8話
来た道を歩きながら、夏目さんは話しだす。
「単刀直入に言えば、あれは、幽霊というよりも彼女の念、かな。」
「念?」
「そう僕が彼女に渡したモノ、あれは彼女の日記でね、彼女は夏目家の者にそれを預けていたんだよ。その内容は、戦地に赴いた旦那への愛が切々と綴ってあった。」
戦地へ、向かう旦那。追いたいのに追えないもどかしさ。
「長い年月をかけて日記の思いは彼女となり具現化した。ただ、日記は大部分が破損していてね。それを、僕に彼女が訴えてきたのさ」
『これでは、彼との約束を思い出せない。彼に会いに行けないのです。夏目様どうかお助けください』
「どうやら、彼女の命日に彼女の思いは強まるらしく、ふと現れたんだ。金木犀の木の下にね。日記はどうにも破損が激しく、修繕にもまた時間が掛かる。其の由を彼女に伝えると、何年かかっても良いのでお願いしたいと言う。何でも、夏目の名を持つものに以前、願い出たことがあったが、ついには直してはくれなかったと言うじゃないか」
『だからどうか、約束の印を、毎年修繕の成果の証を』
「彼女がそう言うから、僕は夏目青磁が以前、彼女を慰めるために贈っていたという花にあやかって、カサブランカを修繕の報告の証にしたというわけさ」
あの、老紳士が言っていた、夏目さん、もとい夏目氏は夏目青磁と言うらしい。
「そして今日、ついに出来上がったというわけだ。いやあ、命日でもないのに店に現れたのには、さすがに吃驚したよ。おそらく、ほとんど修繕も完成していたから、思いも強くなってしまったんだろう」
あの時は、驚かせてしまって悪かったね。と夏目さんが私を見て言う。
あまりに呆気ない真実。念というものがどんなモノなのか今一曖昧ではあるが、怨霊などという物騒なものではないらしい。
彼女が愛していたのは、夏目さんの曾祖父らしき夏目青磁さんでもなく夏目さんでもなく、
ただ一心に旦那さんだけだったらしい。
あ!でも!
「でも、青磁さんは、彼女を愛していたのではないですか?」
旦那が去った彼女を支え続けた夏目氏。彼の恋は実らなかったのか。
「何故だい?」
「だって、カサブランカの花ことばは“雄大な愛”」
それを聞いた夏目さんは少しキョトンとして、アハハと顔を上向かせながら額に手を当てて笑った。
な、なんだ。いきなり。
「ははは…はぁ。違うよ。そんな大層な意味など考えもしてないだろうさ。夏目青磁という男は本当に無骨な男だからね」
まるで、青磁さんなる人を見てきたような口ぶりだ。
日記には、そんなことまで書いてあったのか。哀れ夏目青磁さん。
「では、何でカサブランカを?」
「それは、彼女の名前がただ単に百合子さんだったからではないかな。色は適当に選んだのだろう」
ゆりこ…
で、ゆり…
色は…適当。
―がく。
私の推理って、いったい。的外れ過ぎて、いっそ馬鹿馬鹿しい。
結局は私の取り越し苦労というわけか。
所詮探偵のモノマネなど、一介の女子高生には無理な話だったのだ。
それに、と続ける夏目さん。
「彼女の特別な花は別にあるしね」
何処か、遠くを眺める夏目さん。その視線を追うように顔を上げた。
「金木犀」
彼女が毎年佇んでいた場所。
「そう、最初から彼女の特別だったんだ。思い出せなくとも、彼女はちゃんと待っていた。気付けなかっただけで。――おそらく、彼も…」
雨上がりに、金木犀が僅かに香る。
金木犀は、初恋の香り。
「あ」
一瞬、金木犀の木下に、赤い着物の女性と、大きな背中の男性が見えた気がした。
香りのように微かに、一瞬だけ。
「ほら、見えてくるだろう?」
夏目さんが隣でクスクス笑っている。
ああ、この人といると、現実がとても遠い。本当に非常識だ。
でも、なんだろう。悪い気はしない。
楽しそうに笑う夏目さんを眺めながら、今までの取り越し苦労も、気が抜けたように溶けだしてしまっていた。
【約束をして、
あなたと初めて会った時のあの溢れる様な香り―
私たちの出会いの花……。
また、金木犀の木の下で会いましょう?】
※※※
隣を歩く夏目さんは、何故か何時までも機嫌よくニコニコしている。
今にも鼻歌が聞こえてきそうな雰囲気だ。時折、私の髪を滑るように撫でる。
何なのだ?いったい。
「それにしたって、あの時の葵ちゃんには思わず、ときめいてしまったなぁ」
「は」
「あんな熱い言葉を向けられたのは初めてだ」
「え」
あ……!ああ―!!!!
――私の夏目さんは、夏目さんだけなの!!失ったら死んじゃう。嫌だ。連れて行かないで!
いっちゃやだ―――
しっ死ぬ。羞恥のあまり死ぬ!
必死だったとはいえ、あんなことを口走るなんて。
お前を失ったらおれは死ぬ。イタリア人か私は!!
「わわわ忘れてください。忘れろ!忘れやがれ――!!」
「忘れられるはず無いだろう?一言一句おぼえているよ?」
ちょっ!顔俯かせながら頬染めんのやめてくださいよ!!
態とだ絶対。からかってるんだ!
「『私の夏目さんは、夏目さんだけなの!!失ったら―』」
「やめっ」
やめて――――――っっっ!!!!
※※※
すっかり、機嫌を悪くした私を、夏目さんが宥めつつ古本屋に帰って来た。
雨で冷えた体をお茶で温めやっと落ち着く。
ま、何だかんだ解決で良かった、良かった。と幾らか機嫌を直し、ほのぼの夏目さんとお茶を飲む。
ああ〜。これこれ。この濃い茶!
もちろん、漣のブレンドも美味しいけど、休みの日はやっぱり…って、ああ!
ブレンドコーヒーも豆も小松親分も全部ほっぽり出して来てしまったことを今更思い出す。
や、やばい。発狂したとか思われてたらどうしよ…。
これで、「金木犀と白百合」のお話は終了です。
結局最後にほのぼのとなるのが、この話の宿命なのです。
葵と一緒にハラハラしていただけたなら幸いです。
1話目、6話目の冒頭の文章は、百合子さんの日記だった訳です。
次は閑話少しを入れて、新たな夏目さんストーリーを作っていこうとおもいます。
次のお話では椎名君の生い立ちも取り入れつつ。
題名は「レールの先に見る才能」何のこっちゃですね。
新たな人物も出す予定です。待っていて下さると嬉しいです。