新しい生活と突然の出会い
「~♪」
鼻歌を歌いながら、雑草を抜く。色とりどりの花々が咲き乱れる庭園は本日も美しい。土にまみれた手を動かしながら、私はふっと笑った。
老人に小屋を譲ってもらい、住み始めてから今日で五日。
私は学院に来てから今までになく充実した日々を送っていた。
早朝に起き、植物に水をやり、とれたての野菜を調理して弁当を作る。学院の授業が終わるとすぐに小屋に戻って精霊と遊んだり、静かな小屋で勉強したり、新たな花の苗を植えたりする。
庭の面倒を見なければならない分、自由になる時間は以前より少なくなったが、毎日がとても楽しい。ほぼ自給自足の生活が可能になったため、出ていくお金が少なくなったのも大きい。
やはり田舎育ちの私には、こういった生活が向いているのだ。
「こらこら、それは抜いてはダメだよ」
緑の精霊の一人が、出てきたばかりの花の芽まで摘もうとしていたので注意する。庭仕事を手伝おうとしてくれるのはいいが、時折いたずらをしようとしてくる者もいるのだ。しっしっと手を払うと、精霊はしゅんとうなだれる。
「こっちとこっちは、抜いていい草だから。ほら、手伝ってくれたらできたばかりのトマトをあげよう」
そう言うと、俄然やる気を出して草を抜く精霊たち。なんと現金な種族か。
「――さて、そろそろ学院に行くかな」
あらかた朝の仕事が終わったころを見計らって、私は授業の支度をしに小屋に戻った。約束通り、彼らにプチトマトを手渡してやった後に。
健康的な生活を送っているからか、学院を行き来する足取りも軽い。自然の息吹を感じ、恵みをもらって生きる。このような生活が学院内で送れるなんて、思ってもみなかった。あの老人には感謝しても尽くせない。
そう思いながら、私は日当たりのいい中庭のベンチのひとつに腰を下ろした。
昼ごはんは、自分で作った弁当と家で沸かした温かいハーブティーだ。小屋に住む前はカフェテリアに行っていたが、自前で昼食を作れるようになったため、わざわざ人でごった返すあの場所に行くこともなくなった。今は気ままに外を歩き、適当な場所で昼ごはんを食べている。
さらに、日課であった放課後の図書館通いもしなくなった。緑豊かな自分の家に戻り、ひとりで勉強していた方がよほど作業も捗るからだ。
学院に行き、授業を受け、昼食を取り、小屋へ直帰する。
このような生活を続けているおかげで、めっきり他人と会話する機会も減ったわけだが…まあ、元々が口下手な人間である私にとっては、そう大した問題ではない。
「庭で作った野菜は美味しいなあ…」
弁当を広げながら、ぼんやりとつぶやいた。
すると、
「……あ、」
「!!」
目の前に、見知らぬ男子生徒が現れた。
突然のことに驚き心臓が跳ねる。…どころか、びくっと肩も震えてしまった。
男子生徒はベンチに座っている私をしげしげと眺め、ハッと何かに気付いたようなそぶりを見せた。
「君。ちょっといいかな?もしかして…」
言いながら、彼はゆっくりとこちらに近づいてくる。
それを見て、
「…っ」
「え、ちょっと!?」
私は急いで広げていた弁当を戻し、ベンチから立ち上がってその場から逃げ出した。
男子生徒の困惑したような声を背に、振り返らずにダッシュで走る。
走りながら、不思議に思った。何故、私は逃げているのかと。
自分と同じ人間が近寄ってきただけだ。それだけなのに、何故か本能的な恐怖を感じ、その場にいられなくなった。
いつの間にこんなに臆病になってしまったのか。
小屋で生活し始めてから、とんと人と会話しなくなってしまった、その弊害だろうか。
ともかく、自分に何か尋ねたい様子だった生徒から逃げ出してしまい、恥ずかしくなった。男子生徒には何の落ち度もない、いきなり私が走り出して意味不明だっただろう。
ごめんなさい、ごめんなさいと心の中で何度も謝罪しながら、私はひた走った。
「待ってくれ!!」
「!!?」
と、突然誰かの声がしたと思えば、ごうっと強い風が吹いた。ローブがめくりあがり、立っていられないほどの突風。咄嗟に目をつむり、足を止める。
風が収まり再び目を開けると、複雑な文様が目の前の地面に刻まれ、魔法が展開されるのを見た。
――転移陣!?
私は目を見張った。
空間移動など『時空魔法』に分類される魔法は、緻密な魔力操作が求められる非常に高度な闇属性の魔法だ。しかし、闇属性の魔法を使える魔法使いは非常に少なく、闇魔法など私も教科書の中でしか見たことがなかった。それが、まさか学院内で、目の前で見る事になるとは。
私は驚きにその場で立ち尽くした。
「ま、待ってくれ、…ぜえ、」
「…っ、な!」
魔法が発動し、光る転移陣の中から男子生徒が現れた。
先ほどの人とは違う、もっと長身で暗い髪の男性だ。誰だろうと思う暇もなく、彼は私の方に手を伸ばし右手を掴んできた。
「あのっ、手……!」
「はあ…っ、悪い、ちょっ……」
「………。」
男性は相当急いで走ってきたらしく、完全に息を切らしていた。立ち止まって呼吸を整えている――私の手を掴んだまま。
どうしよう、怖い。なんだろうこの人は。
なんで手を離してくれないんだろう。
私は頑張って手をぶんぶん振りながら、離してもらうよう催促するが、がっちり握られた手はほどけそうもない。混乱しながらも、とりあえず男性が落ち着くのを待った。
しばらくしてようやく人心地ついた彼は、ふうと一息ついた後、掴んでいた手を離してくれた。
「すまない、急に」
「…いえ、あの…私はこれで」
「待って、逃げないでほしい」
「わ!」
男性は、すぐに駆け出そうとする私の行く手をふさいだ。脇を通り抜けようとしたが、門番のように彼は立ちふさがった。むむ、と唸る私である。
「セルマ・レントさん、話があるんだ」
「え、名前…」
と、声をかけられて初めて私は男性を見上げた。見上げるほど高い身長、がっしりした身体。暗い青の髪に黄色がかった榛色の瞳、鼻はすらっと高くて唇がうすい。
――そういえば、この人、見覚えがある。
確か、そうだ。学生証を拾ってもらった人だ、と思った。
「…あの。…貴方は、以前、私の学生証を…」
「そう、学生証を拾った者だ」
そう言うと、彼はホッとしたように笑った。
「…えっと、その節は、ありがとうございました」
「ああ、それはいい。偶然…そう、偶然拾っただけだからな」
「…そう、ですか」
あの時は本当に困っていたから、拾ってもらえて助かったのは事実だ。
しかし私ときたら御礼も言わずに、さっさと去ってしまったのだった。ようやく御礼を言えてよかったと、私もホッとした。
「あの…それで、何、ですか?」
「ああ、そうだな…レントさん、お昼は済ませただろうか」
「え、あ…これからです」
というか、途中でした、とは言いづらい。私は曖昧に返事をした。
「そうか、ならば食べながら話そうか。カフェテリアの特別メニューがあるんだ、ぜひ食べてみてほしい」
「え、いえ、私…」
「少し変な感じがすると思うが、一瞬だから」
「え?」
そう言うが早いか、私はまた男性に腕を掴まれた。
そして身体を引き寄せられ、先ほどはじめて見たばかりの転移陣が周りに展開された、と思えばふっと身体が浮くような感じがし――はじめての転移を体験したのだった。
やっとあらすじに追いつきました。