閑話*早朝の生徒会室
早起きの小鳥のさえずりが聞こえる。窓の外の朝露に濡れた蜘蛛の糸が、日の光を反射してキラキラと輝き、見る者の目を楽しませる。
しんと静まり返った室内には、羽ペンの音とコポコポとコーヒーを抽出する音しか聞こえない。
早朝は彼――ヘンリック・ドレムラーが最も好む時間帯だ。
日中と違って、授業を受けに学院内を動き回る大勢の生徒がいない。そして起きて少し経つ頭で机に向かい、集中して自身の研究に精を出すことができるからだ。
幼い頃から独学で魔法を生み出す才能があったヘンリックは、天才少年だと生まれ故郷の街では有名だった。
16の年になってすぐにこのロデリア魔法学院を紹介され入学、直後に『特級』魔法使い認定を受けて『生徒会』に入会した。
正直、ヘンリックは静かに個人の研究ができれば、所属は学院だろうが研究室だろうが、どこでもよかった。だが、この『生徒会』という場所はなかなか都合がよく、『成績を落とさなければ授業免除』、『魔法触媒の使用無料』、『機密文書保管庫入室可』など様々な場面で優遇される。まだ学院が閉まってる時間でも、この生徒会室に自由に出入りできるという点も非常に好ましい。
ということで、ヘンリックは卒業までは学院に留まる事に決めている。
それに。
さすが『特級』魔法使いとでも言おうか、この『生徒会』の生徒たちも皆興味深い――
「ヘンリックはいるか?」
すると、バタン、と派手な音を立てて入室した男がひとり。
騎士科所属の4年生で、この生徒会の会長、エヴァルト・アディントンだ。
ヘンリックは古代文字を書き写していた手を止め、羊皮紙から顔を上げた。
「…いるよ。早いね、会長」
「おお、そこか。いや、お前なら来ていると思ってな」
「なんか用?」
再び顔を落とし、カリカリと羽ペンを走らせるヘンリック。
エヴァルトはそんな彼に大股で近づき、その通りだ!と暑苦しく詰め寄ってきた。
…これは何か嫌な予感がする、とヘンリックは直感で感じ取った。
「この間、教えてもらった転移魔法だが、」
「ああ、基本の闇魔法に風魔法を付与して作った陣ね。どう?いくら会長でも簡単には扱えな――「いや、それはもう使えるんだが、少し応用を加えてほしくて」
は?
ヘンリックは再び手を止めた。
「…今、なんて言った?」
「だから、応用を加えて、」
「違う、その前。…もう使えるようになった?」
「ん?ああ」
エヴァルトはヘーゼル色の目を瞬かせ、『それが何か?』と言わんばかりの態度だ。対するヘンリックはワナワナと手を震わせた。
「ちょ、ちょっと待ってよ。闇属性でもないくせに、もう使えるようになった?うそでしょ?」
「まあ、転移陣を読み解いて魔力こめたら、何となくできた」
「何となく!?」
ヘンリックはついに怒鳴った。
意味が分からない。あれは天才と名高いヘンリックが3年かかって編み出し、使えるようになった魔法だ。どうせ使えまいと高をくくり、教えてくれとせがむ会長に軽く教えたのだった。
それを、数日で。しかも失敗もなく一度で成功させるなんて。
「…ありえない」
ヘンリックは深いため息をついた。
目の前の男は涼し気な顔で『そうか?』なんて首をかしげているが、規格外もいいところだ。しかも相当に魔力を消費する転移魔法を二度も三度も連続して使うなんて、魔力容量、どうなっているんだ。
「…なんで会長、時空魔法研究科に入らないの?その才能があれば教師が頭抱えている複雑な魔法陣も一発で解読して実用化できるでしょ?」
「俺は騎士科で精一杯だから」
「嘘だ。指導担当の先生が、二つや三つ、副専攻持てるって言ってた」
「…ま、可能かもしれないが、授業に出ずっぱりだと全然会えなくなるから、嫌だ」
「会えない?」
誰に、とヘンリックが言おうと口を開いたとき、エヴァルトは振り向いた。
そしてバンッと机に勢いよく手をつく。
机上のインク壺が落ちそうになり、ヘンリックは慌ててフタを閉じた。
「聞いてくれるか、ヘンリック!」
「あ、ごめん、やっぱりいい。てか、インクが…」
「それがな!ついに会って、話したんだ彼女と!」
いいと言っているのに、エヴァルトは一方的に話し出した。
ヘンリックはずれ落ちそうになった眼鏡をかけ直し、じろりと勝手な生徒会長を睨みつける。彼は爛々と目を輝かせていた。
「彼女って…誰?」
「セルマ・レント。翡翠色の瞳がとても美しい、魔薬師科の女の子だ」
「せるま?誰…知らないな」
「名を気安く呼ぶな」
と、急にすっと表情を消したエヴァルト。殺気を遠慮なく向けられ、ぞくっとヘンリックの背筋が凍った。
なんだ、何も言ってないぞ、こっちは!
