会話と『指輪』
「さ、お茶にしよう。いい茶葉と菓子を用意したんだ」
「………。」
「最近はカボチャや芋の菓子が人気と言われて、いくつか用意した。どうだ?」
「………。」
「…セルマ?どうした」
どうしたもこうしたも、あるものか。
反応を返さない私を、先輩は心配そうに覗き込んできたが、私はむっつりと黙ったままでいた。
家の扉を器用に片手で開け、エヴァ先輩はやっと私を下ろした。そして玄関の手前で、丁寧に風魔法で土を落として入室したと思えば、我が家の狭い机の上にどっさりと菓子や高そうな食器類を『転移』させてきたのだ。
――既視感。
昨日と全く同じような光景が、目の前で繰り広げられている。
家主の私が、いいとも悪いとも言っていないのに、菓子やお茶を持ってきて勧めてくる神経は何なのだ。
確かに庭仕事を手伝ってもらったのは、すごく助かったが、それにしても勝手が過ぎる。
それともお金持ちとはみんなこういう感覚なのか。
いやいや、というか、
昨日から、この人は何故、私に何かしら施そうとしてくるのか。
「あの、」
しばらくして、私はようやく口を開いた。
「なんだ?」
「……聞いていい、ですか?」
「ああ、俺に答えられることならなんでも」
「その…なんで、こんな…食べ物、を」
「嫌だったか?」
「………。」
嫌か嫌じゃないかで言ったら、嫌ではない。
食べ物に罪はないし、先輩の持ってくるものすべて、とても美味しいのは分かっている。
昨日の昼食だって、今まで見た事もないような高級品がたくさんあった。
だが、純粋に、困る。
何をしたわけでもないのに、一方的にプレゼントを受けるのは心苦しい。
彼としては、貧乏人に施しをしているつもりなのだろうが、それはそれで傷つく。
私は、確かに持っているお金も少ない貧しい身分だが、こんなことは望んでいないのだ。
ひとりこの丸太小屋で、精霊や庭の面倒を見ながら自給自足の生活が送れれば、それでよかったんだ。だから、貴方も私を気に掛けることはない。もう十分によくしてもらったので、今後は何も気にせずにエリート街道を邁進してほしい。
そのような話を、私なりに必死でエヴァ先輩に伝えた。
「そうか」
エヴァ先輩はじっと私の発言を聞いていたが、ふとそう言った。
「…確かに、身勝手な真似ばかりだったかもしれないな、俺は」
そう。私はコクリと頷いた。
「セルマの気持ちも考えずに、家に押しかけて自分の都合で色々と押し付けて」
そうそう。
「それは偏に、俺たちが、お互いまだ何も知らないからだ」
そうそ……ん?
俺、たち?
「悪い事をした。じゃあ、セルマ、話をしよう」
「え」
「女性は美味しい食べ物やお菓子が好きだと勝手に思っていた。どうやら的外れだったようだな」
うんうん、と勝手に頷き、納得する先輩。
そして、先輩は、人ひとり分は空いていたスペースをズイとつめてきた。私はびっくりしてのけ反るように後ろに下がった。
「セルマの好きなものはなんだ?今度からは君の気に入るものを用意しよう」
いや、違う!そんな結論を導き出してほしくなかった!
やっぱり思考回路が私とは違っている彼に向かって、私は全力で首を振った。
「…む、答えてくれないのか。じゃあ俺から言おう。趣味は剣技と乗馬。好んで食べるのは肉料理とシチュー。あと可愛らしい花が好きだ。」
…へえ、最後のは意外だ。
花が好きとは、大柄な男性にしては珍しいと思う。
だから庭仕事も手伝ってくれたんだろうか、と心の中で頷いた。
「セルマは?」
「………。」
「なんでもいい。君をもっと知りたいんだ、ダメだろうか?」
「………。」
顔をこちらに近づけて言い募る先輩に、む、と私はまた口を引き結んだ。
先ほどから、同じ戦法にやられてばかりだ。
情報の等価交換。
彼が何か話せば、こちらも対応して話さなければならないという陰キャラにとっては非常に恐ろしい戦術だ。
ああもう、だから何も言わずにさっさと帰ってほしいのに。
私はうう、と呻きたくなる。
「…きれいな、水と…緑。あと…風」
結局、私はそう答えた。
好きなものを素直に答えて、また何かしら与えられては敵わない、と思考した末の回答だ。
何の面白みもない、抽象的すぎる返答だが…こんなのでよいのだろうか。
私は恐々、エヴァ先輩の様子を伺うと、
「自然が好きということか?確かにこの辺りの空気は澄んでいるな!」
彼はパッと顔を輝かせ、白い歯を見せて笑顔を作った。
「…そう、ですね」
「じゃあ、王都の植物園や郊外の自然公園なんか、どうだろう。珍しい植物もたくさん見られるだろうし、セルマも気に入るかもしれない」
「……いや、そういう、こと…じゃ」
「すぐには無理だが、外出許可が取れたら行ってみようか」
「………。」
エヴァ先輩はイキイキしながら、パッと簡易手帳のスケジュールを広げた。
…ああ言えば、こう言ってくる。
私は、なんかもう無理かもしれない、と思えてきた。
所詮、百戦錬磨の生徒会長様に小市民の私が勝てるはずないのだ。
というか、外出とはなんだ?さらにヤバイことになりそうな予感がする――
リリリリリ……
と、突如、鈴虫の鳴くような音が小屋の中いっぱいに響いた。
私は、びくりと体を震わせる。
何の音だ?
