勉学に対する見解の相違、あるいは生徒会長の暴走
「………。」
私は背後をちらっと見た。
壁の向こう、ソファと机の置いてある部屋にまだ先輩はいるのだろうかと思ったのだ。
――やはり、迷惑とは言い過ぎただろうか。
壁にもたれながらうーんと唸る。
エヴァルト先輩はいつも強引にうちに押し入ってくる困った人だが、本気で私を心配してくれている。その気持ちは嬉しいのだが…フェリシアを応援すると約束してしまったのだ、あまり彼に近づくべきではないだろう。
「…なんで、こんなことに」
どうにもうまくいかないと、私はため息を吐いた。
人付き合いとは、なんと難しい事か。
私はただ、この庭を管理しながら、精霊を守り、無事に卒業出来たらいい。
よく分からない人間関係に悩まされたくはないのだ。
それがどうして、こんなことになっているのだろうか。コミュニケーション能力の欠如した私には、なにが正解かもよく分からない。
「セルマ」
「!」
と、後ろから低い声で話しかけられ、びくっと体が跳ねた。やっぱりか、と思うとともにゆっくりと振り返る。
視線を向けた先には、俯き表情の見えないエヴァ先輩がいた。
「せんぱ…」
と言いかけたとき、黒い影が目の前を覆った。エヴァ先輩が長い手を壁につき、私を囲ってしまったのだ。
無言で私を閉じ込めた彼に、私は目を瞬かせた。
「時折、お前が憎らしくてたまらない」
「…え」
「お前の行動に一喜一憂して、喜んだり沈んだり…まるで道化師のようだ。お前に俺の気持ちは分からないだろうが…」
「な、なにを言って…」
どこか苦しそうに呟く先輩は、そこで一瞬言葉を切った。そしておもむろに小さなものを取り出してきた。緑の宝石が埋まったきれいな金属の輪っか、私の所有する『指輪』だ。
「え、私の指輪?」
「…ライト・ハルトマンとは誰だ」
「え?」
その一言にびっくりして目の前の男を見上げる。
どうして知っているのか、と思ったのが相手に伝わったらしい、エヴァ先輩はすぐに教えてくれた。
「指輪に通信があった。男か」
「はあ…男子、ですが」
「学年は、所属は。セルマとはどんな関係だ、もう指輪を交換しているのか!」
「え、え…」
詰め寄るように質問を重ねて来るので、私は戸惑った。というか、ずいずいと近づいて…なんというか密着してきている。私は慌てて距離を取るべく、彼の胸を押した。
「きょ、今日、図書室で知り合って…一緒に、勉強したんです」
「勉強なら、俺も教えられる」
「い、いえ、同じ魔薬師科の同級生で……試験勉強を」
「く…確かに薬は専門外、だが…」
「(なんで悔しそうなんだろう…)」
チッと行儀悪く舌を打った先輩は、なにやらまた思案していたようだが、気を取り直したように私に向き直った。
「とにかく、だ。試験勉強なら家の中ですればいいし、わざわざ他の男に教わらなくてもいい」
強い口調でそう言い切った彼に、私はむっとした。
いくら年上で生徒会長様だからって、そんな言い分は横暴だ。
「そ、そんなこと、どうでも、いい…」
「どうでもいい相手にこんなことは言わない」
「っ!」
勇気を振り絞って言い返そうとした私を、彼はあえなく遮った。そして、顔を近づけて、私のつむじあたりにそっと口づけた。
瞬間、顔がカッと熱くなる。
「せ、せんぱい」
「…セルマ」
長身の男子生徒の、綺麗なヘーゼル色の瞳が真っすぐに私を射貫く。
――嫌だ、やめて。そんな目で私を見ないで。
圧倒的な輝きに、目が潰れそうになる。
だ、ダメだ、負けるな私!
