精霊の庭
立ち話もなんだから、と庭の隅にある丸太小屋に誘われたのは、そのすぐ後のことだった。
太い丸太が組まれてある簡易な小屋は、『管理小屋』らしい。庭師は時々ここに泊まって草花の世話をするのだと語った。
中は寮の部屋を少し広くしたくらいの広さで、小さなベッド、机と椅子、箪笥、そして水道を引いた古ぼけたシンクがあるキッチンのようなスペースがあった。
私は老人の沸かしたお茶をいただき、中央にある椅子に座った。彼も注いだお茶を飲みながら席に着くと、ぽつぽつと話し始めた。
「この場所は普通の庭園ではない、精霊保護の場でもあるのじゃ。だから、精霊の気に入る人間しかたどり着けないようになっておる」
「…そう、なんですか」
「精霊たちは基本的に人間に関わろうとしないが、中でも緑の精霊は気まぐれでな、気に入る人間はごく少数じゃ。緑の結界をはって、住みかから遠ざけようとする」
「………。」
分かる気がする。実家の田舎でも緑の精霊は決して人前に姿を現そうとはしなかった。たいてい、私一人が森の中で木の実を摘んでいるときか、畑作業をしているときにひょこりと出てきた。
しかし会っても別になにをするでもないので、放っておいたのだが、あれは彼らに気に入られていた、ということだったのか。長年の謎が今解けた気がした。
「ところで緑の精霊を可視、ということは…お嬢さんは精霊研究科の生徒かの?」
「…いえ、…魔薬師科に……」
「ほお、ならば副専攻か」
「…いえ、…本専攻だけです」
「…なんだって?それはまたどうして」
「………。」
私は無言で俯いた。恥ずかしい過去なので、あまり話したくはなかったのだ。
入学前、一番初めにテストされたのが精霊研究科への適性だった。
すなわち、精霊が見えるか否か。
場内にふわふわとただよっていた精霊ははっきり見ることができたのだが、あれが『精霊』というものだとは知らなかった。隔絶された田舎に住んでいた私は、読み書きすらできない子どもだった。当然精霊の知識などないに等しい。
よって他の大多数の生徒と同じ答え――『見えません』と答えたという訳だ。
しかし今となっては正しい選択だったと思う。頭の出来の悪い私のことだ、副専攻などとったら、本専攻である魔薬師の勉強までおろそかになっていたことだろう。私がそう言うと、老人はこれ見よがしにため息を吐いた。
「それは…もったいないことじゃ。今からでも入ろうとは思わないのかの?」
「……いいです。私…そんなに、成績よくないので…」
「成績の問題どうこうではないがの…」
まあお嬢さんがそう言うなら仕方ないか、と老人はぼやき、またお茶を一口飲んだ。
「そういえばお前さん、何か悩みごとでもあるのかな?」
「え……」
「何やら物憂げな顔だったからの、ぼうっとしていたとも言っておったし。どうじゃ、この老いぼれに話してみんか」
「………。」
そう老人が優しく聞いてきたので、私は思い切って悩みを話した。
すなわち、お金がなく寮にいられない、あと数日で部屋なしの生活になってしまう。学院を出ることになるかもしれないと。
老人に話してすぐ、私は俯いた。すっと胸のすくような爽快感と同時に、今日会ったばかりの赤の他人に己の恥ずかしい経済状況を話してしまったという後悔も沸き起こった。
――まったく、私は何をしているのだろう。こんなこと、ご老人に話したところで何も変わらないというのに。
自分の不甲斐なさにうなだれるばかりだった。
「分かった。ならば、この小屋に住むのはどうじゃ」
「……!?」
しかし、庭師はぽんと手を打つと、こともなげにそう提案した。私は驚いて、勢いよく顔をあげ彼の方を見た。老人はにこにこと笑っていた。
「実を言うとな、わしはそろそろ引退せねばならん。もう年じゃし、長いこと庭仕事をするのが辛くなってきたんで、誰か跡を継ぐもんを探しておったんじゃ」
「それは…」
「ああ、管理人と言っても特にやることはないぞ。まあ、たまにここの庭の世話をしてくれたらいい。ほれ、ここのカギじゃ。それと、庭師である証も渡しておこう」
「あ……」
そう言うと老人はなにか小さなものを手渡してきた。この小屋を施錠している南京錠用の小さな鍵。それと――
「鈴…?」
「ああ、そうじゃ。それは『緑の鈴』。それを持っておったら、緑の結界をくぐって誰でもここに来られる」
「え…」
「そこの畑に少し作物も植えてある。あれも好きにするがよい。…そうじゃな、今だと豆類が収穫できるかの」
「…!」
「水道も引いておるし、キッチンはそこじゃ。手洗いと風呂はその扉の向こう」
老人は小屋の奥を指さし、テキパキと指示をした。そして火のつけ方や風呂の沸かし方、簡単な注意事項を説明した後、私を見やって言った。
「古ぼけた、あまりきれいとはいえん小屋じゃが……どうかの?」
「…ぜひ、お願い、します!!」
学院の中の静かな緑に囲まれた物件。畑から作物取り放題、自炊もできる。
願ったり叶ったり、今の私には十分すぎるほどだ。
緑の鈴を握りしめ、思わず大声で答えてしまった私だった。