パッと振り返って音の出どころを探ると、彼の上着のポケットの中から鳴っているようだった。
「っと、悪い」
エヴァ先輩は椅子から立ち上がり、かけてあった上着の方に行き、おもむろにポケットを漁った。そして何か小さなものを取り出し――顔をしかめた。
「…なんだ。は?大した案件でもないくせに………いや、断る。今人生で一番大事なひと時を味わっているんだ。……だから、断る。お前らでなんとかできるだろう」
そして、先輩はブツブツと『それ』に向かって話しかけた。
何をしているのかはこちらから見えない。だが、内容からいって誰かと話しているようだった。
「~わかった、行けばいいんだろう!うるさい、お前、覚えておけよ!」
しばらく『それ』に話しかけていた先輩は、急に大声を上げて、話を切ったようだった。
乱暴にその小さなものを上着のポケットに突っ込み、彼ははあ~と大きなため息をついた。
「…呼び出しだ。悪いが、今日はこれで失礼する」
「…あ、そう、ですか」
それは、よかった。
あの小さいものが何なのか分からないが、ようやく帰ってくれるらしい。
ほっと安堵の息をついた。
服装を元の制服に戻し、帰り支度をする先輩を黙って眺めていると、ふと彼が振り返った。
「そうだ、セルマ」
「はい?」
「その…もし、君がよければ…だが」
「…はい」
「いや、無理強いしているわけではない、断りたくば断ってくれて構わないんだ」
「…はあ」
先輩にしては珍しく歯切れが悪い。視線をうろうろさせて、落ち着きがないな、と思った。
何を言うつもりなのか、少し怖くなりながら待っていると、
「その…『指輪』を交換してくれないか?」
エヴァ先輩は、やっとそう呟いた。見上げたその顔は、傾いた日に照らされて少し赤く染まって見えた。
「…は?」
が、私は不躾にも疑問符をそのまま口に出した。
「ゆびわって、何ですか…?」
「……知らないのか?」
「…はい」
そう答えると、先輩は信じられない、といった風に目を見開いた。
そうは言っても、知らないものは知らないのだ。もしかして学生の間で流行っているものだろうか。指輪とは、装飾具の類じゃないのか?
私は首を傾げた。
「いや、いい。そうか、だったら一緒に買いに行こう」
「…いえ、いり、ません」
『買いに行く』という言葉に過敏に反応した私は、指輪が何か分からないがお金を使って買うものと察知する。
そんなお金はない。あれば寮を出てこの小屋に住んでいない。
即座にそう却下した――が、
「俺の我儘だ、俺が買う。君は受け取ってくれるだけでいい」
「…いえ、結構…ですっ」
「俺も指輪を新調したかったところなんだ。どうか、ついて来てくれないか」
「………。」
先輩にはまったく効果がないみたいだ。ズイズイと一言ごとに距離をつめてきて、私は後ずさる。
そのうちに背に壁がつき、逃げられなくなった。先輩は追い詰められたネズミのような私を逃がさないように手で壁をつき、見下ろした。
ヘーゼル色の瞳に映る私の顔がわかるほど、近くに先輩の顔がある。
意味もなく心臓が高鳴り、警鐘を鳴らす。これ以上近づくな、危険!と。
「…今度の休日、一緒に来てくれるな?」
「……や、いえ、」
「俺に付き合ってくれるだけでいい、…頼む」
また、頼む、だ。下級の年下魔法使いに、何故そうもたくさん頼むことがあるのか甚だ疑問だ。
だが、先輩は真剣だった。
真剣に、私と一緒に『指輪』とやらを買いに行きたいと言っていた。それが究極最後の望みだというくらい、鬼気迫る表情をしている。
「…わかり、ました」
もうどうにでもなるがいい。
私は目を逸らしながら、小さくつぶやいた。
『指輪』とやらにほんの少し興味があったし、お金を払わず付き添うだけならまあいいだろうと判断した結果だ。
それにきっと、彼は承諾するまで私を解放しなかっただろう。いうなれば選択肢のない状態だ。
本当に、この生徒会長様はひどい。
でも、嬉しそうに笑顔を振りまき、手をブンブンふりながら『迎えに来る!絶対約束だぞ!』と言う彼を、何だか憎めないと思ってしまう私は、先輩に絆されてきてしまっているのかもしれない。