き出す。
先輩の言いつけを破るわけにはいかない。できるだけ早く歩いて小屋に入った。
そしてテーブルの上に置いていた目当てのものを掴み、すぐに庭の入り口まで戻った。
再び私を目にして安堵したような表情の先輩の前に、片手を突き出した。
「どうぞ…多分、この鈴があれば、入れます」
「鈴…?」
私が手にしていたのは、庭師の老人にもらったもの――『緑の鈴』だった。
先輩は小さなそれを手に取り、しげしげと眺める。
「…はい、庭師のご老人から、もらいました。これで、迷わずに、入れる…そうです」
「迷わずに?」
「ええと……なんでも、この庭には特別な薬草が、生えていて…その保護のために、限られた人しか、入られないと……」
「ではこれがその結界の鍵、というわけか…セルマは平気なのか?」
「え、えっと…私は、承認魔法を…それがなくても、通り抜けられるように」
「そうなのか」
「はい」
私は嘘をついた。
実際は、この庭園は精霊保護の場で、気まぐれな緑の精霊の結界に阻まれているのだが、それをあえて伏せ、多少のごまかしを持って先輩に伝えた。
精霊については、知られない方がいい。庭師の老人も、ここに多数の人間が足を踏み入れるのを嫌うと言っていたからだ。
「…では、どうぞ」
「ああ」
私は鈴を持った先輩を伴い、再び小屋へと足を向けた。