「そ、そんなこと言っても、騎士科に魔薬師科のことはわからないでしょう!」
気付けば私は、自分でもびっくりするくらいの大声で叫んでいた。
*
「セルマ?どうしたんだ、浮かない顔して」
「え!?」
私はハッと声の方を振り向いた。
第九図書室の中、目の前には同級生のライト・ハルトマンがいた。
「寝不足?大丈夫か?」
「だ、大丈夫…平気…」
と言いつつも、少し寝不足なのは否めなかった。
昨日の夜、私は先輩の拘束からなんとか抜け出て、帰宅するよう強く促した。
エヴァルト先輩はまだ何か言いたげだったが、やがて諦めたのか、転移魔法で寮へと帰って行った。……何故か、大量のお菓子類を置き去りにして。
それから悶々と彼や彼の行動について考え込んでしまい、寝るのが遅くなってしまったのだ。
私がぼうっと昨夜のことを反芻していると、ライトがまた話しかけてきた。
「本当に大丈夫か?あんま無理すんなよ」
「う、うん…」
言いながら、また教科書に向き直る。途端にぎっしりと詰まった文字が私の目に飛び込んできてくらくらした。
相変わらず、出来の良くない私にやさしくない教科書だ。
こんなもの、本科生の私でも意味不明なのに、専門外である先輩が教えられるわけない…多分。
というか、あの人は何故私に家で勉強するように言ってきたのか?どうせ悪い頭では場所を変えたところで集中できないというのか?
そりゃあ、一度も成績を落としてない天才様には分からないだろうけど!
「…なあ、今度は何うなってるんだ?」
と、ライトが心配そうに覗き込んでくる。
先ほどからの私の奇行を不思議に思っているんだろう。彼の集中の妨げになってはいけない。パッと顔を上げてライトと目を合わせると、澄んだ青い瞳がこちらを見返してきた。
「(…あれ?)」
私は不思議に思った。
昨日、対峙したエヴァルト先輩と、何か違う。胸をしめつけられるような圧迫感も、緊張もない。
「なんか…ライト、平気?」
「はあ?」
ライトはわけわかんねえ、と間の抜けた声を出した。
*
同日、同時刻。生徒会室。
「エヴァルト?どうしたんだ、浮かない顔して」
騎士科四年、生徒会副会長のマティアス・ローゼンダールは、先程から生徒会室の自身の椅子に座ったまま、眉間にしわを寄せる幼馴染を、見下ろした。
エヴァルトはふう、と息をつくと
「…どうにか奴を合法に抹殺できないか、考えている」
ぽつりと物騒なことを口走った。
「は!?」
マティアスはぎょっとした。
聞き違いか、と思ったがそうではないらしい。無表情で一点を見つめるエヴァルトに、マティアスは慎重に話しかけた。
「…誰を、抹殺するって?」
「ライト・ハルトマン、魔薬師科二年の男子生徒。中級魔法使い。実家は港町の商家、主に隣国との海外貿易を営み、そこそこ規模は大きいし評判もいい。本人はといえば気さくで友人も多く、悪い噂はとんと聞かない…」
「いい奴じゃねえか。というか、なんだその探偵なみのプロファイリング?」
「気にするな、別に大したことじゃない」
それよりもだ、とエヴァルトは前置いて、ダン!と拳を机に叩きつけた。
「そいつがセルマに近付いて、一緒に勉強などしているのが問題だ!」
「わ!な、なんだ急に。落ち着けよ」
「これが落ち着いていられるものか!セルマが、よりによって同級生の男と…!」
ギリギリと唇をかみしめるエヴァルトの目は血走っていた。
幼い頃からずっと一緒にいるマティアスも、『こいつこんな危ない奴だったっけ?』と不安になる。
「同じ科の同級生で、一緒に図書室で勉強だと…?くそ…なんておいしい立ち位置に滑り込んだんだ、ハルトマンめ…!俺だってセルマと一緒に勉強したい…隣で分からないところとか教え合いたい…!」
エヴァルトはついには頭を抱えて唸りだした。
「だが、セルマにも言われたが確かに薬は俺の専門外…一般教養程度なら教えられるが、二年生のセルマはもう選択授業に入っているだろうし…」
「なに、会長。今度は何で悩んでんの?」
と、話に割って入ってきたのは黒魔法師科三年にして生徒会書記のキース・グローヴァーだった。さらりと長い銀髪を流し、会長の机の傍で腕を組んだ。
