家探し
「………。」
実家に伝書を出して数日後、返事が帰って来た。
久々の両親からの手紙だったが、その内容は思わしくなく…むしろ私の心をずんと重くした。
――天候に恵まれず、今年は近年まれにみる凶作だった。商売道具の薬草が枯れ、収入が減った。すまない、仕送りできるお金がだいぶ減ってしまう。
そういったことが書かれていた。
私の実家の両親は、薬師をしている。魔力を持って生まれなかったため、主に薬草を取り扱う普通の薬師だが、薬局は村にひとつしかないため、村人からは重宝されている。
しかし、お人よしな性格も手伝ってか、患者はいてもあまり多くは請求しないため、稼ぎはいつも雀の涙。その上、凶作によって薬草が枯れてしまったとなれば…金策に苦労するのも当然と言えるだろう。
私が学院に通うお金だって無料ではない。学費こそ免除してもらっているものの、生活費や寮費は支払わなければならないのだ。
学生である私は学院内で働くことはできない。自然と、生活費等は仕送り頼みになる……が、このままでは実家も私も、本当に無一文になりかねない。
そう思い立って、私は寮の事務室に足を運んだ。受付口から壮年の女性が出てきて、私の学生証を確認すると、書類を出してきた。
「608号室のレントだね。おや、まだ寮の更新手続きが済んでいないようだが」
「あ、えっと…更新、切って…ください」
「はぁ!?」
寮母は大げさ気に声を上げた。それもそのはずだ、このロデリア魔法学院の生徒はほとんどが寮住みで、一部の学院からほど近い者だけが、実家から通っているだけなのだから。
「更新を切るって…あんた、なら来月からどうするんだい?」
「違う、家…探し、ます」
「家を探す!?」
びっくり仰天、といった様子の婦人に、私もびくっと肩を揺らした。
「あんたね、学校の寮だからこんな格安で部屋借りられるんだよ?学院の外に出て、部屋を探すなんて、とてもじゃないけど…」
と、寮母は言葉を濁した。
王都の物件の賃金は高い。狭くて壁の薄いボロい部屋でも、下手をすれば今いるところの3倍以上の値段がかかるかもしれない。
しかし、しょうがないだろう、寮費が払えないものは仕方ない。現実的でなかろうとなんだろうと、私はこの寮を出て他に住みかを探すしかないのだ。
「…とにかく、更新は、切って…ください」
「まあ、あんたがそう言うなら…いいけどねぇ。もし何かあったら、連絡しなさいよ?」
「はい、……ありがとう」
そう言って、私はいくつかの書類に記入し、事務室を後にした。
寮母のおばあさんはとてもいい人である。だが、さすがにこちらの経済的な問題まで相談するわけにはいかない。
「………。」
部屋に戻るまでの帰り道、私はひとり考えていた。
そろそろ、学院を去るべきかもしれない、と。
「……はあ」
部屋に帰るなり、椅子に座って机の上で頬杖をつく。
そして寮母からもらった退寮手続きについての書類をぼうっと眺めていると、部屋に入って来た女子生徒が上から覗きこんできた。
「なに、セルマ。あんた寮出て行くの?」
「……そう」
言いながらのそりと頭をあげ、私は彼女の方を見た。
彼女の名はアシュリー。黒魔法士科に所属している本学の生徒で、私と同室のルームメイトである。くるくるした茶髪に同色の瞳が特徴的な、やや小柄な少女。私と違って庶民の出ではなく、裕福な家の一人娘だ。確かなんとかという会社の社長令嬢とか…なんとか。
「もしかして、まじで退学するとか?」
「……まだ」
「あっそ。ま、今までありがとうとだけ言っとくわ。じゃあね」
アシュリーはそう言って、何やら自分の机の上を漁ったかと思うと、ひらひら手を振りながら部屋を出て行った。部屋を出てすぐにガッツポーズを決めていたのも見た。
彼女は以前からこの部屋が狭いだの、一人部屋がいいだの言っていたから、私が寮を出るのは大賛成なのだろう。私の実家の部屋の倍の広さはあるのだが…
資産家の娘である彼女にとっては不満のある面積だったに違いない。
ロデリア魔法学院は、成績により上級・中級・下級とランク分けされる。
寮の部屋も、当然そのようにランク付けがされており、ここは下級ランクの寮棟である。最も優れた魔法使いの証である特級ランクの寮は部屋数も多く、とんでもない広さ・豪華さだとか。
まったくもって私には縁のない話だ。