「…ついに会った、ってどういうこと?」
心の叫びは上手く隠し、ヘンリックは話をつづけた。
「ああ、今までカフェテリアや図書室で近づいてはいたのだが、話しかけても後を追ってもなかなかこちらに気付いてくれず…」
「それって、避けられてたんじゃ…」
「しかも最近いつの間にか寮を退寮していて、足取りがつかめなかった。一目たりとも見られなかったんだ!5日もだ!」
「…もしかして最近すっごい不機嫌だったのって」
「癒しがなかったからに決まってるだろう!死ぬかと思った」
「………。」
ヘンリックは無言でここ最近のエヴァルトを思い返していた。
カフェテリアでも生徒会室でも、無性に苛々としており、頭をかきむしったりブツブツと独り言をつぶやいたりと明らかにおかしかった。
ストレス解消のためか、高威力の魔法を演習室でブッ放して部屋を半壊させたり、騎士科の実践授業で同級生全員を相手して短い授業の時間内でほぼ全員倒したとか。最後まで立っていられたのは幼馴染にして副会長のマティアス・ローゼンダールだけだった、と後日本人から聞いたのだったか。
死ぬかと思ったのは、アンタの周りの人間じゃないだろうか。
ヘンリックは本心からそう思った。
「…そう、で?」
「それが、昨日!男子生徒からの報告で見つけて、追いかけて、ようやく会えたんだ。本当に、移動魔法を教えてくれたヘンリックには感謝している。危うくまた逃げられてしまうところだった」
「え、まさかそのために転移魔法を?」
「当たり前だろう。確かに、正確な座標指定ができて便利だった。彼女のためのランチも問題なく転移できたぞ」
「ランチ!?な、そんなものをわざわざ魔法で!?」
「セルマも喜んでくれた」
「さ、才能の無駄遣いすぎる…」
ヘンリックは口を閉じ聞き役に徹しようとしたが、流石にその転移魔法の使用法には突っ込まざるを得なかった。
本当に阿呆なんではないか、この男は、と思う。
何人の魔法使いが転移魔法の習得を夢見て修行し、あえなく断念していったと思っている。それをまさか、セルマとかいう女生徒を追いかけて捕まえたり、物を運ぶために使うなんて馬鹿げている。彼に転移魔法を教えた天才ヘンリックも、ブチ切れそうになる。
「それで、だ!最初の話に戻るが」
「は?何」
もう聞く気もなくなったヘンリックは投げやりに返答する。
「転移魔法をさらに応用してほしい。個人を特定してそこに飛べるように」
「…それ、その、レントとかいう女子生徒を特定して転移するってこと?」
「その通りだ!」
がっと拳を突き上げるエヴァルトに、ヘンリックはもう何も言わなかった。
この男、清々しいほどにブレない。
そして、レントとかいう女子生徒を少し気の毒に思った。
やっていることがまるで狂気じみているからだ。
「あのね、この転移陣作成でも3年かけてんだ、それをさらに追加して魔法を組み込むなんて無理だよ」
「いや、できるだろう」
「だからそんな簡単なことじゃな――「ほら、見て見ろ」
エヴァルトはさっと手をかざした。彼の右手から急速に魔法陣が編み込まれ、青く光る。
「!」
ヘンリックは目を見張った。
「これがヘンリックに教えてもらった転移魔法だろ、これに遠見魔法と追跡魔法を編み込んでいけばいいんだ。属性は同じく風、あと土」
緑色の線と鈍く光る黄金色の線が、青い陣の中にするすると編まれていく。溶け込むように親和して、次々に陣を作っていく。
ヘンリックはその美しい陣形に、言葉を失った。
パン!
と、すべての呪文が注ぎ込まれ、混ざり合った瞬間――陣は一瞬で霧散した。
魔法の生み出す人工的な光は消え、朝の静けさが戻ってくる。
失敗だ、とエヴァルトはポリポリと頬をかいた。
「と、まあ。こんな感じのことがやりたいんだが。どうも俺が作ると仕上げがうまくいかない。どうすればいいか、お前に相談しようと思って」
「………。」
「だが、やはり難しいか。転移魔法がすばらしく高度な魔法であることは俺も知っているし、まあ無理にとは」
「……できるよ」
「ん?」
ヘンリックは顔をあげた。
眼鏡の奥の紫色の瞳を煌めかせ、真っすぐにエヴァルトを見る。
「その陣、僕が完成させる。少し時間をくれ」
「おお、そうか!ありがとう。期待して待っている」
「とりあえず、会長の未完成のそれ。魔法残滓を置いてって」
「わかった」
エヴァルトは嬉しそうに微笑むと、残滓――魔法の軌跡を描き残した。
それを見て、やはり素晴らしい、とヘンリックは思った。
エヴァルトの魔法は美しく繊細で、こちらの予想もつかないような画を描く。転移魔法に複合効果を編み込むなんて、先ほど実演されなければ考えもしなかった。
彼の魔法の使い道はやはりどうかと思うが、考え方自体は非常に面白い。仕方ない、のってやるとするか、という気になった。
――これだから、この学院から離れる気になれない。
馬鹿みたいな魔力を持ち、どんな魔法も易々と使えてしまうエヴァルトのような、化け物のような人材がいるのはこの学院だけだ。
エヴァルトが生徒会室から退出した後、ヘンリックは人知れず、口角を上げた。
エヴァルトくんが気持ち悪いですがすみません。彼はこういう男です。