「また、愛しのセルマちゃんのこと?」
「…気安く呼ぶな、キース」
「はいはい、レントさんね。で?どうだったの。王都の人気スイーツ、片っ端から買占めたけど、その彼女のためだったんでしょ」
「………。」
とエヴァルトは途端に無言になった。かと思えば、また頭を抱えて唸りだした。
どうやらダメだったっぽいな、とキースは苦笑した。
「まったく、天下の生徒会長様がこんなんになっちゃうなんてねえ、すごいなあ」
「感心している場合か、キース。エヴァルトのやつ、もう一時間は唸り続けてんだぞ」
「そりゃあ重症だ」
マティアスとぼそぼそ会話をしながらも、キースは内心愉快でたまらなかった。
「同じ勉強をしたいって?じゃあさ、会長もなったら?魔薬師科」
キースは口の端に笑みを抑えきれないまま、エヴァルトに話しかけた。
「は?」
「前から言ってたじゃない、副専攻を取るとか取らないとか」
「!副専攻!そうか、その手があった!!」
エヴァルトは目を見開き、ガタンと椅子から立ち上がった。
そして傍の本棚から数枚の書類を取り出し、光の速さでそれに何か書きつける。
記入された用紙を確認した後、マティアスとキースに向き直った。
「これから指導担当と話をしてくる。留守はまかせる」
そう言うや、さっさと教室の扉まで大股で歩く。
あまりにも早すぎる展開にフリーズしていたが、マティアスはエヴァルトがドアを開ける直前にハッと我に返った。
「お、おい!議会どうするんだよっ!」
数分後にはじまる議会を思い出し、慌てて去りゆく背中に叫んだが、会長は涼しい顔で振り向いた。
「マティアス、キース、お前らで出ておけ。資料なら俺の机に置いてあるから使え」
そのままバタンと扉を閉めて、行ってしまった。
残された二人は、顔を見合わせ…やれやれと肩を落とした。
そして言われた資料とやらを確認すると、
「うわ、確かに資料は完璧だな」
「こーいうとこ腹立つよねえ」
一分の隙も無くきっちりと仕上げられたレポートに、つくづく嫌味な男だ、とキースは思った。
しかし、先程の会長の様子。これは非常に面白い。
なんせ、完全無欠の特級魔法使い、学院トップの実力の男がひとりの女子生徒に振り回されているのだ。こんなに面白いネタ、他にはないだろう。
「セルマちゃん、ねえ…」
キース・グローヴァーはふっと笑みを浮かべた。
*
「先生。今、いいでしょうか」
「お、アディントンか。構わんよ、何の用だ?」
「来学期から、副専攻を持ちたいと思いまして」
「おお!そうか、そうか。確かに、騎士科だけに留めておくにはもったいない。お前は才能を別の方面に広げるのもいいかもしれんな。で、専攻はどこにするんだ?無難なところで黒魔法か。いや、魔法科学で魔法の実用化も――」
「魔薬師科に」
「……は?」
「魔薬師科に入ろうと思っています、先生」
「いや、ちょっと待て!何故、よりにもよって薬なんだ!」
「何故です?確か入学時の適性はAだったでしょう?」
「いやいやいや、お前は全ての科でA以上の判定だっただろうが!騎士はSで!そうでなくても、まるで関係ない分野だろう!」
「興味が湧いたのですよ、魔法薬づくりに。心配せずとも、本専攻である騎士科の方の成績は維持するつもりです」
「そういう問題じゃない!おい、ちょっと冷静になって考えてみろ!」
「私は冷静ですよ、この上なく」
「…分かった、お前の指導担当として言わせてもらおう。魔薬師科に行ったところで、お前の実になるようなことはない!騎士になった後の助けになるとも思えんしな。そんなに副専攻が持ちたいのなら、大人しく黒魔法あたりにだな…」
「分かりました」
バーン!
「な、なんだこれは…?」
「退学届です。一度学院を退学し、私は魔薬師科に入り直します。」
「!?いやいやいや!ちょっと待て、早まるな!」
「話は以上です。諸々の手続きがあるので、失礼いたします、先生」
「待って!いや待って下さい、頼むからっ!」
「失礼します」
バタン。
「おいいいぃ!人の話を聞けぇええ!誰か!そこの馬鹿、捕まえろっ!!」