*****
あれから一週間が過ぎたが、代わりの部屋はまだみつからない。
しかし寮を借りられるのは今月末まで、つまり三日後までに迫っていた。私は自分の荷物をまとめることにした。
荷物はすぐにまとめることができ、小さなトランクひとつと数冊の本が入ったバックひとつになった。荷物を詰めた後は世話になった机やベッドなどの家具や、部屋の中の掃除をした。
片側だけ綺麗に物のなくなった空間を見ると、本当に寮を出て行くのだなあと寂しく思う。そして、あと三日で代わりの部屋を見つけることができるのか、という不安も感じた。
もし住む部屋が見つからなくとも、一週間程度ならば野宿をすることもできるが、それ以上となれば厳しいかもしれない。そろそろ秋が深まる季節だ、体調を崩す可能性が高い。
となると、学院を去り実家に帰ることを考えた方がいいのだろうか…。
「……はあ」
まったく見通しが立たない状況に、私はまたもため息を吐いた。
やはり学院の周辺の物件は家賃が高く、入居できそうもない。かろうじて安価なホテルを見つけたが、短期の滞在しか認めていないのだと言われた。この七日間、物件紹介屋を何件も回ったが、やはり先立つものが無い者に世間は厳しい。結果は全敗だった。
どうしようもない絶望感に、あてもなくふらふらと学院内をさまよい歩いていたら、学生たちが立ち寄らない裏庭付近まで来てしまった。
――まずい、こんな所まで来てしまった。戻らなければ…
慌てて踵を返そうとした、その時。
「あれ…?」
ふわり、と風を感じた。それも、精霊が生み出す緑の風だ。
田舎では頻繁に体験していたそれを、王都で、しかもこの学院内で遭遇したのは初めてだった。知らず、私は風の吹く方へ歩いて行った。
導かれてたどり着いた場所は、庭園のような所だった。大きな花壇と薬草畑、それに小さな作物が植えてある畑。決して大きな庭ではないものの、近代的な学院の中とは思えないほど自然な緑で溢れていた。
また風が吹いた。心地よいそよ風とともに、くすくすと精霊の笑う声が聞こえた。
すう、と深呼吸をすると生き生きとした自然のにおいがしてとても気持ちいい。
「こんな所が、あったなんて…」
思わず感嘆の声がもれた。
「気に入ったかね、お嬢さん」
「!!」
すると突然、背後から声が聞こえた。驚いて振り返ると、そこにはひとりの老人が立っていた。
どうやらこの庭園を眺めることに夢中で、人が現れたのに気付かなかったらしい。気配には敏感だと思っていたのに、と少し悔しく思った。
老人はにこにこと笑いながら、さらに話しかけてきた。
「おお、驚かせてしまったかな、すまないね」
「……あの、…誰、ですか…?」
「この庭を管理しとる庭師じゃよ」
「庭師……」
なるほど、麻のズボンに生成りのシャツ、麦わら帽子と確かに老人の装備は『庭師』そのものだ。ならば、私こそが勝手に侵入した不審者である。ぺこりと頭を下げ、老人に庭に入ったことを詫びた。
「いいや、気にせんでええ。ここに人が来ること自体久しぶりでな」
「そう、ですか……」
「それよりも、なあお嬢さん」
庭に入ったことを咎められずほっとしたのもつかの間。急に、朗らかに笑っていた老人が表情を変えた。彼の明らかな変容に、心臓がびくっと跳ねた。
「どうやってこの場所に入ったか、教えてくれんかの?」
「………?」
だが、びくびくしながら待ったひとことは不可解なものだった。
どうやって入ったかなど私にも分からない、ぼうっと歩いてきたらここにたどり着いたのだ。
その旨をなんとか老人に説明しようとしたが、老人は納得していないようだった。
「適当に歩いていて入れる場所ではないんだよ、ここは」
そう言って、彼はまた私の返答を待った。そんなことを言われても、と思う。思うが老人の眼は私をとらえて離さないままだ。今度こそ困ってしまった私だったが、何か話さなければと、ひとりごとのように呟いた。
「…風に」
「風?」
「はい……風に、誘われて」
緑の風。田舎ではよく感じられたそれが学院内でも吹いていたのが、珍しくて。
そう続けると、老人はようやく得心がいった風ににこりと笑った。
「……なるほどな。お前さんはよほど緑の精霊に気に入られているらしい」
「あなた、も……見られるの、ですか…?」
「ああ。もちろんだとも」
彼は嬉しそうに口を開けて笑った。